庇(かば)っていたから…

今日は、12月10日(火)。

先日の投稿には、豆柴のおこげをシャワーに入れたことを書きました(「耐え抜いて…」)。

 

「最近おこげは私のシャワーのやり方にも慣れてきて、お互いに変なストレスを感じなくなってきた」

なんてカッコいいことを書きました。

しかし私の腰と膝(ひざ)は、その程度の作業でも根を上げるようになっていました…

 

まず、腰に関して。

以前の投稿でも書いたように、どうやら私は間欠性跛行(かんけつせいはこう)という状況になっているようです(「どんよりして…」)。

腰椎のある箇所が狭くなっていて、30分ほど歩いていると、腰椎から伸びている神経が障害を受けてしまい、足の痛み/痺れ/脱力感などが現れます。

しかし、しばらく休んでいるとまた歩けるようになります。

私に起きている症状は、まさにこれ。

腰がダルくなっている感じとともに、脹脛(ふくらはぎ)は太腿(ふともも)に痛みが出て、かつ、足の外側の筋肉に痺れ/脱力感が現れます。

おこげのシャワーの際にも、この症状が現れました。 

 

 

そして膝。

右膝については、7月に負った怪我の影響がまだ続いています(「希望へのチェンジ…」)。

ただ、少しずつではありますが痛みが弱くなっている実感があります。

来春には、”元通り”…とまではいかないまでも、まあまあいい状態になるような気がしており、ちょっと光が見えてきた気がしていました。

ところが…

 

11月にサツマイモの蔓を切って畑にばら撒く作業を行いました(「疲労困憊 イモの蔓…」)。

そのあたりから、まったく問題のなかった左膝に、ちょっとした痛みを感じるようになりました。

 

当初は、

「ちょっと捻ってしまったかな」…

という程度で気に留めていませんでした。

しかし、12月になっても、その痛みが引きません。

そこに、”おこげのシャワー” があり、ダメージのダメ押し。

 

今朝起きてみると、膝が痛くて、足を引きずらないと歩けないほど。

「うーん、左膝、酷使してしまったかな」…

 

7月から11月までは、右膝の状態が思わしくありませんでした。

このため、足、とくに膝に力を入れないといけないシーンでは、左膝に頼っていることがほとんど。

11月に行ったサツマイモの蔓を切る作業も、蔓を切る道具や蔓を押さえたりする際に、足に微妙に力を入れながら作業する必要があります。

それらも、ほぼ左足のみを使うようなイメージでしか行っておらず、確かに負荷が左足に偏っていたかもしれません。

 

一方を庇ったことで、反対側に負担が集中。

これ、世の中でも良くあることですよね。

かつて、プログラマ/システムエンジニアの仕事をしていた際にも、同じようなことがありました。

 

複数の部署が共同で行っている大規模開発プロジェクトなどでは、独立した機能ごとに異なる部署が担当し、全体を合わせて一つの大きなシステムを構築することが普通でした、

そんなプロジェクトで、ある部署(ある機能)の進捗に極端に遅れが発生したりすると、顧客に対する責任、さらには収益の観点から大問題に発展するリスクが増大してしまいます。

そのような事態が発生したときには、会社の上層部(部長、本部長、役員等)が出席したプロジェクト全体での進捗会が開催され、遅れのリカバリー策について議論されたりします。

そんな際に、当時の私の上司(課長/係長)が優秀な方だったことから、会社の上層部の ”鶴の一声” で、私の上司に対し、

「遅れている部分への応援命令」

が降ることがしばしばありました。

 

私の上司にしてみると名誉なことかもしれませんが、そうなると、応援を命令された人の部下(つまり私たち)が、応援として投入されることになります。

ただ、応援として投入される私たちに、何もメリットはありません。

元々担当していた開発作業についても、

「大変だろうから免除してあげる」…

なんてことはもちろんなく、やるべきことが増えるだけ。

 

それに加えて、実は応援として投入された人(私たち)に ”できること(の種類)” は、あまり多くないのが実態でした。

というのも、応援に行く人たちは、応援を受ける側のシステムの設計、あるいはプログラムの設計/作成を行っていない(その部分の設計詳細を知っている訳ではない)ので、開発作業そのものを応援することはできないんですね。

 

 

→実は会社の上層部は、”重厚長大” な分野を切り開いてきた親会社の天下り。

なので、実際のソフトウエア/システム開発現場のことを知らない人がほとんど。

「応援さえ投入すれば、遅れはなんとかなるだろう」

そんな考えだったんでしょうね。

 

 

ソフトウエアは設計内容そのものがキモ。

なので、応援として投入される人が担当できるのは、開発作業ではなく、設計を知らなくてもできること、たとえば

・大量に残っているテスト項目の消化
・放置されている膨大な資料/データの整理
・未作成の報告書等ドキュメント作成/整理…

など、裏方として行う”人海戦術” に限られるんですね。

 

また、元々担当していた自分の開発部分についても、残してきたチームに、やるべき作業を指示し進捗のチェックもしなければなりません。

そんなことから、応援を受ける側よりも、応援として投入された人たちの方が、残業時間等が多くなったり、精神的に疲弊してしまうこともしばしば。

 

「理不尽なりー!」

そう叫びたくなる気持ちもありましたが、無事にプロジェクトが完了し、応援先の方々から感謝されたりすると、

「まあ、上手く行ったから良しとするか」

と思ってしまうんですよね…

 

 

右膝を庇ったことで、痛めてしまった左膝。

痛みが引くのを待ち、ちょっと様子を見るしかないか…

そう思った今朝の私でした。

 

 

追伸

私たちが応援として投入された先の設計/プログラムの完成度が低すぎて、テストしてもテストしても不具合が消えず、ゼロから設計/プログラム作成をやり直す…

そんな判断をされたことが、長い経験の中で一回だけありました。

そのときは、大規模開発プロジェクトの期限が1年延期されました。

顧客にも相当怒られただろうし、プロジェクト全体での収支の赤字額も大きかったハズだ…

そう思います。

 

そして、プロジェクトが完了した後のこと。

遅れを招いた部署の課長さんはシステム開発部門から外れ、マニュアル作成部署に異動となりました。

プロジェクトが1年伸びたことも含め、私の中では、なかなか衝撃的な経験でした。

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