お籠りの過ごし方…

今日 8月25日(水)も、一日中、自宅の和室に籠って過ごしています。

 

考えてみれば、1週間以上に渡って特定の家・部屋から出ずに籠って過ごすのは、20代のときに交通事故に遭い、手術を受けるために入院(「痛みに弱くなったか?」)して以来ではないか…ということに気が付きました。

 

交通事故で受けた怪我の手術/治療のために入院したときは、1ヶ月間、病室に籠っていました。

確か、入院した最初の数日間は、怪我をした箇所/範囲/程度を特定してた上で治療方法等を決める期間だったと思います。

そのため、その間は比較的行動の自由がありました。

 

左肩・腕は怪我をした状態のままで当然痛いのですが、左腕と胴体をバンテージでグルグル巻きにして固定しているため、姿勢を変える瞬間に痛みが走るだけで、それさえ我慢すれば歩き回ることがでできました。

病院の売店に行ってお菓子を買い、それを持って喫煙所(病院の正面玄関脇)に行ってタバコも吸うこともできました。

(1999年でタバコを綺麗さっぱりやめていますが、当時の私は、セブンスターを1日2箱以上吸うヘビースモーカーでした…)

 

手術を受け、麻酔から覚めると私はベッドの上。

体のあらゆる箇所に、チューブやらコードやらがつながっています。

その日から4日間ほどは、ベッドで上体を起こすだけで精一杯。

ベッドを降りて歩き回ることなんてことは到底できませんでした。

食事はもちろんできませんし、トイレにも行けません。

 

全身麻酔を受けた人特有の症状だそうですが、二日酔いのような頭痛がありました。

そのせいか、とにかく水をたくさん飲まされたことを覚えています。

それ以外は、痛いのを我慢して寝ているだけ。

そして不思議なのですが、夜になると痛みが強くなったりします。

そんな痛みと戦っている夜、ベッドの上でうなされていると看護師長さん(当時の言い方だと婦長さん)が様子を見に来て、

「モルヒネ打つ?」

と聞いてきます。

「いや、廃人になりたくないから要らない」

どんなドラマの影響を受けていたのか、私は常にそう答えていました。

そんな問答が繰り返された日が3日間ほど続いたような気がします。

 

手術から5日ほど経つと不思議と痛みが軽くなり、なんとなく歩けるような気がしてきます。

それを看護師さん伝えると、尿道に刺さっていたチューブが抜かれ、自分でトイレに行くことが許されました。

 

点滴は体に刺さったままですが、これで私の行動範囲は広がることになります。

 

 

入院して手術を受けて5日ほどすると、ベッドから起きて歩き回ることができるようになります。

そこからもう3週間ほど入院をしていましたが、その3週間が私にとっての「お籠り」体験でした。

 

痛みが軽減されてくると、精神的な余裕が出てきます。

そうなると、ベッドで寝ていること自体が退屈になってきます。

テレビを見たりしますが、真昼間に20代の私が面白いと感じる番組などやっていることは、まあほとんどありません。

当時、まだ携帯は普及していませんでしたし、インターネットも普及しておらず、もちろん動画配信サービスなんてものもありませんでした。

 

売店に行って雑誌を買い、喫煙所(病院の正面玄関脇)でタバコを吸う。

当時の病院あるあるだと思いますが、喫煙所には、その日に病院を訪れた方よりも、入院中の患者さんの方が多く来ていました。

そこで知り合った入院患者の方と他愛のない話を1時間ほどして、病室に帰る。

病室に帰ったら、売店で買ったオートバイ関連の雑誌を読みながら、長い時間の過ごし方を考える…

 

そんな3週間のお籠り期間は、とにかく退屈/長い…という印象が残っています。

 

 

30数年前の、手術/治療に伴う入院。

何もすることがなく、時間を持て余す3週間のお籠り。

 

それに対し、今回の新型コロナ/自宅待機という「お籠り」。

30数年前とは異なりインターネット/WiFiが普及しました。

私は和室にいるまま、このブログを書いて発信することができます。

SNSで、気になる人の配信している情報をチェックすることもできます。

また、動画の配信サービスを見て、ネット上のニュースもチェックできます。

私はしませんが、ゲームをする人もいるかもしれません。

 

30数年前に比べると、間違いなく便利で退屈を感じることは少なくなりました。

これは、本当にすごいことだと思います。

 

ただ、ネット上の動画を見たりSNSをチェックできることが便利で楽しい反面、単に「暇つぶし」をしているだけ…そんな気もして、ちょっと怖いと感じたりもします。

 

 

30数年前に比べると、「お籠り」で退屈することは少なくなりました。

でもその一方、大切な時間を、必要以上に「暇つぶし」に使っているのかも…

そのことを、ちょっと心に留めておきたいと思います。

新型コロナの症状

今日 8月23日(火)は、私が新型コロナに感染し症状が発生してから4日目。

この間の私の症状について少し書こうかと思います。

 

その前に、まず、発症のきっかけと思われることから..

 

発症前日の19日(金)、むぎーさんと行った登山(「白山(室堂)登山」)の最中のこと。

室堂まで登ったところで、私は右足のダメージが限界になり、むぎーさんのみ山頂の御前峰へ向かいました。

私は室堂でむぎーさんが帰ってくるのを待っていたのですが、室堂の気温は16℃ほどで風が強い状況。

インナーを含めて汗びっしょりだったため、アッという間に、私は寒さを感じ始めます。

 

寒くなってきたので、私はまずカッパを取り出しそれを羽織りました。

これで寒さを凌げるだろう…と思ったのも束の間、風が吹いているため、カッパを着ていてもどんどん体温が奪われていきます。

 

すでに体は冷え切っており、凍えて震えがくる寸前。

これはもう、着替えるしかない…

ここでようやく、上半身のみ、すべて着替えることにしました。

 

私は、インナーを含めて常にもう1セットの服を持ってきています。

リュックから着替えを取り出し、上半身を着替えたことで、それ以上体温が奪われることは無くなりました。

 

ただ、寒さを感じた時点ですぐに着替えなかった…

これが、新型コロナのウィルスに付け込まれた/発症してしまった原因だと思います。

 

登山の翌日 20日(土)、朝起きると喉に痛みがありました。

そして、軽い咳。

体温を測ると37.0℃。

午後に医者に行き陽性が確定。

しかしこの日は、とくに具合が悪いという感覚はありませんでした。

 

21日(日)。

医者から処方された薬(ロキソニン60mg、イスプレン20mg、トランサミン250mg)を食後に飲んでいるおかげなのか、熱は36.0℃まで下がってきました。

しかし、つぎの食事の前(前の食後に飲んだ薬の効果が切れる頃?)になると、痰や咳がぶり返し、熱が36.7℃ぐらいまで上がってくる状況でした。

 

22日(月)。

処方された薬は飲み続けていますが、症状としては良くなっている感覚はなく、むしろ悪化しているようで熱も36.9℃まで上がっていました。

体のダルさ、気管支の痛みも加わってきて、夜になると少し息苦しい感じがしました。

「このまま肺炎になるとまずいなぁ…」

そう考えていました。

 

23日(火)。

やはり処方された薬は飲み続けています。

熱は36.5℃ほどで、少し落ち着いてきた印象です。

息苦しさは無くなり、気管支の痛みも治ってきました。

少し粘り気のある痰が絡むようになりましたが、それが治ってきた証拠のような気もします。

 

 

上記のように、私の場合は、発症から3日目で「峠を迎えた」印象です。

症状としては全体的に大したことはありませんが、やはり、新型コロナは普通の風邪とはまったく違うと感じました。

 

「違う」と感じた点を、以下に述べてみます。

ただし、あくまで「私の場合」ですので、すべての人に当てはまる訳ではないことをご理解願います。

 

      風邪    インフル コロナ
発熱    36.7℃   37.5℃  37.0℃
(平熱36.0℃)
主な症状  くしゃみ  発熱   喉の痛み
      鼻水    咳    咳
            気管支  気管支
体のダルさ ダルい   非常に! ダルい
峠の期間  1日    5日※    3日

注) これはタミフルやリレンザなどの抗ウイルス薬が出る前の私の経験値です。

 

私の場合、普通の風邪であれば、くしゃみと鼻水が出ますが咳は出ません。

熱は少し上がる程度で、発症の翌日にはすべて治ってしまいます。

 

インフルエンザのときは、熱は37.5℃以上になり、手や腰の関節/筋肉痛と共に咳が出て、気管支にも痛みが出ます。

また、症状の峠を迎えるのは5日後ほどで、風邪よりはずっと長引きます。

 

新型コロナの場合は、熱はインフルエンザほどではありませんが37.0℃まで上がりました。

また、喉/気管支の痛みがあり咳も出ます。

症状の峠は、インフルエンザよりは短いですが、風邪よりは長い3日後です。

 

 

 

私のケースに限定すれば、新型コロナは、

「風邪よりも症状は重いが、インフルエンザよりも軽い」

ということになります。

 

 

新型コロナ。

軽症だった私の感染事例も、石川県、ひいては日本全体の「新規陽性者」として集計されています。

確かに、新しい感染症が発生した当初は、すべてのケースの把握が必要でしょう。

また症状についても、普通の風邪よりは症状は重いことは実感しました。

しかし、3回のワクチン接種を済ませている私は、その症状もインフルエンザよりは軽いものでした。

 

まずは3回目のワクチン接種を行き渡らせることが優先なのでしょうが、公的機関/窓口の対応状況(「流行り病の対応…」)を見ると、普通の風邪やインフルエンザと同じような対応とすべき時期なのかもしれない…

私自身が感染した経験を通した実感として、そのように思いました。

流行り病の対応…

この週末、私は自宅でひっそり過ごしました。

 

先一昨日 8月19日(金)は、むぎーさんと一緒に登山を行いました(「白山(室堂)登山」)。

登山から帰ったら慰労会として一杯飲むつもりでしたが、むぎーさんも私も調子がイマイチだったこともあり、それはキャンセルしています。

 

その夜から、私は少し喉に違和感があり、夜には軽く咳をしていました。

翌日 20日(土)の朝になると微熱が出てきたようで、熱を測ると37.0℃。

平熱が36.0℃程度の私にしてみると、これでも立派な発熱。

 

こりゃ、なんか来てるな…

 

妻は新型コロナ感染症を心配して、「お医者さんで診察してもらおう」と言います。

 

しかし、ニュースで流れる医療関係の方の意見は、

 

医療機関への負担が大きくなっています。

軽い発熱程度であれば、わざわざ医療機関で確定診断を受けることは避けてほしいと思います。

(自分で行った抗原検査の結果にしたがって行動すれば大丈夫?)

 

と伝えているような印象です。

 

そうなのか…

ということで、まずは自宅で自主隔離。

そして、妻に抗原検査キットの購入を依頼。

買ってきてもらったキットで、さっそく抗原検査を行った結果は…バッチリ陽性。

 

「反応まで、15分〜30分待ちます」と注意書きにあるにもかかわらず、私の場合は30秒も経たず、クッキリ、レッドが二本線。

体の中には、新型コロナのウィルス・マックス状態だったんでしょう。

 

そうか…

まあ、陽性だったら保健所に連絡して、発熱外来の受診など、保健所からの指示を受ける必要があるハズ…

 

ということで保健所に電話をかけますが、これがまったくつながりません。

 

しかも、流れるガイダンスが「簡潔ではない(長過ぎ)、何度も同じ説明がある(重複)、電話をかける人が必要としない説明がある(無駄な内容)」など、改善ポイント多数という印象です。

これ、民間企業の商品サポート窓口となっている電話のガイダンスだと、ありえないですね…

 

電話をしている間に午前中が過ぎ、近所にある医院等の診療時間が終了。

最後まで保健所の電話はつながらず、午後1時半になって保健所への連絡は断念。

 

そこで、妻から以下のアドバイス。

 

「ちゃんと医療機関で診断を受けて陽性が確定しないと、何の補助/補償もされないよ」

 

そのアドバイスに従い、少し離れた場所にある「午後まで診療している医院」に行って、結局、確定診断を受けました。

これで、新型コロナの陽性が確定。

保健所へは、この医院から連絡していただけるそうです。

 

 

しかし、保健所に「まったくつながらない」のは、ちょっとどうなんでしょう。

 

発生している事態の多さに対し、保健所の人員配置が少な過ぎるのでしょうか?

それとも、一般市民から直接保健所に問い合わせること自体に無理があるのでしょうか?

 

私は軽症(その中でも極めて軽症)で幸運でしたが、これが中等症、あるいは重症の方であれば、救急車を呼ぶ以外、手段がありません。

それでは、逆に医療機関への負担が増え、本末転倒となってしまう気がします。

 

 

自分が感染して初めて分かりましたが、「流行り病」の対応/対処。

個人経営の医療機関は頑張っているように感じましたが、公的機関/窓口があまり機能していないのではないか…

そう感じました。

 

評論家のように「批判だけ」をするのは本意ではありません。

しかし、公的機関でやるべきこと/やる必要のないことを再度判断し、かつ”やる”ことについても効率化/合理化という観点で改善を続けるなど、もう少し留意した方が良い点がある…と感じます。

 

ただ公的機関だと、正直言って、そのような柔軟な対応自体が難しいような気もします。

そこが問題の本質かもしれませんね…

白山(室堂)登山

昨日 8月19日(金)は、むぎーさんと一緒に白山登山に行きました。

白山(室堂)登山

 

当初は、前日18日(木)に登山を予定していましたが、天候が悪く登山を強行すると危険な状況。

このため、「やむなく登山は中止」と判断していました。

このため、17日の軽井沢のドライブ(「セ○ブな町…」)が、お盆休み最後のイベントになるはずでした。

 

しかし、むぎーさんから、つぎの連絡がありました。

 

「白山登山、19日に行きます」…

 

ということで、19日に白山に行くことになりました。

 

ただし、むぎーさんの指定した出発時刻は、なんと午前2時半。

1時半前に起床して諸々準備を行い、2時半に自宅を出発。

食料等を調達して、白山市・白峰の奥にある白山登山のスタート地点、「別当出合」を目指します。

 

別当出合の駐車場に到着したのは4時半。

身支度を整え、5時、砂防新道での登山スタートです。

午前4:59 別当出合をスタート

 

中飯場、甚之助小屋を順調に過ぎ、7時30分ごろに黒ボコ岩に到着。

午前7:38 黒ボコ岩

 

ところがこの辺りから、右足のふくらはぎ・足首に痛みが出始めます。

ちょっとした岩場を登り、室堂到着直前には、すでに右足首は限界。

やはり肉離れの影響は大きく、まだ完治していないことを痛感しました。

 

8時10分に室堂に到着しましたが、私はそのまま待機。

午前8:08 室堂到着

むぎーさんのみ山頂・御前峰に向かっています。

 

30分後、むぎーさんは山頂到着。

午前8:32 むぎーさん山頂・御前峰に到着

 

むぎーさんは、トンボ返りで室堂に戻ってきて、そのまま食事をとります。

室堂での食事風景

 

食事の内容は…

ノンアル&炭火焼きの鶏肉パック
→むぎーさんが持ってきてくれました
カップ麺
おにぎり
パン
コーヒー
→挽いた豆を持参し淹れます

 

食事をとって休憩をし、10時過ぎには室堂をスタートし下山を開始しました。

午前10:19 室堂から少し降りた展望台より

 

下山ルートは、むぎーさんが、痛めた私の右足を考えて、エコーラインと南竜道を選択してくれました。

甚之助小屋・中飯場を経由して、別当出合に戻ったのは午後1時半。

午後1:32 別当出合にゴール

 

 

今回は、3年ぶりの白山登山。

右足の痛みはぶり返してしまいましたが、むぎーさんのおかげでいいハイキングができました。

むぎーさん、ありがとうございました。

 

来年には、また白山登山に挑戦したいと思います。

そのときも、見捨てずに一緒に登ってください。

よろしくお願いします!

 

 

追伸

下山をしたら白峰の総湯でお風呂に入り自宅に戻ります。

自宅では、登山道具や持っていった食器を洗ったり、洗濯(まずはつけ置き…)をしたりなど諸々片付けをする必要がありますが、それらが終わってからは慰労会を行う予定でした。

 

しかし、睡眠不足に加え、私は足の痛み、むぎーさんはお腹が痛い…と、二人ともヘロヘロの状態。

残念ですが、慰労会はつぎの機会としました。

 

飲み会(慰労会)を自分からキャンセルするなんて、もしかして初めてかもしれません。

「夕食は要らないと言っていたけど、やっぱり食べたい」と伝えると、妻も「えっ、どうしたの?」と、少々ビックリしていました。

 

そんなに驚くこと?

私だって、分別のある大人のつもりなんですけど…

セ○ブな町…

昨日 8月17日(水)はお盆休みの最終日。

久々に家族全員揃っての日帰りドライブに行きました。

 

行き先は…

朝10:20 旧軽井沢銀座通り

 

旧軽井沢銀座通り。

 

日帰りドライブ…とは言っても、行き先は長野県の軽井沢です。

普通に走っているだけでは、往復するだけでドライブが終わってしまします。

なので、車中泊を前提に、前日 16日(火)の夜からキャンピングカーで出発することにしました。

 

夜10時、キャンピングカーにタオルケットや枕を持ち込んで、まずは家族全員が寝間着姿で自宅を出発。

そして、日付が変わった午前0時過ぎ、北陸道の越中境PAで最初の休憩。

2時間ほど仮眠をしてから再出発します。

 

1時間ほど寝坊をした午前3時。

ドライバー(私)は起きてPAを出ます。

 

そこからは上越Jctから上信越道に入り、東部湯の丸SAで2度目の休憩。

そこでドライバー(私)も再度仮眠をします。

 

朝7時に起床。

SAの売店でおにぎりを購入。

朝8時には家族全員が起床して朝食。

朝食が終わったら歯磨き/着替え等の身支度(女性陣はメイクも…)をして、朝9時にSAを出ます。

 

小諸ICで上信越道を降り、10時過ぎには旧軽井沢に到着。

さっそく駐車場に車を停め、全員で商店街へ向かいます。

 

ただし、そこからは子供たちとは別行動。

私は、妻と一緒に街ぶら。

 

お酒やお菓子を買い、有名な(らしい…)パン屋さんで色々なパンも購入。

その他にも、ジャムや果物ソース、工芸品などを見て、1時間ほどの散策を楽しみました。

 

つぎは、有名な(らしい…)チョコレートファクトリー。

チョコレートファクトリー

 

そして、星○リ○ート・エリアでの昼食。

村民食堂

 

ここでも、子供たちとは別のテーブル。

 

私は「夏の信州彩り御前」。

妻は「鴨と夏キノコの山椒鍋」。

 

妻の頼んだ鍋。

妻の好物の鴨/キノコ/山椒が揃い踏みをした、まるで妻のために作られたようなメニュー。

粒山椒がたっぷり浮かんだ出汁に3種類のキノコと野菜を入れて、まずは鴨肉のシャブシャブを頂きます。

そして鍋の締めは、なんと蕎麦。

小さなカゴに蕎麦を入れ、それを鍋で30秒ほど湯掻いて頂きます。

鴨南蛮…と言ってしまえばそれまでですが、このメニューには遊び心が満載。

妻は大満足のようでした。

 

子供たちは、「たっぷり夏野菜の牛すじカレー」と「夏野菜と海老の天ぷらせいろ」。

子供たちも美味しくいただいたようです。

 

 

美味しい食事が終わったら、近くにあるハルニレテラスを散策。

あいにくの雨でしたが、ここでも色々なお店でウィンドウショッピングを満喫。

 

しかしここで持ち時間がゼロとなり、残念ながら途中で切り上げて帰ることになりました。

 

本当なら、白糸の滝と鬼押し出しも観光するつもりで、子供たちも、そこを楽しみにしていたようです。

しかし、旧軽井沢、そして星○リ○ートの人気は高く、どこも驚くほどの車の渋滞、人の行列で、待ち時間に予想以上の時間を使う結果に…

 

状況を説明すると、子供たちも納得。

少し余裕を持って、安全運転で帰ることにしました。

 

白糸の滝と鬼押し出しは、いずれリベンジしたいと思います。

 

 

金沢に帰り着いたのは午後8時。

テ○メでお風呂に入り、午後9時に帰宅。

そこから近くの居酒屋さんで、本日最後のイベント、家族全員での慰労会を行いました。

 

その慰労会では、長男が、軽井沢町に対する印象をこんな風に言っていました。

 

 

走っている車を見ているとベンツが多い。

それも、何気なく普通にベンツに乗っている感じ。

旧軽井沢の町は、お金持ちの人が多い町だと思う。

 

 

なるほど。

君の印象は正しい。

 

旧軽井沢は明治時代、外国人や政界・財界の人たちが別荘を構えたセレブな町でした。

その名残/雰囲気が、観光客の人気を呼ぶんですよ、きっと。

 

 

彼が感じた旧軽井沢に対する印象。

その印象の根っこには、彼の、お金持ちへ憧れがあったのか、それとも疎外感があったか。

 

父親としては、そこが知りたいですね。

 

 

追伸

家族での慰労会では、前日からずっと(ハンドルキーパーだったので…)飲むことができなかったアルコールを、二日ぶりで美味しく頂きました。

 

そして乾杯(私以外はソフトドリンク)の際には、妻や子供たちから労いの言葉をいただきました。

 

星○リ○ートでの昼食も確かに美味しかったのですが、私は、このときの「安い居酒屋で食べて飲んだ食事」の方が、もっと美味しかったし嬉しかった…

 

セレブではなく美食家でもない私は、それが本音です。