昨日は9月1日(木)。
2022年度も、いよいよ折り返しの9月を迎えました。
昨年度、今年度と、私は住んでいる地域の町会長(自治会長)を務めています。
当初、この2022年は新型コロナも終息に向かい、3年ぶりに色々な行事/イベントが盛大に行われる…という状況を期待していました。
しかしこれまでのところ、物事はそう上手く運んでいません。
多くの方々に協力していただいて開催の準備を進めていた、私たちの町会のレクリエーション「サマーフェスティバル」についても、開催時期がまさに第七波の感染拡大タイミングと重なってしまったことにより、残念ですが中止せざるを得ませんでした。
また、地域全体の公民館行事である社会体育大会(地域全体の運動会)も中止が決定しました。
公民館の方々も、中止することはさぞ残念だったろうと想像します。
世の中には色々な行事があり、それぞれに、それを企画・準備している方々がいらっしゃいます。
その方々も、新型コロナのことを考慮・心配しながら、なんとか行事/イベントを安全に開催する方法はないかと、きっと検討・工夫していることと思います(私たちの町会でも、そのように検討してきました)。
そうやって検討・工夫を重ねても、どこかのタイミングで必ず「最大限配慮した上で開催する」のか、あるいは「残念ながら中止する」のか、それを決断しなければなりません。
私も、昨年度、今年度と、そのような決断をしなければならない状況が続いてきました。
新型コロナ感染症が拡大する前に比べ、行事/イベントを企画・準備することは、それがどんな内容であるにせよ、注意すべき点、準備すべき物、それらにかかる費用など、色々な点で課題が多く、本当に気を使います。
なにも検討せず、安直に「中止」と決めてしまうのもひとつの方法でしょう。
しかし実際には、それを企画する側にしてみると「なんとか実施する方法/手段はないか」…と種々検討・吟味することがほとんどだと感じます。
また、そうやった上での決断であれば、それが開催であろうが中止であろうが、「その決断は尊重すべき」というのが私の感覚です。
一方、これまで私が決断したことについて言えば、それを批評/批難する意見を頂戴することが、少なからずありました。
もちろん反論したい気持ちはあり、本音を言えば「評論家みたいに、批評/批難するのは簡単ですけど…」と言い返したくなることもあります。
しかし現実には、事実に基づき冷静に経緯を説明したうえで、
「色々なご意見があることは受け止めますが、〜という理由から〜することに/〜しないことに、私は決断しました」
と経緯を説明して、理解を求めることしかできない…
そう考えて、これまで行動してきました。
もちろん、今後もそのように行動していくつもりです。
上記で述べたように、私の考えを説明し周囲の方々の理解/共感を得ながら(もちろん、私の当初の考えも変更しながら)、その時点で「良い」と思う方向で決断しています。
ただその決断により、事態がより良い方向に向かうのか、あるいは悪い方向に向かってしまうのか…というような「結果の良し悪し」までは、私はもちろん誰にも分かりません。
(まあ、予言者でもなければ、それをハッキリ決めつけることはできません…よね)
「そんな無責任な」…と言われるかもしれません。
もしそのような中で、悪い結果を招きそうになったら…
そのときは、
「判断を間違ってしまったことを率直にお詫びし、朝令暮改となることを恐れず、決断した内容を変更する」
…それを心に誓っています。
「ポリシーがないし、一本筋が通っていない」
そう言われるのがちょっと怖いんですが、そういうときこそ「自らの誤りを認めるに、やぶさかでは無い」という態度が重要だと、私は思っています。
10月には私たちの地域の「住吉神社」の秋祭りがあります。
9月は、その準備を行う重要な期間です。
この期間、私はちょっとビビりながら、しかしそんな顔を見せずに、周囲の方々の理解と協力を得て、諸々の準備/検討を行います。
その中には、これまでのやり方を変更した、新しい取り組みも入れていきます。
そして最終的に、秋祭り開催の是非を決断します。
開催するにしても、中止するにしても、どちらの場合も批評/非難を受けることになるでしょう。
しかし、あわせて、その批評/非難から逃げることなく、説明して理解を求める覚悟もしています。
ヒルクライムレース。
後半、つづら折れの坂を抜けて、「このカーブを抜けたらゴールだ」…
と思ったら、「ゴールまで1km」の看板。
ちょっとしんどいですが、今が踏ん張りどころ。
元気を出して、諸々進めていきたいと思います。