今日は、7月31日(木)。
サツマイモが枯れそうだ…と、投稿に書きました(「追いつくか…」)。
畑に水を撒こうと思いましたが、おそらくジョウロでは追いきません。
「ガソリンエンジンのポンプを使って、用水の水を汲んで畑に撒こう!」
そう思って用水の水量をチェックしてみると…

いやー、ジョウロですくうことはできそうですが、ポンプの取水には、やや足りない感じ。
えー、水が少ないなぁ…
ということで、その用水に水を取り入れている近くの川の水門/堰を見にいくと…

あちゃー
そもそも川自体に水が来ていませんでした。
どうやら、畑の脇の用水に少量流れている水は、上の写真の水門/堰からの水ではなく、さらに上流の別の用水路からの水(落ち水)が流れているだけのようです…
ポンプを使ったとしても、少ない用水の水量/流れに抗(あらが)っては、畑に水は巻けないな…
うーん、どうしよう。
ちょっと作戦を考え直そうと思います。
さて、2025年の7月もあっという間に最後の日です。
月日が流れていく速度がどんどん速くなっている…
本当にそう感じます。
まあそれは今に始まったことではなく、結婚して子どもが生まれ、彼女/彼らの成長を目の当たりにして以降は、ずっとそんな感じです。
あんなに小さかった赤ん坊が、もうこんなに大きくなったのか。
もうしゃべるようになったのか。
もう小学校に行くのか。
もう高校を卒業するのか….
皆さんもそうだと思いますが、子供たちの成長を感じるたびに、月日の流れの早さ、そして自分が老いていくことを実感します。
しかし、還暦を迎え60歳を過ぎてからは、それがさらに加速したイメージ。
そうなってしまう要因について、ちょっと考えてみると…
還暦を過ぎ、ある意味 ”酸いも甘いも経験した人” にとってみると、毎日の生活の中で起きるハプニングも含め、これまでの経験からの類推/対応さえしておけば、おおむね的を外すことはない。
体力的に下降線であるということもあり、今までの自分の経験した中ですべてを済ませれば、新たなリスクはほとんど無く、安全にかつ楽に暮らせる。
そんなことがあるのかもしれません。
これらを ”ゆとり/安定” という言葉で肯定的に捉えることもできます。
確かにそういう面もあります。
しかし私は、ちょっと違う感覚。
確かに、リスクを避ければ安定/確実な毎日を送ることはできるかもしれない。
しかしそれでは毎日の生活が、車の窓をただ流れていくだけの風景と同じ。
そんな毎日では、面白みがないじゃない…
皆さんも、そうは思いませんか?
毎日の生活が同じことの繰り返しにならないよう、加速していく月日の流れに抗(あらが)ってみる。
「毎日が非日常である」
こんなことができるなら理想的ですが、きちんと子育てをして生活を営む必要があることも考えると、それは不可能。
とはいえ、少しでもそれに近づくため、
・新しい刺激を積極的に求め
・チャンスがあればそれに挑戦する
そんな気持ちを忘れずにいたい…
と私は思っています。
深く意識はしていませんが、ロードバイクに乗ることも、私にとっては、そのうちひとつ…なんでしょうね。
流れに抗う。
右膝(ひざ)の痛みはありますが、まだまだ ”諦めてはいない”。
それを強く思った今日の私でした。