求不得苦(「義経」関連)

今日からローラーを再開しようと思っていましたが、夕方まで色々と打ち合わせがあったのと、ギックリ腰になったことのある腰の右側に違和感があったため、トレーニングは明日からに延期としました。

オートバイに乗っていたときの事故や転倒の影響から、私の場合、疲れてくると、まず腰の右側がダル痛ーくなってきます。
そのまま無理をしてギックリが再発したときもあり、私は、腰に違和感があるときは用心しています…

 

さて、今日は自転車以外の話題からです。

 

仏教に、四苦八苦という言葉があります。

生きること、老いること、病気になること、死ぬこと。
これらは根本的な苦しみとして「四苦」と言われます。

愛する者との別離、怨み憎んでいる者に会う、求める物が得られない、肉体と精神が思うままにならない。
これらを加えると「八苦」。

 

この中で、「求める物が得られない」ことを「求不得苦(ぐふとくく)」と言いいますが、私には、この言葉を知るきっかけになったドラマがあります。

それは、大河ドラマ「義経」です。
ドラマの中で、義経役のタッキーが「求不得苦」について述べるシーンがあり、私にはそのシーンが非常に印象的でした。

 

義経(滝沢秀明)は、兄である頼朝(中井貴一)から弟として愛されたい。
しかし、平家との戦いでどんな大活躍をしても、頼朝から褒めてもらえることはなく、ねぎらいの言葉もない。
そればかりか、逆に冷たい仕打ちを受けてしまう。
義経は、何よりも頼朝からの肉親の愛情を求めているが、悲しいかな、それは得られない。

求める「頼朝からの愛情」が得られないからこそ、義経は苦しむ。
それを見て、家来の弁慶(松平健)も、やはり苦しむ。

 

鞍馬寺の御堂に籠り、毘沙門天の前で一心に祈る義経。
御堂の外に控えながらも、義経を案ずる弁慶。

その義経に、「得られないなら、いっそ(源氏、そして武士としての立場、つまり頼朝との絆を)打ち捨てよ」と、師の覚日(塩見三省)は伝えます。
しかし、義経は「捨てることはできません」と覚日に答えます…

 

うーん、深いですね。

今日はなぜか、このシーンを思い出しました。

仕事がうまく進んでいないからなのか、心に何か満たされないものがあるのか…

 

明日、明後日は、仕事はお休み。

この週末は雪かきからも解放されて、しっかりリフレッシュしたいと思います。

 

追伸:

このところの私であれば、もっと下世話なことになってしまいます。

いろいろなロードバイクがほしい、そのロードバイクで速く走る足がほしい。

求める物が得られないからこそ、私は苦しむ…

 

苦しみから逃れるためにも、この週末はローラートレーニングに精を出したいと思います。

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