”ツール・ド・のと” を走って…

今日は、9月16日(火)。

一昨日 14日(日)、昨日 15日(月)と開催された”ツール・ド・のと”。

その両日を走ってきました。

 

正式な大会名は、”ツール・ド・のと400”。

その一日目である ”一日コース”。

 

コースは、スタートが金沢の西部緑地公園。

スタート後は、

・内灘 道の駅 サンセットパーク
・宝達志水 やわらぎの郷
・羽咋 気多大社

で休憩を取り、

・中能登町 道の駅 織姫の里なかのと

で昼食。

昼食後は、

・羽咋 コスモアイル羽咋
・かほく アクロス高松
・内灘 夢ミルク館(ホリ牧場)

で休憩し、スタート地点に帰るルートでした。

 

・走行距離 135.1km
・獲得標高 649m

と、けっしてハードなコースではありません。

しかし、右膝(ひざ)に不安を抱える私としては、ちょっとビビり気味で走っている…

そんな感じでした。

ただ、思ったほど右膝へのダメージはなく、翌日の朝の感覚としては、”ダル痛い”…という程度でした。

 

続いて二日目、”奥能登復興サイクル100”。

 

二日目のスタート地点は、輪島の ”輪島キリコ会館”。

スタート後は、

・白米 千枚田
・曽々木 窓岩

でトイレ&撮影タイムを取り、

・珠洲 道の駅 塩田村

で休憩したら、そこで折り返し。

帰り道は、珠洲・真浦と輪島・曽々木を繋いでいる

・八世乃洞門新トンネル

手前で小休憩を取り、あとはそのままスタート地点に帰るルートでした。

 

 

前日のライドによる右膝へのダメージが、想定していたよりも小さかったので、この日は気分的には上り調子。

やや勾配のあるコースでも、少し積極的に走ってみるシーンもありました。

真っ直ぐ踏み下ろす分には痛みはありません。

しかし、ダンシング、あるいは意識して引き足を使おうとすると、途端に右膝にやや強い痛みが走る…

それは変わりませんでした。

まあ、これは

「なかなか治らない」…

と諦めるしかありませんね。

 

 

今年の ”ツール・ド・のと” を走っての感想ですが…

とくに二日目の ”奥能登復興サイクル100” が強く印象に残りました。

 

まず最初に、

「海岸沿いの国道249号線が崩壊したため、海が隆起した箇所に臨時道路を開設し、これを国道249号線として供用している」

ということがあります。

これについては、地元で流れる地方ニュースでも、すでに大きく取り上げられてきました。

 

ただ今回は、災害復旧関連および地域の方のみしか通行が許されていない

「曽々木〜真浦区間」

の臨時道路が ”ツール・ド・のと” では走ることができました。

これは、大会関係者が国土交通省に陳情したことで実現したようです。

 

大きな地震が起きたため海岸線の国道は崩壊したが、元々は海だったところが隆起したことで、そこに臨時道路が開設できた…

そのこと自体に、ちょっと皮肉を感じたりします。

 

海側に作られた臨時道路を走る訳ですから、そこからは元々の国道249号線の状態を目の当たりに見ることができます。

崖崩れ等で埋まった道路やガードレール/駒止、崩れたトンネル出口、倒れたままの電柱…

そんな私たちが地元のニュースで見た通りの映像が、そこにありました。

ニュース映像で見たことがあるとはいえ、やはり自分の目で見るその様子は強く印象に残るものでした。

 

そしてつぎは、”のと里山海道” の復旧が思ったほど進んでいないことに、とても驚きました。

国道249号線の臨時道路も印象に残りましたが、それよりも私が強く感じたのは、奥能登への大動脈となっている ”のと里山海道” の復旧状況が、私が予想していたよりも、かなり遅れていることでした

 

”のと里山海道” は、金沢から能登の輪島/七尾を繋いでいる大動脈です。

この大動脈も、能登半島地震による被害を受けました。

とくに穴水や輪島に近い区間は道路の被害状況が大きく、路面が崩れたり、段差が発生したりしたことは、私も知っていました。

2024年9月、対面通行区間があるものの

「金沢から輪島三井までの全線が復旧した」

とのニュースが金沢で流れました。

「さすが、大動脈の復旧は早いなぁ」…

そう思ったのを覚えています。

 

それから1年。

”ツール・ド・のと” の二日目の選手受付/スタート&ゴール地点は、輪島マリンタウン(輪島キリコ会館)。

金沢在住の私は、朝4時起床、4時50分ごろに自宅をトランポで出発。

ところが…

 

”のと里山海道” は、確かに全線が開通していました。

しかし、

・徳田大津から穴水
・穴水から輪島三井

の区間は、

・崩落した路面を避け、そこを迂回する狭い臨時道路の区間
・狭い臨時道路に繋ぐために、道路がクランク状となっている箇所
・路面の ”うねり/段差” を応急処置したままの箇所
・それらの道路の拡幅/復旧工事のために片側交互通行の箇所

などが多数あり、ダンプカー/工事車両等も非常に多く走っていることもあって、

「気軽に奥能登へドライブする」…

という気分になる道路ではありませんでした。

 

ニュースで流れている通り、”のと里山海道” は全線が開通していました。

これは確かに事実ですが、しかし真実を伝えているものではない…

そんな気がしました。

 

 

国土交通省の権限代行により、国道249号線は2029年に全線復旧/開通させる予定となっています。

それまでに、のと里山海道も完全復旧するでしょうか…

 

それぞれの方がいろいろな考え/感想をお持ちだと思いますが、私自身は、

「国道249号線&のと里山海道の全線完全復旧が実現して初めて、”ツール・ド・のと400” は、当初開催されていた通りの ”能登半島を3日間で一周するイベントとして再開できる」

そんな感想を持ちました。

 

ちょっと厳しい状況ではありますが、そんな中でも大会実行委員会の方々は、イベントの当初開催通りの再開を目指しながら、その年その時で開催可能な範囲を考えながら、”ツール・ド・のと” を開催し続けていかれるのだと思います。

私も、来年、再来年と開催されるであろう ”ツール・ド・のと” に参加することで、復旧/復興を後押ししていきたいと思います。

 

 

追伸

今大会の二日目は、奥能登を走るコースです。

私は、能登半島地震やその後の豪雨で被災した奥能登の方々は、

「”ツール・ド・のと” で奥能登を走ることは、実は歓迎されていないのではないか」…

そんな心配をしていました。

 

しかし、地元輪島のサポートライダーの方がいたり、参加者にも奥能登の地元の方がいて、その方々と話をしてみました。

また沿道には、屋根にブルーシートがかけてある自宅前の畑で作業中の方が、走っているライダーに手を振ってくれる、あるいは海岸の堤防脇にわざわざ出て声援を送ってくれる…

などのシーンがありました。

道路等の復旧工事に携わっている方々からも声援をいただきましたし、コース中にすれ違う工事車両/大型ダンプカーの方々からも笑顔をもらいましたし、走っているライダーに配慮した運転をしていただいたと感じます。

 

手を振ってくれたり、声援を送って下さった方々には本当に感謝しており、こちらも手を振り、声に出してお礼を返しています。

 

それらすべてを経た結論として、

「”ツール・ド・のと” は、地元の方々/工事関係の方々から、決して悪いようには思われていない」

と感じました。

 

 

心配をしましたが、これには、ちょっとホッとしました…

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