日本の心…

今日は、12月14日(土)。

昨日 13日(金)は、前日に引き続き色々あってトレーニングはお休みしました。

 

というか…

トレーニングを休んだときは毎度毎度、

「〜のため、トレーニングはお休みしました…」

と書くのも、なんだか言い訳をしている気分がします。

自分としても、ちょっと嫌な感じです。

なので、これは今日で終わり。

今後は、トレーニングを行ったときはそれを記載し、しなかったときはとくに触れないことにします。

 

  

さて、今日の日付 12月14日と言えば、世間一般では

「赤穂浪士が、吉良上野介の屋敷に討ち入った日を連想する」…

そう思っていました。

 

しかし、次女や長男に、

「今日は何の日?」

と聞いてみると、返ってくる答えは…

 

「○○(長女の名前)の誕生日」

そう、12月14日は長女の誕生日でした。

 

長女が社会人になって一人暮らしを始め、そして初めて迎える誕生日。

長女にとってみると今年は、住んでいる場所だけではなく、あらゆる環境が大きく変わった年だったと思います。

群馬県で社会人として送っている日々は、決して楽しいだけではなかったでしょう。

寂しかったり、張り詰めることもあったかもしれません。

それでも、父親の目から見ている限り、彼女なりに頑張っていると思います。

もうすぐ年末年始の休暇になりますが、金沢に帰省したらそれらのことは少しの間忘れてゆっくりできればいいな…

そう思っています。

  

 

「あー、そうだよね。でも、そうじゃなくて…歴史上の出来事とかで、何か思い浮かぶことはない?」

「えー、分からない」

 

そうなんです。

最近の若い人たちは、”忠臣蔵” という物語/ストーリーを知らないようです。

「あれー、おかしいなぁ。忠臣蔵には、日本人が好みそうな色々なエピソードがあるじゃない」…

しかし、そんなイメージを持っているのは私だけ。

 

妻は、まあ当然ですけど、忠臣蔵のことは知っています。

しかし彼女は時代劇が好きではなく、子供のころからその手のドラマは見なかった…とのこと。

 

考えてみると、最近のTVドラマには、時代劇というジャンルがまったくなくなってしまったような印象です。

あったとしても、せいぜいが大河ドラマが、鎌倉時代〜江戸時代等の時期を題材に、有力な武士/大名の活躍を扱う程度。

しかも、その辺りに興味があるのは、我が家族では私だけ。

なので、”録画したものを一人で観る”…という非常に寂しい状況です。

 

振り返ってみると、私が子供のころは、年末になるとどのテレビ局でも、”忠臣蔵” を扱った番組を放送していました。

加えて、昭和/平成の最初の頃までは、お正月には有名どころの俳優がずらりと出演する大型時代劇が企画されていました。

しかもそれを、前編/後編に分けて二晩連続で放送する…なんてことも恒例だったような気がします。

 

ところが平成の終わり頃、あるいは令和になってからは、そのような時代劇/ドラマは一切無くなりました。

テレビ番組から時代劇が消えると共に、忠臣蔵の物語/ストーリーも日本人の中から消えていく。

そして、忠臣蔵が消える/忘れられることに伴って、

・散りゆく桜の花びら=散っていく人の美学
・目的達成のための自己犠牲/献身の美徳
・信義/名誉を守り、恥/卑怯なことを嫌う(武士道?)

といった概念、言わば ”日本の心” も消えていく…

そんな気までしてきます。

 

上記のような概念が、”いつでも正しい/正義である” とは、私も思いません。

ただ、そうであったとしても、私の中には、そんな気持ちが確かに ”ある”…

そう感じています。

 

 

時代劇と共に、我が家の子供たちから消えていく ”日本の心”…

そんな風に、ちょっと悲観的になってしまいました。

 

悲しい気分になってしまったのですが、海外からみた日本の評判をネット等でちょっと見てみると…

・日本の街はとても綺麗
・財布や携帯の忘れ物がちゃんと届けられる
・どのお店も ”おもてなしの心” に溢れている
・試合後にサポーターがスタンドを掃除している

…等々、日本に好意的な記述/事例が色々出てきます。

そう思って考えてみると、それらはすべて、先に書いた ”日本の心” から出ているような気もします。

 

時代劇は無くなりましたが、”日本の心” は残っている。

「日本もまだまだ捨てたもんじゃない」…

そう思い直した12月14日でした。

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