ハルヒル エントリー完了!

今日は、1月19日(金)。

このところ、ずっとトレーニングはお休みしています。

 

「あー、俺ってダメだよね」…

そんなときに届いた、一通の手紙。

 

届いたのは1週間ほど前だったようですが、妻が自分宛に届いたDM等と一緒に持っていたようで、私の手元には渡ってきていませんでした。

 

昨日の夕方になって、妻から

「あっ、そういえば、こんなものが届いていたわよ」

とのお言葉。

 

「おー、ハルヒル!」

 

ということで、今朝の9時30分過ぎ。

さっそく「RUNNNET」からエントリーを行いました。

 

昨年の若狭路レインボーヒルクライムには妻が同行し応援してくれました(「「虹」本番を完走」)。

ただ、群馬県の高崎はちょっと遠いうえに、榛名湖付近には「綺麗なトイレのある車中泊スポット/道の駅がない」…ということで、今回、妻は「遠慮しておきます」とのこと。

 

チーム名には「チームじゅげむ」と記載しましたが、おそらく私以外のチームメンバーはエントリーしないでしょうね。

誰か、エントリーしませんか?!

  

 

1時間以内にゴールすることが目標なのですが、申告タイムは「58分」としました。

このタイムを切ることができるように、トレーニンにも頑張りたい…そう思います。

 

ちょっとタルんでいた気持ちが、ハルヒルのエントリーで引き締まりました。

さあ、もう一度頑張って行きますか!

地域のつながり

今日は、1月17日(水)。

29年前の1995年1月17日の5:46頃、兵庫県の淡路島北部沖を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の「阪神・淡路大震災」が発生しました。

 

そのとき、私は32歳。

関東に本社のある企業で私は働いていましたが、当時は金沢にあった支社に配置転換となっており、金沢の実家に戻っていました。

そのため、この地震は金沢で経験しました。

 

その時点で住んでいたのは、父が建てた実家。

実家は、旧来の日本家屋そのままの造りで広い座敷や仏間があり、とても「地震に強い」とは思えないものです。

 

その日の地震で記録された震度は、金沢周辺では「震度3」でした。

当日の朝、私は実家の2階で寝ていましたが、今から思い返すと、震度3とは思えないほど大きな揺れだったように思います。

地震がおさまってから、すぐに1階の茶の間に行きテレビをつけましたが、まだニュース等でも詳細な被害が報道されず、当初は被害の程度が分かりませんでした。

 

 

地震が発生した直後のニュースでは地震の被害報道が無かったことから、

「被害はそれほど大きくなかったのか?」

…と、私は軽く考えていました。

 

しかし、朝8時ごろになってからだったでしょうか。

ニュースで神戸市街を上空から映した映像が流れ始めましたが、そのニュース映像を見て、私はショックを受けました。

・高速道路が横倒しになっている
・鉄道の線路が曲がり駅が壊れている
・多くの家が潰れビルが倒壊しあちこちで火災が発生している

まるで映画のワンシーンを見ているような映像が、今、現実に起きている。

そのことに衝撃を受け、一緒に茶の間にいた父や母とともに、何を話していいか分からないまま、

「えー」

「信じられない」…

と呟きながらニュースを見ていたことを覚えています。

 

その日も会社に向かい仕事をしていましたが、同じ職場の人たちと、発生した地震や被害の状況ついて話しているばかりで、何も手につかなかったように思います。

この「阪神・淡路大震災」を目の当たりにして、私自身の「災害」に対する心構えが、「何が起こるか分からない、想定外などということはない」という風に変わったと思います。

 

あー、ちょっと違っていました。

まだもうちょっと、「想定外」に思っていたことがありました。

まずは、2011年の東日本大震災。

このときは、それまである程度信じていた「日本の原子力技術は高い/深刻な事故は発生しない」…ということが神話だったことを思い知らされ、福島原子力発電所の「全電源喪失/水素爆発事故」という事態が発生したことから「原子力は未完成な技術である」ことを認識しました。

そして、2022年のロシア・ウクライナ侵攻。

このときは、この21世紀において「大国の指導者が戦争を起こすことはない」…ということが私の思い込みだったことに驚き、「この世界は、領土的野心から戦争が起きるときがあり、一旦戦争になればルールなどは無く、何でもありだ」ということを理解しました。

 

  

阪神・淡路大震災の後にも、日本では東日本大震災があり、今回の能登半島地震がありました。

今回の「能登半島地震」は、マグニチュード7.6、最大震度7。

地震の規模や震度で比べると「阪神・淡路大震災」と同程度か、それ以上です。

 

震源が大都会の近くだった「阪神・淡路大震災」と異なり、「能登半島地震」は過疎化が進んでいた能登半島沖が震源でした。

そのため地震/津波による被害の規模は、「阪神・淡路大震災」に比べると少なかったように思います。

ただ、もし今回の地震が能登半島沖の断層だけではなく、金沢近郊を走っている「森本-冨樫断層帯」にまで影響が及んでいたとすると…

そのときは、想像するのが怖くなるほどの被害が発生していたのではないかと思われます。

 

「森本-冨樫断層帯」は、かほく市の津幡町から金沢市の野町を通って白山市の鶴来町に至る、長さ26kmに及ぶ断層です。

この断層帯が一気に破壊するとマグニチュード7.2の地震が発生する可能性があり、その際の金沢中心街の最大震度は「6強」と予想されています。

学術調査の結果、2,000年前以降あるいは4,000年前以前に、この断層の破壊による大きな地震が発生したことが判明しています。

発生する地震によるずれの可能性は、断層近くの地表では3m、高低差では2m。

また調査結果から、この断層の活動間隔は、1,700年〜2,200年と推定されています。

 

 

今回の「能登半島地震」、あるいは「森本-冨樫断層帯」を知った今となってみると、石川県や金沢市が作成したハザードマップ/防災計画書などが、「断層破壊による地震/津波、またそれらによる深刻な被害」を想定していたとは、とても思えません。

そんな中で「能登半島地震」が発生してしまいました。

 

石川県や市町村などの各自治体としては、「想定外だった」…と言うかもしれません。

ただ「想定外」の災害が発生した被災地では、

・備品の数が足りず(そもそも備蓄品がなく…)避難所として機能しない
・被災者の数が多く指定避難所に入りきれない
・電気等のインフラ寸断時の代替手段が準備されていない
・通信手段がなく重要拠点に連絡が取れない

という状況が発生しています。

 

「想定外」だった災害により、引き続いて発生した状況まで「想定外」になってしまう…

とは言え、実際に被災された方々は、それが「想定外」だったかどうかに関わらず、現実問題として、そこで生きていかなければなりません。

 

「想定外」という言葉は、災害が発生した際によく耳にします。

とりわけ、各種の団体/企業を指導・監督する立場の方々が、「免罪符」のように使っている印象です。

(そもそも「想定外」だったことが間違っていた…と、誰もツッコミを入れないんですかね?)

ただ、発生してしまった「想定外」の災害/`状況そのものは、それが発生してしまった後となってしまうと、もう変えることはできません。

ただし、復旧/復興がスムーズに進むように、その後の対応を変えることはできます。

石川県や各自治体としては、「想定外」だったことが間違いであることを認め、また今回の経験を謙虚に受け止めた上で、

・まず、学術調査等の科学的な調査を根拠にした合理的な災害の規模/被害等を想定し
・その上で、それに基づいたハザードマップ/防災マニュアルの作成や見直しを進める

等を行って、実際に災害が発生した事態に対応でき、現実に役に立つ体制を構築してほしいと思います。

 

 

ニュースでは、避難所に入れない/入らない方々、あるいは道路が寸断されて孤立している集落に関する内容が、よく報道されます。

そんな中で、とある方々の様子がニュースで流れました。

この方々は、ご近所の10軒程度が寄り添って、ビニールハウスやテント等で避難生活を送っておられるとのこと。

また、倒壊したそれぞれの自宅から道具や食料を持ち寄り、助け合って毎日を凌いでおられるそうです。

 

ビニールハウスの中で久々に暖かい味噌汁を食べておられた方は、

「ご近所の方に感謝するしかない」

と、涙を流していました。

そのニュースを見ていた私は、もう、

「頑張ってください」…

と祈るのみでした。

 

 

翻って、私が住んでいる町内会において大災害が発生し、自分の家族も含めた地域全体が被災したとしましょう。

そのとき、私の住んでいる地域でもニュースで見たケースと同じように、苦しいことや我慢することの多い避難生活、または次々と発生するトラブルや困りごとを、町内会あるいはご近所の方々が寄り添い助け合いながら、それらを切り抜けて生きていくことが果たしてできるだろうか…

うーん、ちょっと心配です。

 

 

理想を言えば…

まずは、石川県や金沢市など各自治体が、「想定外」といったような ”言い訳” を言わないこと。

そして、甘い想定ではなく、科学的/合理的な想定に基づいたハザードマップ/防災マニュアルを作成すること。

その上で、町内会の方々とのつながりを築いて、それらの関係/輪が町内会を超えて地域全体に広まり、もっと地域のつながりが強くなってほしい…

そう思います。

 

 

 

でも、やっぱりそれは、

「絵に描いた餅」。

現実に実現するのは難しい…

ですかね。

 

 

追伸

少なくとも私には、

・チームじゅげむ
・サツマイモ有志の会

のメンバーがいます。

これらの方々とは、普段からお互いに顔が見える関係であり、いろいろな作業やイベントを通じて同じ釜の飯を食い、助け合って協力することが習慣となっています。

「これらの方々とであれば災害が発生した際にも、寄り添い助け合って生きていくことができる」

そう思います。

 

まずはそこから…

ですかね。

老化現象?…

今日は、1月16日(火)。

ここ二日間ほど、ブログをお休みしました。

トレーニング(といっても、エアロバイクでのLSDですが…)も、しばらくお休みしています。

トレーニングだけではなく、毎朝/毎晩血圧を測って記録するのも億劫になってきました。

それに加えて、(これが一番重要なんですけど…)体重をコントロールする目的で、「平日はアルコール抜き」というルールを設定しましたが、それを守るのも嫌になってきました。

 

その理由を考えてみたのですが…

どうやら私は、いろいろやっているにも関わらずはっきりした効果が表れないことに、

「我慢ができなくなった」…

ようです。

 

血圧を下げる薬(降圧剤)を飲み、妻が作る減塩の料理を食べているおかげで、確かに血圧は下がりました。

しかし、だからといって、一気に正常値まで下がる訳ではありません。

またアルコールを我慢し食事も節制したおかげで、一時は80kgあった体重も、今では70kgを切るまでになりました。

しかし、ここ1ヶ月は現状維持/横ばいが続いており、それ以下にはなりません。

 

このように、やっていることの効果がはっきり確認できなくなってしまうと、私はやる気を無くしてしまうようです。

 

 

これまであれば、はっきりした、目にみえる効果が無くても、自分は、

「やるべきことをし続けることができる人」

だと思っていました。

 

もしかすると私は、”老化現象” で性格が変わり、堪え性がなくなってしまったのか?

そうだとすると、ちょっと怖いです。

 

妻には最近、よく

「性格が、ちょっと丸くなったかな」…

と言われます。

ただそれは、60歳を過ぎた今になってやっと…ではありますが、色々な経験を積んだことで「怒ってもしょうがない」と思えるようになったからだと、自分では感じています。

これは老化現象で性格が変わったのではなく、ちょっとは成長したんだと思いたいですね…

 

 

ちょっと思い返して見ると…

あー、性格は変わっていないかもしれませんね。

 

一見、目にみえる成果が無いように感じても、そのときの私には、はっきりした報酬があったのかもしれません。

それは、たとえば、

・トレーニングの達成感
・仕事に対する周囲からの評価
・残業に伴う収入の増額

…など、他の人には分からない/価値が共有できないものであっても、私にとっては大切に思えるものなどです。

 

これに対し、血圧や体重は、正直言って私にとっての価値/報酬はありません。

・生活習慣病の予防
・健康
・長生き

など、これまでは、私はあまり考えてこなかった事柄です。

 

 

うーん、そうか。

今回の「我慢ができなくなった」のは、”老化現象” ではないと思います。

しかし、これまで価値を認めてこなかった事柄が大事になってきたのは、私が「歳を取った」から。

それは間違いありません。

私も、「歳を取った」ことを認識し、これまであまり考えてこなかった事柄にも価値を認める…

その必要がありそうです。

 

 

 

追伸

妻には、また、

「丸くなった」

と言われるかも。

 

体が「丸くなる」のはいけませんが、性格なら、まあ、良しとしますか…

時間の読み…

今日は、1月13日(土)。

妻は友人夫婦と共に、今朝8:51金沢駅発の新幹線「かがやき」に乗り、横浜に出かけました。

明日の夕方17:18金沢駅着の新幹線「はくたか」で帰ってきます。

今朝、明日の夕方ともに、私は妻のタクシーサービス。

 

神奈川の横浜/藤沢、あるいは千葉の茂原あたりには、私が社会人になった際にお世話になった方々(当時の私の直属の上長、先輩、同僚、後輩)が今でも住んでいます。

久々に、その方々とご一緒するチャンスもあるかも…

ということで、私も出かけたいところ。

しかし今日の夕方からは、地域の大切な会合が予定されており、残念ですが私は横浜旅行には不参加。

 

かつてお世話になった方々とご一緒するのは、2024年のレース/大会等の帰りに「ふらっと寄る」…という感じで計画してみたいと思います。

 

 

妻が友人夫妻と行った約束の集合時間は、「金沢駅の新幹線改札口に8:30」とのこと。

切符等は、すべて友人夫婦にお願いしているそうなので、改札口手前じゃないと駅のコンコースに入れない…

なので、金沢駅の東口(鼓門のある側)に妻を送ることにしました。

 

ただし、金沢在住の方ならお分かりだと思いますが、金沢駅東口に接続している道路は、”増泉交差点” の流れが悪く、そこを起点に渋滞することで有名。

このため妻には、

「8:00には家を出る必要があるからね」

と伝えていました。

ところが…

 

私は、15分前の7:45から準備万端整えて待っているのですが、待てど暮らせど、妻の準備が終わりません。

準備の最後として歯を磨き出し、それが終わった8:05。

 

「5分過ぎてる」…

そう思っていると、ようやく妻から、

「準備オーケー」

との声があがりました。

すぐにタクシーサービスがスタート。

 

しかし、さすが土曜日の朝。

大きな交差点に出るまでは、すこぶる快調。

「おっ、このままスムーズに行けるか?」…

と思った途端、駅前に続く幹線道路に出ると、思った通り増泉交差点に向かって延々と渋滞しています。

「約束の時間に遅れるんじゃないか…」

と心配しましたが、なんとかギリギリの滑り込みセーフで間に合い、妻の友人夫妻に迷惑をかけることはありませんでした。

「あー、良かった」…

 

 

 

しかし、妻が準備する様子を見ていると、

「あー、俺とは随分違うなぁ」

と、あらためて感じましたね。

 

時間が押していても、やることの順番はいつもやっている通り。

「いやいや、優先順位をつけて、飛ばせるものは飛ばそうよ」

それに、最後に歯磨きって…

「優先順位は高くても移動中の車の中でできることは後に回して、車の中じゃできないことを先にやろうよ」

 

 

やらないといけないことは色々ありますよね。

それらに必要な時間の読み。

これが、ちょっと甘いのかな…

 

思い返してみると、妻は(私だけではなく、妻の友達の方々と約束しているケースも含め…)いつも約束の時間にギリギリ、あるいはちょっと遅刻することが多いような感じ。 

妻の本音は…

実はちょっと遅れることも織り込み済みで、すべてが順調に進んだときにギリギリセーフになるというスタンスなんですかね。

だとすると、いやー、肝っ玉が座っています。

 

私は何事も、

「ある程度の余裕/マージンがほしい」…

と思っています。

妻のような肝っ玉が座っておらず小心者の私は、今後ずっと

「5分前行動」

のスタンスを貫くことになるんでしょう。

 

 

でも、どっちのスタンスの方が「ストレスフリー/幸せ」なのか?

うーん、ちょっと分かりませんね…

エントリー開始はいつ?…

今日は、1月12日(金)。

昨日 11日(木)も、諸々あってトレーニングはお休みしました。

 

「このままではいけない」

そんな焦りが、私の心に芽生えてきました。

もう、「ローラーじゃないとやる気が…」などと言っている場合ではありません。

エアロバイクでもなんでも、とにかく体を動かすことを毎日続けるようにしないと、2024年のロードバイクシーズンの開幕に間に合わなくなってしまいます。

 

今日からはまた、気を引き締め直して毎日を過ごすことにします。

 

 

さて、その2024年のロードバイクシーズンですが、現時点、私は以下のレース/大会等に出場したいと考えています。

・ 4月 伊吹山ドライブウェイヒルクライム
・ 5月 榛名山ヒルクライム
・ 6月 Mt.富士ヒルクライム
(同) 若狭路レインボーヒルクライム
・ 8月 乗鞍ヒルクライム
・ 9月 ツール・ド・のと400(チームじゅげむ)
・11月 スズカ8時間エンデューロ(チームじゅげむ)

また上記に加え、時期は未定ですがチームじゅげむとして「しまなみ海道」へ遠征することも検討中です。

 

遠征の時期ですが、梅雨前、あるいは梅雨明け直後が良いのではないかと思っています。

そうだとすれば、6月初旬、あるいは7月下旬が該当します。

しかし6月初旬に遠征することになると、富士ヒルとモロ被り。

「しまなみ海道遠征」については、まだチーム内での詳細の話し合いは行なっていませんが、もし遠征時期が6月初旬となったときは、被ってしまう富士ヒルは見送ることにします。

 

また遠征の交通手段については、私はキャンピングカーでのトランポを考えていました。

(キャンピングカーには2インチ角のヒッチメンバーがあるので、それに装着する6台積載のキャリアを導入/装着してのトランポを想定していました)

しかしチームメンバーのkit1002さんから、

「輪行もいいんじゃないですかね」

とのご提案。

「おー、それもいいですね〜!」

ということで、電車に乗っての輪行も有力な案として浮上してきました。

 

遠征時期と交通手段。

それをメンバーと共に検討するだけでも楽しい時間が過ごせそうです。

 

 

前述の通り、2024年シーズンにエントリーするレース/大会の概略計画がまとまりました。

しかし、それですべての準備が終わった気になっていてはいけません。

例年であれば、4月/5月のレース/大会については、そろそろエントリーの開始となるハズ。

 

ということで、4月の伊吹山、5月のハルヒルについて調べてみると…

 

ハルヒルは、公式サイトで

「1月19日 9:00a.m.よりエントリー受付開始」

とアナウンスされていました。

 

「おー、よしよし。了解!」

ということで、さっそくスケジュール帳に赤ペンで記入します。

 

しかし、伊吹山のエントリー情報が、どこをググっても出てきません。

JBCF公式サイトの2024年のレースカレンダーには、

「4月14日(日) 第15回 伊吹山ドライブウェイヒルクライム」

と記載されており、それに併催される(私がエントリーするつもりの)JBCF登録選手以外が走る「第15回伊吹山のヒルクライムレース」も、同日に開催されるはずです。

 

コロナ禍前は、12月初旬にエントリー開始となっていたように記憶しています。

しかしそれ以降は、1月中旬になった…ようですね。

ちょっと分からないので、気を抜かず、1月下旬〜2月上旬までは、定期的にネットをチェックしたいと思います。

 

 

もう一つの心配事。

去年2023年にチームじゅげむとして初参加し、とても楽しめた「ツール・ド・のと」。

今年2024年も、チームじゅげむとして参加するつもりです。

 

しかし、そこに元旦の「能登半島地震」が発生しました(「地震が発生…」)。

ニュースで輪島/珠洲/七尾/能登町などの被災地の映像が流れると、その地震/津波の被害状況の深刻さに胸が痛みます。

さらに避難所に避難されている方々の映像を見ても、現時点では被災された地域や方々の生活再建/インフラ整備が最優先で、復興云々などまだまだ先の事だと感じます。

できることは限られていますが、私も何か力になりたい…

そう思っています。

 

 

2024年は無理かもしれません。

しかし何年先になろうとも、「ツール・ド・のと」開催がアナウンスされ、大会へのエントリーが開始されることを願って、私はこの先も毎年のシーズンに臨むことにします。