捗(はかど)らない…

今日は、3月22日(土)。

昨日 21日(金)は花金です。

…と言っても、若い方は分からないかもしれませんね(「ハナキン」)。

 

花金とは、”花の金曜日” を短くした言葉。

「明日からは土日でお休みが続く。だから金曜日の夜は、遅くまで遊んで楽しめるぞ」

そんなウキウキ/ワクワクした気分を表した言葉なんです。

 

その花金に、私は外のお店に飲みに出かけました。

出かけたお店は、八日市出町にある ”呑み処 香や” さん。

実は ”香や” さんは、以前は ”姫寿し” さんというお寿司屋さんでした。

 

私の父はすでに亡くなっていますが、その父は ”姫寿し” さんが大好きで、いつも贔屓にしていました。

回転寿司の店が色々でき始め、まずまず美味しいお寿司が安く食べられるようになっても、実家に一族郎党が集まった際など、賑やかな食事ために注文するお寿司と言えば、必ず姫寿しさんの特上の握り(の桶盛りの出前…)でした。

また、父が仲間やと飲みに行く際も、姫寿しさんに行く比率が高かったようです。

なので実家の食器棚には、姫寿しさんが毎年配っていた湯呑みが10個以上あった…

そんな記憶があります。

 

その ”香や” さんに行ったのは、私一人ではなく、ご近所さんのbest岡田さんも一緒。

best岡田さんですが、実家は能登の穴水。

2024年1月に能登半島地震が発生しましたが、この地震でbest岡田さんの穴水の実家にも被害がありました。

 

家が壊れたら直さないといけません。

ところが、穴水近辺の建築関係の業者に修理を頼もうとしても、皆さんご存知の通り、業者の数が圧倒的に少ないうえに、その業者の中にも被災されている方がいる状態。

なので、そもそも修理を引き受けてもらえなかったり、仮に引き受けてくれたとしても、

「修理の着手は1年先になる」…

なんて話もあるそうです。

能登半島の復旧/復興が思うように ”捗(はかど)らない” 原因は、こんなところにもあったんですね…

 

しかし幸運なことに、best岡田さんの仕事は、なんと建築関係。

ということで、それまで行っていた金沢での仕事は息子さんに任せ、best岡田さんは実家の修理のために、しばらく穴水に通う日々が続くことになりました。

 

さて、そうして穴水の実家に通っているうちに、実家周辺の方々に、

「○○(best岡田さんの実家のこと)のおじま、金沢から家の修理に通っているらしいぞ」

という噂が広がっていきます。

その噂を聞きつけた方々が、実家の修理をしているbest岡田さんを訪ねてきては、

「うちの家の修理もやってくれんか」…

とお願いをするようになったそうです。

 

頼まれたら断れないbest岡田さん。

それ以来、best岡田さんは、もう1年間ほど

・月曜日の朝に穴水に行って泊まり込み、
・実家近くの方々の家の修理作業を行って、
・金曜日または土曜日なったら金沢に帰ってくる…

という生活を送っています。

 

実家のある穴水に通い、そのご近所の家を修理しているbest岡田さん。

そのご苦労をねぎらう意味も込めて、この日は ”香や” さんで飲むことにしました。

 

 

ところで、”香や” さんは2月3日に新装開店したばかり。

以前の ”姫寿し” だったころと比べると、カウンターこそ同じような位置にありますが、その他はすべてリフォームを行ってリフレッシュ。

その綺麗なお店で、美味しい肴と共にお酒を飲む二人。

お酒を飲むペースは ”捗り”、どんどん酔いが回っていきます。

そして、肴を食べるペースも ”捗り” ます。

いやー、いい感じです。

 

”香や” さんは開店したばかりで、メニューはまだ多くないようでした。

新メニュー開発は難しく、それほど ”捗らない” ものなのかもしれません。

が、今後の新メニュー登場、大いに期待しています!

 

 

追伸

ところで、”香や” さんのお店のリフォーム。

能登地方だけではなく金沢でも、やはり建築関係の業者/職人の確保が難しくなっており、加えて資材の価格が高騰したそうな。

「能登半島地震の影響が、ここ金沢にも及んでいるんだな」…

そんなことを感じた昨日の夜となりました。

密かな好意…

今日は、3月18日(火)。

ネットでちょっと調べてみると…

3月18日は柿本人麻呂、小野小町、和泉式部など、平安時代の歌人として名前を残した人たちの命日とされているそうです。

 

「えー、ホントかなぁ」…

おそらくそれは、”同時代に記された日記等に書かれている”…など、一次資料で確認できることではないと思います。

とは言え、それを信じている人もいるようです。

まあ、歴史のロマンでしょうか…

 

この3人の中で、私がちょっと感じる部分があるのは、和泉式部という歌人です。

この女性には、”自由奔放に恋に生きた人” というイメージを持っています。

 

彼女には夫がいましたが、その夫と別れ二人の親王(天皇の息子のこと、二人は兄弟です)と恋仲になりました。

そう書くと不倫の末に親王兄弟にも二股をかけていたのか…と勘違いをするかもしれませんが、そうではありません。

 

まず、夫とは不仲になって別れてしまいました。

そしてその後にお付き合いをしたのが、親王(兄)。

和泉式部は、親王(兄)のことが大好きでしたが、お付き合いをしている最中に、残念ながら彼は若くして亡くなってしまいます。

 

最愛の親王(兄)を亡くし傷心の和泉式部。

その彼女に優しく寄り添ったのが、亡くなった親王の弟。

その弟も当然親王。

傷心の彼女は親王(弟)にも心を惹かれ、今度は親王(弟)とお付き合いをします。

ところが、この親王(弟)も亡くなってしまう。

 

親王(弟)が亡くなった後、楽しかったころを思い出しながら書いたのが、世に言う ”和泉式部日記”。

さらに後、和泉式部はあらためて夫を持ち、夫の赴任地である丹後国に夫と共に行った…

そんな話を、中学生のときに、当時の国語の先生から聞いたことを思い出しました。

 

その国語の先生ですが、実は、私が密かに好意を寄せていた方でした。

 

第一印象は、そうですねぇ、岸恵子、または加賀まりこ…という感じでしょうか。

(かなり記憶が美化されているかも…)

私が中学2年のときに同じ中学校に赴任され、その時点で確か27歳だったので私の13歳年上。

13歳も年上の女性でしたが、その先生に非常に惹かれていた…ということを思い出します。

 

 

その先生の授業の進め方ですが、一応は教科書に従ってはいましたが、題材となっている作家に関しては、教科書を離れて作家の人生、考え方にまつわる話を多く話してくれました。

教科書に載っている歌人、俳人、小説家、そして、ときには教科書に載っていない日本文学の作家の人たちも含め、彼ら/彼女らが歩んだ人生について述べ、そこから、その作品を書いた背景などについても触れていた…

そんな記憶があります。

当時の私にとって、先生の話しの内容は大変興味深く、それが私がどんどん小説(の文庫本…)を買って読むきっかけになりました。

 

そんな国語の授業の際に、種田山頭火/尾崎放哉というちょっと変わった俳人の作品について触れる機会がありました。

この二人は、形式に囚われない自由な俳句を作って発表している人たち。

(この ”形式に囚われない自由な俳句” ということから想像できるように、これらの人は、周囲との摩擦/軋轢を生むことにあまり頓着しないという面を持っています。まあ、作家って、大概そんなもんかもしれませんけど…)

その一人、尾崎放哉の代表的な俳句といえば、ご存知の方もいると思いますが、

「咳をしても一人」

ですよね。

 

授業では、

「この句について、自分が思ったことを自由に書いて提出する」

という宿題が出されました。

その際、私は以下のようなことを書いて提出しました。

 

 

尾崎放哉という人は破天荒で、家庭/家族を顧みず、世間から理解されないことや孤独になることを恐れず、自分の信念を貫き俳句の道を進む…そんな人生を送りました。

しかし、信じた道を歩んでいる途中で、胸を病んでしまいました。

当時、胸の病は不治の病気。

死期は近いけれど、流れ着いた山の荒れ寺で一人ぼっち。

寝込んでいる際に咳が出ても、看病をしてくれる人は誰もいません。

自分が求めたこと/招いてしまったことではあるけれど、その孤独感はやはり耐えがたい…

尾崎放哉も、その孤独感に襲われていたのだと思います。

 

 

細かい表現/言い回しは違っているかもしれませんが、私は、概ねそんな内容を書いて提出しました。

それに対して、先生が返してきたコメントは、ちょっと意外な内容でした。

 

 

尾崎放哉も、あなたが書いたような孤独を感じていたでしょう。

句の解釈としては、もう少し尾崎が自分自身を俯瞰的に見て、”洒落や滑稽な意図を込めている” と評価することが多いかもしれません。

ですが先生自身は、あなたと同じ感想を持っています(人間はそれほど強くない…)。

だた中学生のあなたが、尾崎と同じような孤独を感じている、あるいは理解しているのだとすると、そのことがちょっと心配ですね。

 

 

最後の一文が衝撃的。

それまで学校で出される宿題で、そんなコメントを返す先生に、私は会ったことがありませんでした。

これは、当時の私にとってみると ”一大事”。

 

この ”一大事” 以降、私はことある毎に、ちょっとした詩/短編の小説っぽいもの/読んだ本の感想などを書いて、先生の目に触れるようにしていました。

それは、提出するノートの端だったり、中間/期末テストの解答用紙の裏だったり…

今思えば、先生としては

「オタクで、すごくキモい奴」

と感じていたでしょうねぇ…

いやー、恋は盲目。

先生、すみませんでした。

 

 

”一大事” 以降、私はその先生に ”密かな好意” を抱いていました…

なんて可愛げに表現しましたが、今振り返ってみるとその行動は、”密かな好意” なんてソフトな範囲に収まっていませんね。

ただ、その ”密かな好意” がモチベーションになって、私が日本の文学、特に小説を読むようになったことは事実です。

あらためて、”密かな好意” を抱かせてくれた、中学時代の国語の先生に感謝です。

彼岸の思い出…

今日は、3月17日(月)。

今年 2025年は、今週の木曜日3月20日が春分の日。

この前後3日間を含めた7日は、いわゆる”お彼岸” です。

 

私が子供のころは、彼岸の中日(つまり春分の日/秋分の日)になると、母がぼた餅/おはぎを作ってくれました。

 

小学校低学年までの私は、どちらも ”おはぎ” と呼んでいました。

しかし、ある年の春分の日。

私が餅搗きを手伝っていると、母が、”ぼた餅/おはぎは、同じものだけど、牡丹(ぼたん)と萩(はぎ)の花の名前から、春と秋で呼ばれる名前が違う” ということを教えてくれました。

「へー」

我が家には花札があって、それでよく遊んでいたので、私も牡丹と萩は知っていました。

 

ただ花札だと、牡丹は6月、萩は7月で、ちょっと季節がずれている。

今のカレンダーは、昔の暦から今から2ヶ月ほどズレている…って聞いたから、そんなもんか?

そんなことを思ったことも思い出します。

 

 

母がぼた餅/おはぎを作ってくれた最初の記憶は、60年ほど前のこと。

もちろん当時は、すべて手作り。

小豆を炊いて、前日に粒あんのあんこを作っておきます。

そしてうるち米/もち米を混ぜて炊き、それを ”すりこぎ” で搗(つ)いてお餅にします。

ただし、このとき餅を搗くのは5分〜6分ほどでとどめておくのが我が家の流儀。

”米の粒がまだ残ったままの方が美味しい”…というのが母のポリシーでした。

 

餅が搗き上がったらそれを適度な大きさにちぎります。

その餅に、作った粒あんを周りにまぶして形を整えれば、ぼた餅/おはぎの完成です。

そんな普通のぼた餅/おはぎの他にも、母は粒あんの団子を餅で包み、それにきな粉や黒ゴマをまぶしたものも作ってくれました。

 

母が作ってくれた、ぼた餅/おはぎ、きな粉、黒ゴマの3種類のお餅。

春分の日/秋分の日のお昼には、それを食べるのが楽しみだった…

そんなことを思い出します。

 

 

便利な物はほとんどなく、手抜きができずなんでも手作りしていた時代。

その素朴な手作りのぼた餅/おはぎがとても美味しく、お昼にそれを食べることが楽しみだった。

そんなお彼岸のひとコマを思い出した、今日の朝でした。

帳尻が合う…

今日は、3月15日(土)。

昨日 14日(金)は、先日の投稿で述べた通り、私が主夫生活を送る1日(「間に挟まれて…」)。

妻は不在ですが、次女、長男、そして私の3人分の夕食を作らなければならなりませんでした。

ところが、その日の朝のこと…

 

空は快晴、朝から春を思わせる陽気。

そんな中、のんびり朝食を食べていると、遅れて起きてきた長男が、私の隣に座りながら言いいました。

 

お父さん。

今日は、自転車で学校に行けないから、車で送ってほしい。

それから、学校が終わったらスタジオに行くつもり。

それが終わったら仲間とご飯を食べてくる。

だから、今日は晩御飯は要らない。

 

長男は最近エレキベースを買いました(「今日のところは…」)。

昨日は、学校が終わったらベースを持って貸しスタジオに向い、バンドを組むことにした仲間と、初めての音合わせ/練習をする計画のようです。

 

 

まあ、ベースを持って自転車に乗るのは危ないですし、

「学校まで車で送ってほしい」

というのは良いでしょう。

しかし、

「晩御飯は要らない」

と、(しかも直前/その日の朝になって…)いうのはいただけない。

 

「えー、バカやろー!」

…と思ったのですが、自分が高校生のときも、もしかすると、似たようなものだったかも。

 

私が高校生のころは、土曜日が半ドン。

なので土曜日は、午前中だけでしたが学校の授業がありました。

ただし、午前の授業が終わればあとは自由。

しかも翌日はお休み。

となると、私たち(私…だけ?)は、さながら ”野に放たれた虎”。

当時、金沢の繁華街として栄えていた、武蔵ヶ辻/香林坊/片町/竪町あたりをフラフラしながら友だちとお昼を食べ、家に帰るのは晩御飯の直前になってから。

そんなことが、もしかすると私にもあったかもしれません…

 

現在では半ドンというものはなく、世の中は、学校も含め完全週休二日制。

長男も金曜日の学校/授業が終われば、翌日の土曜日からは二連休。

休前日の学校が終わり、そこでバンド仲間/友だちと一緒に楽しめるのは、それは嬉しいでしょう。

まあ、しょうがない…ですかね。

 

思わず、ちょっと ”お怒りモード” に入りそうになった私。

しかし、昔の自分を振り返って冷静さを取り戻すことができました。

 

カチンと来た顔を、

「ニコッ」

とさせて、とりあえず帳尻だけは合わせておきました…

 

 

とはいえ、晩御飯は次女と私の二人だけ。

「うーん、だとすると、わざわざロールサンドを作るのはちょっと面倒くさいなぁ」

そう思ってしまいました。

 

”面倒くさい” のはイヤだなぁ…

ということで、この日の晩御飯は色々と手を抜いてみることにしました。

 

手抜きとしながら作ったのは、以下の通り。

・フランスパン(バゲット)1本 → 切るだけ
・ホワイトシチュー(市販ルー&冷凍野菜/4皿分)
・ポテトサラダ(惣菜)
・ツナマヨ
・野菜サラダ(カット野菜)
・刺身(マグロ、ブリ)

 

手抜きをしたおかげで、買い出し/調理を含めても、すべてが2時間ほどでおさまりました。

ロールサンドを作ったり、野菜を自分で切って調理を行ったとすると、おそらくこの倍くらいの時間がかかったと思います。

いやー、便利な世の中になってますよね、ホントに。

 

 

サンドイッチにはしませんでしたが、買ってきたフランスパンはスライスして、

・ホワイトシチューと一緒に食べてもよし
・ミニオープンサンド風にポテサラ/ツナマヨ/野菜サラダをのせて食べてもよし

としました。

ここでも、”サンドイッチを作る”…という予定との帳尻を合わせてみました。

 

これらを白ワインと共にのんびり、次女と私で頂きました。

二人だけだったら、この量はちょっと多いかな…

そう思った通り、”ごちそうさま” をしても、刺身以外は余ってしまいました。

 

ただ次女は、その後もワインをチビチビやりながら残ったフランスパンを数切れ食べた模様。

ホワイトシチューその他も、長男が家に帰ってきてから食べたようです。

量は多めになってしまいましたが、結果オーライ。

最終的には帳尻が合いました。

 

昨日は、帳尻合わせがバッチリ…

そんな日になりました。

粗めの多め…

今日は、3月12日(水)。

先日の投稿では、コーヒーの豆を挽くミルについて書きました(「我慢のしどころ…」)。

 

手動木製の ”横回し” のミルから、鉄製の ”縦回し” のミルに買い替えて以来、これを気に入って使ってきた。

しかし最近、手でミルのハンドルを回すことが面倒くさくなってきた。

美味しく淹れることができる状態で、手軽にコーヒー豆を挽く方法はないか…

 

ざっくり、こんな内容でした。

 

コーヒー豆を手軽に挽きたい…

この願いを叶えるために、私はとうとうウルトラCを発動。

 

それがこれです。

 

「なーんだ、ただの電動ミルでしょ」…

そう思ったあなた。

チッチッチッ、最近の電動ミルは凄いんです…

 

まず豆を挽く方法ですが、昔のミルのように ”羽が回って豆を砕く” というやり方ではありません。

 

そう、ちゃんと ”臼(うす)” で挽くんです。

写真のオレンジの下部分が ”臼”。

ここでコーヒー豆を ”本当に挽いている” んです。

 

しかもその ”臼” は取り出して掃除することもできるようになっています。

 

いやー、すごいです…

 

豆を挽く粗さ(細かさ)は、ホッパー部分をクルクル回して設定。

粗さを設定してスイッチをポンとすれば、瞬時にお望みの粗さ(細かさ)のコーヒー豆の出来上がりです。

 

取り扱い説明書には、

「まず、取り外せるプラスチックの各部分を洗え」…

と書いてあります。

 

指示に従って各部を洗い、それを拭いて乾燥。

そして、組み立てるのももどかしく、さっそく使ってみることに。

 

まず、ホッパーに4人分のコーヒー豆を投入。

粗さの設定は、

・最も粗い側の ”フレンチプレス”(煮出してパーコレーターで押す)

から、

・最も細かい側の ”エスプレッソ”

まで、実に40段階の設定ができるようになっています。

私は、やや粗い側よりになる、中粗挽き ”ハンドドリップ” に設定。

その中でも最も細かい側にしました。

 

これでタイマーを40〜50秒に設定してスイッチポン。

すると約40秒で、4人分の豆を挽くことができました。

 

中粗挽きの中でも最も細かい側に設定しましたが、それでも、

「自分で挽いていたより少し粗いかな…」

という感じ。

 

とりあえずこれでコーヒーを淹れてみたところ…

いやー、美味しいです。

 

手動のミルで挽いたよりも、豆が ”少し粗め” になったことから、雑味がなくてスッキリした味になったような気がします。

ただし、豆が粗くなった分、淹れたコーヒーが少し薄く感じます。

 

そうか、粗めで挽く代わりに、投入するコーヒー豆の量を多めにすればいいのか…

昔から、コーヒー豆は

「粗めの多め」…

と言われていたことを、久々に思い出しました。

”粗めの多め” を味わいたい方、ぜひこちらまでお越しください。

スッキリした美味しいコーヒーをご馳走したいと思います。

 

ちなみに、現在在庫している豆は、マンデリンとグァテマラをそれぞれ300g。

もしかすると、これにモカが追加される…かもしれません。

 

皆さん、ご遠慮なくどうぞ。