今日は、9月6日(金)。
昨日 5日(木)は夕方から色々あったので、昨日のトレーニングはお休みとなりました。
「一週間ほどは、毎日、何らかの運動を続けたい」
…そんなことを、今週のブログに投稿しました(「スイッチを入れる…」)。
この投稿をしたからだと思いますが、トレーニングを休んだことが、実は心に引っかかっていました。
なので、今朝5時に目が覚めたときに、
「ちょっと散歩にでも行ってみるか」
ということで、今朝は5時半から30分ほどのウォーキングを行いました。
”体を動かす” という目的はもちろんありますが、正直に言えば ”心の引っ掛かりを除く” ことの方が、動機としては大きい…
それが偽らざる気持ちです。
この時期、朝5時半の空気はひんやりとしています。
歩き始めて10分ほどは、汗もかかずに良いペースで歩いており、
「もしかして、ウォーキングが終わってもシャワーは要らないかな?」
そんなことを思っていました。
しかし15分を過ぎたころから額に汗が滲んできて、それにあわせてお日様も照り始めます。
結局、終了間際には背中まで汗でびっしょりになり、家に帰ってシャワーを浴びることになりました。
朝5時半から、30分、2.8kmのウォーキング。
これでトレーニングの穴埋めができたとは思いません。
それでも、トレーニングを休んだ(サボった…)ことに対する心の引っ掛かりは解消できました。
こんな感じで、”習慣化” ができていけばいい…
そう思っています。
さて、”引っ掛かり” つながりで…
世の中には、
「何か引っ掛かる」…
ということに溢れています。
最近の時事ニュースで私の引っ掛かっているもの…と言えば、”兵庫県知事に関する告発文書” の問題。
このブログで、ことの善悪を論評するつもりはありません。
とはいえ、この知事のやっている/言っていることは、私の常識では理解できません。
会見や百条委員会での説明/釈明等を聞いていても、引っ掛かる箇所が目につき、ツッコミどころ満載です。
会見に出席している記者が、知事を追及する姿勢が ”ぬるい”…
そう感じる方も多いかもしれませんが、実は、記者の方々が考えていることは、ちょっと違っていたりします。
新聞だったか雑誌だったか、そこはちょっと忘れましたが、記者の方が書いていた ”記者会見/取材の際の心構え” について記事を読んだことがあるのですが、私はその内容に感心しました。
たとえばある会見が開催され、とある疑惑について記者から質問があったとします。
会見の席上、主催者側からの回答は、
・論理的に答えられない
・これまで行ってきた通り一遍の回答に終始する
・言葉に詰まる
・話をすり替える
・…
など、誠実に記者からの質問に答えていませんでした。
よくドラマなどでは、ここで舌鋒鋭く記者が追及し、主催者側が慌ててボロを出す…といった展開がみられるかもしれません。
しかし、現実にはそんなことは起こるはずはありません。
そんなとき、実際の会見で記者が行っているのは、
・論理的ではない
・通り一遍の回答しかしない
・話のすり替えが行われた
等の指摘はしても、それ以上しつこく追求することはしないそうです。
それよりも、
「主催者側の対応/姿勢等を、ニュースや新聞の報道で見てもらう」
ことを優先しているとのこと。
「まずは事実/真実を解明して、それを報道する。ただし、その善悪については、報道を見た人の受け止め方/判断に委ねる」
それが記者のスタンスなのだそうです。
前述の兵庫県知事の告発文書については、私も、ネットで公開されている兵庫県知事の会見動画等で、知事と記者のやりとりを見たことがあります。
すると、やはり知事が、言葉に詰まる/同じことの繰り返ししか言わない…
そんなシーンがあり、正直言って私は引っ掛かりを感じています。
しかし、会見に出席している記者の方は、
「それ以上鋭く突っ込んで、さらに知事の悪事に切り込んでいく」…
ということは行っていません。
”ぬるく” 見えるかもしれませんが、会見の様子から、確かに
「知事の考え方/スタンス/人間性などが透けて見える」…
そんな気もします。
心に引っ掛かりがあると、すぐに
「熱くなって善悪を明確にしたい」…
と考えてしまう私。
そうではなく、記者のように一歩引いた態度/スタンスで臨み、まずは論評を避けつつ、事実/真実を明確にすることを優先する。
私には、それが必要なのかもしれません。