クールダウンで…

今日は、1月31日(水)。

今朝の金沢の天気は、昨日と同じ薄曇り。

ただし、このところの暖かさはまだ続くようで、今日の最高気温は3月下旬並みの13℃の予想です。

 

畑に積もっていた雪もほとんどとけており、雪がまだ残っているのは、ご近所の方々が雪かきをして畑に雪を捨てたところだけになりました。

 

そんな昨日の30日(火)は、例によってエアロバイクでのLSD 60分を行いました。

 

心拍ゾーンは、「ゾーン2」が79%で、「ゾーン3」はたった8%です。

まあ、大丈夫な範囲です。

 

 

ところで、最後10分のクールダウン部分。

ケイデンスを落としているにもかかわらず、心拍数が落ちていません。

おそらく、この部分が「ゾーン3」になっています。

 

負荷を落としてクールダウンを行っているのに、なぜ心拍数があがったのか…

この部分、(恥ずかしい話ですが…)妻とちょっとしたことで口論になってしまったからなんです。

 

実は昨日、さる方から「新型コロナに感染した」との連絡がありました。

その方とは、発症した前日(つまり一昨日の月曜日)のお昼前に、小一時間ほど話をしました。

 

エアロバイクでLSDをしている最中に、上記のことをリビングにいた妻に話したのですが、そこから、妻がこんなことを言い始めました。

「マスクをしてほしい」
「今朝、あなたとマスクをしないで話してしまった」
「私は新型コロナに罹りたくない」
「家族みんなにも、あなたが濃厚接触者であることを伝えないと」
「子供たちの通っている学校/職場にも、家族に濃厚接触者がいることを伝えないと」…
 

 

いやいや、そんなことはやり過ぎ…

ということで、私は以下のことを妻に伝えました。

「いやいや、もう ”濃厚接触者” なんてものはないよ」
「それに、俺は今のところまったく無症状だよ」
「トレーンング中はマスクはできないよ(息が苦しくなるし…)」
「俺が感染している可能性はゼロではなく ”ある” けど、それだってかなり低いよ」
「”濃厚接触者の濃厚接触者” だなんて、学校/職場にだって伝える必要はないよ」
「余計な混乱を招くのなら、俺がマスクをするだけで、子供たちに伝えないことも選択肢のひとつだよ」

 

しかし、妻は、

「子供たちの学校/職場に伝える必要はない」

ことは理解してくれましたが、それ以外には合意してくれませんでした。

 

この話し合いの過程でお互い徐々にヒートアップしていき、その結果として、私の心拍数が下がらなかった(逆に上がった?)んですね。

 

私は、新型コロナが5類になった際に厚生省が公表した指針/資料など、ある程度科学的/合理的な論拠に基づいて説明しているつもりでした。

しかしその言い方が、妻にとってみると「自分の意見が全否定された」と感じるものだったようです。

また私は、相手の言葉じり等にこだわるちょっと偏屈なところがあり、相手が勘違い/誤解している点があることをはっきり認めるまで、同じこと指摘/言い続けてしまう…という「良くない性格」だったりします。

 

さて、今回の件、スムーズに話し合うためにはどうすれば良かったのか…

私も反省して、ちょっと考えないといけないですね。

 

話し合い(喧嘩?)の結論として、私は

・私が感染したことを想定し、
・潜伏期間と言われる2日間は家族との生活圏を分けて、
・家の中では寝室での自主隔離状態で過ごす

ことにしました。

 

まあ、これで事態が沈静化するのであれば、それもやむなし…ですかね。

 

 

ただ、私はまったくの無症状なので、通常通り出勤し仕事をしています。

通常通り出勤してはいますが、仕事を終えて家に帰ったらすぐに寝室に向かい、明日の朝までは自主隔離を続け、入浴やトイレ以外は寝室から出ないようにします。

 

そして、夕食の際の楽しげな雰囲気作りを目指す心がけも(「隙間時間/お手軽作戦…」)、残念ですが、しばしの小休止。

これもやむなし…と考えておきます。

もうひと降りある?…

今日は、1月29日(月)。

週明け月曜日の空は、この時期の金沢には珍しく快晴となりました。

 

道路に積もった雪はとけてなくなりましたし、まだ雪が残っている畑でも植えられている野菜が見えるようになりました。

 

長期予報では「この冬は暖冬になる」と言われていましたが、この12月、1月を振り返ってみると、決して暖冬とは思えません。

迎える2月はどうなるか。

 

2月と言えば、6年前の2018年2月5日〜8日、北陸地方では記録的な大雪が降りました。

その影響で、福井県の国道8号線では、1,000台以上の車が巻き込まれる大規模な立ち往生が発生したように記憶しています。

 

今日時点の、2週間先までの天気予報をチェックしてみると…

 

日本気象協会によれば、

 

という感じです。

2月初旬は良いお天気の日があり気温もそこそこのようですが、中旬になると、どうやら再び雪が降り出す日が来るようです。

 

2018年のような記録的な大雪とまではいかなくても、

「もうひと降り、あるかもね」…

 

その覚悟をしておくことにします。

大寒を乗り切る

今日は、1月24日(水)。

昨日の23日(火)は、家族揃って楽しい夕食と頂くことができました(「シルバーの輝き…」)。

 

実は昨日、妻から私にサプライズで結婚記念日のプレゼントがありました。

それは…

私がいつもお世話になっているスポーツサイクル・イシノさんに、妻がこっそり一人で行き、ビンディングシューズを買っていたようで、そのプレゼントを受け取りました。

妻がチョイスしたモデルは、フィジーク「VENTO OMNA(ヴェント オムナ)」のチェリー/ブラック。

私の ”神様” (「神様…」)に合わせて、この色のシューズを選んでくれたようです。

 

仕事を終えて家に帰ると、ダイニングテーブルの私の席に見覚えのない箱。

これがサプライズのプレゼントでした。

いやー、まったく予期していなかったので驚きましたし、とても嬉しかったです。

今年の初ライドでは、このシューズを履いて出かけることにしたいと思います。

 

ただし…

妻が買ってくれたシューズのサイズは「42」。

このサイズ、本当にぴったりのジャストサイズ。

なので履いて履けなくはないんですが、このサイズのシューズで乗り続けていると、最後は親指の先が痛くなってしまうんですね(「ちょっとサイズが…」)。

 

「もうちょっと、大きい方が良いんだよなぁ」…

 

ということで、すぐにイシノさんに行き、同じモデル・同じカラーのサイズ違い(「43 1/2」)へのチェンジをお願いをしてきました。

イシノさん、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

 

ちなみに、私から妻へのプレゼントは、前から「欲しいなぁ」…と言っていたネックレス。

イシノさんからの帰りに、ダッシュで買いに行きました…

 

 

年明け早々に諸々があって、妻も私も落ち込むことが色々ありました。

しかしここにきて落ち着いてきたのか、先週あたりから気分的にも持ち直してきた感じです。

気分は上々、寒さも含めて乗り切っていくぞ!

そんな感じです。

 

 

さて、今日は、今シーズン一番の寒波が日本列島を覆っており、今朝は15cm程度の積雪がありました。

 

このため、今日の仕事は、朝一番での「雪かき」。

朝食を食べてから、家の前、そして裏にある納屋の前の雪かきを行って、まずは車の通行に支障がないようにしました。

 

雪かきを行う前に、すでに車の轍ができていますが、ここは車が踏みしめているため、カチカチになっていて歯が立たない部分。

そこ以外を手作業&除雪機の両方を使って雪を取り除いていきます。

その結果は…

 

こんな感じです。

この程度まで雪かきをしておけば、さらに雪が降ってきたとしても、しばらくは車の通行に支障は出ないでしょう。

 

ちなみに、金沢はこの程度の雪で済んでいますが、福井方面では「顕著な大雪に関する情報」が発表されており、さらに警戒が必要なようです。

 

寒さの底、”大寒” を迎えてはいますが、暦は2月初の「立春」までもう少しとなっています。

私たち家族の気分と同様、この寒さも乗り切っていきたいと思います。

地域のつながり

今日は、1月17日(水)。

29年前の1995年1月17日の5:46頃、兵庫県の淡路島北部沖を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の「阪神・淡路大震災」が発生しました。

 

そのとき、私は32歳。

関東に本社のある企業で私は働いていましたが、当時は金沢にあった支社に配置転換となっており、金沢の実家に戻っていました。

そのため、この地震は金沢で経験しました。

 

その時点で住んでいたのは、父が建てた実家。

実家は、旧来の日本家屋そのままの造りで広い座敷や仏間があり、とても「地震に強い」とは思えないものです。

 

その日の地震で記録された震度は、金沢周辺では「震度3」でした。

当日の朝、私は実家の2階で寝ていましたが、今から思い返すと、震度3とは思えないほど大きな揺れだったように思います。

地震がおさまってから、すぐに1階の茶の間に行きテレビをつけましたが、まだニュース等でも詳細な被害が報道されず、当初は被害の程度が分かりませんでした。

 

 

地震が発生した直後のニュースでは地震の被害報道が無かったことから、

「被害はそれほど大きくなかったのか?」

…と、私は軽く考えていました。

 

しかし、朝8時ごろになってからだったでしょうか。

ニュースで神戸市街を上空から映した映像が流れ始めましたが、そのニュース映像を見て、私はショックを受けました。

・高速道路が横倒しになっている
・鉄道の線路が曲がり駅が壊れている
・多くの家が潰れビルが倒壊しあちこちで火災が発生している

まるで映画のワンシーンを見ているような映像が、今、現実に起きている。

そのことに衝撃を受け、一緒に茶の間にいた父や母とともに、何を話していいか分からないまま、

「えー」

「信じられない」…

と呟きながらニュースを見ていたことを覚えています。

 

その日も会社に向かい仕事をしていましたが、同じ職場の人たちと、発生した地震や被害の状況ついて話しているばかりで、何も手につかなかったように思います。

この「阪神・淡路大震災」を目の当たりにして、私自身の「災害」に対する心構えが、「何が起こるか分からない、想定外などということはない」という風に変わったと思います。

 

あー、ちょっと違っていました。

まだもうちょっと、「想定外」に思っていたことがありました。

まずは、2011年の東日本大震災。

このときは、それまである程度信じていた「日本の原子力技術は高い/深刻な事故は発生しない」…ということが神話だったことを思い知らされ、福島原子力発電所の「全電源喪失/水素爆発事故」という事態が発生したことから「原子力は未完成な技術である」ことを認識しました。

そして、2022年のロシア・ウクライナ侵攻。

このときは、この21世紀において「大国の指導者が戦争を起こすことはない」…ということが私の思い込みだったことに驚き、「この世界は、領土的野心から戦争が起きるときがあり、一旦戦争になればルールなどは無く、何でもありだ」ということを理解しました。

 

  

阪神・淡路大震災の後にも、日本では東日本大震災があり、今回の能登半島地震がありました。

今回の「能登半島地震」は、マグニチュード7.6、最大震度7。

地震の規模や震度で比べると「阪神・淡路大震災」と同程度か、それ以上です。

 

震源が大都会の近くだった「阪神・淡路大震災」と異なり、「能登半島地震」は過疎化が進んでいた能登半島沖が震源でした。

そのため地震/津波による被害の規模は、「阪神・淡路大震災」に比べると少なかったように思います。

ただ、もし今回の地震が能登半島沖の断層だけではなく、金沢近郊を走っている「森本-冨樫断層帯」にまで影響が及んでいたとすると…

そのときは、想像するのが怖くなるほどの被害が発生していたのではないかと思われます。

 

「森本-冨樫断層帯」は、かほく市の津幡町から金沢市の野町を通って白山市の鶴来町に至る、長さ26kmに及ぶ断層です。

この断層帯が一気に破壊するとマグニチュード7.2の地震が発生する可能性があり、その際の金沢中心街の最大震度は「6強」と予想されています。

学術調査の結果、2,000年前以降あるいは4,000年前以前に、この断層の破壊による大きな地震が発生したことが判明しています。

発生する地震によるずれの可能性は、断層近くの地表では3m、高低差では2m。

また調査結果から、この断層の活動間隔は、1,700年〜2,200年と推定されています。

 

 

今回の「能登半島地震」、あるいは「森本-冨樫断層帯」を知った今となってみると、石川県や金沢市が作成したハザードマップ/防災計画書などが、「断層破壊による地震/津波、またそれらによる深刻な被害」を想定していたとは、とても思えません。

そんな中で「能登半島地震」が発生してしまいました。

 

石川県や市町村などの各自治体としては、「想定外だった」…と言うかもしれません。

ただ「想定外」の災害が発生した被災地では、

・備品の数が足りず(そもそも備蓄品がなく…)避難所として機能しない
・被災者の数が多く指定避難所に入りきれない
・電気等のインフラ寸断時の代替手段が準備されていない
・通信手段がなく重要拠点に連絡が取れない

という状況が発生しています。

 

「想定外」だった災害により、引き続いて発生した状況まで「想定外」になってしまう…

とは言え、実際に被災された方々は、それが「想定外」だったかどうかに関わらず、現実問題として、そこで生きていかなければなりません。

 

「想定外」という言葉は、災害が発生した際によく耳にします。

とりわけ、各種の団体/企業を指導・監督する立場の方々が、「免罪符」のように使っている印象です。

(そもそも「想定外」だったことが間違っていた…と、誰もツッコミを入れないんですかね?)

ただ、発生してしまった「想定外」の災害/`状況そのものは、それが発生してしまった後となってしまうと、もう変えることはできません。

ただし、復旧/復興がスムーズに進むように、その後の対応を変えることはできます。

石川県や各自治体としては、「想定外」だったことが間違いであることを認め、また今回の経験を謙虚に受け止めた上で、

・まず、学術調査等の科学的な調査を根拠にした合理的な災害の規模/被害等を想定し
・その上で、それに基づいたハザードマップ/防災マニュアルの作成や見直しを進める

等を行って、実際に災害が発生した事態に対応でき、現実に役に立つ体制を構築してほしいと思います。

 

 

ニュースでは、避難所に入れない/入らない方々、あるいは道路が寸断されて孤立している集落に関する内容が、よく報道されます。

そんな中で、とある方々の様子がニュースで流れました。

この方々は、ご近所の10軒程度が寄り添って、ビニールハウスやテント等で避難生活を送っておられるとのこと。

また、倒壊したそれぞれの自宅から道具や食料を持ち寄り、助け合って毎日を凌いでおられるそうです。

 

ビニールハウスの中で久々に暖かい味噌汁を食べておられた方は、

「ご近所の方に感謝するしかない」

と、涙を流していました。

そのニュースを見ていた私は、もう、

「頑張ってください」…

と祈るのみでした。

 

 

翻って、私が住んでいる町内会において大災害が発生し、自分の家族も含めた地域全体が被災したとしましょう。

そのとき、私の住んでいる地域でもニュースで見たケースと同じように、苦しいことや我慢することの多い避難生活、または次々と発生するトラブルや困りごとを、町内会あるいはご近所の方々が寄り添い助け合いながら、それらを切り抜けて生きていくことが果たしてできるだろうか…

うーん、ちょっと心配です。

 

 

理想を言えば…

まずは、石川県や金沢市など各自治体が、「想定外」といったような ”言い訳” を言わないこと。

そして、甘い想定ではなく、科学的/合理的な想定に基づいたハザードマップ/防災マニュアルを作成すること。

その上で、町内会の方々とのつながりを築いて、それらの関係/輪が町内会を超えて地域全体に広まり、もっと地域のつながりが強くなってほしい…

そう思います。

 

 

 

でも、やっぱりそれは、

「絵に描いた餅」。

現実に実現するのは難しい…

ですかね。

 

 

追伸

少なくとも私には、

・チームじゅげむ
・サツマイモ有志の会

のメンバーがいます。

これらの方々とは、普段からお互いに顔が見える関係であり、いろいろな作業やイベントを通じて同じ釜の飯を食い、助け合って協力することが習慣となっています。

「これらの方々とであれば災害が発生した際にも、寄り添い助け合って生きていくことができる」

そう思います。

 

まずはそこから…

ですかね。

老化現象?…

今日は、1月16日(火)。

ここ二日間ほど、ブログをお休みしました。

トレーニング(といっても、エアロバイクでのLSDですが…)も、しばらくお休みしています。

トレーニングだけではなく、毎朝/毎晩血圧を測って記録するのも億劫になってきました。

それに加えて、(これが一番重要なんですけど…)体重をコントロールする目的で、「平日はアルコール抜き」というルールを設定しましたが、それを守るのも嫌になってきました。

 

その理由を考えてみたのですが…

どうやら私は、いろいろやっているにも関わらずはっきりした効果が表れないことに、

「我慢ができなくなった」…

ようです。

 

血圧を下げる薬(降圧剤)を飲み、妻が作る減塩の料理を食べているおかげで、確かに血圧は下がりました。

しかし、だからといって、一気に正常値まで下がる訳ではありません。

またアルコールを我慢し食事も節制したおかげで、一時は80kgあった体重も、今では70kgを切るまでになりました。

しかし、ここ1ヶ月は現状維持/横ばいが続いており、それ以下にはなりません。

 

このように、やっていることの効果がはっきり確認できなくなってしまうと、私はやる気を無くしてしまうようです。

 

 

これまであれば、はっきりした、目にみえる効果が無くても、自分は、

「やるべきことをし続けることができる人」

だと思っていました。

 

もしかすると私は、”老化現象” で性格が変わり、堪え性がなくなってしまったのか?

そうだとすると、ちょっと怖いです。

 

妻には最近、よく

「性格が、ちょっと丸くなったかな」…

と言われます。

ただそれは、60歳を過ぎた今になってやっと…ではありますが、色々な経験を積んだことで「怒ってもしょうがない」と思えるようになったからだと、自分では感じています。

これは老化現象で性格が変わったのではなく、ちょっとは成長したんだと思いたいですね…

 

 

ちょっと思い返して見ると…

あー、性格は変わっていないかもしれませんね。

 

一見、目にみえる成果が無いように感じても、そのときの私には、はっきりした報酬があったのかもしれません。

それは、たとえば、

・トレーニングの達成感
・仕事に対する周囲からの評価
・残業に伴う収入の増額

…など、他の人には分からない/価値が共有できないものであっても、私にとっては大切に思えるものなどです。

 

これに対し、血圧や体重は、正直言って私にとっての価値/報酬はありません。

・生活習慣病の予防
・健康
・長生き

など、これまでは、私はあまり考えてこなかった事柄です。

 

 

うーん、そうか。

今回の「我慢ができなくなった」のは、”老化現象” ではないと思います。

しかし、これまで価値を認めてこなかった事柄が大事になってきたのは、私が「歳を取った」から。

それは間違いありません。

私も、「歳を取った」ことを認識し、これまであまり考えてこなかった事柄にも価値を認める…

その必要がありそうです。

 

 

 

追伸

妻には、また、

「丸くなった」

と言われるかも。

 

体が「丸くなる」のはいけませんが、性格なら、まあ、良しとしますか…