退く決断…

今日 7月25日(月)は、夕方になって少々バタバタしてしまいました。

そして妻からは、以下のお願いの電話。

 

長男(中学3年生)の懇談があるから、学校まで送ってね。

 

ラジャー!

 

軟弱な私は、これ幸いとトレーニングをお休みしました。

明日からは、頑張りたい…です。

 

 

 

さて、今年度私は、自分が住んでいる町内会の会長(町会長)を務めています。

今年度は、ワクチン接種の効果があったからでしょうか、新型コロナの第6波を過ぎ感染者が少ない状況が続いてきたことで、3年ぶりに各種の地域・町会イベントが開催できるようになりました。

町会長としては嬉しい限り。

 

ところが、ここにきての感染者急増。

ニュースでは、連日「オミクロン株 BA.5による第7波が到来」との報道がされています。

石川県でも1日の感染者が1,000人を超える日が続いており、感染拡大に歯止めがかからない模様。

 

ただ石川県に限って言えば、

・無症状/軽症の方がほとんどである
・重症者はゼロである
・患者用のベッドにはまだ余裕がある

という状況で、「感染者は多いが、医療機関への負荷は高くない」と言われています。

4段階ある警戒レベルも、まだ2段階で堪えている状況です。

とはいえ、感染者が増加するペースはこれまでにないほど高く、今後の状況については予断を許しません。

 

 

実は、今度の週末 7月31日(日)には、町内会の子供たちが楽しみにしている町会レクリエーション、「水鉄砲での対戦&バーベキュー大会」が開催されることになっています。

 

もちろん、新型コロナへの対策として、

 ・水鉄砲の対戦会場
   →広く使う
 ・バーベキューサイトの人数配分
   →密を避ける
 ・手指消毒の準備
 ・コンロ毎に焼き手は1人限定
 ・食事の時間は1時間以内
 ・大人もアルコールなし

など、基本的な新型コロナの対策は積極的に取り入れています。

参加者には事前に抗原検査キットを配布し、「前日のチェックで陰性だった人のみ参加可能」との条件も設けました。

 

上記のような種々の対策・対応を行えば、「感染リスクは極めて低いハズ」…と考えて、昨日(日曜日)の夕方までは「予定通り開催する」つもりでした。

 

 

しかし、夜になって、(直接参加いただく方ではなかったのですが…)お子様からご家族全員が感染となったご家庭があることが判明。

また、医療/介護関連にお勤めの方々から、「職場で行動制限がかかり、イベントには参加できなくなりました」という連絡もチラホラ…

 

うーん、これはもう限界かも…

 

今日の明け方になって、「今回は中止」…そう決断しました。

 

新型コロナ感染症対策に積極的に取り組み、それに加えて検査キットで全員を確認する対応も行う。

それらを実施する前提であれば、現状でもイベントを開催することも問題ない…

まずはそう思いました。

 

ただ、感染症への対策が必要だからしょうがない…とはいえ、伸び伸びした環境でのイベント開催が望めない現状で、あえて町会レクリエーションを開催するのは、本来意図しているところからは外れてしまう…

そんな気もしました。

 

どうせなら、感染者が減少して第7波の収束を迎え、皆がリラックスして楽しめる状況となった時点で、あらためてイベントを企画する方が良いのではないか…

そうも考えました。

 

色々考え迷いましたが、結論としては中止することを選択しました。

 

  

普段であればイケイケ・ドンドンの私。

そのポリシーとは異なる、今回の「退く」決断。

 

 

「開催する」と判断しても、決して「能天気/ノーガード」ではありません。

仮に異論を唱える方がいたとしても、科学的/理論的な根拠を示しながら、開催する方向での意見調整はできたような気もします。

しかし今回は、その決心がつきませんでした。

 

 

この「退く決断」で問題はない…

そう考えてはいますが、何となく自分が「後ろ向きな人」になってしまったような気分。

正直言って、納得できていない部分アリ。

 

しばらく、引きずるかも…です。

 

 

追伸

いつも感じているのですが、今回のような実施する/しない等の「判断/選択」には、「正解」というものはありません。

 

「正解」を求める…というよりも、その判断/選択を行なった経緯や背景について、どれだけ多くの方に「納得/理解」していただけるか(「共感」を得ることができるか…と言っても良いかもしれませんが)そこに尽きるような気がします。

また、たとえ判断/選択の経緯や背景を、多くの方に納得/理解(共感)していただいたとしても、結果の「良し/悪し」までは、正直言って分かりません。

 

 

誰にも助言を求めることができない「判断/選択」。

そして、どのような判断/選択をしても、そのタイミング/経緯/結果については、常に「批評/批判」されることを覚悟しなければなりません。

 

 

もし、結果について批判されてしまったら…

 

「それは結果論に過ぎない」

そう言って切り捨てたくなりますが、そうではなく(保身を図ったり、逃げの姿勢を見せるのではなく)あらためて経緯や背景を説明することが求められている…そう感じます。

また、それを誰かに代わってもらうこともできません。

 

これ、なかなかに厳しいです、ハイ…

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