いったい…

今日は、2月25日(土)。

 

私の住んでいる町内会では、その年度を締めくくる「総会」準備の真っ最中。

私の作業も佳境に入り、連日の資料作成/修正となっています。

 

それに加えて、先日このブログにも投稿しましたが(「崩壊…」、「フェアーに…」)、新年度の町会長・会計を選出する作業が難航。

 

その上さらに、会計候補として選出された3名の方々。

その3名が3名とも、その後の話し合い応じてもらえない状況になってしまいました。

 

 

この状況、「いったい」どうしたら良いのか。

頭が痛いです…

 

 

 

「町内会なんて要らない」

 

そんな意見があることを、私もネットで目にします。

しかし現実には、生活インフラに関わる市町村の行政サービスは、ほぼ例外なく「町内会」という自治会を経由して提供されており、かつ、それらに関する補助金等も「町内会」に対して交付されます。

 

たとえば、以下の行政サービス(維持管理/補助金交付/資料配布等)は、町内会が窓口となって行われています。

・市町村の広報
・街灯/防犯灯
・防災体制/設備
・ごみ収集
・公園
・用水路/排水路/道路
・除雪
・社会福祉

これらのサービスの実施には、何らかのかたちで町内会の役員、班長、その他の部会/委員会等が関係しています。

また、それらについて改善等の要望があれば、町内会、更にその上部組織である町会連合会経由で行政側(市町村)に働きかけを行っています。

 

本人が意識している/いないに関わりなく、町内会の会員の方であれば、それらの恩恵を受けていることは間違いありません。

 

 

「町内会が窓口となっている行政サービスは受けたい」

「その行政サービスに、役員、班長他、色々な方々が協力していることは分かる」

「しかし、自分自身は役員・班長等を引き受けたくない」

「町会費を支払っているんだから、それ以上の貢献は必要ないはずだ」

 

私の町内会では月々1,000円(年間12,000円)の町会費を集めています。

しかし、たとえば世の中のサブスクサービスを例にとると、

・Disney+は月額990円
・huluは月額1,026円
・YouTube Premiumは月額1,180円

など、たいしたことはないサービスでも軒並み月額1,000円ほど。

いかに町会費のコスパが高いかが分かるってもんです。

 

 

自分さえ楽ができればそれでいい。

そんな人が増えてきている現状を、私は憂えます。

この先、私たちのコミュニティーは「いったい」どうなるんでしょうか…

 

 

 

さて、「いったい」繋がりで。

 

ピナレロのハンドル。

ブレーキのブラケットに手をかけて乗っていると、ハンドルが前方に回ってしまう感じがします。

この症状は、なべちゃんは医王山から湯涌温泉方面に走っている最中に、私は和倉温泉ライドの際に、実際に経験しています。

 

ハンドルが回ってしまうことを防ぐため、ステムのハンドルを留めているビスを増し締めして見ました。

しかし、余り強く閉めすぎるとカーボンのハンドルが割れるんじゃないか…と少々心配。

 

 

ということで、さっそくいつものスポーツサイクル・イシノさんに行って相談してみます。

すると…

 

 「それなら、ステム一体型のハンドルに変更したらどうですか」

「MOSTのステム一体型ハンドルなら、何種類か在庫あります」

「多分、しゅういちさんのステム長は100mm」

「その在庫もありますよ」

 

 

なんですとー!

 

 

しばらくは、「いったい」に悩まされる日々になりそうです…

意地…

今日は、2月22日(水)。

今日も夕方からやることがあり、トレーニングはお休みしました。

 

先週の18日(土)以来、すでに5日間トレーニングを休んでいます。

 

ハルヒルに向けて、「減量するぞ」という意気込みはあります。

しかし、先週末に受けた「一方的に我慢を強いられた」ことによる憤り。

それに加えて、種々の資料作成等のストレスなどがあり、家飲みとは言え、飲み/食べ過ぎの日々を過ごしています。

 

「うーん、このままではダメだ」

 

ここらで私も「意地」を見せて、生活パターンを切り替えないと…

切実に、真剣に、そう思います。

でも、一抹の不安もあります…

 

それをやり切るのが「意地」。

さあ、意地を見せてみるか…

 

 

さて、「意地」繋がりで…

 

 

今日、妻が仕事から帰ってくると、ちょっと風邪気味の模様。

ちょっと頭痛もするとのこと。

 

「あー、それなら寝て暖ったまった方がいい」

ということで、床暖房が効いているリビングに布団を敷き、妻には横になるように言いました。

 

しかし妻は、敷いたばかりの布団が「まだ冷たいから…」と言って、布団の上ではなく、布団の下にある「カーペットと床」の間に潜り込もうとします。

しかし、床暖房はガンガンに効いており、明らかに、「布団が冷たい」というのは妻の思い込み。

 

「そんな訳はない。早く布団に入れよ」

「それに前から言っているけど、床暖房の上にカーペットを敷いてるのは逆効果。そもそも暖房の効率が落ちるよ」

「寒いんなら、床暖房にカーペットは敷かない方がいいよ」

 

それを話していても、妻は俯いたまま、相変わらず「カーペットと床」の間に潜り混んでいます。

妻としては、自分の言っていることを認めてもらえず(共感してもらえないから?)、ちょっと「意地」になっているのか、ますます「動かないぞ」という感じ…

 

 

「いい加減にしろよ」

 

 

あー、言い方が良くなかったかな…

 

 

世の女性陣よ。

自分の感じていること/こだわりが、良い結果を産むとは限りませんよ。

自分の想い/感情に反していても、「意地」にならず、合理的なアドバイスには聞く耳を持って、たまにはそれに従ってみても良いじゃない。

 

世の男性諸君。

そうは思いませんか?

崩壊…

今日は、2月21日(火)。

昨日もいろいろな準備があって、トレーニングはお休みしました。

 

昨日の投稿(「フェアーに…」)には、私の町内会で開催した町会長・会計選出会議に関して、

・一人暮らしのお年寄りのお宅が、
・誤って町会長候補に選出されてしまったので、
・「抽選(くじ引き)をやり直したい」と提案したところ、
・抽選(くじ引き)で既に候補で無くなった方から異論が出て、
・会議が紛糾した…

ことを書きました。

 

投稿にも書いていますが、既に抽選(くじ引き)を終えて、みごと町会長・会計選出の『候補から外れた方々』が、もう一度、抽選(くじ引き)をやり直すことに反対する気持ちは、私にもよーく分かります。

 

しかし反対された方々は、町会長候補として選出された「一人暮らしの老人」の方が「困るだろうなぁ〜」…という状況を想像し、またそれを自分に準えることで「ちょっと助けてあげるか」という気持ちにはなれなかったんでしょうか。

 

私としては、そこが一番気になるポイントでした。

 

 

・自分は既に抽選(くじ引き)を終えて、面倒臭い役目から解放される権利を得た
・誤って独居老人のお宅が『面倒臭い役目を担う候補』として抽選されたとしても自分に不利益はない
・該当の独居老人のお宅からは何の申し出もなかったらしい
・「再抽選」に反対してゴネても自分には悪い点はない/自分が非難される可能性はない
・つまり誰かが困ったとしても他人事だ…

 

穿った見方かもしれませんが、私には、上記のような心の動きがあるような気がしてなりません。

 

 

ただ、もしそうだとすると、悲しいですし残念なことですが、私たちの町内会は、既にコミュニティーとしては崩壊している…あるいは崩壊しつつあるのかもしれません。

 

 

 

古くは、旧石器時代が終わり時代が縄文に変わったころ。

つまり、日本列島で人々が定住生活を始めたおよそ1万5千年前から、この日本列島では「集落」というコミュニティーを形成して、皆が平等に協力して生きてきました。

 

縄文時代の人々は、色々な作業だけではなく、「誰かが困ったときには助け合う」、そんなコミュニティーを形成していたと言われています。

というのも、縄文時代の遺跡から見つかる道具には人を攻撃する武器は見つかっておらず、埋葬された人からも武器等で攻撃された跡は見つかっていないそうです。

 

しかし弥生時代になると…

人を対象とした武器が登場し、埋葬されている人にも明らかに武器で「○された」痕跡が出てくる。

 

自分の集落を効率的に運営/経営するために上下関係ができる。

そして、自分たちの集落/生活を守るために、他の集落の人を襲って征服する…

 

上記を知ると、「弥生人」はダークな感じで闇落ちしているイメージを持ちます。

しかし、それがその後に「日本」という国を作っていく原動力にもなっているとのこと。

 

「進歩/文明」とはそういうものなのかもしれませんが、ちょっと考えさせられる内容です。

 

 

「日本には、もはやコミュニティーは存在しない」。

社会学者の宮台真司さんは、以前から上記のようなことを、マスコミ/YouTube等で発言されています。

 

「えー、それ、ちょっと言い過ぎじゃない?」

私は、そんな風に思っていました。

しかし、自分の足元を見てびっくり。

私の住んでいる町内会は、残念ですが「まさにその通り」と言わざるを得ない状況でした。

 

 

既に「崩壊」している/しつつあるコミュニティー。

ただ私としては、それを未然に防ぎ、できれば「復興」させたい。

そのために必要なものは…

 

 

そう、「仲間を作って、その輪を広げていく」…

それしか無いのかもしれません。

 

 

チームじゅげむの皆さん。

そしてサツマイモ有志の方々。

その中には、同じコミュニティーの方も多数おられます。

 

今後とも、ぜひよろしく!

そっくり…

一昨日 2月4日(土)は立春。

その4日・5日の二日間は、地域の先輩方ご夫婦4組、そこに私ともう一人の男性の合計10名で、能登一泊旅行に行ってきました。

 

行き先/寄り先は、以下のような感じです。

・富来 てらおか風舎で昼食(能登牛ステーキ重)
・輪島 キリコ会館見学
・七尾 和倉温泉 のと楽で一泊
・穴水 能登ワインのワイナリーを訪問
・松波 松波酒造を訪問
・珠洲 レストラン浜中で昼食(香箱ガニ丼)

もちろん、じゅげむのレンタカーのキャンピングカー(「ようやく…ジャンプ!」)を借りて、全員一緒に移動です。

  

その先輩方ご夫婦ですが、皆さん若い頃から私の両親をよくご存知の方々です。

当然、私のことも(悪さ/イタズラをしていたことも含めて…)子供の頃から知っています。

 

キャンピングカーの中でも宴会状態。

とても楽しい旅行になりました。

 

 

 

さて、その先輩の方々から最近よく言われるのが、「お前は父親にそっくりになってきた」ということ。

元々、声が似ていたのは自分でも認識していました。

私が中学生で声変わりをして以降、家にかかってきた電話に私が出ると、十中八九、父親に間違われました。

 

そこにきて最近は、顔や体つき、あるいは姿勢も似てきたようで、親戚の方々からも「そっくりだ」と言われます。

 

 

ただ、先輩方も親戚の方々も、性格については「まったく違う」と言います。

とくに、ご近所で日頃から顔を合わせる機会が多かった先輩方からは、

「お前は陽気で、どちらかと言えば前向き」

「でもお前の父親は、無口で何を考えているのか分からなかった」

と言われます。

 

この、「何を考えているのか」…という部分は、どちらかと言えば「否定的」なニュアンスで言われることが多いような印象。

 

 

確かに、父親はおしゃべりな方ではありませんでした。

しかし、私の父親に対するイメージは、そんな感じでは無かったですね。

 

私と父親の二人で飲む場面。

あるいは、娘(私の姉)夫婦やその家族との会食の場面。

そんな場面では、今の私と同様、いつも機嫌よく、陽気に飲んで食べていたように思います。

 

 

ちょっと考えてみたのですが…

 

父は小学校の低学年のときに戦争で自分の父親を亡くし、一家は母親(私の祖母)、妹(私の叔母)、祖父(私の曽祖父)の4人となりました。

働き手は母親(私の祖母)一人なので、戦中/戦後はかなり苦労をしたと聞いています。

 

苦労だけではなく、母親(私の祖母)が家族を養っていくことで精一杯だったため、父は自分の考えや思いを通すことができず「我慢する」ことが当たり前だったようです。

そんな「我慢する」ことが日常だった父は、社会に出てからも、変な軋轢(今で言えば、まあ、パワハラなんですかね…)を受ることが多く、それも我慢することが多かった…そう言っていました。

 

根っこの部分は陽気で明るい性格だった父も、「性格が変わった」というのではなく、処世術として「我慢をして余計なことは言わず、無口でいる」ことを選んでいたのではないか…息子の私はそんな風に感じています。

 

 

処世術のお陰で、父は変な軋轢からは逃れることはできたのでしょうが、その副作用として「何を考えているか分からない、仲間にもあまり打ち解けない」というイメージが付いて回ることになってしまった…

 

先輩方にも「いや、父はそんな性格じゃなかったよ」と言って庇ってあげたいところですが、「うーん、ちょっと分かってもらえないかな…」と感じたので、軽く聞き流して済ませました。

 

「ごめん」

両親には、心の中でお詫びをしておきます。

かぶりつき…

今日 2月3日(金)は節分。

節分は立春の前日であり、今年の立春は2月4日(土)。

したがって、その前日となる、今日の3日が節分となります。

 

おそらく皆さんは、「節分は2月3日」という認識だと思います。

確かに、節分の日が2月3日のことが多いのですが、実は2月2日から2月4日の間で変わることがあります。

近くで言えば、2021年の節分は2月2日でした(つまり、立春は2月3日でした)。

また、1984年の節分は2月4日でした(立春=2月5日)。

 

ちなみに、なぜか私は保育園の頃からずっと「節分の豆まきは2月2日に行うものだ」と認識していました。

父も母も亡くなっているので詳細は確認できませんが、我が家の豆まきはこんな感じでした。

 

2月2日の夕方。

私と姉はすでに入浴を済ませています。

お風呂から上がった頃に母が仕事から帰ってきて、晩御飯を準備を始めます。

程なくして、今度は父が仕事から帰ってきます。

仕事から帰った父が入浴を済ませると、曽祖父、祖母も含めた家族全員で晩御飯を食べます。

晩御飯が終わり茶の間でこたつに入ってテレビを見ている頃、おそらく夜の7時半頃。

おもむろに母が大豆のお菓子(というか、つまみ?)の袋を持ってきて、袋を開いて家族全員で豆まきを行います。

そしてまいた豆を、やはり家族全員で拾っておやつとして食べていました。

私が小学校低学年になるまでは、我が家の豆まきはこんな感じでした。

  

もしかすると、我が家では節分の前日の夜に「鬼は外、福は内」と豆をまき、節分に向けて厄払いを済ませていたのかもしれません。

 

 

さて、最近の節分といえば「恵方巻き」が有名です。

今日もスーパーに寄る機会がありましたが、お寿司のコーナーだけではなく、惣菜のコーナーにも太巻のお寿司(恵方巻き)が山積み。

買い物に来ていた方々のカゴにも、それがしっかり入っていました。

 

二十数年前までは、金沢で「恵方巻き」という言葉を聞くことはなかったように思います。

私も結婚するまで、「恵方巻き」というものを知りませんでした。

 

ところが今では、我が家でも「恵方巻き」が節分のイベントとして、すっかり取り込まれています。

ただし我が家の恵方巻きは、妻が自分で巻いたもの。

我が家の「恵方巻き」

 

それと、我が家の「恵方巻き」はご飯が酢飯ではありません。

実は長男が酢の物が苦手。

お寿司も、ご飯に酢が混ぜてある理由から「できれば食べたくない」というほど。

このため「母親」である妻も工夫をして、いつの頃からかごま油で味付けをしたご飯を使い、具材も炒めた牛肉などを使ったりしています。

なので「太巻」というよりも「キンパ」という感じに近いです。

まあ、それでも美味しいのでいいんですけどね。

 

今年も我が家の「恵方巻き」にかぶりついて、今年の福を呼び込みたいと思います。

 

 

 

さて、かぶりつきと言えば…

 

皆さんは、「鶯谷ミュージックホール」という歌をご存知ですかね。

笑福亭鶴光さんが歌っていた曲で、1975年にレコードを発売しているものです。

 

当時、私は中学1年生。

深夜のラジオ番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティーをしていた鶴光さんが、おそらくは自分の番組の中で、よくその曲をかけていたのでしょう。

私も、その曲をラジオで耳にすることが多かったように思います。

そういえば同級生の一人が、曲の「語り」の部分をよくモノマネしていました。

 

「いらっしゃいませ〜 いらっしゃいませ〜」

 

同級生が曲の語り部分をダミ声で言い始めると、周りにいる友達が囃し立てる…

中学1年生の男の子なので、まあそんな調子です。

 

この同級生は、ちょっとギリシャ系の顔立ちで、今で言えばイケメン。

しかも成績優秀で、テストの順位は学年で1番/2番を争う人。

人望もあり、中学3年生のときには先生方が反対するのを押し切り生徒会長を務めました。

大学は京都大学へ進学し、就職は外資系のIB○大和研究所に勤務。

そう言えば、間寛平さんの「開けチューリップ」も彼は得意でしたね。

 

イケメン/成績優秀な彼が、ふざけた歌を歌うギャップ。

それが面白かったことを思い出しました。

 

語りが終わるといよいよ歌が始まるのですが、その歌詞の中に、

 

「かぶりつきの若いお兄さん…」

 

という箇所があります。

私はこの歌詞で初めて、舞台のすぐ近く/最前列を「かぶりつき」と呼ぶことを知りました。

 

そんな、少々下品な流行りの歌や友達とのおふざけにも、何某か学ベるものがある…

そんなことを感じる思い出です。

 

 

一方、長男は現在中学3年生。

受験生であるにもかかわらず、スイッチでゲーム三昧の日々。

彼に対しては、「酢飯も食えないクセに…」と、少々説教をしたくなることもしばしば。

 

しかし自分の過去を振り返ってみると、私にそんな偉そうなことを言う資格はありません。

亡くなった父や母にも、「それをお前が言うか!」と怒られそうです…

 

子供たちにも余計な口出しはせず、「かぶりつき」で見守ることにする…

それを誓った節分でした。