今日は、7月28日(月)。
この日も、朝から強い日差しが照りつける晴天で始まりました。
ちょっと遡ってみると…
金沢で雨が降ったのは、どうやら7月17日の未明にパラパラ降っただけ(「田舎が良い?…」)。
それより以前は、8日の夜に ”お湿り” 程度に降ったのみ。
この1ヶ月間、ほとんど雨らしい雨は降っていないのかもしれません。
こうなると、
「金沢市の水瓶である犀川ダム、内川ダム、手取川ダムに水はあるのか?」…
と、少々心配になってきます。
今のところ、金沢市からの節水要請等はされていません。
しかし、8月もこのまま、雨が降らず暑い日が続くようであれば、いずれダムの貯水量が不足することは間違いありません。
川の氾濫や土砂崩れなど、災害が発生するほどの大雨は困りますが、
「適度な雨は降ってほしい」…
そう思います。
この夏は、日本だけではなくヨーロッパでも猛暑を迎えているようで、7月の初旬には、スペイン、ポルトガル、フランスで最高気温が40℃を超える日が続いたとのこと。
しかし、”各地が猛暑/小雨の一辺倒” かといえばそうではなく、東南アジアの各国では、豪雨による洪水の被害も発生しています。
小学校/中学校で学んだ社会科の内容を思い出すと…
東南アジアの国々は、”熱帯モンスーン気候”のところが多いです。
熱帯XXX気候…には、もうひとつ ”熱帯雨林気候” という気候があります。
熱帯雨林気候は、一年を通して高温多湿であり、雨季と乾季の区別がありません。
このため、熱帯のジャングルに覆われている…そんなイメージです。
対して、熱帯モンスーン気候には、”モンスーン” つまり季節風の影響による雨季と乾季があり、植物もジャングルではなく落葉広葉樹林が広がっています。
熱帯モンスーン気候では、夏の雨季には雨が降り、冬の乾季にはあまり雨は降りません。
雨季に降る雨も、”一日中雨が降る” というのではなく、いわゆる ”スコール”=短時間に激しく降る雨です。
この、本来 ”スコール” で済むはずの雨が、異常なほどに長い時間、かつ大量の雨を降らせる…
そんな状況なんでしょうか。
近年よく言われていることですが、季節のバランスが崩れ、日本らしい四季=春夏秋冬を感じることができなくなってきました。
極端に暑い夏が来たと思ったら、想定できないほどの大雨が降る。
何十年に一度の大雪の冬が終わったらと思ったら、春からの晴天が続き梅雨の時期になっても雨が降らない…
温室ガス効果による地球温暖化。
そんなことをニュースで見たり聞いたりします。
しかし私は、ちょっと違うことが原因だと思っています。
世界中のほとんどの大都市、そして先進国のほとんどの都市は、地面/道路がコンクリートやアスファルトに覆われており、日本も同じです。
かつて豊かな森林・田園が広がっていたところも開拓され、平地には、延々とつづく住宅街、ビル群、工業団地が誕生し、その敷地/道路は、すべてコンクリート、アスファルトで覆われてしまいました。
対して、周辺の海/山などの地理的関係はそのままなので、これまで通りその辺りには、ほど良い雨が降ります。
しかし、コンクリート/アスファルトに覆われた都市部には降った雨を蓄えておく能力はなく、すべて排水路を通して海へ流すしかありません。
つまり、開拓された住宅街、ビル群、工業団地等は、実はほとんど砂漠と同じ。
雨が降っても、地面にそれを蓄えることはできず、逆に日中照りつけた太陽の熱はコンクリート/アスファルトに蓄えられてしまう。
日が落ちてからも、コンクリート/アスファルトに蓄えられた熱が放出され、そう簡単に気温は下がらない。
昭和の時代に、”東京砂漠” という歌がありました。
これは人の心を歌ったものでしたが、今の日本のほとんどの都市部は文字通り、町全体が ”砂漠化”している…
そう感じます。
私たち日本人が住んでいるところは、実はほとんどが砂漠…と同じような環境。
都市というものは、一見、住むには便利で都合が良いように思えます。
しかし、そこは実は ”砂漠”。
延々と広がる ”砂漠”に、高いコストを払うことで、道路、上下水道、電気等の社会インフラを整え、無理をしてようやくそこに住んでいる。
それが実態なのかも。
昭和の高度経済成長以降、本来人間が住みやすい日本の平野部に出現した ”都会” という砂漠。
しかもこれが、ただでさえ狭い日本の平野部をどんどん侵食し、平野部のほとんどが ”砂漠” 化してしまった。
「これこそが、気候のバランスを崩している要因だ」…
私はそう思っています。
とはいえ、都市を壊して田畑/里山に戻すことはできません。
また生活の快適さ/レベルも、いまさら落とすことはできないでしょう。
うーん、ではどうするか…
砂漠に住む人々の知恵を参考に、暑さ/寒さが両極端で ”砂漠” 化した日本に住み続ける。
それを覚悟するしかない…
そう思った、今朝の私でした。