今日は、6月17日(月)。
先週の15日(土)から16日(日)にかけて、私は妻、それに加えて私のいとこ夫婦も一緒に、群馬/長野方面への温泉一泊旅行に行っていました。
いとこは、「私の、母の姉妹(妹)の、息子さん」です。
その奥さんと一緒に行く、4人での温泉旅行でした。
元々は草津温泉で一泊したいと思っていたのですが、この時期の草津温泉は大人気だったようで、一ヶ月前の段階でリーズナブルな価格の宿・ホテルはすでに満室の状況。
このため、急遽宿泊先を伊香保温泉に切り替えて予定を組みました。
旅行の行程としては、まずは旧軽井沢。
オシャレな「旧軽井沢銀座」のお店を街ブラし、ついでにランチをしてから伊香保温泉に向かい一泊。
翌日は伊香保の石段街で軽く運動をしてから、榛名山/榛名湖を観光して草津温泉に向かい、人気スポットである湯畑近辺を散策してランチを頂きます。
ランチ後は志賀草津道路(国道292号線)で国道の最高地点(2,152m)&白根山の絶景を堪能するドライブを行い、あとは金沢に帰る…
そんな予定で企画しました。
いとこ夫婦の許可をもらっていないので写真は載せられませんが、ほぼ予定通りに行動できて、なかなか楽しい旅行となりました。
妻はもちろん、いとこ夫婦にも楽しんでもらえたようで、私としても、旅行を企画した甲斐がありました。
今回一緒に旅行に行った方以外にも、私のいとこたちは、その妻/夫を含めておおむね50歳オーバー。
私や私の姉のように、すでに還暦を過ぎている人もいます。
このため、自分たちの子供は、そのほとんどが社会人になっており、(「孫の子守がある」というケースもありますが…)ある程度時間的な余裕があります。
中には「煩わしい」と感じる人もいるかもしれませんが、「いとこ会」として行う、任意参加の温泉旅行も良いかもしれません。
なんだか、楽しそうなので、ちょっと考えてみようと思います。
この手の「親しい友人」、あるいは「一族郎党」で行く旅行では、どこに行くか…という企画から、宿泊する宿や観光地での昼食の予約、参加者に配布するパンフレット作成、そして車(キャンピングカーやマイクロバスもアリ)の運転まで、そのほとんどを私一人で行います。
参加する人からは、毎回「手間をかけさせて悪かったなぁ」、「大変だったわね」、「助かるわ〜」という声をかけてもらいます。
しかし私は、車の運転を含めそれらすべてを楽しんでやっているので、まったく苦痛を感じません。
「それなら、プロのドライバーとして働いたら良いんじゃない」
と言われたりすることもあったりします。
ただ、それらを仕事として行うとなると、果たして「楽しい」と感じるのか…
そこはちょっとわかりませんね。
さて、先日投稿したブログで、「60歳を過ぎてトレーニングがだんだんと億劫になってきた」ことを書きました(「輪行 事始め…その3」)。
その中で、「やる気/モチベーション」を活性化する工夫として、目標を達成したときの「ご褒美/報酬」ついても述べました。
上記に関して、むぎーさんからこんなLINEが届きました。
年を取ると、確かにトレーニングの再開は億劫になる。
でも、すべての人がそうなる訳ではなく、数パーセントの人はそれまで通り続けられている。
自分はそういう人たちのようになりたいと思っている。
→私は「心を鍛えたい」と思っている。
うーん
さすが、チームじゅげむのメンバーから「仙人」と讃えられているむぎーさん。
言うことが違います。
またむぎーさんは、私のことも分析もしてくれていて、分析結果をこんな風に伝えてくれました。
しゅういちは、「自分自身が強くなるため/能力を向上させるため」にトレーニングをしている。
そして、ご褒美などを用意して、トレーニングへのモチベーションを維持している。
→私としゅういちでは、目指しているところが違っているのだと思う。
なるほど。
言うことが深いです…
自分のこととなると、なかなか分からないもの。
でも、せっかくむぎーさんが分析してくれたのですから、今回は、それをヒントにして、自分のことについてもちょっと考えてみました。
そうですねぇ、「私自身のこと」に限定すると…
「ご褒美や報酬がない」
という状況で、苦しいことに立ち向かうことは、ハッキリ言ってちょっと難しいです。
「これまでの人生」と言うと大袈裟ですが、経験/行動してきた内容で考えてみると…
普通の人が「面倒くさい、苦しい」と感じることに、私自身が取り組むとしましょう。
その際に、「取り組むこと」について、私自身が
・世の中はそうあるべきだ
・それが理想だ
あるいは、
・周囲の人が楽しんでくれそうだ
・自分自身が本当に楽しい
と感じているときは、それらを「面倒くさい」と思ったり「苦しい」と感じることなく、真剣に、そして集中して取り組むことができています。
しかしそれが、
・誰かの思惑/意向を受けた「作業」だ
・自分としてはやりたくない/楽しくない
と感じた場合は、自分にとっての「ご褒美/報酬」が見出せないと、その「作業」をやる気にならない…
そんな傾向が、確かにあります。
これ、中学/高校の生徒だった頃、あるいは大学の学生だった頃の「勉強/実験」でも、まったくその通りでした。
数学や物理の問題や課題を解くことが楽しくて、すぐに答えを求めるのではなくずっと自分で考え続けることが、ぜんぜん苦痛ではなかった。
これに対して、英語や世界史などは、テストの点数や成績を上げるという「ご褒美/報酬」を求めて、本当は「やりたくない/楽しくない」と感じている「単語・熟語、イベントの年号・年表の暗記」という作業に努力する…
すでにそんな違いが生まれていました。
私は「トレーニングは楽しくないし、やりたくない」と思っているんですね。
今回のことで、私自身、これをハッキリと認識しました。
とはいえ、ある程度トレーニングをしないと、「そもそもレースやツーリング/ライドに行っても楽しめない」という現実があります。
なので、レースやツーリング/ライドを楽しめるようになることを「ご褒美/報酬」と思って、嫌がる自分を奮い立たせてトレーニングに向かう…
それが私の本心/現実なのでした。
むぎーさん。
今回分析してもらったことで、”ストン” と腑に落ちた感じがしました。
分析してくれて、ありがとうございました。
追伸
それにしても、むぎーさんの
「心を鍛えたい」
というセリフ。
普通の人では、ちょっと言えないかも。
自分自身に厳しくストイックに、何かを求めている…
そんな人がいたとしましょう。
私自身の印象としては、なんとなく、なんとなくですよ、その人が
「つまらない人」
と感じてしまう…
正直言って、そんな印象があったりします。
しかし、むぎーさんはそうではない。
あらためて、あなたの懐の広さと言うか、なんと言うか…
なんと言っていいか、ちょっと分かりませんが、あなたの ”特殊性” に私は脱帽します。