一昨日 2月4日(土)は立春。
その4日・5日の二日間は、地域の先輩方ご夫婦4組、そこに私ともう一人の男性の合計10名で、能登一泊旅行に行ってきました。
行き先/寄り先は、以下のような感じです。
・富来 てらおか風舎で昼食(能登牛ステーキ重)
・輪島 キリコ会館見学
・七尾 和倉温泉 のと楽で一泊
・穴水 能登ワインのワイナリーを訪問
・松波 松波酒造を訪問
・珠洲 レストラン浜中で昼食(香箱ガニ丼)
もちろん、じゅげむのレンタカーのキャンピングカー(「ようやく…ジャンプ!」)を借りて、全員一緒に移動です。
その先輩方ご夫婦ですが、皆さん若い頃から私の両親をよくご存知の方々です。
当然、私のことも(悪さ/イタズラをしていたことも含めて…)子供の頃から知っています。
キャンピングカーの中でも宴会状態。
とても楽しい旅行になりました。
さて、その先輩の方々から最近よく言われるのが、「お前は父親にそっくりになってきた」ということ。
元々、声が似ていたのは自分でも認識していました。
私が中学生で声変わりをして以降、家にかかってきた電話に私が出ると、十中八九、父親に間違われました。
そこにきて最近は、顔や体つき、あるいは姿勢も似てきたようで、親戚の方々からも「そっくりだ」と言われます。
ただ、先輩方も親戚の方々も、性格については「まったく違う」と言います。
とくに、ご近所で日頃から顔を合わせる機会が多かった先輩方からは、
「お前は陽気で、どちらかと言えば前向き」
「でもお前の父親は、無口で何を考えているのか分からなかった」
と言われます。
この、「何を考えているのか」…という部分は、どちらかと言えば「否定的」なニュアンスで言われることが多いような印象。
確かに、父親はおしゃべりな方ではありませんでした。
しかし、私の父親に対するイメージは、そんな感じでは無かったですね。
私と父親の二人で飲む場面。
あるいは、娘(私の姉)夫婦やその家族との会食の場面。
そんな場面では、今の私と同様、いつも機嫌よく、陽気に飲んで食べていたように思います。
ちょっと考えてみたのですが…
父は小学校の低学年のときに戦争で自分の父親を亡くし、一家は母親(私の祖母)、妹(私の叔母)、祖父(私の曽祖父)の4人となりました。
働き手は母親(私の祖母)一人なので、戦中/戦後はかなり苦労をしたと聞いています。
苦労だけではなく、母親(私の祖母)が家族を養っていくことで精一杯だったため、父は自分の考えや思いを通すことができず「我慢する」ことが当たり前だったようです。
そんな「我慢する」ことが日常だった父は、社会に出てからも、変な軋轢(今で言えば、まあ、パワハラなんですかね…)を受ることが多く、それも我慢することが多かった…そう言っていました。
根っこの部分は陽気で明るい性格だった父も、「性格が変わった」というのではなく、処世術として「我慢をして余計なことは言わず、無口でいる」ことを選んでいたのではないか…息子の私はそんな風に感じています。
処世術のお陰で、父は変な軋轢からは逃れることはできたのでしょうが、その副作用として「何を考えているか分からない、仲間にもあまり打ち解けない」というイメージが付いて回ることになってしまった…
先輩方にも「いや、父はそんな性格じゃなかったよ」と言って庇ってあげたいところですが、「うーん、ちょっと分かってもらえないかな…」と感じたので、軽く聞き流して済ませました。
「ごめん」
両親には、心の中でお詫びをしておきます。