地域のつながり

今日は、1月17日(水)。

29年前の1995年1月17日の5:46頃、兵庫県の淡路島北部沖を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の「阪神・淡路大震災」が発生しました。

 

そのとき、私は32歳。

関東に本社のある企業で私は働いていましたが、当時は金沢にあった支社に配置転換となっており、金沢の実家に戻っていました。

そのため、この地震は金沢で経験しました。

 

その時点で住んでいたのは、父が建てた実家。

実家は、旧来の日本家屋そのままの造りで広い座敷や仏間があり、とても「地震に強い」とは思えないものです。

 

その日の地震で記録された震度は、金沢周辺では「震度3」でした。

当日の朝、私は実家の2階で寝ていましたが、今から思い返すと、震度3とは思えないほど大きな揺れだったように思います。

地震がおさまってから、すぐに1階の茶の間に行きテレビをつけましたが、まだニュース等でも詳細な被害が報道されず、当初は被害の程度が分かりませんでした。

 

 

地震が発生した直後のニュースでは地震の被害報道が無かったことから、

「被害はそれほど大きくなかったのか?」

…と、私は軽く考えていました。

 

しかし、朝8時ごろになってからだったでしょうか。

ニュースで神戸市街を上空から映した映像が流れ始めましたが、そのニュース映像を見て、私はショックを受けました。

・高速道路が横倒しになっている
・鉄道の線路が曲がり駅が壊れている
・多くの家が潰れビルが倒壊しあちこちで火災が発生している

まるで映画のワンシーンを見ているような映像が、今、現実に起きている。

そのことに衝撃を受け、一緒に茶の間にいた父や母とともに、何を話していいか分からないまま、

「えー」

「信じられない」…

と呟きながらニュースを見ていたことを覚えています。

 

その日も会社に向かい仕事をしていましたが、同じ職場の人たちと、発生した地震や被害の状況ついて話しているばかりで、何も手につかなかったように思います。

この「阪神・淡路大震災」を目の当たりにして、私自身の「災害」に対する心構えが、「何が起こるか分からない、想定外などということはない」という風に変わったと思います。

 

あー、ちょっと違っていました。

まだもうちょっと、「想定外」に思っていたことがありました。

まずは、2011年の東日本大震災。

このときは、それまである程度信じていた「日本の原子力技術は高い/深刻な事故は発生しない」…ということが神話だったことを思い知らされ、福島原子力発電所の「全電源喪失/水素爆発事故」という事態が発生したことから「原子力は未完成な技術である」ことを認識しました。

そして、2022年のロシア・ウクライナ侵攻。

このときは、この21世紀において「大国の指導者が戦争を起こすことはない」…ということが私の思い込みだったことに驚き、「この世界は、領土的野心から戦争が起きるときがあり、一旦戦争になればルールなどは無く、何でもありだ」ということを理解しました。

 

  

阪神・淡路大震災の後にも、日本では東日本大震災があり、今回の能登半島地震がありました。

今回の「能登半島地震」は、マグニチュード7.6、最大震度7。

地震の規模や震度で比べると「阪神・淡路大震災」と同程度か、それ以上です。

 

震源が大都会の近くだった「阪神・淡路大震災」と異なり、「能登半島地震」は過疎化が進んでいた能登半島沖が震源でした。

そのため地震/津波による被害の規模は、「阪神・淡路大震災」に比べると少なかったように思います。

ただ、もし今回の地震が能登半島沖の断層だけではなく、金沢近郊を走っている「森本-冨樫断層帯」にまで影響が及んでいたとすると…

そのときは、想像するのが怖くなるほどの被害が発生していたのではないかと思われます。

 

「森本-冨樫断層帯」は、かほく市の津幡町から金沢市の野町を通って白山市の鶴来町に至る、長さ26kmに及ぶ断層です。

この断層帯が一気に破壊するとマグニチュード7.2の地震が発生する可能性があり、その際の金沢中心街の最大震度は「6強」と予想されています。

学術調査の結果、2,000年前以降あるいは4,000年前以前に、この断層の破壊による大きな地震が発生したことが判明しています。

発生する地震によるずれの可能性は、断層近くの地表では3m、高低差では2m。

また調査結果から、この断層の活動間隔は、1,700年〜2,200年と推定されています。

 

 

今回の「能登半島地震」、あるいは「森本-冨樫断層帯」を知った今となってみると、石川県や金沢市が作成したハザードマップ/防災計画書などが、「断層破壊による地震/津波、またそれらによる深刻な被害」を想定していたとは、とても思えません。

そんな中で「能登半島地震」が発生してしまいました。

 

石川県や市町村などの各自治体としては、「想定外だった」…と言うかもしれません。

ただ「想定外」の災害が発生した被災地では、

・備品の数が足りず避難所として機能しない
・被災者数が指定避難所に入りきれない
・電気等のインフラ寸断時の代替手段が準備されていない
・通信手段がなく重要拠点に連絡が取れない

という状況が発生しています。

 

「想定外」だった災害により、引き続いて発生した状況まで「想定外」になってしまう…

とは言え、実際に被災された方々は、それが「想定外」だったかどうかに関わらず、現実問題として、そこで生きていかなければなりません。

 

「想定外」という言葉は、災害が発生した際によく耳にします。

とりわけ、各種の団体/企業を指導・監督する立場の方々が、「免罪符」のように使っている印象です。

(そもそも「想定外」だったことが間違っていた…と、誰もツッコミを入れないんですかね?)

ただ、発生してしまった「想定外」の災害/`状況そのものは、それが発生してしまった後となってしまうと、もう変えることはできません。

ただし、その後の対応を変えることはできます。

石川県や各自治体としては、「想定外」だったことが間違いであることを認め、また今回の経験を謙虚に受け止めた上で、

・まず、学術調査等の科学的な調査を根拠にした合理的な災害の規模/被害等を想定し
・その上で、それに基づいたハザードマップ/防災マニュアルの作成や見直しを進める

等を行って、実際に災害が発生した事態に対応でき、現実に役に立つ体制を構築してほしいと思います。

 

 

ニュースでは、避難所に入れない/入らない方々、あるいは道路が寸断されて孤立している集落に関する内容が、よく報道されます。

そんな中で、とある方々の様子がニュースで流れました。

この方々は、ご近所の10軒程度が寄り添って、ビニールハウスやテント等で避難生活を送っておられるとのこと。

また、倒壊したそれぞれの自宅から道具や食料を持ち寄り、助け合って毎日を凌いでおられるそうです。

 

ビニールハウスの中で久々に暖かい味噌汁を食べておられた方は、

「ご近所の方に感謝するしかない」

と、涙を流していました。

そのニュースを見ていた私は、もう、

「頑張ってください」…

と祈るのみでした。

 

 

翻って、私が住んでいる町内会において大災害が発生し、自分の家族も含めた地域全体が被災したとしましょう。

そのとき、私の住んでいる地域でもニュースで見たケースと同じように、苦しいことや我慢することの多い避難生活、または次々と発生するトラブルや困りごとを、町内会あるいはご近所の方々が寄り添い助け合いながら、それらを切り抜けて生きていくことが果たしてできるだろうか…

うーん、ちょっと心配です。

 

 

理想を言えば…

まずは、石川県や金沢市など各自治体が、「想定外」といったような ”言い訳” を言わないこと。

そして、甘い想定ではなく、科学的/合理的な想定に基づいたハザードマップ/防災マニュアルを作成すること。

その上で、町内会の方々とのつながりを築いて、それらの関係/輪が町内会を超えて地域全体に広まり、もっと地域のつながりが強くなってほしい…

そう思います。

 

 

 

でも、やっぱりそれは、

「絵に描いた餅」。

現実に実現するのは難しい…

ですかね。

 

 

追伸

少なくとも私には、

・チームじゅげむ
・サツマイモ有志の会

のメンバーがいます。

これらの方々とは、普段からお互いに顔が見える関係であり、いろいろな作業やイベントを通じて同じ釜の飯を食い、助け合って協力することが習慣となっています。

「これらの方々とであれば災害が発生した際にも、寄り添い助け合って生きていくことができる」

そう思います。

 

まずはそこから…

ですかね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です