今日は、4月21日(金)。
昨日の投稿(「安全性と利便性…」)にも書きましたが、昨日の朝9時30分に予約した、金沢市役所でのマイナンバーカードの受け取りの件。
妻と私の分は受け取れましたが、一緒に予約していた長男(高校1年生)の分は、「免許証/パスポート等の写真付き本人の証明書がないのであれば、提示しているものでは不足」…とのことで、受け取ることができませんでした。
それなら…ということで、長男が学校から帰ってきた午後4時15分。
私は彼に向かって、以下を宣言します。
「すぐに金沢市役所に一緒に行って、マイナンバーカードを受け取ってくるぞ」
ところが長男はこれに抵抗。
そのときの、長男と私の会話。
長男:
今から?
ちょっと無理。
私:
どうして。
長男:
友だちと遊ぶ約束がある。
それに、俺は行かなくても受け取れるって言ってたじゃない。
私:
お前の写真付きの証明書、たとえば免許証、パスポート、生徒証がないから、手持ちの書類(保険証、こども医療証)だけではダメだった。
本人が行けば受け取れるから、一緒に行こう。
長男:
えー…
じゃあ、ちょっと待って。
友だちに「遊べなくなった」って連絡する。
私:
それは車に乗ってから連絡すればいい。
すぐに出かけないと、受け取り専用の受け付け窓口が閉まってしまう。
長男:
…
この会話の後、長男は車に乗ってくれました。
さっそく自宅を出発。
ところがすでに道路は渋滞し始めています。
私は普段からスピードは控えめの安全運転。
だからなのか、渋滞の中を一緒に走っている周囲の車から、私は割り込みの洗礼を浴びまくる状況。
少々イライラすることもありましたが、なんとか受け取りの窓口が閉まる前に金沢市役所に到着。
おかげさまで、無事、長男のマイナンバーカードを受け取ることができました。
一方の長男は、金沢市役所に向かう車の中では終始無言。
マイナンバーカードを受け取るときも、係の人には丁寧に話しているものの、私には、いっさい話をしません。
そして、無事受け取った帰りの車の中。
彼は重い口を開きます。
長男:
お父さんもお母さんも、俺には「何かあるなら事前に伝えなさい」っていうじゃない。
それは俺に言うだけじゃなく、自分でも守ってよ。
私:
あー、それはすまなかった。
でも、今日は、お父さんが代理で受け取れるように、事前に準備はしたんだ。
ただ、お父さんが準備したものでは足りなかった。
だから、急遽、本人のお前にも一緒に来てもらうことにしたんだ。
長男:
でもそれだって、しっかり調べれば事前にわかったかもしれないじゃないか。
私:
その通りだな。
悪かった。
でも、そのときに分かっていた範囲で、できる限りの準備をしていたことは分かってほしい。
長男:
…
私:
分かってくれるか?
長男:
…
最後に念押しで「分かってくれるか?」と言うと、ボソッと「分かった」との返事。
でも長男の顔には、「分かる訳ないだろ」と書いてありました…
私にすれば、長男にも(そして、金沢市役所にも…)
「理不尽なり!」
と叫びたい気持ちでいっぱい。
お前(長男)は、自分のこと/自分の都合で、お父さんやお母さんに突然色々なことを言ってくる。
でも今回のことを含めて、お父さんは「お前の為のこと」について伝えているのであって、それは決してお父さん自身のためのことじゃない。
そこを分かっているのか!
でも、そんなことを言っても始まらない。
ここは、長男には謝るしかないか。
あー、お父さんはつらいよ…
追伸
久々に退勤ラッシュに近い時間帯に、金沢市内の道路(国道157号線)を走りました。
しかしこの時間帯を走るドライバーさんのマナーは、まあ酷いもんですね。
ノーウィンカーでの左折、そして車線変更&割り込み。
路線バスの進路妨害、煽り運転。
小路からの出るときの一旦停止無視、そして完全な信号無視。
事故が起きないのは単なる偶然か、あるいは回りの車や人が「危ない」と思って一歩引いてくれたおかげ。
よく「〜の人は、マナーの悪い人が多い」…などと言ったりしますが、私が見た範囲では、酷い運転をドライバーは性別や年齢による有意差/傾向は無い印象でした。
老若男女を問わず、「他の車の迷惑を考えず、できれば周囲を出し抜いてでも我先に」…と言わんばかりに走っている人がいるのを見て、正直ゾッとしました。
ただそれも、「分からない訳じゃない」…という気もします。
仮に、あなたは混んでいる道路を、毎日通勤/退勤で走っているとします。
最初の頃は、あなたも安全運転を心がけていました。
しかし、毎日の通勤/退勤の際に周囲から割り込まれることや無謀な運転され続けているとしたら、安全運転の意識が高かったあなたも、だんだんと「安全運転をしている者が割を食う」という感覚になり、結局は自分の運転も徐々にダメな方に流されていく…
そんなことが容易に想像できてしまいます。
さて、その状況を救うことができるのは何か?
うーん…
仏教的に言えば「慈悲の心」、キリスト教的には「他者への愛」。
やっぱり、自分が割を食うことを「甘んじて受け入れる心」なんでしょうか。
でも、それも理不尽です。
世の中、理不尽なことばかり…
救いが無いように聞こえますが、実はそれが答えなのかも。