長いブランクの影響…

今日は、10月28日(月)。

昨日 27日(日)は、私が所属している町内会の自主防犯組織(防犯隊と呼ばれています)による秋季作業として、町内生活道路にある ”黄色の路面表示” の補修を行いました。

 

毎年の秋の恒例となっている路面表示の補修作業。

しかしここ2年ほどは、実施予定日、および予備日に雨が降り、作業が行えない年が続いていました。

このため、町内のほぼすべての ”黄色の路面表示” がかすれてしまっている状況。

 

「いやー、いつもの年より作業量は多いよね」…

ということで、2班に分かれて作業を実施。

とはいえ会員数が420軒を数える私たちの町内会は広く、朝8時半から12時近くまでかかって、ようやく路面表示の補修作業は終了しました。

軍手はしていましたが、毎年のように手は真っ黄色。

「あーあ…」

しばらくは、黄色い手で食事をする必要がありそうです…

 

補修作業は、私の町内会の防犯隊11名、応援として青年部から2名、都合13名により行いました。

その防犯隊ですが、実は今年度、来年度と、私が隊長です。

 

実施する作業の内容ですが、町内生活道路の交差点にある黄色の停止線、および”トマレ” の表示が、”薄くなって見えづらくなっている箇所” を、黄色のペンキで補修する作業です。

町内の生活道路交差点に引かれている停止線ですが、よくみると白線のものと黄色線のものの2種類があります。

このうち白の停止線は、”止まれ” の道路標識が立っていて、実際に交通規制として一旦停止が義務付けられている箇所に引かれています。

つまり ”白の路面表示” は、道路交通法に基づいた規制を示す情報であり、その管轄は警察となります。

なので、補修とはいえ、一般市民の私たちがそれを操作することはできません。

 

一方黄色の停止線は、”止まれ”の道路標識は立っていない交差点ではありますが、

・その道路が通学路に指定されている
・公園など子供が集まる箇所に近い
・見通しが悪く人や自転車が出てきても確認が難しい

…等のことがあり、道路交通法上の規制はありませんが、その道路を通る車のドライバーに注意を促したい箇所に引かれています。

黄色の停止線が引かれている具体的な箇所は、私たちの地域では、各町内会と近くの小学校のPTAが協議して決めています。

 

 

2年ぶりの路面表示補修。

ブランクが長いと路面表示の状態が悪くなっている箇所が多く、

「やっぱり、毎年行うことが大切なんですよね」

ということを痛感した補修作業でした。

 

 

さて、路面表示の補修作業は無事終わりましたが、その前日 26日(土)。

実はむぎーさんと2人で、久々のライドに出かけました。

 

ガーミン/ストラバの記録をチェックすると、私がロードバイクに乗ったのは、9月27日(金)のローラー以来で、なんと1ヶ月ぶり。

しばらくバイクに乗っていなかった私を誘い出し、ライドに連れ出してくれたむぎーさんには感謝です。

が!、むぎーさんがチョイスしたコースは、

・走行距離 80km
・獲得標高 1000m

という、1ヶ月のブランクがある還暦オーバーの人間に対するものとしては、ややハード。

案の定、走り出し一発目のクライムポイントで ”ほぼオールアウト” になった私は、ギブアップ寸前。

先行して走り、ピーク地点でバイクを停め、涼しい顔で私を待っているむぎーさん。

そこに私が、ヘロヘロになった状態で追いついていく…

そんなことが、何度も何度も繰り返されました。

 

最後のクライムポイントをパスしてもらい、結果としては

・走行距離 71km
・獲得標高 952m

になりましたが、それでも今の私には超ハードなライドでした。

 

 

医王ダム、福光の紅葉に色づいた山を見ながら走る道、刀利ダム、そして湯涌へ抜ける街道…

むぎーさんのチョイスしたルートは、今回見どころ満載でした。

しかし、そんなことを楽しむ余裕は、私には一才ありませんでした。

平坦路ではそれなりに走れますが、少し上り勾配がついている道に差し掛かると、苦しさの余りペースはガタ落ち。

一発目のクライムポイントを迎えたときは、あまりの苦しさに、

「心臓が破れるのではないか」…

という感覚を受けたほどでした。

 

 

しかし、ガーミンでのログをチェックしてみると、その際の心拍数は最大でも174bpm。

過去のヒルクライムレースでは200bpmオーバーを記録している私にしては、ずいぶん低めで苦しく感じるようになってしまいました。

ちなみに、該当の心拍数はゾーン5(160bpmオーバー)となりますが、その分布をグラフてチェックすると、わずか4分47秒(本当に苦しい時間は、実は5分もありませんでした…)。

「うーん、トレーニングを行わないと、走力だけではなく、循環器系の能力もこんなに落ちてしまうものなのか」…

それを思い知ったライドになりました。

 

 

トレーニングのブランクも ”長いことはよろしくない”…

路面表示の補修に加えて、そのことも痛感した今週末となりました。

冬を迎える準備…

今日は、10月22日(火)。

今日の午前中は、収穫の終わった畑(「2024年 収穫の秋…」)をミニ耕運機で耕して、冬を迎える準備を行いました。

 

耕し終わった畑の状態はこれです。

 

病害虫の予防等の観点から言えば、本当は畑の所々に落ちている

・掘り残してまだ土に残っていたサツマイモ
・掘るときにスコップで千切ってしまったサツマイモのかけら

等は綺麗に取り除いておいておくべきです…が、一人でやるにはちょっと大変。

という訳で、そのまま耕しています。

 

来年からは、その点もちょっと考えますかね…

 

 

朝9時から始めて、上記写真の作業完了状態になったのが11時半。

そこから、汚れたミニ耕運機を洗って片付け等もすべて終えたのが12時。

日曜日のイモ掘りから始まって、月曜日のイモの蔓捨て、そして火曜日の耕運機と、この3日間はなんやかんやと体を動かす日々でした。

ローラーこそ行っていませんが、足と腰は筋肉の張り/筋肉痛がたっぷり。

冬を迎える準備として、これもいい体のトレーニングになっていると思っておくことにします。

2024年 収穫の秋…

今日は、10月21日(月)。

昨日 20日(日)は、有志の会によるサツマイモ掘りを行いました。

 

今年は13軒の方々が参加したサツマイモ有志の会でした。

だたし、収穫作業に参加できたのは9軒/12名の方でした。

 

サツマイモ有志の会で行っている畑作業としては、

・5月の苗植え
・6月/7月/8月/9月の草刈り
・10月の収穫

があります。

こうやって振り返ってみると、毎月何かしらの作業を行っています。

 

ただメンバーの方々にはそれぞれの都合があり、みんな揃って作業を行うことはなかなか難しいのが現実です。

たとえば、子供のクラブ活動、急な仕事、そして家族旅行…などなど。

このブログでは名前がよく出てくるむぎーさんも有志の会メンバーですが、彼は金沢を離れて浜松で単身赴任中のため、そもそも予定を合わせることが難しかったりします。

なので私たちの有志の会は、

「各自、都合のつく範囲で作業を手伝えば良い」

という、少し緩めのルールしか設けていません。

今年はほぼ ”幽霊会員?” だったむぎーさんですが、来年は、帰省の予定をサツマイモ関連の作業に合わせてもらい、何かの作業を手伝ってもらえるといいな…と思っています。

むぎーさん、よろしく!

 

 

上の写真は、

①サツマイモの蔓を切り
②マルチシートを剥がす

という準備作業を終えて、すでにサツマイモを掘り始めています。

 

切ったサツマイモの蔓は、写真手前側に寄せてあります。

 

上の写真は、畑を反対側から撮影したものですが、中央/奥側に、切った蔓が集められています。

 

サツマイモを掘る作業は大変ですが、実は蔓の処理も、これまた大変。

昭和の時代であれば周囲の家はまだほとんど建っておらず、気兼ねなく畑での野焼きができました。

しかし平成/令和と時代が進んだ現在では、たとえ消防署に届け出をしたり、ご近所の方々にお知らせをしたとしても、通りかかった方による ”199番(火事の通報)” が行われてしまうことから、消防署からは、”できれば止めてほしい” 言われることがほとんどとなりました。

このため、一昨年までは蔓を短く切って畑一面にばら撒き、肥料として再利用することにしていました。

しかし短く切った蔓を畑の土にすき込むトラクターを一昨年の冬前に手放してしまったため、もうその手は使えません。

そのような経緯から、昨年からは、金沢市が運営しているゴミ捨て場に捨てに行っています。

 

 

すべてのサツマイモを掘り終えて、各家々に配達をします。

今年は、収穫量が少なかった種類があり、サツマイモを入れた袋がスカスカの状態のものもありましたが、それでも一軒あたり土嚢袋で6袋の取り分となりました。

 

上の写真は、むぎーさんの家に配ったものです。

13軒すべてで、この量の割り当てを受け取っています。

 

今年は酷暑だったせいか、例年に比べて収穫量が少なめだったのですが、それでもこれだけの量が取れました。

これから、サツマイモの天ぷら、焼き芋、大学いもなど、色々な方法で楽しんでみるつもりです。

 

 

2024年の収穫の秋も無事終わりました。

来年2025年も、サツマイモ有志の会を続けていきたい…

そう思いました。

 

 

追伸

さて、畑の端に寄せたサツマイモの蔓。

サツマイモを掘り終えたタイミングで、男性陣が総出で、その蔓を適度な長さに切りながら、45L、そして70Lのゴミ袋に詰めていきます。

 

そして、詰め終わったゴミ袋の数は…

なんと、45L:70袋&70L:5袋で、都合75袋!

そして、これらの袋を軽トラックに乗せて金沢市のゴミ捨て場に捨てに行くこと、なんと2回!

 

寄せてあった蔓がなくなった状態が以下です。

 

収穫が終わった、ちょっと寂しげな畑の風景でした。

いい汗をかくには…

今日は、10月19日(土)。

昨日の17時半、ようやく旅行から妻が帰ってきました。

また妻と共に、群馬県富岡市に住んでいる長女も一緒に帰ってきました。

それに伴い、昨日 18日(金)の夕食準備完了をもって、私の主夫生活は無事終わりました。

 

ちなみに、昨日の投稿で、長女は

「自分が卒業した大学/大学院のOGとして、学生に企業の話をするらしい(「先輩(OB/OG)としての話…」)」

…と書きました。

しかしこれは間違いでした。

 

長女が言うには、

「その機会は確かにあるけれど、それはもう少し先。今回は、バレーボール部の現役学生とOB/OGの交流会があって、それに参加する」

とのこと。

なるほど…

 

交流会として開催される食事会(飲み会?)の前には、現役チームとOB/OGチームでのバレーボール対戦も組まれているようで、彼女は久々に試合に出るようです。

いやー、いいですねー。

 

現役だったころから比べると、おそらく、体は ”かなり” なまってしまっている長女。

それでも、久々にいい汗をかいて先輩/後輩と過ごすのは楽しいはず。

彼女には、久々に仕事絡みの人間関係から離れて、リラックスした時間を満喫してほしいと思います。

 

さて、妻が帰ってきたことで、いよいよ私のトレーニング生活が再開となります。

長女と同様、私も体がなまってしまっています。

すぐにでもエリート ネロでズイフトを行って、

「いい汗をかきなまった体を鍛え直したい」

…ところですが、ズイフトの環境整備が必要となります。

 

ただ、この手の環境整備作業は、なかなか一筋縄ではいかないもの。

今日は、まずはそのあたりの整備作業を進めるために、じっくり時間を使うことにしようと思います。

先輩(OB/OG)としての話…

今日は、10月18日(金)。

妻が旅行から帰ってくるのは、明日の19日(土)だと思っていましたが、これは私の勘違いでした。

今日 18日の夜…というか、夕方遅くになって帰ってきます(「インバウンド…」)。

ただし、

「夕飯は、家に帰ってから一緒に食べる」

とのこと。

なので、今日いっぱいは私の主夫生活が続く、それは変わりませんでした。

 

今日いっぱい、頑張ってみます!

 

 

さて、妻は昨日は群馬県富岡の長女のアパートで一泊したのですが、なんと、長女も一緒に自宅に帰ってくるとのこと。

どうやら明日 19日(土)に、自身が卒業した大学/大学院において、就職した企業の説明会…というか紹介を行うようで、そのためにこちらに帰ってくるそうです。

 

内定者との面談なのか、それとも来年度の卒業者に向けた説明会なのか…

そこは分かりませんが、おそらく大学/大学院のOGとして、彼女は在学中の学生と会ってくるのでしょうね。

 

私が新卒で就職したころはどうだったかな…と、ふと思い出してみました。

たまたま先日、私が新卒で就職した企業の元上司、および元同僚と、東京/上野で久々に会う機会がありました(昼飲みから始まって、その後カオス状態までになりましたが…)。

私が新卒で就職したのは、メーカー系のソフトウエア専門会社でしたが、上記の元上司/元同僚と飲んでいる席で出た話の内容は、楽しい思い出や出席できなかった方々の現状の話もありましたが、やはりシステム開発プロジェクトの進捗が遅れて収拾がつかなくなったり、客先システムのトラブル対応が収束せず大問題になったりしたことなど、皆で苦労したことが話題の大半を占めていました。

 

私が就職した今から40年前のソフトウエア業界は、全国の都市銀行や地方銀行、それに加えて証券関係の大型汎用コンピューターのシステム更新が連続して実施されている状況でした。

そこに加えて、アメリカから摘発された産業スパイ事件の対応が重なった結果、日本のほぼすべてのメーカー系のソフトウエア会社…というか業界全体として、未曾有の業務逼迫状況にありました。

このため、メーカー系の会社と言えども、業務状況は当然の如く超ブラック。

プロジェクトの遅れや客先でのトラブル対応を抱えている部署は数多く、どの部署でも残業が100時間を超える人がゴロゴロいたと思います。

さらに、ときによっては残業が200時間を超えている人が居る…そんなことも当たり前でした(私もその一人でしたね…)。

 

しかし今回集まったメンバーは、普通に考えれば思い出したくもない ”プロジェクトの遅延/客先トラブル対応の記憶” を、嬉々として話しています。

各メンバーは、全員が50歳を超えている(元上司は喜寿の77歳)ため、感性/志向的には、ちょっと古いのかもしれません。

しかし、”苦労を共にした仲間” という感覚がベースあるからでしょうか、

「過去の武勇伝を自慢する」

のではなく、

「自分たちが惨めで、吊し上げられて、苦労した」

そんな状況を、

「でも俺たち/私たちは皆で協力して、それをひっくり返してきた/乗り越えてきたよね」…

その喜びを、皆でもう一度追体験したかった…

それが目的だったのかもしれません。

 

 

そんな状況を考えてみると、私がOBとして自分の卒業した大学に行き、在学中の学生に自分の企業について話すとすると、あまりいい話はできなかったでしょうね。

「作業量に対してプロジェクトメンバーが足りないので残業が多いのは当たり前」

「当然システム開発は遅延し、残業は100時間を超えることもザラ」

「そこに客先システムのトラブル対応で事件が発生(収束しない/失敗等…)すると、残業は200時間を超えるときもある」

私たちの年代のソフトウエア業界は、どこもそんな感じだったと思います。

 

働き方改革が叫ばれている昨今であれば、こんな状況はあり得ないでしょう。

とは言え、程度の差はあったとしても、今でもプロジェクトの遅延/客先でのトラブル対応等が重なれば、”似たり寄ったりの状況になる”…でしょうね、やっぱり。

 

 

長女がどんな状況で働いているのか、それを私は知りません。

このため、彼女が、OGとしてどんな話を学生に向けてするのか、ちょっと想像ができません。

 

彼女が厳しい状況で働いているとしても、あまりに生々しい話してしまい、

「学生たちを怖がらせる」

ようなことは、避けてほしいと思います。

しかし、嘘/甘い言葉で誘い、

「誤解した学生が就職 → ミスマッチで早期退職」…

となることも避けるべきだと思います。

 

うーん、難しいですねぇ…

 

 

ただ、厳しい現実があったとしても、仲間たちと協力すれば、それを乗り越えることは不可能ではない。

そして、その仲間たちとは、40年を経過してもなお交友を深めることができる…

そこは伝えたいと、私は思ます。

 

先輩(OB/OG)としての話。

長女の話は分かりませんが、私の話はこれですかね。

 

しかし、その内容だと、その企業には就職してもらえなさそうです。

(あっ、だから40年ほど前、私にはOBとしての面談/話の依頼は無かったのかも…ですね)