懐かしい味…

今日は、4月23日(水)。

昨日 22日(火)の夜、軽井沢に2泊3日の旅行に行っていた妻が帰ってきました。

 

金沢駅18:20着の新幹線で帰ってくる妻。

「ちょうど退勤で渋滞する時間だよね」…

私は、車で妻を迎えに金沢駅へ行くことにしていたのですが、その時間、道路が渋滞することは確実。

なので、それを見越して少し早めの17:40に自宅を出発。

 

渋滞することからは逃れられませんが、できるだけ混雑しそうな道を避けて金沢駅へ向かうことにします。

自宅を出て、まずは犀川にかかる若宮大橋まで進すみ、そこで右折。

つぎはそのま犀川べりを進み、大豆田大橋で来たらそこで左折。

このルートであれば、ある程度渋滞を避けながら、金沢駅の西口(妻を迎えに行く ”東口” の反対側)方面に向かうことができます。

このあたりまでは快調そのもので、そこから先は、駅の脇道まで直進したら右折して、ホテル日航金沢が見える東口直前の道路に出るだけ。

「この調子なら、18:00になる前に金沢駅に着いてしまうんじゃないか」…

と思うほど。

ところが、そこから金沢駅に近づくにつれ道路の渋滞が本格化。

結局、金沢駅東口の一般車降車場に着いたのは18:10過ぎ。

「ギリギリだったねー」…

 

新幹線が到着する時間帯は、東口の降車場は迎えの車で満杯になっていることが多いのですが、この日は都合よく1区画が空いていました。

すぐにそこに車を入れて、妻を待つことしばし。

お土産等をたくさん抱えた妻が帰ってきました。

 

妻が車に乗り込んで、金沢駅を出発。

旅行でのハプニング話などをして楽しく車を進めてはいたものの、18:20を過ぎたこの時間になると、すでに金沢市内の道はどこも退勤渋滞の真っ只中。

その渋滞の中をトロトロ進み、自宅に着いたのは19:15を過ぎていました。

あー、やれやれ…

 

妻が帰ってくるこの日の夕飯。

実は妻も一緒に自宅で食べる予定でした。

このため、妻を迎えに出発する前に、朝炊いたご飯の余りに冷凍のご飯を加えて、すでに4人分(次女、長男、妻、私の分)の炒飯を作っておきました。

出来上がった炒飯の上に、冷凍の魚のフライ&竜田揚げをチンして乗せれば、金沢名物 ”ハントンライス” 風ディナーの出来上がり…

 

「よし、これでオーケー」

と思っていたら、まだ移動中の妻から

「お弁当を買った」

とのLINE。

「あーっ、そう」…

 

ただし、この日の夜、仕事の後に出かける予定があった次女は、炒飯と魚のフライ&竜田揚げのハントンライス風を食べて出かけた由。

とりあえず、作った炒飯は役にたったようで、これはこれでよかったかな。

それと、妻は次女とは別途LINEで連絡を取っていたようで、次女にはお弁当が不要であることを知っていました。

 

家についた妻と私は、留守番をしていた長男と共に、すぐに3人での夕ご飯を頂くことにしました。

その際、お土産物の大きな荷物の中から、妻が取り出したのは…

「横川駅名物 おぎのやの釜飯」

 

長女が一人暮らしをしている群馬県に行くときは、北陸道→上信越道を車で走っていきます。

その際、よく休憩で利用する横川サービスエリア。

そのサービスエリアの売店でも、この ”おぎのやの釜飯” を販売してるのを見かけます。

その際に、私は妻にこんな話をしたことがあります。

 

子供のころ、私の家には ”おぎのやの釜飯” の瀬戸ものの空の入れ物が10個以上あった。

それを、灰皿や植木鉢の代わりにして使っていたことを覚えている。

それらの釜飯の瀬戸ものは、祖母が旅行の際に食べた釜飯のもの。

お土産として、釜飯を買ってきてくれたこともある。

懐かしいなぁ…

 

その話を覚えていた妻は、その釜飯を晩ご飯に買ってきてくれたようです。

 

私が保育園〜小学生のころのこと。

私の祖母は、夫(私の祖父)が戦病死したこともあって、遺族会主催の催し物がある都度、金沢の護国神社に参拝に出かけていました。

その一環だと思いますが、遺族会の方々と連れ立って、東京の靖国神社/皇居への旅行にもよく出かけていました。

 

そのころは、まだ高速道路はそれほど発達していなかったため、祖母が金沢から東京(上野)までの交通機関として利用したのは国鉄(現在のJR)の電車でした。

その当時、金沢と上野を結ぶ電車と言えば、夜行の急行、あるいは寝台特急があったはず。

これらの急行/寝台特急は、北陸線から信越線を経て、乗り換え無しで上野まで向かうことができました。

おそらく旅行の帰り、上野から金沢へ帰ってくる電車に乗っている際に、信越線の横川駅で名物の釜飯を買うことが、祖母を含め、一緒に旅行をしている人たちの恒例となっていたのでしょう。

 

おぎのやの釜飯。

食べ終わった空の瀬戸ものも含め、懐かしい思い出です。

 

最後にこの ”釜飯”を食べたのは、2019年のハルヒルに参加したとき。

 

このときは、前日の早めの夕食で、この ”釜飯” を頂きました。

 

ハルヒルは5月なので、今からちょうど6年前になりますかね…

 

 

主夫生活が終わった日の晩ご飯は、妻のお土産の釜飯。

6年ぶりにその味を味わいながら、子供のころのことも懐かしく思い出した時間となりました。

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