昨日は12月19日(月)。
週が明けて、妻もようやく体調が回復してきました。
いつもの月曜日ように、妻も、私も、子供たちも、それぞれ仕事に/学校に向かいます。
事務所に出勤した私はというと…
まずは事務所の掃除をして、それからパソコンの電源をオン。
「さて、先週、仕掛かり中のままにしていた作業があったな。それから手をつけることにするか」
そうと思ってデータを開いてみると…
なんと仕掛かりだった作業が、すでに終わっているではないですか。
「えっ、妖精が作業を行ってくれたのか!?…」
いやいや、そんなこと、あるはずがありません。
前日の日曜日は、妻の体調がイマイチ回復していませんでした。
なので、予定していた能登半島ドライブはキャンセル。
私はというと…
そうそう、事務所に出て仕掛かり中だった作業をやっつけた(「寒サニマケテ…」)んだった…
それを忘れていました。
自分が寝ている間、あるいは知らない間に、必要なことをうまく判断して実行してくれる…
そんな妖精や小人がいてくれれば、どんなに助かるか。
でも、「そんな都合のいいものは、この世にいない」。
私たちの世代は、家での手伝いを通して、社会人になってからは仕事を通して、それを叩き込まれてきたような気がします。
一方、私の子供たち。
誰が行ってくれているのかは知らないけれど、いつも部屋、トイレ、お風呂は綺麗で清潔。
そして、知らないうちに洗濯物が引き出しに片付けられている。
それだけではなく、テレビやエアコン、それからスマホにネット環境等のインフラも、水や空気と同じように「当たり前にある」もので、費用がかかっていることや誰かがお世話をしていることに考えが及ばない…
妖精や小人が、お花畑で戯れている…
私の子供たちはまだ、そんな「童話の世界」に住んでいるような印象です。
その子供たちも、社会に出て色々な経験を積めば、いずれ気が付くときがくる…
そう思っていました。
しかし考えてみると、科学の進歩によってロボットやAI(人工知能)が発達し、もう少しで「ロボット小人」、あるいは「エレクトロクスク妖精」というような物が出てくる可能性はあるような気がします。
いや、それだけじゃない。
ロボットやAIの知能が人間を超えてしまった結果、いわゆる技術的特異点(シンギュラリティ)が訪れると、私の子供たちに限らず、「一生を、お花畑で過ごす人が増える」…それも否定はできない。
そんな、少々怖い未来を想像してしまいました。
ターミネーターやマトリックス等の映画が示す未来像。
映画で見る分には面白いですが、現実にそれが起きてしまうと恐怖以外の何者でもない…
そんな気がします。
妖精/小人から連想し、少々怖い未来について考え込んでしまった…
そんな、ちょっと「うつろ」なイメージにハマり込んでいる最中に携帯が鳴り、現実に引き戻されます。
携帯の表示を見ると、妻からの電話。
この時間に妻からの電話?
珍しいな、何だろう…
「もしもし」
「私、『ようせい』だった」
「えっ、妖精?」
「そう、新型コロナの『ようせい』」
「あっ、陽性ね…」
「うん。今から帰る」
「…」
先週の15日(木)。
妻は、発熱こそありましたが、医者で検査をしてもらった結果は「陰性」(「主夫の日…」)。
しかし、妻が勤めている保育園では、毎週月曜日と水曜日に職員全員が新型コロナの抗原検査を受けるルールになっているそうで、週明け月曜日に出勤して検査を行うと、なんと妻から薄っすら陽性の反応。
えー、そんなこともあるんですか…
さっそく妻は、寝室で自宅隔離。
濃厚接触者となった私と子供たちは、全員、すぐに仕事/学校から帰ってきて自宅待機。
私には、またまた「主夫の日」が始まります。
自分の意見が支離滅裂なのは分かっています。
でも、家事一般の作業をやってくれるロボット小人やエレクトロニクス妖精。
それが早く登場してほしい。
そして、私をお花畑に連れて行ってほしい…
そう思いました。