京都との距離…

今日は、11月8日(金)。

昨日 7日(木)は、妻の母(私のお義母さん)方の親戚で不幸があり、京都まで行ってきました。

 

お義母さんは4人の兄弟/姉妹でした。

その4人兄弟/姉妹は ”1:長男、2:長女、3:次男、4:次女” の構成。

お義母さんは、その中の末っ子となる ”4:次女”。

他の兄弟/姉妹はすでに亡くなられており、健在なのはお義母さんだけです。

 

4人兄弟/姉妹の中で、”1:長男” と ”2:長女” の二人は、若い段階で実家の金沢を離れて京都へ行っています。

京都に行った ”1:長男” は丁稚奉公としてお店で働き、さらに独立して自分の商店を立ち上げて財産を築いた…という立身出世の人。

その商店は、現在でも ”1:長男” & ”2:長女” の一族が経営されているとのこと。

金沢に残った ”3:次男” と ”4:次女” ですが、”3:次男”が実家の後継ぎとなり、”4:次女” のお義母さんがお義父さんに嫁いで妻が生まれた…

そんなファミリーヒストリーがあったそうです。

 

亡くなられたのは、”1:長男” の長男の方。

妻が小学生のころは、夏休みになるとそのお宅に行って、お義母さんも一緒に何泊か泊まってくることが恒例だったそうです。

京都には、”2:長女” の家系の方々も住んでおられるので、かつて妻が京都に遊びに行った際には、”1:長男” と ”2:長女” 家族の子供たちと一緒に遊ぶことが、とても楽しみだったそうです。

 

 

お悔やみの連絡は6日(水)の夜にあったのですが、その日のお昼には、すでに家族葬として葬儀は終えたとのこと。

しかし妻としては、

「とてもお世話になった方。とりあえずその方のお宅に行き、お参りをしたい。それに親戚の方々にも会いたい」…

ということで、急遽、京都のお宅に行くことになりました。

 

親戚のお宅があるのは、京都府宇治市大久保町。

金沢市の自宅からは、往復で520km以上になりそう…

ということで、朝7時、ガソリンスタンドが開くと同時に燃料を満タンに。

それから朝食を食べ、掃除/洗濯等を片付けた朝9時、妻と一緒に自宅を出発。

お店が開くと同時に仏事用の和菓子を購入し、そのまま金沢西インターから北陸道→名神→京滋バイパスへと進み、親戚のお宅に向かいました。

 

途中、北陸道の工事による車線規制/渋滞、そしてS.A.での休憩&昼食等も入れながら、13時半過ぎには親戚宅周辺に到着。

ところが、その辺りの道路、街並み/景色は、妻が子供のころに見たものとは随分変わっている様子。

それに戸惑いながらも、なんとか目的の親戚宅を特定。

そして14時少し前、ようやく ”ピンポン” を押しました。

お宅に上がりお参りをさせていただいていると、”2:長女”の家系の方もいらっしゃって、一緒に遊んだ ”かつての子供たち” が再会。

しばし歓談が続きました。

 

その話の中で出たことなのですが…

”1:長男” の方は商売に成功して財産を成したことから、石川県志賀町に別荘を購入していたそうで、その家系の方々は時々別荘へ泊まりに来ていたそうです。

 

そんな今年の1月1日。

志賀町の別荘でお正月をお祝いするために、”1:長男”の家系の方々は京都から別荘に来ていたそうです。

そこに発生した能登半島地震。

その際の志賀町の震度は、なんと震度7。

「今まで経験したことのない揺れで、この世の終わりだと思った」

とのこと。

 

別荘はなんとか倒壊しなかったそうですが、家の中は食器棚やタンス等がすべて倒壊して足の踏み場がなく、

「そこで一晩を過ごすことは、とてもじゃないけどできない」…

そんな状況だったそうです。

 

とりあえず金沢方面に避難するため、すぐに車で移動しようしたそうですが、みなさんご存知の通り、このときは、そこかしこで地割れ、崖崩れ/土砂崩れが発生。

また車が通れるとしても、至る所で大小の段差が発生しており、路面をよく確認しないと、そもそも安全に走ることができない状態だったそうです。

これらのため、

「知っている道を走って行って、地割れ、崖崩れ/土砂崩れの箇所で引き返す」

ということを繰り返すことに…

しかし結局は、国道や幅員が広い(広かった…)メインルートには、安全に金沢方面に戻れる道路は無かったそうです。

 

そうこうしているうちにあたりが暗くなってしまい、

「ただでさえ道路状況が良くない中を、前がよく見えないまま走るリスクを犯すことはできない」

と考え直し、比較的別荘から近かった能登ロイヤルホテルに避難することを決断。

能登ロイヤルホテルに行くと、すでにロビーは避難者の方で溢れている状態。

ホテルもおそらく大変な状況だったのでしょうが、避難してきた人々には、食事と1グループごとに布団を1つを提供してくれたそうです。

親戚の方々も食事を頂くことができ、その日は全員が1つの布団にくるまってロビーで寝たそうです。

 

いやー。

実際に体験した方の話を聞くと、能登半島地震の怖さがあらためて分かります…

 

 

お参りと、しばしの歓談を終えて、そのお宅を出たのが15時。

すぐに自宅に向かって来た道を帰り、自宅に帰って来たのが19時半。

この日の走行距離は、531kmでした。

 

家に帰ってから夕食を食べ、お風呂に入り、布団に入ったのは21時半。

この日はあっという間に眠りに落ちました…

 

長女が住んでいる群馬のアパートに行くより、距離的には100km以上近い京都の親戚宅。

往復するとなると、200km以上の差があります。

しかし、走っている道路の渋滞や交通量の多さが理由なのか、近いはずの京都往復でも、疲れ方は群馬往復とそれほど変わらない印象。

近いようでやっぱり遠い、”京都との距離” を感じた1日でした。

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