今日は、3月17日(月)。
今年 2025年は、今週の木曜日3月20日が春分の日。
この前後3日間を含めた7日は、いわゆる”お彼岸” です。
私が子供のころは、彼岸の中日(つまり春分の日/秋分の日)になると、母がぼた餅/おはぎを作ってくれました。
小学校低学年までの私は、どちらも ”おはぎ” と呼んでいました。
しかし、ある年の春分の日。
私が餅搗きを手伝っていると、母が、”ぼた餅/おはぎは、同じものだけど、牡丹(ぼたん)と萩(はぎ)の花の名前から、春と秋で呼ばれる名前が違う” ということを教えてくれました。
「へー」
我が家には花札があって、それでよく遊んでいたので、私も牡丹と萩は知っていました。
ただ花札だと、牡丹は6月、萩は7月で、ちょっと季節がずれている。
今のカレンダーは、昔の暦から今から2ヶ月ほどズレている…って聞いたから、そんなもんか?
そんなことを思ったことも思い出します。
母がぼた餅/おはぎを作ってくれた最初の記憶は、60年ほど前のこと。
もちろん当時は、すべて手作り。
小豆を炊いて、前日に粒あんのあんこを作っておきます。
そしてうるち米/もち米を混ぜて炊き、それを ”すりこぎ” で搗(つ)いてお餅にします。
ただし、このとき餅を搗くのは5分〜6分ほどでとどめておくのが我が家の流儀。
”米の粒がまだ残ったままの方が美味しい”…というのが母のポリシーでした。
餅が搗き上がったらそれを適度な大きさにちぎります。
その餅に、作った粒あんを周りにまぶして形を整えれば、ぼた餅/おはぎの完成です。
そんな普通のぼた餅/おはぎの他にも、母は粒あんの団子を餅で包み、それにきな粉や黒ゴマをまぶしたものも作ってくれました。
母が作ってくれた、ぼた餅/おはぎ、きな粉、黒ゴマの3種類のお餅。
春分の日/秋分の日のお昼には、それを食べるのが楽しみだった…
そんなことを思い出します。
便利な物はほとんどなく、手抜きができずなんでも手作りしていた時代。
その素朴な手作りのぼた餅/おはぎがとても美味しく、お昼にそれを食べることが楽しみだった。
そんなお彼岸のひとコマを思い出した、今日の朝でした。