それぞれの持ち味…

今日は、6月20日(金)。

昨日 19日(木)は、先日亡くなった叔母さん(「覚悟はしていたものの…」)のお通夜が営まれ、家族全員で参列をしてきました。

 

さて、私が子どもの頃のこと。

親戚で不幸があると、父や母に連れられて、姉と私も一緒にお参りに行くことがありました。

そんなとき、父は、親戚/一族郎党の中で頼りにされている存在だったらしく、

・お通夜/葬儀全体の段取り
・食事の内容
・お坊さんに渡すお布施の額…

.などなど、細かい点に至るまで、色々と相談を受けていたような記憶があります。

 

父が小学校に入る前。

父の父(私にとっては祖父)は、日中戦争、そして第二次世界大戦に出兵しています。

なので父は、自分の父親についての記憶はほとんど無かったそうです。

 

そんな、第二次世界大戦の末期。

父が小学校低学年だったころに、戦地で病気になった自身の父親が帰ってきました。

しかし治療の甲斐なく、現在の金沢大学附属病院でそのまま亡くなりました。

 

その後迎える日本の敗戦。

そして、それに続いていく戦後の混乱…からの復興。

そんな時代を、父は、小学生/中学生/高校生として過ごしています。

父としては、おそらく自分の友人たちと同じように、若者らしく戦後の自由を謳歌し、自分自身のやりたいことを追求したかっただろう…

そう思います。

しかし父は、自分の父親が亡くなったことにより、残された母(私の祖母)、妹(私の叔母)、そして祖父(私の曽祖父)が暮らしていく ”家” を支える必要がありました。

経済的に頼れる親戚/人がいない状況で、父は、高校生のころはアルバイトで家計を助け、社会に出てからもダブルワーク/トリプルワークをこなし、現金収入が乏しい家計を支えてきました。

周囲からは寡黙な人との印象を持たれており、積極的に何か言うタイプではない父でしたが、家を支えることで苦労を重ねたことから、親戚/一族郎党からは ”頼りになる大黒柱” として認識されていったのだと思います。

 

 

そんな父が亡くなり、そして母も亡くなった現在。

親戚/一族郎党が集まってみると、年齢だけを見れば、私たちの年代が年長者になりつつあります。

しかし、父の息子ではありますが、私自身は、親戚/一族郎党の中で、父ほど頼りにされている存在ではありません。

 

父が亡くなったときに初めて、私は ”喪主” というものを経験しました。

当時、一族郎党のいわゆる ”重鎮” として、私の母方の叔父さんがいました。

私が初めて喪主を務めることに際し、その方から通夜/葬儀全般についてサポートを受けることになりました。

だたその方は、(失礼な言い方になるかもしれませんが)サポートというよりも、何かにつけご自身の考えを押し付けてくる…

そんな印象を私は受けました。

ちょっと申し訳なかったのですが、このときの私は、それを受け止めることができませんでした。

 

細かいことですが、具体的にいうと…

花輪を飾る順番、焼香の順番、弔電を披露する順番などなどなど。

それらの細かい点も含めて話し合いをしましたが、結局、平行線だったように記憶しています。

 

結果としては、すべて私が考えた通りの内容で執り行いました。

この際、私はその方から、”こいつは父親と違い頑固だな”…との印象を持たれたと思います。

 

その後母が亡くなり、父のときと同様、私が喪主として通夜/葬儀を務めました。

その際にも、やはりその方にサポートをお願いしました。

しかし父のときとは違い、母のときは ”お前のやりたいようにやればいい” というだけで、いっさいの意見/指示はありませんでした。

 

そして、さらにその後。

父が建てた家を壊して引っ越すなど、私の生活環境には色々な変化がありました。

私が、それらの変化を実施しようとする都度、その方から叱咤激励を受けることがありました。

しかしそのときも、私は、自分自身の考えを通していきました。

そして、引っ越して以降は、その方からの叱咤激励もなくなってしまいました。

 

 

たとえ親戚/一族郎党の重鎮の方からであったとしても、自身が納得できないこと/考え方が異なることを色々と指図されるのはイヤなものです。

まあ、私は ”とくに” そうなのかもしれませんが…

 

また、親戚/一族郎党の方々からみると、私の発言や行動は、寡黙で真面目/謙虚だった父のそれと違って、

「頑固で、しかも浅はか(内容が軽い)」…

と受け止められているような気もします。

ちょっと悔しい気持ちはありますが、まあその通りなので、反論のしようがありません。

 

 

だからどうということはありませんが、まあ、それも

「それぞれのキャラクター/持ち味」…

ということなんでしょうか。

 

 

そんな中でも、亡くなった叔母さん(そして、すでに亡くなっている叔父さんも…)は、私が ”自分の兄の息子” ということもあってか、何かと私、そして私の家族に気を配ってくれました。

また、自身の子供たちが独立して家を離れてからは、私に相談をしてれることも増えたように思います。

 

その叔母さんのお通夜は、昨日の夜に滞りなく営まれ、今日は葬儀。

今日の葬儀も、家族全員で参列の予定。

 

朗らかだった叔母さんとの会話を思い出しながら、父と私のキャラクター/持ち味の違いについて考えてみる…

そんなことも行いつつ、お世話になった叔母さんのお見送りをしたいと思います。

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