目的は何?…

今日は、3月23日(日)。

昨日 22日(土)は、エアロバイクでのLSDを60分行いました。

 

冬にローラーに乗れない(運動不足になる…)ことを改善するために、2023年末、リビングにエアロバイクを導入しました(「エアロバイクで ”そうする!”」)。

しかし、昨年あたりから、

「以前はローラーやエアロバイクで60分走り続けることができたが、最近は気持ち的に持たない」…

と感じていました。

まあ、これは60歳を過ぎた人間には当たり前/普通のこと…

そんな風に自分を慰めていました。

 

しかし、そのようなことから、脳の老化が始まる…

なんてことも聞いたりします。

 

「えー、なんて恐ろしい」…

ということで、それに抗うべく、あえて60分のLSDを敢行。

実際にやってみると、以前ローラーに乗っていた通り、気持ちが切れることなく走ることができました。

 

とはいえ、無目的にただダラダラと走り続けることは、やはりできなくなってきた…という自覚があります。

今回は、

「脳の老化は恐ろしい」…

ということで、”60分走ること” そのものが目的になっており、その影響で私の気持ちが切れなかったのかもしれません。

 

エアロバイク60分は完遂できました。

しかし、それはやはり、何らかの目的があったから。

タイムや順位を競うレースはともかく、実走ライド/ツーリングでも含め、走る延長線上に何か目的を設定しないと、

「そもそも走り出す気になれない」…

そんな自分になってきたのかもしれません。

 

「ただ、そこにある道/峠を走ることが楽しかった」

東尋坊に行く、あるいは白山一周をする。

なんの意味も目的もありませんが、それ自体を楽しむことができた…

そんな気持ちには、もう戻れないのかもしれません。

今後は、ちょっとしたものでもいいので、何か目的を仕込んだライド計画を検討することにします。

捗(はかど)らない…

今日は、3月22日(土)。

昨日 21日(金)は花金です。

…と言っても、若い方は分からないかもしれませんね(「ハナキン」)。

 

花金とは、”花の金曜日” を短くした言葉。

「明日からは土日でお休みが続く。だから金曜日の夜は、遅くまで遊んで楽しめるぞ」

そんなウキウキ/ワクワクした気分を表した言葉なんです。

 

その花金に、私は外のお店に飲みに出かけました。

出かけたお店は、八日市出町にある ”呑み処 香や” さん。

実は ”香や” さんは、以前は ”姫寿し” さんというお寿司屋さんでした。

 

私の父はすでに亡くなっていますが、その父は ”姫寿し” さんが大好きで、いつも贔屓にしていました。

回転寿司の店が色々でき始め、まずまず美味しいお寿司が安く食べられるようになっても、実家に一族郎党が集まった際など、賑やかな食事ために注文するお寿司と言えば、必ず姫寿しさんの特上の握り(の桶盛りの出前…)でした。

また、父が仲間やと飲みに行く際も、姫寿しさんに行く比率が高かったようです。

なので実家の食器棚には、姫寿しさんが毎年配っていた湯呑みが10個以上あった…

そんな記憶があります。

 

その ”香や” さんに行ったのは、私一人ではなく、ご近所さんのbest岡田さんも一緒。

best岡田さんですが、実家は能登の穴水。

2024年1月に能登半島地震が発生しましたが、この地震でbest岡田さんの穴水の実家にも被害がありました。

 

家が壊れたら直さないといけません。

ところが、穴水近辺の建築関係の業者に修理を頼もうとしても、皆さんご存知の通り、業者の数が圧倒的に少ないうえに、その業者の中にも被災されている方がいる状態。

なので、そもそも修理を引き受けてもらえなかったり、仮に引き受けてくれたとしても、

「修理の着手は1年先になる」…

なんて話もあるそうです。

能登半島の復旧/復興が思うように ”捗(はかど)らない” 原因は、こんなところにもあったんですね…

 

しかし幸運なことに、best岡田さんの仕事は、なんと建築関係。

ということで、それまで行っていた金沢での仕事は息子さんに任せ、best岡田さんは実家の修理のために、しばらく穴水に通う日々が続くことになりました。

 

さて、そうして穴水の実家に通っているうちに、実家周辺の方々に、

「○○(best岡田さんの実家のこと)のおじま、金沢から家の修理に通っているらしいぞ」

という噂が広がっていきます。

その噂を聞きつけた方々が、実家の修理をしているbest岡田さんを訪ねてきては、

「うちの家の修理もやってくれんか」…

とお願いをするようになったそうです。

 

頼まれたら断れないbest岡田さん。

それ以来、best岡田さんは、もう1年間ほど

・月曜日の朝に穴水に行って泊まり込み、
・実家近くの方々の家の修理作業を行って、
・金曜日または土曜日なったら金沢に帰ってくる…

という生活を送っています。

 

実家のある穴水に通い、そのご近所の家を修理しているbest岡田さん。

そのご苦労をねぎらう意味も込めて、この日は ”香や” さんで飲むことにしました。

 

 

ところで、”香や” さんは2月3日に新装開店したばかり。

以前の ”姫寿し” だったころと比べると、カウンターこそ同じような位置にありますが、その他はすべてリフォームを行ってリフレッシュ。

その綺麗なお店で、美味しい肴と共にお酒を飲む二人。

お酒を飲むペースは ”捗り”、どんどん酔いが回っていきます。

そして、肴を食べるペースも ”捗り” ます。

いやー、いい感じです。

 

”香や” さんは開店したばかりで、メニューはまだ多くないようでした。

新メニュー開発は難しく、それほど ”捗らない” ものなのかもしれません。

が、今後の新メニュー登場、大いに期待しています!

 

 

追伸

ところで、”香や” さんのお店のリフォーム。

能登地方だけではなく金沢でも、やはり建築関係の業者/職人の確保が難しくなっており、加えて資材の価格が高騰したそうな。

「能登半島地震の影響が、ここ金沢にも及んでいるんだな」…

そんなことを感じた昨日の夜となりました。

ご馳走さま…

今日は、3月21日(金)。

昨日 20日(木)/春分の日は、久々になべちゃんとミニベロでのミニライドに出かけました。

 

IRいしかわ鉄道 野々市駅をスタートして、上林あたりまで南下。

そこから山川環状道路沿いに野田の公園を目指します。

 

↑は、野田の公園駐車場で小休憩したときの写真です。

 

そこから久安/三馬方面に下り、手作りコーヒー豆の専門店 豆の樹さんに行き、店内でコーヒーブレイク。

 

なべちゃんも私もマンデリンをチョイスしました。

が、同じマンデリンでも、ちょっと違う種類。

 

なべちゃんは、マンデリン スマトラ・タイター。

私は、マンデリン ブルー・リントン。

(上の写真は、私の注文したブルー・リントンです)

 

ちょっと薄め(豆を粗めに挽いた感じ)のコーヒーで、私が淹れたマンデリンとは、また一つ違った味わい。

いやー、美味しく頂きました。

 

豆の樹は、自家ローストのコーヒー豆専門店だけあって、お値段がお高め。

ですが、ここはなべちゃんが私も分もお金を払ってくれました。

なべちゃん、ご馳走さま!

 

コーヒーブレイクが終わったのがお昼の直前。

なので、それぞれがサクッと帰宅。

 

この日の午後ですが、自宅でお昼を食べ後、なべちゃんは奥さんと一緒に映画を見にいく予定とのこと。

いやー、仲がよろしいようで、これも ”ご馳走さま” です。

 

一方、私はとくに予定なし。

ミニベロでのライドに行きましたが、再度、リビングでのエアロバイクでペダルを漕ぐことにしました。

 

時間としては、LSDを30分、前後のアップ/ダウンを入れて50分です。

午前にはミニベロにも乗ったので、”このぐらいにしてやる”という感じです。

 

「もう自転車はお腹いっぱい、ご馳走さま」…

という訳ではありませんが、ちょっと短め。

 

この日は、”ご馳走さま” が連続する一日だったようです。

お叱りのお言葉…

今日は、3月19日(水)。

昨日 18日(火)は、久々にエアロバイクに乗ってみました。

 

後半に向けて徐々にペースを上げていくイメージでの50分間ライドとしています。

ただ、リビングでテレビを見ながらのライドなので、気を抜くとタラタラした内容になりがち。

そこを、タラタラしそうになったら、”きちんとペースを上げよう” という意識を持ちながら行ってみました。

 

ただ、心拍とパワーのゾーンは、残念ながら ”タラタラ” イメージ。

  

リビングでのエアロバイクなので、

「まあ、しゃあないか」…

ということにしておきます。

 

ただし、ガーミン先生が示すトレーニングステータスは、”ディトレーニング”。

「トレーニング量が少ない」

というお叱りのお言葉をいただきました。

まあ、そうですよね。

 

よし、4月に向けて、いっちょう頑張ってみますか。

 

 

さて、昨日のお昼ごろ、久々にむぎーさんからピロンとLINE。

「ゴールデンウィークの予定はすでに決まってる?」

 

今年のゴールデンウィークは、5月2日&3日の両日については、恒例のサツマイモの作業があり、すでに予定が入っています。

しかし、その他の日についてはまだ何の予定もなく、スケジュール帳は真っ白状態。

それをむぎーさんに伝えると、こんなお誘いが届きました。

「4月27日、大井川吊り橋ライド計画中。こっちに来る?」

そう、浜松遠征へのお誘いです。

 

私からは、

「おー、行く方向で検討します!」

とお返事。

 

エアロバイク後の風呂上がり、さっそく上記を妻に相談。

「浜松遠征、行ってもいいかな?」

 

「いいとも!」

…との返事が返ってくることを期待していると、なんとお叱りのお言葉。

「えー、その日は○○(長男の名前)の誕生日よ。あなた、お祝いの会には参加しないの?」…

 

えっ、あっ、そうだった。

ちょっとドギマギしながら、私はこう答えます。

「あー、そうだった、もちろん参加するよ。むぎーさんには断りの連絡を入れておくね」…

 

スケジュール帳には何の記載も入れていなかったので、うっかりしていました。

今までは、家族の誕生日、そして結婚記念日等については、スケジュール帳に書いてはいませんでしたが、今後はちゃんと書き込んでおくことにします…

 

この日は、お叱りのお言葉をいただくことが多い一日だったようです。

密かな好意…

今日は、3月18日(火)。

ネットでちょっと調べてみると…

3月18日は柿本人麻呂、小野小町、和泉式部など、平安時代の歌人として名前を残した人たちの命日とされているそうです。

 

「えー、ホントかなぁ」…

おそらくそれは、”同時代に記された日記等に書かれている”…など、一次資料で確認できることではないと思います。

とは言え、それを信じている人もいるようです。

まあ、歴史のロマンでしょうか…

 

この3人の中で、私がちょっと感じる部分があるのは、和泉式部という歌人です。

この女性には、”自由奔放に恋に生きた人” というイメージを持っています。

 

彼女には夫がいましたが、その夫と別れ二人の親王(天皇の息子のこと、二人は兄弟です)と恋仲になりました。

そう書くと不倫の末に親王兄弟にも二股をかけていたのか…と勘違いをするかもしれませんが、そうではありません。

 

まず、夫とは不仲になって別れてしまいました。

そしてその後にお付き合いをしたのが、親王(兄)。

和泉式部は、親王(兄)のことが大好きでしたが、お付き合いをしている最中に、残念ながら彼は若くして亡くなってしまいます。

 

最愛の親王(兄)を亡くし傷心の和泉式部。

その彼女に優しく寄り添ったのが、亡くなった親王の弟。

その弟も当然親王。

傷心の彼女は親王(弟)にも心を惹かれ、今度は親王(弟)とお付き合いをします。

ところが、この親王(弟)も亡くなってしまう。

 

親王(弟)が亡くなった後、楽しかったころを思い出しながら書いたのが、世に言う ”和泉式部日記”。

さらに後、和泉式部はあらためて夫を持ち、夫の赴任地である丹後国に夫と共に行った…

そんな話を、中学生のときに、当時の国語の先生から聞いたことを思い出しました。

 

その国語の先生ですが、実は、私が密かに好意を寄せていた方でした。

 

第一印象は、そうですねぇ、岸恵子、または加賀まりこ…という感じでしょうか。

(かなり記憶が美化されているかも…)

私が中学2年のときに同じ中学校に赴任され、その時点で確か27歳だったので私の13歳年上。

13歳も年上の女性でしたが、その先生に非常に惹かれていた…ということを思い出します。

 

 

その先生の授業の進め方ですが、一応は教科書に従ってはいましたが、題材となっている作家に関しては、教科書を離れて作家の人生、考え方にまつわる話を多く話してくれました。

教科書に載っている歌人、俳人、小説家、そして、ときには教科書に載っていない日本文学の作家の人たちも含め、彼ら/彼女らが歩んだ人生について述べ、そこから、その作品を書いた背景などについても触れていた…

そんな記憶があります。

当時の私にとって、先生の話しの内容は大変興味深く、それが私がどんどん小説(の文庫本…)を買って読むきっかけになりました。

 

そんな国語の授業の際に、種田山頭火/尾崎放哉というちょっと変わった俳人の作品について触れる機会がありました。

この二人は、形式に囚われない自由な俳句を作って発表している人たち。

(この ”形式に囚われない自由な俳句” ということから想像できるように、これらの人は、周囲との摩擦/軋轢を生むことにあまり頓着しないという面を持っています。まあ、作家って、大概そんなもんかもしれませんけど…)

その一人、尾崎放哉の代表的な俳句といえば、ご存知の方もいると思いますが、

「咳をしても一人」

ですよね。

 

授業では、

「この句について、自分が思ったことを自由に書いて提出する」

という宿題が出されました。

その際、私は以下のようなことを書いて提出しました。

 

 

尾崎放哉という人は破天荒で、家庭/家族を顧みず、世間から理解されないことや孤独になることを恐れず、自分の信念を貫き俳句の道を進む…そんな人生を送りました。

しかし、信じた道を歩んでいる途中で、胸を病んでしまいました。

当時、胸の病は不治の病気。

死期は近いけれど、流れ着いた山の荒れ寺で一人ぼっち。

寝込んでいる際に咳が出ても、看病をしてくれる人は誰もいません。

自分が求めたこと/招いてしまったことではあるけれど、その孤独感はやはり耐えがたい…

尾崎放哉も、その孤独感に襲われていたのだと思います。

 

 

細かい表現/言い回しは違っているかもしれませんが、私は、概ねそんな内容を書いて提出しました。

それに対して、先生が返してきたコメントは、ちょっと意外な内容でした。

 

 

尾崎放哉も、あなたが書いたような孤独を感じていたでしょう。

句の解釈としては、もう少し尾崎が自分自身を俯瞰的に見て、”洒落や滑稽な意図を込めている” と評価することが多いかもしれません。

ですが先生自身は、あなたと同じ感想を持っています(人間はそれほど強くない…)。

だた中学生のあなたが、尾崎と同じような孤独を感じている、あるいは理解しているのだとすると、そのことがちょっと心配ですね。

 

 

最後の一文が衝撃的。

それまで学校で出される宿題で、そんなコメントを返す先生に、私は会ったことがありませんでした。

これは、当時の私にとってみると ”一大事”。

 

この ”一大事” 以降、私はことある毎に、ちょっとした詩/短編の小説っぽいもの/読んだ本の感想などを書いて、先生の目に触れるようにしていました。

それは、提出するノートの端だったり、中間/期末テストの解答用紙の裏だったり…

今思えば、先生としては

「オタクで、すごくキモい奴」

と感じていたでしょうねぇ…

いやー、恋は盲目。

先生、すみませんでした。

 

 

”一大事” 以降、私はその先生に ”密かな好意” を抱いていました…

なんて可愛げに表現しましたが、今振り返ってみるとその行動は、”密かな好意” なんてソフトな範囲に収まっていませんね。

ただ、その ”密かな好意” がモチベーションになって、私が日本の文学、特に小説を読むようになったことは事実です。

あらためて、”密かな好意” を抱かせてくれた、中学時代の国語の先生に感謝です。