昨日投稿した、私が求不得苦について知るきっかけとなった大河ドラマ「義経」のシーンには、それが伏線となった展開があります。
ここでは、その展開についても述べてみます。
義経は、兄である頼朝からの「肉親の愛情」がほしい。
しかし、それが得られないからこそ苦しむ。
師の覚日からは、「得られないなら、いっそ打ち捨てよ」と言われるが、すでに、色々な「しがらみ」に縛られている義経は、「捨てることはできない」と答える。
その後…
義経は、壇ノ浦の戦いでも大活躍、そして平家を討ち滅ぼす。
その際、時の天皇・安徳天皇、その母である建礼門院・平徳子(中越典子)、安徳天皇の異母弟である守貞親王も、平家一門と共に壇ノ浦の海に入水する。
しかし、建礼門院と守貞親王は助けられ、京都・大原の寂光院に連行される。
義経は、建礼門院と一緒に助けられた守貞親王が、実は安徳天皇ではないか…と疑っています。
ただ、そのことは弁慶には告げず、共に寂光院を訪れます。
弁慶は外に控えていますが、義経は中に招かれます。
部屋に通された義経は、建礼門院と対峙して尋ねます。
庭でお見かけした守貞親王は、安徳天皇に似ておられるのでは?
建礼門院は、一瞬凍りついた表情になります。
しかしそれを押し殺し、義経からの問いには直接答えず、次のように返します。
私はこれまで、父である平清盛(渡哲也)に言われた通りに生きてきました。
それは、平家一門の繁栄のため…ということでしょう。
しかし、平家が滅亡した今、ようやく一切のしがらみを捨て、自分のことが自分で決められるようになりました。
守貞親王(実は安徳天皇…)も、この後は世俗を捨て、仏門に帰依し、亡くなった者の菩提を弔って生きて行かせようと思います。
義経は、助けられた守貞親王が、「本当は安徳天皇である」…と確信します。
しかし、次のように答えます。
私も、色々と思い煩うことがあります。
師の覚日様からは、「いっそ打ち捨てよ」と言われましたが、私は捨てることはできませんでした。
しかし、あなたは今、世俗を捨て、しがらみを捨てると仰った。
あなたはお強い。
この後は、どうか「守貞親王」と共にお暮らしください。
頼朝からの兄弟愛を受けることはできないが、敵方の平家には情けをかける義経。
建礼門院は、見逃してくれたことに感謝の言葉を掛けたいけれど、そうすると、守貞親王が実は安徳天皇であることを公に認めてしまうことになり、それもできません。
せめて…との想いから、建礼門院は静かに黙礼をして、深い感謝の意を示します。
そして義経も、何も知らない弁慶と共に、穏やかな心で寂光院を去って行きます。
昨日のシーンも印象的なのですが、このシーンも、建礼門院を演じていた中越典子さんの緊迫した演技もあって、非常に印象に残っています。
うーん、これも深いですね。
何か決断を迫られたとき、自分だったら、それまでのしがらみを捨て、本当にゼロベースで判断できるだろうか?
そして、利害が反する相手等に、譲歩したり情けをかける、そんな深みのある人間性を示すことができるだろうか?
そんなことを考えたりします。
やはり、今の私のメンタルには、リフレッシュが必要なようです…