今日 8月15日(日)は、76回目の終戦記念日です。
日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、第二次世界大戦の敗戦を経験してから76年が過ぎました。
私の父・母はすでに亡くなっていますが、それぞれ昭和11年と昭和13年に生まれており、二人とも、この戦争中は小学生でした。
また祖父は出兵して戦地で病気になり、帰国後にそのまま亡くなっています。
そして母方の大叔父は出兵し、戦地で戦死をしています。
さらに、私が子供の頃のご近所には、やはり出兵して終戦を迎え、無事に帰国された方が何人かいました。
私と同世代であれば、私と同じように家族/親族、ご近所の方などに、戦時中の体験がある、あるいは実際に戦地に行かれたという人がいたと思います。
そして私と同じように、それらの方から戦争に関する話を聞く機会があり、そのおかげで、第二次世界大戦というものが比較的身近に感じられていたのではないか…
そう思います。
私自身は、戦争の影響はまったく受けていない…と思っていました。
しかし、良く考えてみると、私が生まれたのは昭和37年。
それは、日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏/敗戦となった昭和20年から、たった17年しか経っていません。
一方、平成という時代は、それだけで30年間ありました。
それをあらためて考えると、戦後の17年というのは、本当にあっという間のような気がします。
祖父が戦病死しているので祖母は遺族会に入っており、毎年8月15日には、祖母が金沢の護国神社で行われる平和記念の式典に出席していました。
私はそれを、物心ついたときから分かっていました。
また、私が小学生の頃になってもまだ、片町/香林坊/武蔵ヶ辻等の金沢の中心街に行けば、戦争で脚や腕を失った傷痍軍人の方が義足や義手をはめ、歩道に座り募金をお願いする姿を目にすることが、少なからずありました。
その方々を見て、子供ながら気になっていたことを覚えています。
高度経済成長期だったとはいえ、戦後17年以上経っても、まだまだ戦争を引きずっている時代だった…
今となっては、そう思います。
ところが、私の子供たちの世代になると状況がまったく変わっています。
まず、家族・親族、ご近所の方々を含め、実際に戦地に行った人に会ったことがなく、戦争に関するリアルな話を聞く機会がありません。
また、学校の社会/歴史の授業で教える内容が変わってきているのか、
・当時のヨーロッパ、アジア、アメリカがどんな状況だったのか
・日本は、どこと戦争をしたのか
・日本は、どこと同盟を結んでいたのか
・日本は、無条件降伏をしてどう変わったか
…
といった第二次世界大戦に関する歴史的な知識が、ほとんどないような気がします。
戦地のリアルな話を直接聞いたことがない、戦争に関する知識が無いということは、「戦争を知らない」ということになるのでしょう。
かつて「戦争を知らない子供たち」という歌がありました。
本当のところは、戦争について知っているけど、戦時中あるいは戦後すぐに生まれたので、戦地に行ったことはない…ということだったのでしょう。
つまり、私たち(あるいはもう少し上…)の世代が当てはまるのだと思います。
しかし、私の子供たちは、本当に、文字通り、まったくの「戦争を知らない」子供たち。
この「戦争を知らない」ということが、果たして、良いことなのか、それともそうではないのか…
戦争は悪いことであり、「二度と戦争をしない」ということは、日本にとって非常に大切なことだと思っています。
しかし、「戦争=悪いこと」をさせないために、「知らない=教えない」ままでいるのは、ちょっと違っているかもしれません。
ということで、今日は夕飯を食べながら、(私が知っている範囲で…ですが)子供たちに第二次世界大戦に関する話をして、戦争について、そして平和について考える機会を持ってもらおうと思います。
子供たちには「何を言っているの…」と思われるかもしれませんが、まあ、少しでも考えるきっかけになってくれれば良い…そんなところです。