長い目で…

今日は、11月4日(火)。

 

このところ私はトレーニングをしておらず、トレーニングを再開してもまた休む…ということを繰り返しています。

原因は、怪我をした右足の具合が芳しくないこと(「怪我の予防…」)。

 

とくに、右膝については11月を迎えても違和感&痛みが残っています。

具体的には、

・右膝を屈伸等で膝を曲げていくとき、
・角度が深くなってくるにつれて
・膝関節に抵抗を感じる

状態になっており、これが変わりません。

また、

・さらに膝を曲げていくと、
・膝の内部に痛みが走りるようになり、
・膝を伸ばす際に関節から ”パキッ” と音がする

ようにもなりました。

 

ちょっと良くない状態だと思っています…

 

私が右膝に怪我を負ったのが7月初。

それから3ヶ月を過ぎた10月からはトレーニングを再開したいと思っていました。

しかし、普段の生活やサツマイモの畑仕事等で右膝を痛めてしまうことが続発。

その結果、トレーニングを休まざるを得ない…

ということを繰り返しています。

 

そんな風に書くと、

「右膝については治る望みがない」…

というように感じてしまいます。

 

しかし、そんな訳ではありません。

 

 

たとえば、サツマイモ畑の草刈り。

怪我をした直後は、右膝にかかるダメージに耐えられず、途中でギブアップするほどでした(「限界ですけど…」)。

しかし、8月、9月に行った草刈りでは(「おとなしい…」、「サツマイモ 準備オーケー…」)、徐々に連続して作業できる時間が増えてきています。

もちろん右膝へのダメージがあり、それぞれその後のトレーニングは休むことになりました。

とはいえ、膝を動かすことに耐えられる度合いが、8月、9月と高まってきていることは感じられています。

 

そして、サツマイモの収穫。

10月には有志の方々と(「曜日選択の重要性…」)。

11月には二日間に渡ってほぼ一人で(「収穫がようやく完了…」)。

今回は複数の日にちに渡ってとなりましたが、サツマイモ掘りを行いました。

実際にイモを掘るには、

・畑の地面に膝をついて
・シャベルで畝を掘り進めていく

作業を行います。

9月〜10月前半までは、上記イモ掘りを行っている最中の

「膝を曲げて地面につけ上半身を支える」

という姿勢をとること自体が難しい状態でした。

しかし、11月になった現在では、(やはり右膝へのダメージはありますが…)膝をついてイモ掘りを行う姿勢をとることがができます。

 

いずれも、本当に少しずつではありますが、膝の状態が良くなっていることの表れだと思っています。

 

 

10代/20代の若いころであれば、1ヶ月もすれば治っていた程度の怪我。

しかし、60歳を過ぎた現時点では、4ヶ月を過ぎても元通りにはならない。

それでも治っていない訳ではなく、その早さが、とてもゆっくりになった…

その現実を受け入れて、長い目で見ていくしかありません。

 

「来春になれば、ある程度良くなっているだろう」…

それを信じて、この秋・冬を乗り切っていくことにします。

文化の香り?…

今日は、11月3日(月)。

この日は文化の日、国民の祝日です。

 

元々は明治天皇の誕生日を祝う日で、当時は ”明治節” と呼ばれていた由。

それが、第二次世界大戦後に文化の日となって現在に至っています。

 

 

文化の日には、石川/金沢でもいろいろな催し物やイベントが開催されています。

私が知っているものをあげてみると、

・七尾 一本杉通り
  第4回 うますぎ一本杉

・金沢 兼六園 無料開放

・金沢 21世紀美術館 市民 主催展覧会無料
  市民美術の日 ”オープンまるびぃ 2025”

・金沢 県立美術館 県民 入場無料

という感じ。

 

「よし、我が家も、文化の香を楽しもう!」

ということで、昨晩のうちにお出かけへのお誘いを試みたのですが…

結果は、妻も子供たちも極めて薄い反応。

 

妻は、

「えー、一本杉通り。ちょっと遠いわよね」

と、雨の予報に乗り気にならない模様。

次女&長男に至っては、返事もない。

そんな感じで、文化の日のお出かけは無くなってしまいました。

 

それならば…

ということで、文化の日に相応しいメニューを考えて、夕食にはそれを作って食べることを思いつきました。

 

さて、石川/金沢の食文化を代表するメニューというと、どんなものがあるでしょうか?

代表的なものでは、

・治部煮
 鴨や麩を使ったとろみのある煮物。
 ワサビを添えて食べるのが特徴でしょうか。
 家庭で作るときは、鴨ではなく鶏肉もアリ。

・カニ
 冬の北陸は、ズワイガニが有名。
 ただし、今年2025年の解禁日は11月6日。
 なので、まだちょっと早いですね。

・おでん
 少し前に、金沢おでんが観光客に人気になりました。
 かに面が大人気だったようです。
 まあ、普通の具材でも出汁の味がしみて美味しいですね。

といったところになるでしょうか。

 

この中で、カニはまだ解禁日になっていないので除外。

残った治部煮とおでんだったら…

やっぱり、お手軽に作ることができる ”おでん” でしょうか。

 

具材としては、

・大根
・巾着(もち入り)
・たまご
・こんにゃく
・昆布(縛ったやつ)
・牛すじ
・ガンモ
・ちくわ

こんなところですかね。

 

今日の夕食は、出汁のしみたおでんを食べ、金沢の食文化を感じることができそう…

そんなことを思った、文化の日の朝となりました。

収穫がようやく完了…

今日は、10月31日(金)。

10月も最後の日。

明日からは11月であり、2025年も残り2ヶ月となりました。

 

歳をとってくると、月日が流れるのが早く感じられるものです。

しかし2025年は、これまでに増して早いようなイメージ。

今年は、新型コロナ以降の年の中でも、色々なイベント、行事等が多く、やるべきことが多かったはず。

なので、ボーッとして過ごしたことは無いんですけどね。

うーん、なんでかな…

 

 

ちなみに、今日 10月31日は、ハロウィン(ハロウィーンとも言いますかね…)。

 

私がハロウィンについて知ったのは、たしか中学生だったような気がします。

高校生だった姉が買っていた少女漫画に、ハロウィンの様子が描いてあるものがありました。

その漫画によると…

・子供たちがカボチャをくり抜いた提灯のようなものを持ち、

・それぞれが魔法使いのような変装をして、

・近所の家を訪ねて回りながら玄関先で、
 「トリック・オア・トリート」
 (日本語だと、”お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ!” って感じですかね?)
 というセリフを言って、

・その家の人からキャンディーをもらう…

そんなシーンを見たのが、ハロウィンについて初めて知る機会だったように思います。

 

そんなハロウィンの前日、および前々日である29日(水)/30日(木)。

私は、カボチャ…ではなくサツマイモ掘りを行いました。

 

もともとは18日(土)に、すでに有志の会の方々とサツマイモ掘りは行っていました(「曜日選択の重要性…」)。

ところがこの日は土曜日だったこともあり、参加できる方が少ない状況。

しかも午後からは、雨が降ることが確定のお天気。

このため、この日のうちにすべてのイモを掘ることは不可能で、やむなくイモ掘りは午前中のみで終了。

掘り残こしたサツマイモは、翌週の26日(日)に掘ることにしました。

 

しかし世の中は上手くいかないもの。

再設定したイモ掘りの26日も、前夜から続く雨模様。

このため26日はイモ掘りができず、前回に掘り終えていたサツマイモの仕分け&分配のみしか実施できませんでした。

 

 

「うーん、イモ掘りができるお天気のいい日は、いつになるのかな?」

そんなことを思いながらこの週の天気予報を眺めてみると…

水曜日の29日、そして翌日木曜日の30日しか、晴れの予報がありません。

それ以外は、土日も含めて雨の予報が並んでいます。

 

ということで、掘り切れず畑に埋まったままのサツマイモは、ウィークデイの晴れ間を見て掘るしかない…

そんな状況となってしまいました。

 

晴れの日を狙い、まずは29日の午前と午後を使って、掘れるだけ掘ることに決定。

「もし29日中に掘り切れなかったときは、30日まで延長することも考える」…

その覚悟をしました。

 

ところがこの両日は妻の都合がつかず、サツマイモ掘りができるのは私一人。

「うーん、一人っきりか、果てしないなぁ」…

そんな感じでした。

 

 

さて、29日(水)。

朝8時半過ぎから、いよいよイモ掘り開始です。

 

私一人で黙々とイモ掘りをしていたのですが、そこに通りかかった有志の会の方。

その方が、午前中のみの応援団としてイモ掘りに加わってくれることになりました。

 

前回のイモ掘りでは、2畝弱を掘り残してた安納芋。

その残っている2畝弱の安納芋を、応援で来てくれた方と一緒に掘り終えたのが11時。

こうして午前のイモ掘りは終了しました。

 

そして午後。

12時半からイモ掘りを開始。

ただし、再び一人でのイモ掘り。

 

午前中に安納芋を掘り終えたので、残るは五郎島金時の4畝のみ。

「ゴールは近い」…

と思いたいところですが、これが思ったようにはかどらないんですねぇ。

 

午後3時半になり、1畝と2/3畝ほどを掘り終えたころ。

仕事の現場から事務所/倉庫に帰ってきたタイミングで、畑でイモ掘りをしている私を見かけたbest岡田さん。

そこからbest岡田さんが手伝ってくれました。

 

五郎島金時4畝のう、半分の2畝を掘り終えたのが午後4時。

この日は、ここで作業終了としました。

 

そして、翌日の30日。

午前8時半少し前から作業を開始。

 

残るサツマイモは、五郎島金時の2畝のみです。

「できれば、午前中でイモ掘りを終わらせて、午後からは仕事をしたいなぁ」…

そんなことを考えながら、黙々と掘り進めていきます。

 

そして、すべての五郎島金時を掘り終えたのが12時過ぎ。

 

掘り終えたサツマイモは土嚢袋に入れて、車庫に入れておきます。

 

安納芋は、残っていた一部なので、3袋半。

五郎島金時は、8袋。

これを、今年参加している有志の会の方と、あらためて分け合います。

 

 

収穫したサツマイモの具合ですが、やはり夏の猛暑&渇水の影響があったのか、例年よりもサツマイモは小さめ。

しかも個数が少ない印象。

加えて、やはり渇水の影響なのか、少しでも水分を得ようとするように、サツマイモが地中深くに潜り込んでいる…

そんなイモが多かったように思います。

 

もともと安納芋というサツマイモには、上記のような傾向があり、掘る際にはちょっと注意が必要です。

これに対して五郎島金時というサツマイモは、これまでの経験では、苗が土の上に顔を出しているあたり、しかも地中深くないところに5つほどのイモが固まっていることが多く、比較的掘り易すく手間取らない…そんな印象を持っていました。

しかし今年はその五郎島金時でさえ、バラバラ&地中深くイモが潜り込んでいるものが少なくなくありませんでした。

 

「サツマイモも、酷暑&渇水を生き残るために、色々工夫をするんだなぁ」…

そんなことを思ったりしました。

 

 

 

これで、今年のサツマイモの収穫はようやく完了しました。

ちょっとホッとしました。

 

しかし収穫を終えても、冬が来る前に

・蔓を廃棄して、
・長くなった草を刈ったら、
・畑に肥料を撒き、
・大まかに耕しておく

という作業をしておく必要があります。

これも、合間を見て片付けておくことになるでしょうか…

 

 

今年は、

・異常気象
・メンバーの都合がなかなか合わない
・天候不順

…などの影響を受けたサツマイモ、そして有志の会。

さて、来年はどうなるか。

 

まあ、なるようにしかならない…ですね。

それはそれで、またドタバタを楽しんでいくことにしますか。

名産の代償…

今日は、10月29日(水)。

先日のブログには、妻と一緒に行った、長女の住む群馬県富岡市への日帰りドライブについて投稿しました(「乗り心地が良く、疲れにくい…」)。

その途中、上信越道の小布施PAで、自宅へのお土産として栗を購入してきました。

 

ご存知の方も多いと思いますが、小布施は栗の産地としてとても有名です。

栗の名産地だけあって、PAの露店で売られている栗も、私がこれまで目にしてきた栗に比べて、およそ1.5倍ほどの大きさがありました。

さすがですねぇ〜

 

今朝は、このときに買った栗での炊き込みご飯…

いわゆる ”栗ご飯” です。

 

小布施名産の大きな栗がゴロゴロ入った栗ご飯。

それを、美味しく頂きました。

 

 

ところで、この栗を買うときに、妻との間でちょっとした悶着がありました。

そのときの会話がこれ。

 

私:

あっ、小布施の名産の栗。

やっぱり大きいねぇ。

 

妻:

そうね(笑

 

私:

そうだ、これを使った ”栗ご飯” が食べたい!

お土産に買って帰ろうよ。 

 

妻:

えーっ…

栗の皮をむくのは大変なのよ。

外側の鬼皮をはがしてから、内側の渋皮を包丁でむくの。

まず外側の鬼皮をはがすんだけど、包丁で切れ目を入れて、そこに親指の爪を立ててはがしていくのよ。

鬼皮をむき続けると、爪と指の間がすごく痛くなるんだから…

 

私:

よーし、分かった。

俺が栗の皮をむいてあげるよ。

それなら良いよね?

 

妻:

ええ、良いけど。

本当に大丈夫?

 

私:

おう、任せとけ!

 

 

そうは言ったものの、実は何の作戦も考えていませんでした。

それでも、名産の大きな栗を買ってもらった私。

安請け合いをした栗の皮むきを、なんとかしないと…

 

という訳で、家に帰ってから ”栗の皮を簡単にむく方法” について、私一人での大検討会を開催。

そして、その結果は…

 

そう、この栗の皮むき器。

その名前は、”栗くり坊主”。

なんと、鬼皮と渋皮が一緒にむける優れもの。

これをネットで見つけた私は、思わずポチってしまいました…

 

届いた現物をみると、かなりガッチリした作り。

使い方としては、

(1)左側の ”ギザギザ歯” を鬼皮に当てて
(2)右側の ”皮むき刃” で鬼皮&渋皮をむく

というもの。

(1)の歯は、刃物というよりもアイゼンのような滑り止め。

対して(2)の刃は、”普通のハサミの刃” ではなくまさに包丁の刃物。

その切れ味は鋭そうですが、硬い鬼皮と渋皮を一緒にむくのであれば、ある程度の握力でレバーを握る必要がありそうです。

 

 

さて、皮むき器が届いたらさっそく作業を開始。

栗を水に一晩つけておき、この皮むき器を使って、昨日の夜にすべての栗の皮をむきました。

 

皮むきにかかった時間は、およそ1時間半。

 

宣伝文句にある通り、確かに栗の鬼皮と渋皮を一緒にむくことができました。

これには、私の作業を見ていた妻もびっくり。

「すごいわねー」

…なかなかの優れものです。

 

私の親指の爪が痛くなることもなく、綺麗に栗の鬼皮と渋皮がむけました。

 

しかし、欠点のない道具は無い。

必ずどこかに注意すべき点がある…

それが世の習い。

 

この皮むき器は、鬼皮と渋皮を一緒にむくことができるのが特徴。

鬼皮と渋皮をむくための鋭い刃がついているとはいえ、これを一緒にむくにはある程度の握力が必要となります。

まあ、どんなハサミ/ペンチでもそうなるのですが、硬いものを切るためにレバーを強く握って使い続けると、

「レバーに当たっている親指の付け根の皮がむける」

ということが起きたりします。

昨日の皮むきではそこまではいきませんでしたが、親指の付け根がかなり痛みました。

 

そして…

 

いやー、失敗してしまいました。

皮をむく(2)の刃が、栗を持っていた私の左手の皮までむくことになりました…

 

先に説明をした通り、この道具で栗の皮をむくには、

(1)まず左側のギザギザ歯を鬼皮に当て、
(2)そして右側の刃で鬼皮&渋皮を一気にむく

ことになります。

ただこのとき、(1)のギザギザ歯を鬼皮にしっかり食い込ませていないと、力を入れたとたんにギザギザ歯が外れ、そのはずみで(2)の刃がツルッと滑ってしまいます。

そうなると、力を入れている方向や加減の具合で、(2)の刃が左手に向かってきてしまうんですねぇ…

 

私が栗の皮をむいているときも、ギザギザ歯の食い込ませ方が甘かったようで、ツルッと滑った鋭い刃が、私の左手の親指に当たり、皮膚が切れて(むかれて…)しまいました。

 

 

栗の皮むき器、”栗くり坊主”。

便利な道具ではありますが、怪我をするリスクもゼロではない。

名産の栗を美味しく頂いた代償として、

「便利な道具やツールにも、使用上の注意事項/欠点はある」

という普遍の法則を学んだ、この日の私でした。

 

追伸:

怪我を予防するためには、両手に手袋をすることがいいかもしれません。

ただし、左手は栗をつまんでいる必要があります。

このため左手の手袋は、

・指先に滑り止めのついているもの
・指先だけを切り落としてあるもの

であれば、なお良いと思います。

上記、参考まで。

蒸す? それとも炊く?…

今日は、10月27日(月)。

実はこの日は、次女の24回目の誕生日。

なので今日のご飯は、妻が炊いてくれた赤飯が食卓に並びました。

 

我が家では誰かの誕生日がくると、その日には赤飯を作ることが定番。

これは、(すでに亡くなっていますが…)私の母がそうしてくれていたもの。

妻も、母のやっていたことを引き継いで、家族の誕生日には赤飯を作ってくれます。

 

その赤飯。

実は赤飯の作り方にも色々あって、母はセイロで蒸す派でした。

しかも、お米は100%もち米。

いわゆる ”おこわ” としての赤飯を、せいろで蒸して作っていました。

食べたことがある方は分かると思いますが、蒸す方法で、しかも100%もち米で作った赤飯は、お米の中までしっかり蒸し上がっても(芯がない状態になっていても)、比較的しっかりした歯応えがあります。

ただし ”おこわ” としての赤飯を作るには、前日に行う

・小豆を炊いて
・その煮汁にお米をつけておく

などの準備だけではなく、当日朝にも、

・まず大きな鍋にお湯を沸かし
・お湯が沸いたらその上にセイロを積んで
・セイロ内のお米&小豆を1時間ほど蒸す

という作業が必要になります。

このため母(と父)は、朝4時ごろに起きて赤飯を蒸して作っていました。

ちょっと大変なのですが、父も母も、蒸して作るもち米100%の赤飯をとても気に入っており、ずっとその作り方を通していました。

 

対して妻は、炊飯器で炊く派。

母がもち米100%で作っていたのに対し、妻はもち米 2/3 に、うるち米 1/3 を混ぜて作ります。

 

たとえば、6合の赤飯を炊こうと思うときは、もち米4合にうるち米2合を加えて作ります。

炊いて赤飯を作る場合、うるち米を混ぜずにもち米100%で赤飯を作ってしまうと、炊き上がった赤飯のもち米が柔らかくなり過ぎるのか、赤飯全体がベタついてしまいます。

それを避けるためにうるち米を混ぜ、炊き上がった赤飯がベタつかないようにします。

ちなみに、うるち米とは、普通のお米のことです。

 

赤飯を、蒸す方法/炊く方法のどちらで作っても、前日の準備作業は何も変わりません。

しかし炊いて作るのであれば、当日の朝の作業はなく、前日の夜に

・小豆の煮汁につけたお米を、
・煮汁ごとお釜に入れ、
・水加減は普段の80%ほどに調整し、
・お米の上に小豆を乗せたら、
・あとは炊飯器のタイマーをセット…

するだけでオーケー。

朝になり、いつもの通りに炊飯器のスイッチが入って炊き上がれば、それで赤飯の出来上がりです。

このようにして ”炊いて作った赤飯” は、”蒸して作った赤飯” に比べて

・柔らかく
・赤い色が濃くて
・小豆の香りが強い

のが特徴。

 

実は妻も、何度か ”蒸す” やり方で、もち米100%の赤飯を作ったことがあります。

しかし炊飯器で作る ”炊いて作った赤飯” の方がお気に入りのようで、妻は、何度か蒸して作ったあとは、ずっと炊いて作っています。

 

 

私が子供のころからずっと食べていたのは、母が作っていた、しっかりした歯応えのある ”蒸した赤飯”。

そのためか、妻が作る ”炊いた赤飯” に、最初は違和感を感じていました。

しかし今では、その柔らかくて色が濃く、やや香りの強い ”炊いて作った赤飯” が、普通になってしまいました。

 

そう思って見てみると、スーパーやコンビニ等で売られている赤飯(パックに詰めて売られているもの、おにぎり等)のほとんどは、おそらくうるち米を入れ炊いて作ったものだと感じます。

現在では、妻のように ”炊いて赤飯を作る” ことがスタンダードなんでしょうね、きっと。

 

その現在よりもはるか昔、50年以上前のこと。

私が保育園や小学校に通っていたころには、すでに同じ組/クラスの仲間には、私のような農家の子供はほとんどおらず、クラスメートのほとんどはサラリーマン家庭の子供だったように思います。

私の家の家業は、すでに少数派となっていた農業。

しかも、普通のお米だけではなく、父と母はもち米も作っていました。

そんな父と母だからこそ、もち米100%の赤飯を、昔ながらの作り方である ”蒸して作る” ことにこだわっていたのかもしれません。

 

 

妻が作る ”炊いた赤飯” が並んだ今朝の食卓。

その赤飯を美味しく頂きながら、かつて母が作ってくれた ”蒸した赤飯” のことを、ちょっと思い出した…

そんな、次女の誕生日の朝となりました。