バーン…

今日は2月15日(水)。

2月も、もう半分が過ぎてしまいました。

 

このところ、仕事の資料整理・作成の他に、町会の資料作成もあって、トレーニングがまったくできていな日々を過ごしていました。

トレーニングができていないにもかかわらず種々の打ち合わせ・会合があり、これまた鯨飲馬食の日々。

そんな節操の無い毎日を過ごしていたおかげで、体重はなんと78.5kgに増加。

 

目標としている体重「65kg」に対して、10kg以上のオーバー。

目標体重は無理にしても、ハルヒルの5月までにせめて「69kg」まで落としたいところ。

 

2月中旬から5月中旬まで約3ヶ月。

1ヶ月3kgの減量。

 

「いやー、厳しいなぁ…」

 

 

今週に入り、各種資料整理・作成に目処が付き、ようやくトレーニングの時間が取れるようになりました。

ということで、一昨日 2月13日、昨日 2月14日と、1月18日以来の1ヶ月ぶりとなるローラートレーンングを再開しました。

2月13日 LSD 60分
2月14日 LSD 70分

 

約1ヶ月ぶりのローラートレーニングということもあり、内容はLSD。

LSDの方法も、これまでのように低めのケイデンスを維持して走る…というのではなく、「心拍140bpm台キープ」を意識して走る方法に変更してみました。

 

まずは体重を絞るために、増えてしまった脂肪を燃焼させる「バーン!」が目標です。

2月14日 各ゾーンの時間

 

2月14日に行ったLSDの各ゾーンの時間を見ると、心拍はゾーン3(モデレート)が77%であり、狙ったところに入っているようです。

ゾーン3は、長距離を走るための基礎的な持久力の向上にも効果があると言われています。

 

1ヶ月トレーニングをサボってしまったこともあり、しばらくは…そうですねぇ、2月いっぱい程度は、心拍ゾーン3を意識したローラーを行って、「バーン!」することにします。

そっくり…

一昨日 2月4日(土)は立春。

その4日・5日の二日間は、地域の先輩方ご夫婦4組、そこに私ともう一人の男性の合計10名で、能登一泊旅行に行ってきました。

 

行き先/寄り先は、以下のような感じです。

・富来 てらおか風舎で昼食(能登牛ステーキ重)
・輪島 キリコ会館見学
・七尾 和倉温泉 のと楽で一泊
・穴水 能登ワインのワイナリーを訪問
・松波 松波酒造を訪問
・珠洲 レストラン浜中で昼食(香箱ガニ丼)

もちろん、じゅげむのレンタカーのキャンピングカー(「ようやく…ジャンプ!」)を借りて、全員一緒に移動です。

  

その先輩方ご夫婦ですが、皆さん若い頃から私の両親をよくご存知の方々です。

当然、私のことも(悪さ/イタズラをしていたことも含めて…)子供の頃から知っています。

 

キャンピングカーの中でも宴会状態。

とても楽しい旅行になりました。

 

 

 

さて、その先輩の方々から最近よく言われるのが、「お前は父親にそっくりになってきた」ということ。

元々、声が似ていたのは自分でも認識していました。

私が中学生で声変わりをして以降、家にかかってきた電話に私が出ると、十中八九、父親に間違われました。

 

そこにきて最近は、顔や体つき、あるいは姿勢も似てきたようで、親戚の方々からも「そっくりだ」と言われます。

 

 

ただ、先輩方も親戚の方々も、性格については「まったく違う」と言います。

とくに、ご近所で日頃から顔を合わせる機会が多かった先輩方からは、

「お前は陽気で、どちらかと言えば前向き」

「でもお前の父親は、無口で何を考えているのか分からなかった」

と言われます。

 

この、「何を考えているのか」…という部分は、どちらかと言えば「否定的」なニュアンスで言われることが多いような印象。

 

 

確かに、父親はおしゃべりな方ではありませんでした。

しかし、私の父親に対するイメージは、そんな感じでは無かったですね。

 

私と父親の二人で飲む場面。

あるいは、娘(私の姉)夫婦やその家族との会食の場面。

そんな場面では、今の私と同様、いつも機嫌よく、陽気に飲んで食べていたように思います。

 

 

ちょっと考えてみたのですが…

 

父は小学校の低学年のときに戦争で自分の父親を亡くし、一家は母親(私の祖母)、妹(私の叔母)、祖父(私の曽祖父)の4人となりました。

働き手は母親(私の祖母)一人なので、戦中/戦後はかなり苦労をしたと聞いています。

 

苦労だけではなく、母親(私の祖母)が家族を養っていくことで精一杯だったため、父は自分の考えや思いを通すことができず「我慢する」ことが当たり前だったようです。

そんな「我慢する」ことが日常だった父は、社会に出てからも、変な軋轢(今で言えば、まあ、パワハラなんですかね…)を受ることが多く、それも我慢することが多かった…そう言っていました。

 

根っこの部分は陽気で明るい性格だった父も、「性格が変わった」というのではなく、処世術として「我慢をして余計なことは言わず、無口でいる」ことを選んでいたのではないか…息子の私はそんな風に感じています。

 

 

処世術のお陰で、父は変な軋轢からは逃れることはできたのでしょうが、その副作用として「何を考えているか分からない、仲間にもあまり打ち解けない」というイメージが付いて回ることになってしまった…

 

先輩方にも「いや、父はそんな性格じゃなかったよ」と言って庇ってあげたいところですが、「うーん、ちょっと分かってもらえないかな…」と感じたので、軽く聞き流して済ませました。

 

「ごめん」

両親には、心の中でお詫びをしておきます。

かぶりつき…

今日 2月3日(金)は節分。

節分は立春の前日であり、今年の立春は2月4日(土)。

したがって、その前日となる、今日の3日が節分となります。

 

おそらく皆さんは、「節分は2月3日」という認識だと思います。

確かに、節分の日が2月3日のことが多いのですが、実は2月2日から2月4日の間で変わることがあります。

近くで言えば、2021年の節分は2月2日でした(つまり、立春は2月3日でした)。

また、1984年の節分は2月4日でした(立春=2月5日)。

 

ちなみに、なぜか私は保育園の頃からずっと「節分の豆まきは2月2日に行うものだ」と認識していました。

父も母も亡くなっているので詳細は確認できませんが、我が家の豆まきはこんな感じでした。

 

2月2日の夕方。

私と姉はすでに入浴を済ませています。

お風呂から上がった頃に母が仕事から帰ってきて、晩御飯を準備を始めます。

程なくして、今度は父が仕事から帰ってきます。

仕事から帰った父が入浴を済ませると、曽祖父、祖母も含めた家族全員で晩御飯を食べます。

晩御飯が終わり茶の間でこたつに入ってテレビを見ている頃、おそらく夜の7時半頃。

おもむろに母が大豆のお菓子(というか、つまみ?)の袋を持ってきて、袋を開いて家族全員で豆まきを行います。

そしてまいた豆を、やはり家族全員で拾っておやつとして食べていました。

私が小学校低学年になるまでは、我が家の豆まきはこんな感じでした。

  

もしかすると、我が家では節分の前日の夜に「鬼は外、福は内」と豆をまき、節分に向けて厄払いを済ませていたのかもしれません。

 

 

さて、最近の節分といえば「恵方巻き」が有名です。

今日もスーパーに寄る機会がありましたが、お寿司のコーナーだけではなく、惣菜のコーナーにも太巻のお寿司(恵方巻き)が山積み。

買い物に来ていた方々のカゴにも、それがしっかり入っていました。

 

二十数年前までは、金沢で「恵方巻き」という言葉を聞くことはなかったように思います。

私も結婚するまで、「恵方巻き」というものを知りませんでした。

 

ところが今では、我が家でも「恵方巻き」が節分のイベントとして、すっかり取り込まれています。

ただし我が家の恵方巻きは、妻が自分で巻いたもの。

我が家の「恵方巻き」

 

それと、我が家の「恵方巻き」はご飯が酢飯ではありません。

実は長男が酢の物が苦手。

お寿司も、ご飯に酢が混ぜてある理由から「できれば食べたくない」というほど。

このため「母親」である妻も工夫をして、いつの頃からかごま油で味付けをしたご飯を使い、具材も炒めた牛肉などを使ったりしています。

なので「太巻」というよりも「キンパ」という感じに近いです。

まあ、それでも美味しいのでいいんですけどね。

 

今年も我が家の「恵方巻き」にかぶりついて、今年の福を呼び込みたいと思います。

 

 

 

さて、かぶりつきと言えば…

 

皆さんは、「鶯谷ミュージックホール」という歌をご存知ですかね。

笑福亭鶴光さんが歌っていた曲で、1975年にレコードを発売しているものです。

 

当時、私は中学1年生。

深夜のラジオ番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティーをしていた鶴光さんが、おそらくは自分の番組の中で、よくその曲をかけていたのでしょう。

私も、その曲をラジオで耳にすることが多かったように思います。

そういえば同級生の一人が、曲の「語り」の部分をよくモノマネしていました。

 

「いらっしゃいませ〜 いらっしゃいませ〜」

 

同級生が曲の語り部分をダミ声で言い始めると、周りにいる友達が囃し立てる…

中学1年生の男の子なので、まあそんな調子です。

 

この同級生は、ちょっとギリシャ系の顔立ちで、今で言えばイケメン。

しかも成績優秀で、テストの順位は学年で1番/2番を争う人。

人望もあり、中学3年生のときには先生方が反対するのを押し切り生徒会長を務めました。

大学は京都大学へ進学し、就職は外資系のIB○大和研究所に勤務。

そう言えば、間寛平さんの「開けチューリップ」も彼は得意でしたね。

 

イケメン/成績優秀な彼が、ふざけた歌を歌うギャップ。

それが面白かったことを思い出しました。

 

語りが終わるといよいよ歌が始まるのですが、その歌詞の中に、

 

「かぶりつきの若いお兄さん…」

 

という箇所があります。

私はこの歌詞で初めて、舞台のすぐ近く/最前列を「かぶりつき」と呼ぶことを知りました。

 

そんな、少々下品な流行りの歌や友達とのおふざけにも、何某か学ベるものがある…

そんなことを感じる思い出です。

 

 

一方、長男は現在中学3年生。

受験生であるにもかかわらず、スイッチでゲーム三昧の日々。

彼に対しては、「酢飯も食えないクセに…」と、少々説教をしたくなることもしばしば。

 

しかし自分の過去を振り返ってみると、私にそんな偉そうなことを言う資格はありません。

亡くなった父や母にも、「それをお前が言うか!」と怒られそうです…

 

子供たちにも余計な口出しはせず、「かぶりつき」で見守ることにする…

それを誓った節分でした。

先を越された…

今日は2月2日(木)。

 

昨日の投稿では4年ぶりにハルヒルに参加することをお伝えしました(「一斉に…」)。

 

「そういえば、他のヒルクライムレースはどうなっているのかな…」

 

 

私は、2019年にヒルクライムレースに参加するようになりましたが、その翌年の2020年は新型コロナの影響で、エントリーしたヒルクライムレースが軒並み中止になりました。

それ以降、レースそのものは開催されていましたが、私は結局、どのヒルクライムレースにもエントリーしませんでした。

しかし、今年2023年は、久々にヒルクライムレースに参加するつもりです。

 

 

「えーっと、富士ヒルは?」

 

2019年に私が富士ヒルを走った動画です

 

大会の公式ホームページを見てみると…

ほほー。

2023年6月4日(日)開催。

エントリー受付は2月10日(金)20:00から開始とのこと。

もうちょっとで、エントリー開始です。

 

「なら、乗鞍ヒルライムはどうかな?」

 

2019年に私が乗鞍ヒルクライムを走った動画です

 

あれ?

大会公式ホームページは、まだ「準備中」でした…

 

例年は8月最後の日曜日に開催されるので、2023年は8月27日(日)ですかね。

エントリーは、他のヒルクライムレースに比べてとても早く、2019年は3月3日に受付開始でした。

 

2023年は、日本各地でのヒルクライムレースが楽しめそうです。

 

 

さて、ヒルクライムレースも楽しですが、それだけではなく、ロングライドも楽しいもの。

2021年は白山一周を行っていますが(「白山一周…しました!」)、今年 2023年は、かねてから計画していた ”加賀百万石 参勤交代ツーリング” (「本気と書いて「マジ…」」、「参勤交代」)を実行するつもりでした。

 

ところが、1月31日発行の北國新聞に、こんな記事が…

 

「加賀の73歳・北野さん計画 金沢-東京 500キロ 自転車で参勤交代」

 

「あーっ!」

 

…先を越されました。

 

もうこうなったら、もう一つ考えているスーパーロングライド、「義経・弁慶 勧進帳ツーリング」しかないです(「判官びいき…」)。

 

チームじゅげむの皆さん。

一緒に勧進帳ツーリング、しませんか?…

一斉に…

今日は、2月1日(水)。

 

朝の天気は晴天。

2月1日 晴天!

 

「十年に一度」の寒波/大雪も峠を過ぎたようで、ようやく、ちょっと落ち着いた日々を迎えることができています。

 

 

しかし…

 

モタモタしている間に1月も終わってしまいました。

この一週間、日本列島、とくに日本海側は「十年に一度」の寒波/大雪に見舞われるとの予報通り、水道管も凍り付くほどの寒さ/積雪となりました。

 

私たちの町でも、連日の積雪により生活道路の除雪/雪かきが行き届かない箇所がチラホラ…という状況。

 

「こりゃーもう、しょうがない」

 

…ということで、せっかくのお休みの日曜日ではありましたが、1月30日(日)を「一斉除雪日」として、町会員総出の除雪/雪かきを行いました。

 

町会の方々には、各自の自宅前道路の除雪/雪かきを行ってもらいます。

ただ、自宅前ではない道路、たとえば、公園/墓地/アパート等の集合住宅に面した道路などは、どうしても積もった雪が放置されることが多いもの。

それらの箇所については、町会の青壮年部/自治防犯組織(防犯隊)に協力を依頼して除雪/雪かきを行いました。

通学路の歩道
ごみステーション
公園/墓地 脇

 

これにより、町内のほとんどの道路は、人や車の往来に支障がなくなりました。

協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

しかし…

この一斉除雪を含め、それまで連日 朝夕の除雪/雪かきを重ねてきた結果、足・腕の筋肉がパンパンで、腰・背中も痛みがあります。

 

えー、もうトレーニングどころじゃないよ…

 

 

 

そう思っていたところに、以下のお手紙が…

ハルナからの手紙…

 

「ラ〜ブレター フロム ハルナ♫…」

そう、カナダからの…じゃなくて「ハルナからの手紙」。

 

開封すると「第11回のハルヒルは 5月14日(日)開催。是非エントリーしてね」…との内容。

 

喜んで!

 

ということで、さっそくエントリーしました。

エントリー完了!

 

2019年に初めて参加したハルヒル。

とてもアットホームな大会という印象を受け、「来年も走りたい」と思いました。

 

そして2020年。

コロナ禍ではありましたが募集があり、私もエントリーしました。

しかし残念ながら、この年は中止という結果になっています。

その後、2021年・2022年の2年間は諸々があって、私自身がエントリーを回避。

なので、私にとっては4年ぶりのハルヒル/ヒルクライムレースとなります。

 

4年前に参加した2019年の第7回のハルヒルは、「50歳以上〜59歳以下」でのエントリーでした。

そのときのリザルトは、「563位/1180人」、タイムは「1:06:50」。

2019年 第7回のリザルト

 

このときの動画をYouTubeにアップしています。

 

60歳でエントリーする今年は、この2019年の50歳代のタイムを超えることを目標にしたいと思います。

 

 

筋肉痛が治った訳ではありませんが、俄然やる気が出てきました。

そしてエントリーを終えたらすぐに、チームじゅげむメンバーに以下をLINEする私。

 

「さあ、ハルヒルを走ろう!」 

 

しかし、その結果は

「シーン…」

 

 

「えー」…

 

チームじゅげむのメンバーみんなで、「一斉に」ハルヒルしたいんですけど…