今日は、9月18日(木)。
昨日 17日(水)は、テンポ走を60分…のつもりでしたが、右膝(ひざ)に痛みが出てしまい、30分でクールダウンとしています。

膝に痛みはありましたが、LSDではなくテンポとするべく、少し負荷を上げてみました。

パワーゾーンの分布を見ると、一応そのような結果になっていたようで、
「まあ、よしとするか」…
という感じです。
さて、昨日のブログには、ツール・ド・のとの一日コースを走った顛末を投稿しました(「”ツール・ド・のと” の顛末…その1」)。
今日は、翌日の ”奥能登復興サイクル100” を走った際の顛末について書こうと思います。
当日は、朝4時に起床。
4時20分ごろには、妻が作ってくれたおにぎりで朝食を済ませ、歯磨き/洗面/着替え等の身支度を実施。
それらが終わったら、前日のうちに洗車&チェーン給油を行ったバイク(フォーカス)、そして着替え等を入れた荷物を、レジアスエースニ積み込みます。
こうして、4時50分に自宅を出発し、輪島の”輪島キリコ会館” 駐車場を目指しました。
輪島には、のと里山海道に乗っていくのが順当な方法。
私ものと里山海道で順調に輪島を目指していました。
しかし、徳田大津を過ぎたあたりから道路が激変。
実はこの区間、現在でも夜10時から翌朝5時までは通行止めとなっており、崩れた路面を避けるように臨時道路が作られており、その都度、路面が崩壊した箇所を避けるためのクランクが現れます。
加えて、地震でできた段差/うねりの箇所もに多く、それらを臨時で補修したままとなっているところがほとんど。
その度に、レジアスエースは飛び跳ねてしまい、スピードは40km/hも出せないほど。
また、それらの臨時補修箇所を復旧/拡幅するための工事箇所も多く、片側交互通行となっている箇所も少なくありませんでした。

上の写真は、徳田大津〜穴水区間の工事箇所を写したものです。
徳田大津から先は、ほぼ、このような景色が続いていました…
そんなこんなで、輪島キリコ会館には7時10分ごろに到着。
すでに多数の方々が車を停めており、私も裏の海側のスペースに車を停めました。

バイクを出し着替えを行って、7時半の当日受付を済ませました。

この日の参加者は、およそ100人。
この100人を概ね10人ずつのグループに分け、各グループのリーダー&先導役としてサポート/ゲストライダーが付き、珠洲の道の駅 塩田村までを往復するコースを走る…
二日目は、そんなグループライドのイベントとなっていました。
8時20分過ぎ。
私のゼッケンNo.23だったので、それに従って第3グループとして走り出しました。

実はこのグループは、サポートライダーの方が地元輪島の方。
そのため、ゼッケンNo.に関係なく、半分ほどはサポートライダーの顔見知りの奥能登のライダー…というグループでした。
比較的ゆっくり走り出し、とくに何事もなく、最初の休憩ポイントである白米・千枚田に到着。

この千枚田。
本当は前日に稲刈りを行い、今年の新米の収穫を行う予定だったそうですが、雨でその予定は延期となったそうで、この日はまだ収穫を待っている稲がある状態。
やっぱり自然相手なので、お天気には勝てない…ですよね。
休憩は10分ほど…
ということで、急いでトイレに…
しかし私がトイレに行っているうちに、第3グループは出発してしまった様子。
ということで、私はつぎの第4グループに入って走ることになりました。
実は、この第4グループのリーダーは、ゲストライダーのうじきつよしさん。

この第4グループには、関東から参加している元気なジュニアライダー3名(もちろん、その保護者の方も同じグループで走っておられました…)がいて、
「元気はつらつぅ〜!」
というライドを展開。
第3グループの落ち着いた感じとはまったく違う雰囲気があり、これはこれでとても楽しいグループでした。
千枚田を過ぎると、いよいよ輪島・千枚田、そして輪島の曽々木/珠洲の真浦を挟んだ区間。
ここは、国道249号線が崩壊して通行不能になったため、隆起した海側に臨時道路を開設してた箇所です。
千枚田の臨時道路は一般供用されていますが、その先の臨時道路は、現在も一般の車両は通行不可。
通ることができるのは、地元に住んでおられる方、災害復興の車両、あるいは緊急自動車のみとなっています。
そこを、今回の ”奥能登復興サイクル100” では、通行可としてもらっていました。
グループライドで楽しく走っていると、いよいよ海側の臨時道路がやってきます。

写真の右側に向かって、以前の国道249号線に続く箇所がありますが、そこは現在は通行止め。
ここを左側に折れて、海側の臨時道路に向かいます。

ここが、海だったところに開設した臨時道路。
右側には、海側の崖を守るコンクリートの護岸が見えますが、地震の影響で波打っています。
その上方にかつて道路だった箇所があり、電信柱が斜めに倒れたままとなっています。
さらに進んで、曽々木〜真浦の区間。

ここは、国道249号線ですが、現在でも一般車両は通行できない箇所。
そこを直進して進みます。
途中、八世乃洞門新トンネルがあります。

このトンネルは、平成21年11月に竣工したトンネルですが、能登半島地震により珠洲側の入り口で土砂崩れ/落石があり、通行不能となっていました。
それが、現在は、一般車両は通行不可とはいえ、ですがとりあえず通行できる状態となっています。
そこを通っていきました。

そして、さらに進むと、再び崩落した国道249号線から海側の臨時道路に向かいます。
ここもやはり、現在でも一般車両は通行不可となっています。

かつて、能登の外浦の奇岩に波が打ち付けていた…その海だったところを走ります。

右側には、かつて国道249号線のロックシェッドだったところが、チラッと見えています。
こんな感じの風景の道路が数キロ続きます。
この区間は ”元気はつらつぅ〜” のジュニアライダーも、さすがに、目の前に展開される様子を見て、何も言わずに走っていましたね…
そして、折り返し地点、珠洲の道の駅 塩田村に到着。

ここでサポートの方々から飲み物の頂きました。
加えて、自分で持ってきたプロテインバーを食べ、ボトルの水も補給。
この道の駅では、最終出発の第10グループが八世乃洞門新トンネルを通り終わったたことが確認できるまで、全グループが休憩することとなりました。
しばしの休憩の後、私は再び第3グループに入って再スタート。
そして、ここからは折り返しであり、来た道を走って輪島キリコ会館に帰ります。
途中、八世乃洞門新トンネルの珠洲側の入り口で、地元の方々からの補給食/飲み物を頂きました。

いやー、地元の方々からのご好意。
大変ありがたく、食べて飲ませていただきました。
そして、それ以降、第3グループでは休憩は取らずに走り続け、11時15分ごろ、無事、輪島キリコ会館にゴールしました。
ゴール後は、完走証を受け取り、振る舞いのカレーを頂きました。

そこからは、バイクをレジアスエースに載せ、着替えを済ませたら、一路、金沢に向かって帰ります。
無事に家についてバイクを降ろすと、これがもうドロドロの状態。

「うーん、放っておく訳にもいかないか」…
ということで、前日に引き続き洗車&チェーン給油を実施。
綺麗になったバイクを片付けてたら自分もシャワーを浴びて、この日は終了。

シャワー後は、冷えたビールで乾杯。
そして妻が買ってくれていた ”ひやおろしの日本酒” に移行。
まる一週間ぶりのアルコールは、本当に体にしみ込みました…
今回、奥能登を走る機会をいただきましたが、
「復旧/復興と言えるのは、はまだまだ先」…
それが正直な感想でした。
しかし難しいとはいえ、決して復旧/復興を諦めたということではありません。
復旧/復興に向けて一生懸命に活動されている方々はいらっしゃいますし、今回のようなイベントに参加するなど、私にも何か関わりを持ってお手伝いできることがある…
そんな風に思います。
能登半島一周。
その ”本来のツール・ド・のと” が再開できることを願って、今回の顛末報告を締めたいと思います。