大寒を乗り切る

今日は、1月24日(水)。

昨日の23日(火)は、家族揃って楽しい夕食と頂くことができました(「シルバーの輝き…」)。

 

実は昨日、妻から私にサプライズで結婚記念日のプレゼントがありました。

それは…

私がいつもお世話になっているスポーツサイクル・イシノさんに、妻がこっそり一人で行き、ビンディングシューズを買っていたようで、そのプレゼントを受け取りました。

妻がチョイスしたモデルは、フィジーク「VENTO OMNA(ヴェント オムナ)」のチェリー/ブラック。

私の ”神様” (「神様…」)に合わせて、この色のシューズを選んでくれたようです。

 

仕事を終えて家に帰ると、ダイニングテーブルの私の席に見覚えのない箱。

これがサプライズのプレゼントでした。

いやー、まったく予期していなかったので驚きましたし、とても嬉しかったです。

今年の初ライドでは、このシューズを履いて出かけることにしたいと思います。

 

ただし…

妻が買ってくれたシューズのサイズは「42」。

このサイズ、本当にぴったりのジャストサイズ。

なので履いて履けなくはないんですが、このサイズのシューズで乗り続けていると、最後は親指の先が痛くなってしまうんですね(「ちょっとサイズが…」)。

 

「もうちょっと、大きい方が良いんだよなぁ」…

 

ということで、すぐにイシノさんに行き、同じモデル・同じカラーのサイズ違い(「43 1/2」)へのチェンジをお願いをしてきました。

イシノさん、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

 

ちなみに、私から妻へのプレゼントは、前から「欲しいなぁ」…と言っていたネックレス。

イシノさんからの帰りに、ダッシュで買いに行きました…

 

 

年明け早々に諸々があって、妻も私も落ち込むことが色々ありました。

しかしここにきて落ち着いてきたのか、先週あたりから気分的にも持ち直してきた感じです。

気分は上々、寒さも含めて乗り切っていくぞ!

そんな感じです。

 

 

さて、今日は、今シーズン一番の寒波が日本列島を覆っており、今朝は15cm程度の積雪がありました。

 

このため、今日の仕事は、朝一番での「雪かき」。

朝食を食べてから、家の前、そして裏にある納屋の前の雪かきを行って、まずは車の通行に支障がないようにしました。

 

雪かきを行う前に、すでに車の轍ができていますが、ここは車が踏みしめているため、カチカチになっていて歯が立たない部分。

そこ以外を手作業&除雪機の両方を使って雪を取り除いていきます。

その結果は…

 

こんな感じです。

この程度まで雪かきをしておけば、さらに雪が降ってきたとしても、しばらくは車の通行に支障は出ないでしょう。

 

ちなみに、金沢はこの程度の雪で済んでいますが、福井方面では「顕著な大雪に関する情報」が発表されており、さらに警戒が必要なようです。

 

寒さの底、”大寒” を迎えてはいますが、暦は2月初の「立春」までもう少しとなっています。

私たち家族の気分と同様、この寒さも乗り切っていきたいと思います。

シルバーの輝き…

今日は、1月23日(火)。

このところ、むぎーさんからの叱咤激励がビシビシと届いています(「無為の日々…」)。

それに応えるべく、昨日は久々にローラーに乗ってみました。

 

ローラーといっても、出力パワー/心拍数のいずれも抑えた「LSD 60分」です。

 

とはいえ、心拍数が平均130bpmオーバーとなる運動を続けているので、そのうちに額に汗をかき、それが顔を伝って土間の床に落ちていきます。

「汗をかくだけで、気持ちがスッキリするもんだな」…

そんな気がしました。

また、エアロバイクは車体が安定している(自分でバランスを取る必要がない…)ので味わうことのできないのですが、3本ローラーの特徴である「バランスをとりながら、体全体を使って走る」という感覚もしっかり感じることができました。

 

汗をかいたことの爽快さ、そしてロードバイクに実際に乗っている感覚が合わさって、久々に気持ちがスッキリしたように思います。

 

 

このところ、諸々のことがあり今ひとつ気持ちが上向いてきませんでしたが、その気分を少しは解消することができました。

 

むぎーさんからは手厳しい指摘も受けたりしますが、それも「愛の鞭」。

現時点、私が、「むぎーさん」が行っているレベルでのトレーニング(修行?)をすることはちょっと厳しい状況もありますが、できるだけ頑張っていこうと思います。

 

富士ヒルで言えば…

「シルバーを目標に」

と言いたいところですが、まずは

「ブロンズを目指す」…

そのための積み重ねを、頑張ってみたいと思います。 

 

 

 

 

さて、「シルバー」つながりで。

 

今日、1月23日は、妻と私の結婚記念日。

そして、今年は25周年の、いわゆる銀婚式。

 

そうですか。

25年が経ったんですね。

その間、本当にいろんなことがありました。

予想もしていないことが起きたりしましたし、非難を覚悟で決断しないといけないこともありました。

妻と私の「夫婦関係の危機」もあったように思いますが、それらのことを乗り越えて、とりあえず25年を過ごすことができました。

この先もいろんなことがあるんでしょうが、迷ったり苦しんだりしながら、その都度「良い」と思う方向を向きながら、妻と、そして子供たちと暮らしていけたら…と思っています。

今日の夕食では、結婚記念日を口実にして妻を連れ出し、家族揃ってどこかで楽しい食事をしたいと思っています。

また週末は、ご近所の親しい人たちとの新年会も企画しており、妻も参加予定です。

 

 

1月も下旬になりました。

気持ちが沈んだイメージの1月を終え、2月に向かってちょっと上げていこう…

そう思っています。

無為の日々…

今日は、1月21日(日)。

トレーニングのお休みが続いている私。

 

「そんなことではいけない」…

そう思った私は、昨日20日(土)の朝食を食べたときに、

「今日の午後から、トレーニングを再開する」

ことを決断。

それに向けて、午前中のうちにタクシーサービス(スーパーの買い物)を済ませるべく、午前中から妻と一緒に、あちこちのスーパー等に立ち回りまわることにしました。

忙しく方々に立ち寄り、午前中のうちにそれらの用事を片付けた私。

しかし、お昼を食べて一休みしていると、眠くなってきて思わず体を横にしてしまう…

 

「ちょっと気持ちを切り替えよう」…

と体を起こした午後1時。

久々にスポーツサイクル・イシノさんを訪ねてみました。

すると…

 

まず目に飛び込んできたのは、ピナレロ 2024年モデル F5 のニューカラー「FURIOS WHITE」。

 

てっきり、ドグマ F の2024年ニューカラーかと思いました…

 

うーん、いいですねー

 

 

ちなみに、私がピナレロを手にしたのは2020年12月初旬(「神様…」)。

このピナレロは、その時点で50%ほどディスカウントされていた「ドグマ F12 チーム・イネオスモデル(リムブレーキ)」でした。

それから丸3年が経ち、既に4年目に突入しています。

それ以降、”神様” に乗っていろいろなところにライドに行きましたが、出場したレースは「若狭路レインボーヒルクライム」たった1レースのみ(「「虹」本番を完走」)。

 

「よし、今年こそ ”神様” に乗って色々なレースに出場しよう!」

と、思いを新たにしました。

 

そんなことを思いながら、外の雨を見ながらイシノさんと話をしていると、

「雨の日にも、ライドしたいときがありますよね」…

という話に。

 

オートバイに乗っているときにもあったのですが、

「なぜか分からないけど、無性にバイクに乗りたい」…

と思うときがあったりします。

そんなときは、かつての私であれば、雨が降っていたとしても、オートバイやロードバイクで出掛けていました。

 

ただそれは、関東で一人暮らしをしていて、かつ週末で明日は仕事が休みだったとき。

そして30歳近くになってからは、雨のときはオートバイやバイクではなく、車で出掛けるようになったかもしれません…

 

 

もし、今の手持ちのバイクで、雨の日に走りに行くとすると、そうですねぇ…

「戦闘力マックス」神様のピナレロ、そして「シルバーの輝き」クロモリのウィリエールを雨で濡らすのは、ちょっとイヤです。

一方、長女が乗らなくなったことで再び私が乗ることにしたフォーカス(「フォーカス リバイバル!」)なら、(乗った後でちゃんと洗車することが前提になりますが…)雨に濡れることもそれほど気にならないような気がします。

 

そんな話しをしていると、なんと、ピナレロのグラベル完成車を、イシノさんが自分用に改造した…とのこと。

ということで、さっそくそれを見せてもらいました。

 

いやー、カッコいいです。

 

まずハンドルが違っています。

そして、コンポもシマノからカンパにチェンジ。

加えて、ビッグプーリーも組まれています。

 

「最近はこれでしか走っていないし、多少の雨でも乗っている」

とのこと。

 

そうですか…

雨の日にフォーカスでライドするのもいいんですが、私も、

「シクロクロスでレースに出たり林道を走ってみたい」

…と思っています(「ボーダーレス…」)。

 

実は密かに、

「いいなぁ〜」

と思っているのは、イシノさんにディスプレイされている「リドレー」のシクロクロス「X-Night Disk」。

まあ、買うことはできませんけど…

 

 

そんな話を2時間ほどして、刺激をたっぷりもらって家に帰りました。

「さあ、久々にローラーでもやるか!」

と思っていたのですが…

 

そんなときに限って、家族を含め私を取り巻く諸々で、解決すべき色々なことが起きるもの。

それらについて、

「あーでもない、こーでもない」

と話したり考えたりしているうちに、夕飯の時間が来ました。

 

それらの時間も決して無駄ではなく、諸々の色々について話したり考えたりすることにも意味はあります。

しかし私には、やはり

「無為に過ぎていく毎日」…

というイメージで、ちょっと虚しい気分が漂います。

 

うーん。

今の私には、気持ちを含めて、ちょっと立て直しが必要ですね。

 

 

追伸

そんな昨日の夜8時50分。

「ピロ〜ン」と、むぎーさんからLINE。

 

むぎーさんは、

「後回しにしない技術」

というYoutube動画のURLを送ってくれました。

 

いやー、むぎーさん。

あなたは、私のことをなんでもお見通しですね。

その叱咤激励に応えるべく、できるだけ時間を作ってトレーニングに励みます。

ハルヒル エントリー完了!

今日は、1月19日(金)。

このところ、ずっとトレーニングはお休みしています。

 

「あー、俺ってダメだよね」…

そんなときに届いた、一通の手紙。

 

届いたのは1週間ほど前だったようですが、妻が自分宛に届いたDM等と一緒に持っていたようで、私の手元には渡ってきていませんでした。

 

昨日の夕方になって、妻から

「あっ、そういえば、こんなものが届いていたわよ」

とのお言葉。

 

「おー、ハルヒル!」

 

ということで、今朝の9時30分過ぎ。

さっそく「RUNNNET」からエントリーを行いました。

 

昨年の若狭路レインボーヒルクライムには妻が同行し応援してくれました(「「虹」本番を完走」)。

ただ、群馬県の高崎はちょっと遠いうえに、榛名湖付近には「綺麗なトイレのある車中泊スポット/道の駅がない」…ということで、今回、妻は「遠慮しておきます」とのこと。

 

チーム名には「チームじゅげむ」と記載しましたが、おそらく私以外のチームメンバーはエントリーしないでしょうね。

誰か、エントリーしませんか?!

  

 

1時間以内にゴールすることが目標なのですが、申告タイムは「58分」としました。

このタイムを切ることができるように、トレーニンにも頑張りたい…そう思います。

 

ちょっとタルんでいた気持ちが、ハルヒルのエントリーで引き締まりました。

さあ、もう一度頑張って行きますか!

地域のつながり

今日は、1月17日(水)。

29年前の1995年1月17日の5:46頃、兵庫県の淡路島北部沖を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の「阪神・淡路大震災」が発生しました。

 

そのとき、私は32歳。

関東に本社のある企業で私は働いていましたが、当時は金沢にあった支社に配置転換となっており、金沢の実家に戻っていました。

そのため、この地震は金沢で経験しました。

 

その時点で住んでいたのは、父が建てた実家。

実家は、旧来の日本家屋そのままの造りで広い座敷や仏間があり、とても「地震に強い」とは思えないものです。

 

その日の地震で記録された震度は、金沢周辺では「震度3」でした。

当日の朝、私は実家の2階で寝ていましたが、今から思い返すと、震度3とは思えないほど大きな揺れだったように思います。

地震がおさまってから、すぐに1階の茶の間に行きテレビをつけましたが、まだニュース等でも詳細な被害が報道されず、当初は被害の程度が分かりませんでした。

 

 

地震が発生した直後のニュースでは地震の被害報道が無かったことから、

「被害はそれほど大きくなかったのか?」

…と、私は軽く考えていました。

 

しかし、朝8時ごろになってからだったでしょうか。

ニュースで神戸市街を上空から映した映像が流れ始めましたが、そのニュース映像を見て、私はショックを受けました。

・高速道路が横倒しになっている
・鉄道の線路が曲がり駅が壊れている
・多くの家が潰れビルが倒壊しあちこちで火災が発生している

まるで映画のワンシーンを見ているような映像が、今、現実に起きている。

そのことに衝撃を受け、一緒に茶の間にいた父や母とともに、何を話していいか分からないまま、

「えー」

「信じられない」…

と呟きながらニュースを見ていたことを覚えています。

 

その日も会社に向かい仕事をしていましたが、同じ職場の人たちと、発生した地震や被害の状況ついて話しているばかりで、何も手につかなかったように思います。

この「阪神・淡路大震災」を目の当たりにして、私自身の「災害」に対する心構えが、「何が起こるか分からない、想定外などということはない」という風に変わったと思います。

 

あー、ちょっと違っていました。

まだもうちょっと、「想定外」に思っていたことがありました。

まずは、2011年の東日本大震災。

このときは、それまである程度信じていた「日本の原子力技術は高い/深刻な事故は発生しない」…ということが神話だったことを思い知らされ、福島原子力発電所の「全電源喪失/水素爆発事故」という事態が発生したことから「原子力は未完成な技術である」ことを認識しました。

そして、2022年のロシア・ウクライナ侵攻。

このときは、この21世紀において「大国の指導者が戦争を起こすことはない」…ということが私の思い込みだったことに驚き、「この世界は、領土的野心から戦争が起きるときがあり、一旦戦争になればルールなどは無く、何でもありだ」ということを理解しました。

 

  

阪神・淡路大震災の後にも、日本では東日本大震災があり、今回の能登半島地震がありました。

今回の「能登半島地震」は、マグニチュード7.6、最大震度7。

地震の規模や震度で比べると「阪神・淡路大震災」と同程度か、それ以上です。

 

震源が大都会の近くだった「阪神・淡路大震災」と異なり、「能登半島地震」は過疎化が進んでいた能登半島沖が震源でした。

そのため地震/津波による被害の規模は、「阪神・淡路大震災」に比べると少なかったように思います。

ただ、もし今回の地震が能登半島沖の断層だけではなく、金沢近郊を走っている「森本-冨樫断層帯」にまで影響が及んでいたとすると…

そのときは、想像するのが怖くなるほどの被害が発生していたのではないかと思われます。

 

「森本-冨樫断層帯」は、かほく市の津幡町から金沢市の野町を通って白山市の鶴来町に至る、長さ26kmに及ぶ断層です。

この断層帯が一気に破壊するとマグニチュード7.2の地震が発生する可能性があり、その際の金沢中心街の最大震度は「6強」と予想されています。

学術調査の結果、2,000年前以降あるいは4,000年前以前に、この断層の破壊による大きな地震が発生したことが判明しています。

発生する地震によるずれの可能性は、断層近くの地表では3m、高低差では2m。

また調査結果から、この断層の活動間隔は、1,700年〜2,200年と推定されています。

 

 

今回の「能登半島地震」、あるいは「森本-冨樫断層帯」を知った今となってみると、石川県や金沢市が作成したハザードマップ/防災計画書などが、「断層破壊による地震/津波、またそれらによる深刻な被害」を想定していたとは、とても思えません。

そんな中で「能登半島地震」が発生してしまいました。

 

石川県や市町村などの各自治体としては、「想定外だった」…と言うかもしれません。

ただ「想定外」の災害が発生した被災地では、

・備品の数が足りず(そもそも備蓄品がなく…)避難所として機能しない
・被災者の数が多く指定避難所に入りきれない
・電気等のインフラ寸断時の代替手段が準備されていない
・通信手段がなく重要拠点に連絡が取れない

という状況が発生しています。

 

「想定外」だった災害により、引き続いて発生した状況まで「想定外」になってしまう…

とは言え、実際に被災された方々は、それが「想定外」だったかどうかに関わらず、現実問題として、そこで生きていかなければなりません。

 

「想定外」という言葉は、災害が発生した際によく耳にします。

とりわけ、各種の団体/企業を指導・監督する立場の方々が、「免罪符」のように使っている印象です。

(そもそも「想定外」だったことが間違っていた…と、誰もツッコミを入れないんですかね?)

ただ、発生してしまった「想定外」の災害/`状況そのものは、それが発生してしまった後となってしまうと、もう変えることはできません。

ただし、復旧/復興がスムーズに進むように、その後の対応を変えることはできます。

石川県や各自治体としては、「想定外」だったことが間違いであることを認め、また今回の経験を謙虚に受け止めた上で、

・まず、学術調査等の科学的な調査を根拠にした合理的な災害の規模/被害等を想定し
・その上で、それに基づいたハザードマップ/防災マニュアルの作成や見直しを進める

等を行って、実際に災害が発生した事態に対応でき、現実に役に立つ体制を構築してほしいと思います。

 

 

ニュースでは、避難所に入れない/入らない方々、あるいは道路が寸断されて孤立している集落に関する内容が、よく報道されます。

そんな中で、とある方々の様子がニュースで流れました。

この方々は、ご近所の10軒程度が寄り添って、ビニールハウスやテント等で避難生活を送っておられるとのこと。

また、倒壊したそれぞれの自宅から道具や食料を持ち寄り、助け合って毎日を凌いでおられるそうです。

 

ビニールハウスの中で久々に暖かい味噌汁を食べておられた方は、

「ご近所の方に感謝するしかない」

と、涙を流していました。

そのニュースを見ていた私は、もう、

「頑張ってください」…

と祈るのみでした。

 

 

翻って、私が住んでいる町内会において大災害が発生し、自分の家族も含めた地域全体が被災したとしましょう。

そのとき、私の住んでいる地域でもニュースで見たケースと同じように、苦しいことや我慢することの多い避難生活、または次々と発生するトラブルや困りごとを、町内会あるいはご近所の方々が寄り添い助け合いながら、それらを切り抜けて生きていくことが果たしてできるだろうか…

うーん、ちょっと心配です。

 

 

理想を言えば…

まずは、石川県や金沢市など各自治体が、「想定外」といったような ”言い訳” を言わないこと。

そして、甘い想定ではなく、科学的/合理的な想定に基づいたハザードマップ/防災マニュアルを作成すること。

その上で、町内会の方々とのつながりを築いて、それらの関係/輪が町内会を超えて地域全体に広まり、もっと地域のつながりが強くなってほしい…

そう思います。

 

 

 

でも、やっぱりそれは、

「絵に描いた餅」。

現実に実現するのは難しい…

ですかね。

 

 

追伸

少なくとも私には、

・チームじゅげむ
・サツマイモ有志の会

のメンバーがいます。

これらの方々とは、普段からお互いに顔が見える関係であり、いろいろな作業やイベントを通じて同じ釜の飯を食い、助け合って協力することが習慣となっています。

「これらの方々とであれば災害が発生した際にも、寄り添い助け合って生きていくことができる」

そう思います。

 

まずはそこから…

ですかね。