150…

今日は、3月3日(金)。

そう、桃の節句/ひな祭りです。

 

「去年(2022年)、一昨年(2021年)のひな祭りは何をやっていたのかな?」

そう思ってその辺りのブログをチェックしてみると…

  

去年(2022年)は、ひな祭り当日にはブログを書いておらず、前日の3月2日が最も近いものでした(「ミッション・インポッシブル…」)。

新しい事業展開で苦労していたことを書いていますね。

ただしこの「新事業」、お役所の許認可に関する部分が解決できず撤退しました。

その代わり…と言ってはなんですが、キャンピングカーのレンタカー事業を始めています。

  

一昨年(2021年)は、ひな祭り当日にブログを書いていました(「ババン・バ・バンバンバン…」)。

ここしばらく雛人形を出していないことを書いてます。

これは一昨年だけではなく、去年もそうでした。

今年は久々に、お内裏さまとお雛さまだけでも飾るか…

 

 

さて、今年(2023年)のひな祭り。

食事はどうするのかを妻に聞いてみました。

 

「ちらし寿司は作らないけど、大きいアサリハマグリのお澄ましは作る」…

とのこと。

 

「ちらし寿司は作らないんだ」

「そう、だって○○(長男)がイヤがるから」

 

長男は酢飯もイヤがるほど酢が嫌い(「かぶりつき…」)。

なので、ちらし寿司も食べたくないということらしい…

 

「あー、残念」

 

そう思っていると、妻から一言。

 

「でも、今日は夕方からパーティがあるんでしょ」…

 

 

 

そうでした。

 

今日の夕方。

50数年前になりますが、私も通ったこの地域の小学校「押野小学校」の創立記念パーティがあるんです。

私はそのパーティに町内会の代表として出席する予定。

 

 

押野小学校。

今年で、なんと創立「150年」。

いやー、すごい歴史です。

 

 

150年前といえば、1873年(明治6年)。

その年、前身となる「八日市新保小学校」が創立されました。

その後、色々な変遷を経て、1956年(昭和31年)に現在の金沢市立押野小学校へ改称されました。

 

すでに亡くなっていますが、私の父・母は戦中、そして祖母は戦前、やはりその小学校を卒業生しています。

 

父・母のときは「押野国民学校」、祖母のときは「押野尋常小学校」という名称だったようです。

 

祖母は111歳で亡くなる大往生でした。

祖母の年齢もすごいんですが、押野小学校の創立150年というのも、ちょっとびっくりするぐらいの歴史です。

 

 

 

桃の節句/ひな祭り。

「ちらし寿司」がなく、妻が作る「大アサリハマグリのお澄まし」も食べられないのは残念ですが、今日は『150年の歴史』に思いを馳せて、パーティに参加してきたいと思います。

 

 

ところで…

 

150と言えば、「150km」。

 

今年は、チームじゅげむで走るライドコースは「150km」を目処に組んでみたいと思っています。

 

昨年までは、チームじゅげむのライドについては「走行距離 100km、獲得標高 800m」を目処にコースを考えていました。

今年は、少し成長したメンバーの実力を考えて距離と獲得標高を伸ばし、「走行距離 150km、獲得標高 1,000m」を目処にしてみます。

 

とりあえず、4月になって一番最初に走るコースとしては、一昨年(2021年)に私がボッチで走ってみた「道の駅 瀬女 → 白峰 → 勝山 → 吉崎御坊 → 美川」が良いかもしれません(「GoPro 謎の現象…その3」、「YouTubeの動画はこちら」)。

 

このコースは、私の実走データによれば「走行距離 165km、獲得標高 1,064m」。

距離は少々長いのですが、それもコースの最後にある「フラット区間」で距離を稼いでいるだけで、「まあ、悪くないよね」… というところです。

 

チームじゅげむメンバーの皆さん。

3月に自主トレ/合同キャンプ等を重ね、4月の開幕ダッシュに備えましょう!

 

 

 

3月に入り、春も本番。

今年のライドシーンでは「150」が肝になる…かもしれません。

 

 

追伸

当初、お澄ましの具材を「大きなアサリ」と書きました。

そんな話をしていると、妻から間違いを指摘されました。

 

「アサリじゃなくて、ハマグリよ!」

 

えーっと…

 

ごめんなさい。

大変失礼しました。

いったい…

今日は、2月25日(土)。

 

私の住んでいる町内会では、その年度を締めくくる「総会」準備の真っ最中。

私の作業も佳境に入り、連日の資料作成/修正となっています。

 

それに加えて、先日このブログにも投稿しましたが(「崩壊…」、「フェアーに…」)、新年度の町会長・会計を選出する作業が難航。

 

その上さらに、会計候補として選出された3名の方々。

その3名が3名とも、その後の話し合い応じてもらえない状況になってしまいました。

 

 

この状況、「いったい」どうしたら良いのか。

頭が痛いです…

 

 

 

「町内会なんて要らない」

 

そんな意見があることを、私もネットで目にします。

しかし現実には、生活インフラに関わる市町村の行政サービスは、ほぼ例外なく「町内会」という自治会を経由して提供されており、かつ、それらに関する補助金等も「町内会」に対して交付されます。

 

たとえば、以下の行政サービス(維持管理/補助金交付/資料配布等)は、町内会が窓口となって行われています。

・市町村の広報
・街灯/防犯灯
・防災体制/設備
・ごみ収集
・公園
・用水路/排水路/道路
・除雪
・社会福祉

これらのサービスの実施には、何らかのかたちで町内会の役員、班長、その他の部会/委員会等が関係しています。

また、それらについて改善等の要望があれば、町内会、更にその上部組織である町会連合会経由で行政側(市町村)に働きかけを行っています。

 

本人が意識している/いないに関わりなく、町内会の会員の方であれば、それらの恩恵を受けていることは間違いありません。

 

 

「町内会が窓口となっている行政サービスは受けたい」

「その行政サービスに、役員、班長他、色々な方々が協力していることは分かる」

「しかし、自分自身は役員・班長等を引き受けたくない」

「町会費を支払っているんだから、それ以上の貢献は必要ないはずだ」

 

私の町内会では月々1,000円(年間12,000円)の町会費を集めています。

しかし、たとえば世の中のサブスクサービスを例にとると、

・Disney+は月額990円
・huluは月額1,026円
・YouTube Premiumは月額1,180円

など、たいしたことはないサービスでも軒並み月額1,000円ほど。

いかに町会費のコスパが高いかが分かるってもんです。

 

 

自分さえ楽ができればそれでいい。

そんな人が増えてきている現状を、私は憂えます。

この先、私たちのコミュニティーは「いったい」どうなるんでしょうか…

 

 

 

さて、「いったい」繋がりで。

 

ピナレロのハンドル。

ブレーキのブラケットに手をかけて乗っていると、ハンドルが前方に回ってしまう感じがします。

この症状は、なべちゃんは医王山から湯涌温泉方面に走っている最中に、私は和倉温泉ライドの際に、実際に経験しています。

 

ハンドルが回ってしまうことを防ぐため、ステムのハンドルを留めているビスを増し締めして見ました。

しかし、余り強く閉めすぎるとカーボンのハンドルが割れるんじゃないか…と少々心配。

 

 

ということで、さっそくいつものスポーツサイクル・イシノさんに行って相談してみます。

すると…

 

 「それなら、ステム一体型のハンドルに変更したらどうですか」

「MOSTのステム一体型ハンドルなら、何種類か在庫あります」

「多分、しゅういちさんのステム長は100mm」

「その在庫もありますよ」

 

 

なんですとー!

 

 

しばらくは、「いったい」に悩まされる日々になりそうです…

意地…

今日は、2月22日(水)。

今日も夕方からやることがあり、トレーニングはお休みしました。

 

先週の18日(土)以来、すでに5日間トレーニングを休んでいます。

 

ハルヒルに向けて、「減量するぞ」という意気込みはあります。

しかし、先週末に受けた「一方的に我慢を強いられた」ことによる憤り。

それに加えて、種々の資料作成等のストレスなどがあり、家飲みとは言え、飲み/食べ過ぎの日々を過ごしています。

 

「うーん、このままではダメだ」

 

ここらで私も「意地」を見せて、生活パターンを切り替えないと…

切実に、真剣に、そう思います。

でも、一抹の不安もあります…

 

それをやり切るのが「意地」。

さあ、意地を見せてみるか…

 

 

さて、「意地」繋がりで…

 

 

今日、妻が仕事から帰ってくると、ちょっと風邪気味の模様。

ちょっと頭痛もするとのこと。

 

「あー、それなら寝て暖ったまった方がいい」

ということで、床暖房が効いているリビングに布団を敷き、妻には横になるように言いました。

 

しかし妻は、敷いたばかりの布団が「まだ冷たいから…」と言って、布団の上ではなく、布団の下にある「カーペットと床」の間に潜り込もうとします。

しかし、床暖房はガンガンに効いており、明らかに、「布団が冷たい」というのは妻の思い込み。

 

「そんな訳はない。早く布団に入れよ」

「それに前から言っているけど、床暖房の上にカーペットを敷いてるのは逆効果。そもそも暖房の効率が落ちるよ」

「寒いんなら、床暖房にカーペットは敷かない方がいいよ」

 

それを話していても、妻は俯いたまま、相変わらず「カーペットと床」の間に潜り混んでいます。

妻としては、自分の言っていることを認めてもらえず(共感してもらえないから?)、ちょっと「意地」になっているのか、ますます「動かないぞ」という感じ…

 

 

「いい加減にしろよ」

 

 

あー、言い方が良くなかったかな…

 

 

世の女性陣よ。

自分の感じていること/こだわりが、良い結果を産むとは限りませんよ。

自分の想い/感情に反していても、「意地」にならず、合理的なアドバイスには聞く耳を持って、たまにはそれに従ってみても良いじゃない。

 

世の男性諸君。

そうは思いませんか?

崩壊…

今日は、2月21日(火)。

昨日もいろいろな準備があって、トレーニングはお休みしました。

 

昨日の投稿(「フェアーに…」)には、私の町内会で開催した町会長・会計選出会議に関して、

・一人暮らしのお年寄りのお宅が、
・誤って町会長候補に選出されてしまったので、
・「抽選(くじ引き)をやり直したい」と提案したところ、
・抽選(くじ引き)で既に候補で無くなった方から異論が出て、
・会議が紛糾した…

ことを書きました。

 

投稿にも書いていますが、既に抽選(くじ引き)を終えて、みごと町会長・会計選出の『候補から外れた方々』が、もう一度、抽選(くじ引き)をやり直すことに反対する気持ちは、私にもよーく分かります。

 

しかし反対された方々は、町会長候補として選出された「一人暮らしの老人」の方が「困るだろうなぁ〜」…という状況を想像し、またそれを自分に準えることで「ちょっと助けてあげるか」という気持ちにはなれなかったんでしょうか。

 

私としては、そこが一番気になるポイントでした。

 

 

・自分は既に抽選(くじ引き)を終えて、面倒臭い役目から解放される権利を得た
・誤って独居老人のお宅が『面倒臭い役目を担う候補』として抽選されたとしても自分に不利益はない
・該当の独居老人のお宅からは何の申し出もなかったらしい
・「再抽選」に反対してゴネても自分には悪い点はない/自分が非難される可能性はない
・つまり誰かが困ったとしても他人事だ…

 

穿った見方かもしれませんが、私には、上記のような心の動きがあるような気がしてなりません。

 

 

ただ、もしそうだとすると、悲しいですし残念なことですが、私たちの町内会は、既にコミュニティーとしては崩壊している…あるいは崩壊しつつあるのかもしれません。

 

 

 

古くは、旧石器時代が終わり時代が縄文に変わったころ。

つまり、日本列島で人々が定住生活を始めたおよそ1万5千年前から、この日本列島では「集落」というコミュニティーを形成して、皆が平等に協力して生きてきました。

 

縄文時代の人々は、色々な作業だけではなく、「誰かが困ったときには助け合う」、そんなコミュニティーを形成していたと言われています。

というのも、縄文時代の遺跡から見つかる道具には人を攻撃する武器は見つかっておらず、埋葬された人からも武器等で攻撃された跡は見つかっていないそうです。

 

しかし弥生時代になると…

人を対象とした武器が登場し、埋葬されている人にも明らかに武器で「○された」痕跡が出てくる。

 

自分の集落を効率的に運営/経営するために上下関係ができる。

そして、自分たちの集落/生活を守るために、他の集落の人を襲って征服する…

 

上記を知ると、「弥生人」はダークな感じで闇落ちしているイメージを持ちます。

しかし、それがその後に「日本」という国を作っていく原動力にもなっているとのこと。

 

「進歩/文明」とはそういうものなのかもしれませんが、ちょっと考えさせられる内容です。

 

 

「日本には、もはやコミュニティーは存在しない」。

社会学者の宮台真司さんは、以前から上記のようなことを、マスコミ/YouTube等で発言されています。

 

「えー、それ、ちょっと言い過ぎじゃない?」

私は、そんな風に思っていました。

しかし、自分の足元を見てびっくり。

私の住んでいる町内会は、残念ですが「まさにその通り」と言わざるを得ない状況でした。

 

 

既に「崩壊」している/しつつあるコミュニティー。

ただ私としては、それを未然に防ぎ、できれば「復興」させたい。

そのために必要なものは…

 

 

そう、「仲間を作って、その輪を広げていく」…

それしか無いのかもしれません。

 

 

チームじゅげむの皆さん。

そしてサツマイモ有志の方々。

その中には、同じコミュニティーの方も多数おられます。

 

今後とも、ぜひよろしく!

そっくり…

一昨日 2月4日(土)は立春。

その4日・5日の二日間は、地域の先輩方ご夫婦4組、そこに私ともう一人の男性の合計10名で、能登一泊旅行に行ってきました。

 

行き先/寄り先は、以下のような感じです。

・富来 てらおか風舎で昼食(能登牛ステーキ重)
・輪島 キリコ会館見学
・七尾 和倉温泉 のと楽で一泊
・穴水 能登ワインのワイナリーを訪問
・松波 松波酒造を訪問
・珠洲 レストラン浜中で昼食(香箱ガニ丼)

もちろん、じゅげむのレンタカーのキャンピングカー(「ようやく…ジャンプ!」)を借りて、全員一緒に移動です。

  

その先輩方ご夫婦ですが、皆さん若い頃から私の両親をよくご存知の方々です。

当然、私のことも(悪さ/イタズラをしていたことも含めて…)子供の頃から知っています。

 

キャンピングカーの中でも宴会状態。

とても楽しい旅行になりました。

 

 

 

さて、その先輩の方々から最近よく言われるのが、「お前は父親にそっくりになってきた」ということ。

元々、声が似ていたのは自分でも認識していました。

私が中学生で声変わりをして以降、家にかかってきた電話に私が出ると、十中八九、父親に間違われました。

 

そこにきて最近は、顔や体つき、あるいは姿勢も似てきたようで、親戚の方々からも「そっくりだ」と言われます。

 

 

ただ、先輩方も親戚の方々も、性格については「まったく違う」と言います。

とくに、ご近所で日頃から顔を合わせる機会が多かった先輩方からは、

「お前は陽気で、どちらかと言えば前向き」

「でもお前の父親は、無口で何を考えているのか分からなかった」

と言われます。

 

この、「何を考えているのか」…という部分は、どちらかと言えば「否定的」なニュアンスで言われることが多いような印象。

 

 

確かに、父親はおしゃべりな方ではありませんでした。

しかし、私の父親に対するイメージは、そんな感じでは無かったですね。

 

私と父親の二人で飲む場面。

あるいは、娘(私の姉)夫婦やその家族との会食の場面。

そんな場面では、今の私と同様、いつも機嫌よく、陽気に飲んで食べていたように思います。

 

 

ちょっと考えてみたのですが…

 

父は小学校の低学年のときに戦争で自分の父親を亡くし、一家は母親(私の祖母)、妹(私の叔母)、祖父(私の曽祖父)の4人となりました。

働き手は母親(私の祖母)一人なので、戦中/戦後はかなり苦労をしたと聞いています。

 

苦労だけではなく、母親(私の祖母)が家族を養っていくことで精一杯だったため、父は自分の考えや思いを通すことができず「我慢する」ことが当たり前だったようです。

そんな「我慢する」ことが日常だった父は、社会に出てからも、変な軋轢(今で言えば、まあ、パワハラなんですかね…)を受ることが多く、それも我慢することが多かった…そう言っていました。

 

根っこの部分は陽気で明るい性格だった父も、「性格が変わった」というのではなく、処世術として「我慢をして余計なことは言わず、無口でいる」ことを選んでいたのではないか…息子の私はそんな風に感じています。

 

 

処世術のお陰で、父は変な軋轢からは逃れることはできたのでしょうが、その副作用として「何を考えているか分からない、仲間にもあまり打ち解けない」というイメージが付いて回ることになってしまった…

 

先輩方にも「いや、父はそんな性格じゃなかったよ」と言って庇ってあげたいところですが、「うーん、ちょっと分かってもらえないかな…」と感じたので、軽く聞き流して済ませました。

 

「ごめん」

両親には、心の中でお詫びをしておきます。