ご馳走さま…

今日は、3月21日(金)。

昨日 20日(木)/春分の日は、久々になべちゃんとミニベロでのミニライドに出かけました。

 

IRいしかわ鉄道 野々市駅をスタートして、上林あたりまで南下。

そこから山川環状道路沿いに野田の公園を目指します。

 

↑は、野田の公園駐車場で小休憩したときの写真です。

 

そこから久安/三馬方面に下り、手作りコーヒー豆の専門店 豆の樹さんに行き、店内でコーヒーブレイク。

 

なべちゃんも私もマンデリンをチョイスしました。

が、同じマンデリンでも、ちょっと違う種類。

 

なべちゃんは、マンデリン スマトラ・タイター。

私は、マンデリン ブルー・リントン。

(上の写真は、私の注文したブルー・リントンです)

 

ちょっと薄め(豆を粗めに挽いた感じ)のコーヒーで、私が淹れたマンデリンとは、また一つ違った味わい。

いやー、美味しく頂きました。

 

豆の樹は、自家ローストのコーヒー豆専門店だけあって、お値段がお高め。

ですが、ここはなべちゃんが私も分もお金を払ってくれました。

なべちゃん、ご馳走さま!

 

コーヒーブレイクが終わったのがお昼の直前。

なので、それぞれがサクッと帰宅。

 

この日の午後ですが、自宅でお昼を食べ後、なべちゃんは奥さんと一緒に映画を見にいく予定とのこと。

いやー、仲がよろしいようで、これも ”ご馳走さま” です。

 

一方、私はとくに予定なし。

ミニベロでのライドに行きましたが、再度、リビングでのエアロバイクでペダルを漕ぐことにしました。

 

時間としては、LSDを30分、前後のアップ/ダウンを入れて50分です。

午前にはミニベロにも乗ったので、”このぐらいにしてやる”という感じです。

 

「もう自転車はお腹いっぱい、ご馳走さま」…

という訳ではありませんが、ちょっと短め。

 

この日は、”ご馳走さま” が連続する一日だったようです。

お叱りのお言葉…

今日は、3月19日(水)。

昨日 18日(火)は、久々にエアロバイクに乗ってみました。

 

後半に向けて徐々にペースを上げていくイメージでの50分間ライドとしています。

ただ、リビングでテレビを見ながらのライドなので、気を抜くとタラタラした内容になりがち。

そこを、タラタラしそうになったら、”きちんとペースを上げよう” という意識を持ちながら行ってみました。

 

ただ、心拍とパワーのゾーンは、残念ながら ”タラタラ” イメージ。

  

リビングでのエアロバイクなので、

「まあ、しゃあないか」…

ということにしておきます。

 

ただし、ガーミン先生が示すトレーニングステータスは、”ディトレーニング”。

「トレーニング量が少ない」

というお叱りのお言葉をいただきました。

まあ、そうですよね。

 

よし、4月に向けて、いっちょう頑張ってみますか。

 

 

さて、昨日のお昼ごろ、久々にむぎーさんからピロンとLINE。

「ゴールデンウィークの予定はすでに決まってる?」

 

今年のゴールデンウィークは、5月2日&3日の両日については、恒例のサツマイモの作業があり、すでに予定が入っています。

しかし、その他の日についてはまだ何の予定もなく、スケジュール帳は真っ白状態。

それをむぎーさんに伝えると、こんなお誘いが届きました。

「4月27日、大井川吊り橋ライド計画中。こっちに来る?」

そう、浜松遠征へのお誘いです。

 

私からは、

「おー、行く方向で検討します!」

とお返事。

 

エアロバイク後の風呂上がり、さっそく上記を妻に相談。

「浜松遠征、行ってもいいかな?」

 

「いいとも!」

…との返事が返ってくることを期待していると、なんとお叱りのお言葉。

「えー、その日は○○(長男の名前)の誕生日よ。あなた、お祝いの会には参加しないの?」…

 

えっ、あっ、そうだった。

ちょっとドギマギしながら、私はこう答えます。

「あー、そうだった、もちろん参加するよ。むぎーさんには断りの連絡を入れておくね」…

 

スケジュール帳には何の記載も入れていなかったので、うっかりしていました。

今までは、家族の誕生日、そして結婚記念日等については、スケジュール帳に書いてはいませんでしたが、今後はちゃんと書き込んでおくことにします…

 

この日は、お叱りのお言葉をいただくことが多い一日だったようです。

密かな好意…

今日は、3月18日(火)。

ネットでちょっと調べてみると…

3月18日は、柿本人麻呂、小野小町、和泉式部など、平安時代の歌人として名前を残した人たちの命日とされているそうです。

 

「えー、ホントかなぁ」…

おそらくそれは、”同時代に記された貴族の日記” などの一次資料で確認できるものではないと思います。

とは言え、それを信じている人もいますよね。

まあ、歴史のロマンでしょうか…

 

この3人の中で、私がちょっと感じる部分があるのは、和泉式部という女性の歌人です。

この女性は、”自由奔放に恋に生きた人”。

 

彼女には夫がいましたが、その夫と別れ二人の親王(天皇の息子のこと、二人は兄弟です)と恋仲になりました。

そう書くと不倫の末に親王兄弟にも二股をかけていたのか…と勘違いをするかもしれませんが、そうではありません。

 

まず、夫とは不仲になって別れてしまいました。

そしてその後にお付き合いをしたのが、親王(兄)。

和泉式部は、この親王(兄)のことが大好きでしたが、お付き合いをしている最中に、残念ながら彼は若くして亡くなってしまいます。

 

最愛の親王(兄)を亡くし傷心の和泉式部。

その彼女に優しく寄り添ったのが、亡くなった親王の弟。

その弟も当然ですが親王。

傷心の彼女は親王(弟)にも心を惹かれ、今度は親王(弟)とお付き合いをします。

ところが、この親王(弟)も亡くなってしまう。

 

親王(弟)が亡くなった後、楽しかったころを思い出しながら書いたのが、世に言う ”和泉式部日記”。

さらに後、和泉式部はあらためて夫を持ち、夫の赴任地である丹後国に夫と共に行った…

そんな話を、中学生のときに、当時の国語の先生から聞いたことを思い出しました。

 

 

さて、ここからが本題。

その国語の先生ですが、実は、私が密かに好意を寄せていた方でした。

 

第一印象は、そうですねぇ、岸恵子、または加賀まりこ…という感じでしょうか。

(かなり記憶が美化されているかも…)

私が中学2年のときに同じ中学校に赴任され、その時点で確か27歳だったので私の13歳年上。

13歳も年上の女性でしたが、その先生に非常に惹かれていた…ということを思い出します。

 

 

その先生の授業の進め方も、ちょっと変わっていたように思います。

一応は教科書に従っており、題材の小説や詩、俳句について説明してくれます。

しかしそれだけではなく、題材となっている小説等を書いた作家に関し、教科書を離れて作家自身の人生、あるいは考え方にまつわる話をたくさんしてくれました。

教科書に載っている歌人、俳人、小説家、そして、ときには教科書に載っていない日本文学の作家の人たちも含め、彼ら/彼女らが歩んだ人生、そこから、作品を書いた背景などについても触れていた…

そんな授業だったように思います。

当時の私にとって先生の授業/お話は大変興味深く、それが私がどんどん小説(の文庫本…)を買って読むきっかけになりました。

 

そんな国語の授業の際に、種田山頭火/尾崎放哉という ”ちょっと変わった俳人” の作品について触れる機会がありました。

この二人は、形式に囚われない自由な俳句を作って発表している人たち。

 

この ”形式に囚われない自由な俳句” ということからも想像できるように、これらの俳人は、周囲との摩擦/軋轢を生むことにあまり頓着しないという面を持っています。

まあ、作家って、大概そんなもんかもしれませんけど…

 

その一人、尾崎放哉の代表的な俳句といえば、ご存知の方もいると思いますが、

「咳をしても一人」

です。

 

授業では、

「この句について、自分が思ったことを自由に書いて提出する」

という宿題が出されました。

その際、私は以下のようなことを書いて提出しました。

 

 

尾崎放哉という人は破天荒で、家庭/家族を顧みず、世間から理解されないことや孤独になることを恐れず、自分の信念を貫き俳句の道を進む…そんな人生を送りました。

しかし、信じた道を歩んでいる途中で、胸を病んでしまいました。

当時、胸の病は不治の病気。

死期は近いけれど、流れ着いた山の荒れ寺で一人ぼっち。

寝込んでいる際に咳が出ても、看病をしてくれる人は誰もいません。

自分が求めたこと/招いてしまったことではあるけれど、その孤独感はやはり耐えがたい…

尾崎放哉も、その孤独感に襲われていたのだと思います。

 

 

細かい表現/言い回しは違っているかもしれませんが、私は、概ねそんな内容を書いて提出しました。

それに対して、先生が返してきたコメントは、ちょっと意外な内容。

 

 

尾崎放哉も、あなたが書いたような孤独を感じていたでしょう。

句の解釈としては、もう少し尾崎が自分自身を俯瞰的に見て、”洒落や滑稽な意図を込めている” と評価することが多いかもしれません。

ですが先生自身は、あなたと同じ感想を持っています(人間はそれほど強くない…)。

だた中学生のあなたが、尾崎と同じような孤独を感じている、あるいは理解しているのだとすると、そのことがちょっと心配ですね。

 

 

最後の一文が衝撃的。

それまで学校で出される宿題で、そんなコメントを返す先生に、私は会ったことがありませんでした。

これは、当時の私にとってみると ”一大事”。

 

この ”一大事” 以降、私はことある毎に、ちょっとした詩/短編の小説っぽいもの/読んだ本の感想などを書いて、先生の目に触れるようにしていました。

それは、提出するノートの端だったり、中間/期末テストの解答用紙の裏だったり…

今思えば、先生としては

「オタクで、すごくキモい奴」

と感じていたでしょうねぇ…

いやー、恋は盲目。

先生、すみませんでした。

 

 

”一大事” 以降、私はその先生に ”密かな好意” を抱いていました…

なんて可愛げに表現しましたが、今振り返ってみるとその行動は、”密かな好意” なんてソフトな範囲に収まっていませんね。

ただ、その ”密かな好意” がモチベーションになって、私が日本の文学、特に小説を読むようになったことは事実です。

あらためて、”密かな好意” を抱かせてくれた、中学時代の国語の先生に感謝です。

彼岸の思い出…

今日は、3月17日(月)。

今年 2025年は、今週の木曜日3月20日が春分の日。

この前後3日間を含めた7日は、いわゆる”お彼岸” です。

 

私が子供のころは、彼岸の中日(つまり春分の日/秋分の日)になると、母がぼた餅/おはぎを作ってくれました。

 

小学校低学年までの私は、どちらも ”おはぎ” と呼んでいました。

しかし、ある年の春分の日。

私が餅搗きを手伝っていると、母が、”ぼた餅/おはぎは、同じものだけど、牡丹(ぼたん)と萩(はぎ)の花の名前から、春と秋で呼ばれる名前が違う” ということを教えてくれました。

「へー」

我が家には花札があって、それでよく遊んでいたので、私も牡丹と萩は知っていました。

 

ただ花札だと、牡丹は6月、萩は7月で、ちょっと季節がずれている。

今のカレンダーは、昔の暦から今から2ヶ月ほどズレている…って聞いたから、そんなもんか?

そんなことを思ったことも思い出します。

 

 

母がぼた餅/おはぎを作ってくれた最初の記憶は、60年ほど前のこと。

もちろん当時は、すべて手作り。

小豆を炊いて、前日に粒あんのあんこを作っておきます。

そしてうるち米/もち米を混ぜて炊き、それを ”すりこぎ” で搗(つ)いてお餅にします。

ただし、このとき餅を搗くのは5分〜6分ほどでとどめておくのが我が家の流儀。

”米の粒がまだ残ったままの方が美味しい”…というのが母のポリシーでした。

 

餅が搗き上がったらそれを適度な大きさにちぎります。

その餅に、作った粒あんを周りにまぶして形を整えれば、ぼた餅/おはぎの完成です。

そんな普通のぼた餅/おはぎの他にも、母は粒あんの団子を餅で包み、それにきな粉や黒ゴマをまぶしたものも作ってくれました。

 

母が作ってくれた、ぼた餅/おはぎ、きな粉、黒ゴマの3種類のお餅。

春分の日/秋分の日のお昼には、それを食べるのが楽しみだった…

そんなことを思い出します。

 

 

便利な物はほとんどなく、手抜きができずなんでも手作りしていた時代。

その素朴な手作りのぼた餅/おはぎがとても美味しく、お昼にそれを食べることが楽しみだった。

そんなお彼岸のひとコマを思い出した、今日の朝でした。

帳尻が合う…

今日は、3月15日(土)。

昨日 14日(金)は、先日の投稿で述べた通り、私が主夫生活を送る1日(「間に挟まれて…」)。

妻は不在ですが、次女、長男、そして私の3人分の夕食を作らなければならなりませんでした。

ところが、その日の朝のこと…

 

空は快晴、朝から春を思わせる陽気。

そんな中、のんびり朝食を食べていると、遅れて起きてきた長男が、私の隣に座りながら言いいました。

 

お父さん。

今日は、自転車で学校に行けないから、車で送ってほしい。

それから、学校が終わったらスタジオに行くつもり。

それが終わったら仲間とご飯を食べてくる。

だから、今日は晩御飯は要らない。

 

長男は最近エレキベースを買いました(「今日のところは…」)。

昨日は、学校が終わったらベースを持って貸しスタジオに向い、バンドを組むことにした仲間と、初めての音合わせ/練習をする計画のようです。

 

 

まあ、ベースを持って自転車に乗るのは危ないですし、

「学校まで車で送ってほしい」

というのは良いでしょう。

しかし、

「晩御飯は要らない」

と、(しかも直前/その日の朝になって…)いうのはいただけない。

 

「えー、バカやろー!」

…と思ったのですが、自分が高校生のときも、もしかすると、似たようなものだったかも。

 

私が高校生のころは、土曜日が半ドン。

なので土曜日は、午前中だけでしたが学校の授業がありました。

ただし、午前の授業が終わればあとは自由。

しかも翌日はお休み。

となると、私たち(私…だけ?)は、さながら ”野に放たれた虎”。

当時、金沢の繁華街として栄えていた、武蔵ヶ辻/香林坊/片町/竪町あたりをフラフラしながら友だちとお昼を食べ、家に帰るのは晩御飯の直前になってから。

そんなことが、もしかすると私にもあったかもしれません…

 

現在では半ドンというものはなく、世の中は、学校も含め完全週休二日制。

長男も金曜日の学校/授業が終われば、翌日の土曜日からは二連休。

休前日の学校が終わり、そこでバンド仲間/友だちと一緒に楽しめるのは、それは嬉しいでしょう。

まあ、しょうがない…ですかね。

 

思わず、ちょっと ”お怒りモード” に入りそうになった私。

しかし、昔の自分を振り返って冷静さを取り戻すことができました。

 

カチンと来た顔を、

「ニコッ」

とさせて、とりあえず帳尻だけは合わせておきました…

 

 

とはいえ、晩御飯は次女と私の二人だけ。

「うーん、だとすると、わざわざロールサンドを作るのはちょっと面倒くさいなぁ」

そう思ってしまいました。

 

”面倒くさい” のはイヤだなぁ…

ということで、この日の晩御飯は色々と手を抜いてみることにしました。

 

手抜きとしながら作ったのは、以下の通り。

・フランスパン(バゲット)1本 → 切るだけ
・ホワイトシチュー(市販ルー&冷凍野菜/4皿分)
・ポテトサラダ(惣菜)
・ツナマヨ
・野菜サラダ(カット野菜)
・刺身(マグロ、ブリ)

 

手抜きをしたおかげで、買い出し/調理を含めても、すべてが2時間ほどでおさまりました。

ロールサンドを作ったり、野菜を自分で切って調理を行ったとすると、おそらくこの倍くらいの時間がかかったと思います。

いやー、便利な世の中になってますよね、ホントに。

 

 

サンドイッチにはしませんでしたが、買ってきたフランスパンはスライスして、

・ホワイトシチューと一緒に食べてもよし
・ミニオープンサンド風にポテサラ/ツナマヨ/野菜サラダをのせて食べてもよし

としました。

ここでも、”サンドイッチを作る”…という予定との帳尻を合わせてみました。

 

これらを白ワインと共にのんびり、次女と私で頂きました。

二人だけだったら、この量はちょっと多いかな…

そう思った通り、”ごちそうさま” をしても、刺身以外は余ってしまいました。

 

ただ次女は、その後もワインをチビチビやりながら残ったフランスパンを数切れ食べた模様。

ホワイトシチューその他も、長男が家に帰ってきてから食べたようです。

量は多めになってしまいましたが、結果オーライ。

最終的には帳尻が合いました。

 

昨日は、帳尻合わせがバッチリ…

そんな日になりました。