新たな一歩…

このところ、キャンピングカーのレンタカー事業を始める準備でてんてこ舞いの毎日です。

 

先日の投稿「「コブツショウ」ってなーに?…」でも書きましたが、中古車を購入してレンタカーにする場合には、所轄の警察署に「古物商」としての許可を得る必要があることが分かりました。

 

そして、その申請には会社の定款の謄本が必要であることも分かりました。

定款というのは、会社の憲法のようなものであり、「目的」という項に、その会社が営む事業を明示しなければならず、それ以外の事業を行うことはできません。

もちろん、上記が判明した時点の定款には、「古物商」という事業は記載無し。

すぐに司法書士先生に連絡し定款の修正をお願いしていましたが、それがようやく完了し、昨日、修正された定款の原本が届きました。

 

その他必要な書類諸々に加え、定款の謄本も作成できた昨日、ようやく金沢西警察署へ古物商の申請を行ってきました。

そして、その場で内容がチェックされ、無事、申請が受理されました。

とくに問題がなければ…ですが、一ヶ月ほどの審査期間の後、古物商としての許可が降りると思います。

 

古物商の許可が降りれば、つぎはレンタカー事業者としての登録を行い、そして購入したキャンピングカーのナンバー変更、「わ」ナンバーの取得です。

しかし、古物商としての許可が降りていないうちにレンタカー事業者としての登録、中古車をレンタカーとして使うためのナンバー取得等は、できない(できるかもしれないが、逆に、後でまずいことになる…)ような気がします。

そのため、購入したキャンピングカーについては、レンタカーとしてのナンバー所得(「わ」ナンバーとしての登録)の前に、まずは名義の変更を優先することとしました。

これも、車庫証明の取得など色々ありましたが、ようやく昨日完了しました。

まずは名義変更完了…

 

 

まだやるべきことがありますが、それも先が見えてきました。

あと少しで、新たな一歩を踏み出すことができる…

そうと思うと、もうすぐ60歳になる私ですが、心がワクワクしてきます。

いやー、楽しみです。

 

 

 

さて、昨日、次女から突然の連絡。

 

初任給をもらった。

これまでのお礼として、(私がお金を支払うので)家族で外食に行きたい。

 

もちろん了解しました。

 

お店選びを妻にお願いしたところ、妻のお気に入り、金沢市福久町にあるイタリアンレストラン「Ogawaya Kitchen」さんに決定。

もう、「これでもか!」というほど家族みんなで飲んで食べて、次女の初任給を盛大にお祝いしました。

 

支払いは、次女…と私。

私が支払った額の方が多かったようにも思いますが、まあ、家族を食事に誘ってくれた次女の心意気だけで、私は満足です。

 

 

いよいよ社会人としての新たな一歩を踏み出した次女。

 

これから先、あなたには色々な苦難が待ち受けているでしょう。

でも、決して一人じゃない。

あなたには、今日のように嬉しいことを分かち合い、あるいは辛いことも共有できる家族がいます。

何があっても、あなたの味方である「家族」がいることを忘れずに、歩んで行ってください。

 

父として、そう思っています。

とししゅん にはなれない…

昨日 7月13日(水)は、夕食の準備を行う必要はありませんでしたが、夕方から妻の買い物に付き合ったため、やはりトレーニングはお休みしました。

 

このところの連日の猛暑の後の雨模様のせいなのか、妻の体調が少々すぐれません。

一昨日は完全に寝込んでしまい、仕事もお休みしました。

昨日はずいぶん良くなって仕事には行っていますが、仕事から帰ってきてまた買い物に出かけるのは、車の運転も含めてまだ負担が重いような感じです。

なので、私が運転をして一緒に行くことにしました。

 

スーパーでは、私がカートを押しながら付いて回っているのですが、「あっ、あれがいい。これもいい…」と言って品物を手に取っていると、妻は少々迷惑顔。

「どうして付いてくるの? 買い物に、あれこれ口を挟まないでちょうだい!(笑」

「はい…」

 

少しは元気も出てきたかな。

まあ、これはこれで、いいでしょう。

 

このところ、色々なことがあってローラーをサボりがちです。

ちょっとよろしく無いですね。

 

チャレンジの夏。

これを忘れずに、この後は頑張りたいと思います。

 

 

さて、ここ10数年ほどで、家族を含めて私の周り/環境は大きく変わりました。

 

父母とは別居して、自分の家を建てたこと。

父の病をきっかけに、一旦同居のために実家に戻ったこと。

父が亡くなり、そして母が亡くなって、また自分の家に帰ってきたこと。

その際に、父が40年前に建てた実家を壊したこと。

実家にあった大きな仏壇を処分して、モダン/小型な仏壇に変えたこと。

それらの流れの中で、勤めていた会社を辞めて独立したこと。

 

とくに、父が建てた実家を壊したこと、そして実家にあった大きな仏壇を処分したことについては、一部の親戚の方からお小言をいただきました。

 

「お前のお父さんが建てた家なんだぞ」

「その家を壊して、仏壇はどうするつもりなんだ」

「小さい仏壇にするって、先祖代々のものはどうするんだ」

 

40年前に父が建てた家は、広い玄関、そこから続く廊下があって、座敷、仏間、控えの間等がある、いわゆる昔ながらの家。

私が建てた家よりも大きく、そして、おそらく費用もかかっていたんでしょう。

しかし、実際に住んでみての快適さは、やはり新しい家(私が建てた家)の方が圧倒的に上です。

 

それと仏壇ですが、先祖代々の仏壇は、幅が一間程度の大きな厨子型のもの。

中の装飾には金箔が貼ってあり、阿弥陀如来や法名を書いた大きな掛け軸が下がっている立派なものです。

しかし、私の家にはそれを置く場所がありません。

心は痛みますが、それは処分することに。

代わりにモダン型のな小さな仏壇を求め、リビング畳コーナーの角に置きました。

 

 

「お父さん、お母さんは泣いているんじゃないか?」

  

 

痛いところを突かれました。

 

うーん、そうかもしれない…

そう思いながらも、私は「自分でできる精一杯をやっているだけ」と答えます。

 

 

じゅげむとして中古のキャンピングカーを購入しましたが、その保管場所として考えていたのは、じゅげむの納屋。

しかし、そのまますんなんりは入らず、荷物の整理が必要となりました。

 

荷物の整理のために、屋外にイ○バ物置を設置して荷物の整理をすることにしたのですが、かつて父が購入して大事に使っていた大型の道具/機械はやり場がない。

これは、やはり処分するしかありません…

 

 

ただ、処分すると決心したタイミングで、かつて家&仏壇の件でお小言をいただいたことが頭がよぎります…

 

そのときに、ふと「杜子春」という話を思い出しました。

 

芥川龍之介の書いた短編小説、「杜子春」。

中国の都、大きな門の下。

そこに、裕福な家に生まれたが、遊び暮らして今は貧しい青年、杜子春が立っている。

そんな杜子春の前に、峨眉山に住む仙人 鉄冠子が現れる。

仙人はお金をいっぱい、しかも何度もくれた。

しかし杜子春は、その度に遊び暮らすことを繰り返してしまい、人間不信にも陥る。

人の世が嫌になった杜子春は、仙人に弟子にしてほしいとお願いする。

仙人は杜子春に、「何があっても口をきくな」という試練を与える。

杜子春は試練に耐えるが、地獄に落ちている両親が、いまだに自分を思ってくれていることを知る。

そして思わず「お母さん」…と叫んでしまう。

そこで仙人の術が解け、すべて幻だったことがわかる。

そして杜子春は、この先、人として真っ当に暮らすことを誓う。

 

 

杜子春は若い頃に遊び暮らしていましたが、だんだんと成長して真っ当な人間になりました。

 

対して私は、(お小言をいただいた方の、私に対する印象は…)杜子春とは逆で、だんだんとダメになっていく。

おそらく、そう見えている…

 

 

父の形見のような機械を処分する決心をして、つぎの事業展開を考える。

そんなダメな私でも、本当は心の中で、「ゴメン」…と思ってます。

 

しかしそれは表に出さず、先のことを考えているポーズを崩さない。

今は、そのスタンスで行く…そう思っています。

人の世は…

昨日 7月12日(火)は、私が夕食の準備等の家事を行う必要があったため、トレーニングはお休みしました。

 

昨日はお休みしたローラーのトレーニングですが、7月一杯はテンポ走を行なって、基礎体力の向上を目指すつもりです。

当初は8月末も、ペースを上げることはあってもテンポ走を継続して行い、基礎体力向上に専念したいと考えていました。

 

しかし今は、8月からはインターバルのメニューを取り入れて、ここ一番の勝負どころで頑張れる体力作りに取り組みたい…と考えるようになりました。

それには、つぎのような理由がありました…

 

先日、kenshinさんと行った「五箇山-砺波-岩魚グルメライド」でのこと。

R304・人喰谷の坂を石川県から富山県方向に登っているとき。

 

軽いギアでゆっくり登り続けることはできるのですが、ケイデンス/パワーを上げ、少しペースを上げて登ろうとすると、足に力が入らず思うようにペダリングができませんでした。

正直言って、私はこれに愕然としました。

 

 

私は元々、瞬発力を必要とする「スプリント」のような走りが苦手です。

 

たとえば、ライド中になべちゃんがスパートしたとします。

私もすぐに反応してスパートします。

しかし私は千切られて、どんどん離されていきます。

 

ただしスプリントする距離が長くなってくるとなべちゃんがタレ気味になりに(そう言うと、なべちゃん、怒りそう…)、逆に私が追い付いて行きます。

最後、持久力勝負になった時点で、私がなべちゃんを追い越す…そんな感じです。

 

筋肉には、瞬発力の速筋と、持久力の遅筋があり、その割合は人によって異なるそうです。

私はなべちゃんに比べて、速筋が少なく逆に遅筋が多いんだな…と考えて、自分としても納得していました。

 

しかし、kenshinさんとのライドで行った人喰谷での走りでは、私は速筋が少ないのではなく、「速筋がほとんど無くなった」…そう感じてしまいました。

 

 

ヒルクライムレースでは、

・勾配の変化への対応
 (負荷の変化への対応)
・一緒に走っている集団のペースのアップ

など、苦しくなったときに「もう一踏ん張り」することが必要で、それがタイムに大きく影響する…と感じています。

まあ、半分程度は精神力のような気もしますが、この「もう一踏ん張り/苦しいところでの頑張り」ができるようになるためには、やはり速筋の瞬発力も必要なんだろうな…

私はそう考えて、インターバルを取り入れていました。

 

その内容は以下のようなものです。

(1)ウォームアップ 12分
(2)全力走     1分半
   ケイデンス 120rpm目処
(3)レスト走    1分
(4)テンポ走    20分
   ケイデンス 90rpm目処
 —(2)〜(4)を3セット—
(5)クールダウン 12分

都合90分ほどで、なかなかハードです。

3セット目の全力走は心拍が190bpmを超え、足も動かなくなってケイデンスが110rpmを切ってきます。

それでも「3セットをやり切った」ということが、精神的にもプラスになるような気がしていました。

実施にこれを行うようになってからは、ヒルクライムでの走力が上がっている実感がありました。

 

ただ現時点では、肉離れを起こした箇所の痛みや突っ張った感じは取れていないので、当面は全力走とテンポ走で目処とするケイデンスを少し下げ、それぞれ「100rpmオーバー、80rpm」程度にしようとは思います。

それでも、8月末には前述の「120rpm、90rpm」を目処に持っていく…そう思っています。

 

この夏は、私にとって「チャレンジの夏」です。

 

 

 

さて、話は変わって、中古で購入したキャンピングカーのレンタル事業について。

 

お願いしていた司法書士の先生から連絡があり、定款の再登記準備が整ったとの連絡がありました。

ただ、そこからまた一週間ほど、手続きにかかるそうな…

 

心の中で、「グォー」とか「ブォー」…といった声にならない叫び声をあげているとき、ふと夏目漱石の「草枕」の冒頭を思い出しました。

 

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかく人の世は住みにくい。

 

いやー、まさにその通り。

しかし、夏目漱石の凄いところは、そう言って人の世を嘆くだけではなく、つぎのような続きがあるんですよね。

 

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向う三軒両隣にちらちらするだたの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あるとすれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は、人の世よりも、なお住みにくかろう。

 

そうか、なるほど…

 

夏目漱石は「草枕」の中で、まず住みにくい人の世について述べます。

しかし、「その人の世以外に生きる場所は無い」と続きます。

 

これには更に続きがあって、「だからこそ、束の間の寛ぎ、心の豊かさをもたらす芸術は尊い」と説いています。

 

明治の文豪、なかなかにカッコイイですよね。

 

 

このところ、色々なことで「ビックリ、ドッキリ、ガッカリ…」することが続き、心が荒んでいました。

そんな私も、中学生以来で夏目漱石の「草枕」を読み、ちょっと心が晴れたような気がします。

 

夏目漱石、そして「草枕」に感謝。

「コブツショウ」ってなーに?…

昨日 7月11日(月)は、色々あってトレーニングはお休みとしました。

今日からは、またテンポ走のローラーに励みたいと思います。

 

 

さて、昨日の投稿「大ピンチ…」で述べましたが、じゅげむでは、今年度、キャンピングカーのレンタカー事業を始めるための準備を進めています。

そして、上記準備と並行して、程度が良く比較的安価な中古のキャンピングカーを見つけて、いよいよそれを1台目の車として購入しました。

 

ところが、準備の一環として陸運局(石川運輸支局)にレンタカー事業者としての許可を申請する準備を進めている最中、衝撃の事実が判明しました。

 

なんと、レンタカーとして使う車。

それが新車ではなく中古車のとき、レンタカー事業者は、

 ・管轄する警察署に申請を行い
 ・「古物商」としての許可を得る必要がある

というのです…

 

えー、聞いてないよー!

 

 

今回じゅげむが購入した車は、それを「売る」のではありません。

あくまで、レンタカーとして「貸す」だけです。

それでも法的には「古物商」という解釈なんでしょうか…

 

うーん。

あやふやな伝聞、あるいはネットの情報だけでは真実は分かりません。

すぐに管轄の警察署に出向いて確認することにします。

 

この地域の管轄は、金沢西警察署。

担当の課を訪ね、お話を伺ってみると…

 

「その通りです」

 

やっぱりぃ〜

 

 

すかさず疑問点を聞いてみます。

 

私:
購入した中古車は「貸す」のですが、それでも古物商になりますか?

担当の方:
はい、中古車を購入する行為が「古物商」ということになります。

私:
そうなんですか? それなら、中古車を購入しそれを社有車にするときも、古物商としての許可が必要なんでしょうか?

担当の方:
いいえ、その場合は必要ありません。

私:

 

突っ込み処満載のようにも思いますが、警察当局に、そうはっきり言われてしまうと争いようがありません。

 

 

これはもう頭を切り替えて、古物商の許可をもらえるように対応するしかない…

そう判断して、すぐに申請/許可に必要な書類を教えていただきます。

 

すると、必要な書類の一部として、じゅげむの登記簿謄本(履歴事項全部証明書)が必要とのこと。

これは理解できます。

レンタカー業者としての申請にも必要です。

 

しかし、じゅげむの定款(の謄本)まで必要であるとおっしゃいます。

 

えーっ、そんなものまで要るの!?

 

私:
登記簿謄本に書かれている内容とほとんど同じだと思いますが、それでも定款の謄本も必要なんでしょうか?

担当の方:
はい、必要です。情報が重複している部分があるのは理解していますが、法律/条例/通達等の決まり事として、両方必要となっています。

私:

 

登記簿謄本は、法務局に行けば簡単な手続きですぐに発行してもらえます。

しかし定款の謄本となると、これは、公証人役場での手続きが必要になります。

もう、ほとんど非関税障壁レベル。

素人はしっしっ…という感じ。

 

それでも、行くしかない…

という訳で、行ってきましたよ、公証人役場に。

 

金沢にある公証人役場。

分かりにくところにある上に、駐車場が狭い。

しかも、開いている時間が少ない…

 

時間を調整して行ってみると、職員の方3名に対して、訪問者は私だけ。

にもかかわらず、新型コロナへの対応とやらで事前に予約が必要とのこと。

 

「そこをなんとか」…と情に訴えて、話を聞いてもらうこと60秒。

事務担当の方から、以下の冷徹なお答え。

 

「ああ、定款の謄本ですか。会社設立時、定款の登記は司法書士の先生に依頼されましたよね? そうであれば、その先生の電子署名が行われていますから、先生に頼まないと対応できないですよ。今日は謄本の発行手続き、できないです、きっと」…

 

なんですとー!

 

私の体から力が抜けていきます…

 

 

この時点で、私では対応できないことが確定。

会社に帰り、すぐに司法書士の先生に上記の経緯を説明し、対応をお願いしました。

 

幸い、定款に「古物商」を追加してから再登記し、その上で謄本の発行手続きを行なっていただけることになりました。

 

しかし、「古物商の申請/許可には、通常40日程度かかるよ」と、さらに衝撃のお話も伺いました…

 

 

ちょっと何かしようとすると色々な規制がある。

それに対応しようとしても、既成の団体/組織それぞれにお作法があって、こちらが合理的だと判断した内容だけでは上手くいかない。

一筋縄ではいかず、スムーズに進まない世の中。

 

 

「コブツショウ」ってなーに?

 

「低燃費少女ハイジ」よろしく、そう叫びたくなる私でした。

大ピンチ…

今日 7月10日(日)は、妻からのリクエストがあり、石川県鳳至郡能登町の「柳田ブルーベリー農園」に行ってきました。

柳田植物公園内に併設の
柳田ブルーベリー農園

 

長女は資料作成が忙しく来ることはできませんでしたが、たまたま帰ってきていた次女および長男は、「行く」とのこと。

ということで、久々に(ほぼ…)家族全員でのドライブとなりました。

 

 

9時過ぎに自宅を出発し、のと里山海道→珠洲道路(のとスターライン)と走り繋ぎ、目的地のブルーベリー農園に着いたのは12時前。

 

ここは大人一人1,500円の料金を払うことで、木に成っているブルーベリーを、そのまま時間無制限で食べることができます。

加えて小さなパック1つが手渡されて、パックの蓋が閉まる分まで(ぎゅうぎゅうに…)詰め放題をして、それをお土産として持ち帰ることができます。

 

”ブルーベリー食べ放題”が狙いの妻は、

「枝が赤く色付いているものが甘いんだって」

「甘い粒と酸っぱい粒を一緒に食べると、一番美味しく感じるんだって」

…と、色々レクチャーしてくれます。

 

さっそくお金を支払い、虫除けのネットで区切られた中に入って、手当たり次第に食べ始めます。

 

あー、こっちのが甘い!

この木のやつが美味しい!

上の方のやつが甘い!

 

…などと、全員で盛り上がって食べていました。

 

しかしものの15分もすると、ブルーベリーを摘んでいた指/舌が真っ青。

お腹もブルーベリーで満腹。

日差しが出て暑くなってきたこともあり、15分過ぎでギブアップ。

すぐにお土産のパック詰めを済ませ、帰り支度を始めます。

 

ブルーベリー農園では、「ハーブチキンのブルーベリー照り焼きソース」のクレープを頂きました。

ブルーベリーとクレープでお腹いっぱいになったら出発です。

 

しかし、帰り道、しばらくすると、なぜか小腹が空いてきます。

…ということで、途中で道の駅 桜坂に寄り、揚げたてのカレーパンを頂きました。

揚げたて、アツアツのカレーパン。

美味しく頂きました。

 

 

そこからは渋滞もなくスムーズに走り、我が家に帰り着いたのは午後3時半。

妻の言葉がきっかけで、家族での楽しい能登ドライブを楽しみました。

 

 

 

ところで、能登へのドライブには何に乗って行ったのか…

キャンピングカー(リエッセ2 ベース)

 

そう、キャンピングカーなんです。

 

このキャンピングカーは、日野 リエッセ2ベースのもので、乗車定員10名、就寝定員6名となっています。

乗車定員は10名なので、もちろん普通免許で運転できます。

 

 

このところ、私は新潟、西宮等へと出張が続いていました。

実は、じゅげむとして新たに「キャンピングカーのレンタル事業」を始めようと考え、その準備を行なっていました。

 

私個人の好みが大きく入っているような気がしますが、最近はキャンプやキャンピングカー人気は非常に高いような気がします。

チームじゅげむのメンバーに聞いても、「気軽にレンタルできるキャンピングカーがあれば、ぜひ使ってみたい」との声が多数。

豪華に「グランピング」という方法もありますが、じゅげむでは、まず中古のキャンピングカーでレンタカー事業を始めてみるのがいいんじゃないか…

 

ということで、ここしばらくは、程度が良く、かつ値段が安い中古のキャンピングカーを、日本を股にかけて探し回っていました。

 

Webサイトで中古のキャンピングカーを検索し、問い合わせのメールを送ること10数件。

メールに対するご回答をいただいた中から、「現車の確認OK」と応えていただいたところについては、まず実際に伺って現車を見させていただきました。

それから価格の交渉をしながら、並行して新たな事業を始める準備を進め、事前に関係各所に必要な手続きを行っておく…

 

その中で、今回ご縁があった新潟のお店で、比較的安く程度の良い上記のキャンピングカーに出会いました。

 

よーし、これだ。

 

支払いを行なって、車を受け取りに新潟に行き、これで準備完了。

さあ、あとはレンタカーのナンバーを取得&名義変更だ…

 

 

ところがここで、大きな落とし穴。

私の調査不足が原因ですが、このままではレンタカー事業が始められないかも….

 

えーっ!

じゅげむとして購入してしまった中古のキャンピングカーが無駄になる…

 

なぜ、そんな大ピンチを招いたのか!?

その顛末は、また明日…