ルーティーン…

今日は、12月5日(木)。

昨日 4日(水)は、両足の脹脛に張りがある感じがしたので、トレーニングはお休みしました。

 

以前の投稿にも書きましたが、私は、60歳を手前にした頃から脹脛(ふくらはぎ)の筋肉が、左右どちらとも ”固くなった/縮んでしまった” という感覚があります(「リハビリ/メンテナンスの重要性…」)。

そのため、トレーニング前後にルーティーンとして行っていた準備/整理体操に、脹脛のストレッチを多めに入れるようになりました。

また、トレーニングが終わってからの入浴中/入浴後に、”足首のストレッチ/コロコロ” などのメンテナンスも行うようになりました。

これも、現状ではルーティーン化しています。

 

ただ、それらを行った瞬間は、

「あっ、ちょっと良くなったかな」…

と感じるのですが、残念ながら、その ”良い状態” が長続きすることはありませんでした。

(翌日には、また ”固い/縮んだ” 感じに戻ってしまいます)

 

そんな今日。

朝、目が覚めた布団の中。

いつものように両足の脹脛に張りがあることを感じます。

「あー、やっぱりねー」…

 

そんなガッカリ感が満載の私。

普段ならそのまま起きてリビングに行くのですが、今日はなぜか布団の中でウダウダ。

そして、何気なく脹脛のマッサージをしてみました。

するとなぜか、入浴後にマッサージを行っているときよりも、

「もっと脹脛の張りが和らいでいる/もっと効果が高い」…

という感触。

「おっと、これは良い感じ」…

 

ちょっと嬉しい気分になったので、布団の中でのマッサージを継続。

ひとしきり脹脛をマッサージしてからリビングに行き、すでに起きている妻や次女に ”おはよう” の挨拶。

これもルーティーン。

 

引き続き、私の朝のルーティーンである血圧測定を行ってみると…

なんと、いつもより10mmHgほど低い値。

「えっ!?」

 

ちょっと信じられない気もしたのですが、もしかすると、

・脹脛の筋肉が固く縮んでいると、
・全身の血流が妨げられ、
・それが原因で血圧が高くなる

ということがあるのかもしれません。

さらに、

・脹脛のマッサージは、翌朝に行う方が効果的

なのかも。

いや、それは言い過ぎか…

 

 

朝の脹脛マッサージ。

良い効果が続くかどうか…

私の朝のルーティーンに加えて確認してみることにします。

早めの準備…

今日は、12月2日(月)。

昨日 1日(日)は、朝一番から我が家の車4台のタイヤ交換を行いました。

朝食後、身支度等を整えて、朝9時過ぎから作業を開始。

・ベルファイア(妻)
・bB(次女)
・レジアスエース(私)
・軽トラ(私)

の順にタイヤ交換を実施。

すべての作業が終了したのは11時過ぎでした。

 

車1台のタイヤ交換を行う手順ですが、私が行っているのは以下の通りです。

(1)タイヤラックから ”冬用タイヤ4本&ナット” を取り出して納屋前に運ぶ
(2)車を納屋前まで動かす
(3)ガレージジャッキでフロントをジャッキアップする
(4)フロントタイヤ2本を交換
(5)ジャッキをリアに移動しジャッキアップ
(6)リアタイヤ2本を交換
(7)ジャッキを降ろし、タイヤ4本の空気圧チェック
(8)町会外周を一周してタイヤにガタが出ないことを確認
(9)車を元の場所に駐車
(10)外した ”夏用タイヤ&ナット” をタイヤラックにしまう

これを車4台それぞれに行います。

前後の作業準備と片付けを除くと、1台当たり26分ほど。

まあ、順調に作業は進んだと思います。

 

 

上記の車に加えて、

・パッソ(長女)

があり、昨年は5台のタイヤ交換を行っています(「突然のこと…」)。

そのパッソは、就職した群馬県で使うため、長女が持っていきました。

であれば、

「パッソについては長女が自分で交換する」

…かと思いきや、今週末の8日(日)にはレジアスエースに冬用タイヤ(そしてその他諸々も…)を積んで、パッソのタイヤ交換に行くことになっています(「私設の…」)。

 

上記 ”タイヤ交換” では、高速道路で北陸道 → 上信越道を走ります。

この時期の上記ルート、とくに上信越道の妙高〜長野あたりは、もう雪が降る可能性が出てきます。

金沢市だけ見れば、冬用タイヤに交換するタイミングとしては少々早めでしたが、群馬県との行き来があることを考えて ”早めの準備”。

「安全/安心」

を優先することにしました。

 

 

さて、タイヤ交換を終えてお昼を食べ、しばしグダグダしている時間帯。

「あー、午後からのトレーニング、どうしようかな」…

そんなことを考えているときに、長男からこんな提案がありました。

 

「オートバイを見に行きたいから、一緒に行ってほしい」

おっと…

妻を見ると、友達とスマホで長電話をしている最中で、こちらの会話はまったく耳に入っていない様子。

 

「よし、じゃあ出かけよう」

ということで、午前中にタイヤ交換を行ったレジアスエースで出発。

行き先は、中古車の在庫数が多いことで有名な ”赤男爵” です。

 

まずは、自宅近くにある、野々市のR8沿いのお店に行きました。

1階、2階と、ずらっと中古車が並んでいます。

ただし、長男が興味があるオートバイはアメリカンタイプで、その在庫数は圧倒的に少なめ。

この店舗では、常に100台ほどの中古オートバイを在庫していると思いますが、その中でも中型(125cc〜400cc)のアメリカンはわずか3台しかありませんでした。

 

しかも、中型のアメリカンのオートバイは、もはや絶版車ばかり。

長男が最も欲しかったカワサキ バルカンというオートバイは、2003年に生産終了。

お店の方に聞くと、

「探せば中古車そのものは出てくると思いますが、バルカンは特定の部位に故障が多い傾向があります。加えて、メーカーからの部品供給が遅いことがあり、すぐに乗り出せる状態のものとなるとちょっと難しいと思いますね」…

とのこと。

それでもひと通り、中古車を見て回ってお店を出てきました。

 

「バルカンはちょっと難しいみたいだ。どうだ、諦めがついたか?」

そう長男に聞いてみると、

「いや、もう一軒行きたい」

あっ、そう…

 

ということで、今度は、金沢のほぼ反対側、柳橋にある同じ系列店の ”赤男爵” に行ってみました。

そこでは、とても綺麗な状態のヤマハ ドラッグスターを発見。

 

各種カバー類がはずされていましたが、状態は最上級の感じ。

最終型の2016年式なのですが走行距離は3,000km未満で、全オーナーはほとんど乗らずに車庫で保管していた模様。

売約済み車体の最終整備を店頭で行っていたものでした。

 

つぎに、少し古い状態のものでしたが、スズキ イントルーダー。

イントルーダーの最終型は2016年。

上のドラッグスターと同じです。

なので、探せばアメリカンとしては比較的高年次のものがありそうです。

 

このお店にも100台を超える在庫がありますが、その中でアメリカンの台数は10台程度と、前の店舗よりは多いものの、それでも圧倒的に少ないことに変わりはありません。

ただ、

「程度の良いアメリカンは入庫するとすぐに売れるので、在庫になりにくい傾向があります。中古車として流通している台数としては、決して少なくないですよ」

とのこと。

来週にも比較的高年次のドラッグスターが入庫するそうで、

「アンケートにお答えいただければ、入庫したことを連絡できますけど?」

との話をもらいました。

が、長男は、まだ免許証も持っていない高校2年生。

「あっ、また来ますのでアンケートは遠慮しときます」

そう言って帰ってきました(長男は不満そうな顔をしていましたが…)。

 

帰りの車の中で、

「お父さん、俺、ドラッグスターかイントルーダーに決めた!」

そう言って、長男は満足そうに一人で頷いていました。

 

いや、まずは高校を卒業して、それからね…

 

 

この日、私は冬用タイヤを早めに準備しました。

それと同様に、長男は気になるオートバイの下調べを、早めに準備した模様。

 

トレーニングはサボってしまいましたが、まあ、こんな時間を過ごすのも、

「悪いことじゃない」…

そう思ったこの日の午後でした。

休息日あれこれ…

今日は、11月23日(土)。

昨日 22日(金)は午後から用事がありトレーニングはお休みしました。

 

昨日は、ガーミン先生から提案されたワークアウトも「休息日」。

 

いやー、珍しい。

それに甘える訳ではないですが、まあ、休むことも大切…ですよね。

そう思って、つぎの日からのトレーニングを、しっかり行うこととします。

 

 

さて、昨日午後からの用事ですが、実は昨年亡くなった私の叔父さん(「突然のこと…」)の一周忌の法要でした。

その法要では、久々にお会いした方がいらっしゃいました。

その方は、亡くなった叔父さんの兄の長女で、年齢は私と同い年。

子供のころには、何度か一緒に遊んだことがありました。

最後に彼女とお会いしたのは、私たちが成人式を迎え、それぞれが叔父さんのお宅にご挨拶に伺った際に、たまたまそこで一緒になって以来。

ということは、彼女とは42年ぶりに顔を合わせた…ということになります。

成人式以後、彼女と会うことはありませんでしたが、ご結婚されて以来、ずっと夫の実家のある輪島市に住んでおられたそうです。

 

その自宅は朝市通りのすぐ近く。

皆さんご存知の通り、今年の元旦、能登は大きな地震に見舞われましたが、そのとき彼女は、たまたま金沢市の実家に来ており難を逃れたそうです。

しかし朝市通り周辺の被害はひどく、火災にこそ遭わなかったものの、自宅はかなり被害を受けたとのこと。

被害が大きかったこともあり、ある程度、周辺の復旧/復興が進んでから、自宅をなんとかして輪島に戻る…

そんなつもりで、一時的に金沢市の実家に生活の拠点を移していたそうです。

 

ところが、そうしている間に、夫、そして実家の母親と、立て続けに二人が病気で亡くなってしまう…

そして、そこに加わる能登豪雨の被害。

ご存知のように、市内を流れる川が氾濫し輪島市では大きな被害が発生しました。

彼女の自宅も地震の被害に加えて浸水被害が及んでしまい、それを知ったとき、

「もう輪島には戻れない」…

そう思ったそうです。

 

夫の母(義母)はご健在で、少し前から輪島の高齢者施設にお住まいだったとのこと。

元旦に発生した地震により、一時的に金沢市の高齢者施設に移っていましたが、

「どうしても輪島に戻りたい」…

ということで、運営を再開した輪島市の(元々のところとは、また別の…)高齢者施設に移ったそうです。

しかし彼女自身は、

「輪島に戻ればお義母さんにも頻繁に会いに行けるけど、夫が居らず景色も一変してしまった輪島には、私はもう戻るつもりはないわ。金沢に残った実家で、一人で暮らすつもり」

そうおっしゃっていました。

 

 

「私、なかなか波瀾万丈の人生を送っているのよ」

彼女は明るく笑いながら、そんな話をしてくれました。

私はお酒が入るとおしゃべりになるのですが、彼女にはかける言葉が見つからず、おしゃべりも ”休息日”。

お酒を飲みつつ相槌を打って、ほぼ聞き役に徹する感じでした。

 

彼女の話の内容に加えて、おしゃべりの休息日が重なり、

「いつもより、少しお酒を飲む量が多かった…かな」

そんなことを思う、今朝の私でした。

京都との距離…

今日は、11月8日(金)。

昨日 7日(木)は、妻の母(私のお義母さん)方の親戚で不幸があり、京都まで行ってきました。

 

お義母さんは4人の兄弟/姉妹でした。

その4人兄弟/姉妹は ”1:長男、2:長女、3:次男、4:次女” の構成。

お義母さんは、その中の末っ子となる ”4:次女”。

他の兄弟/姉妹はすでに亡くなられており、健在なのはお義母さんだけです。

 

4人兄弟/姉妹の中で、”1:長男” と ”2:長女” の二人は、若い段階で実家の金沢を離れて京都へ行っています。

京都に行った ”1:長男” は丁稚奉公としてお店で働き、さらに独立して自分の商店を立ち上げて財産を築いた…という立身出世の人。

その商店は、現在でも ”1:長男” & ”2:長女” の一族が経営されているとのこと。

金沢に残った ”3:次男” と ”4:次女” ですが、”3:次男”が実家の後継ぎとなり、”4:次女” のお義母さんがお義父さんに嫁いで妻が生まれた…

そんなファミリーヒストリーがあったそうです。

 

亡くなられたのは、”1:長男” の長男の方。

妻が小学生のころは、夏休みになるとそのお宅に行って、お義母さんも一緒に何泊か泊まってくることが恒例だったそうです。

京都には、”2:長女” の家系の方々も住んでおられるので、かつて妻が京都に遊びに行った際には、”1:長男” と ”2:長女” 家族の子供たちと一緒に遊ぶことが、とても楽しみだったそうです。

 

 

お悔やみの連絡は6日(水)の夜にあったのですが、その日のお昼には、すでに家族葬として葬儀は終えたとのこと。

しかし妻としては、

「とてもお世話になった方。とりあえずその方のお宅に行き、お参りをしたい。それに親戚の方々にも会いたい」…

ということで、急遽、京都のお宅に行くことになりました。

 

親戚のお宅があるのは、京都府宇治市大久保町。

金沢市の自宅からは、往復で520km以上になりそう…

ということで、朝7時、ガソリンスタンドが開くと同時に燃料を満タンに。

それから朝食を食べ、掃除/洗濯等を片付けた朝9時、妻と一緒に自宅を出発。

お店が開くと同時に仏事用の和菓子を購入し、そのまま金沢西インターから北陸道→名神→京滋バイパスへと進み、親戚のお宅に向かいました。

 

途中、北陸道の工事による車線規制/渋滞、そしてS.A.での休憩&昼食等も入れながら、13時半過ぎには親戚宅周辺に到着。

ところが、その辺りの道路、街並み/景色は、妻が子供のころに見たものとは随分変わっている様子。

それに戸惑いながらも、なんとか目的の親戚宅を特定。

そして14時少し前、ようやく ”ピンポン” を押しました。

お宅に上がりお参りをさせていただいていると、”2:長女”の家系の方もいらっしゃって、一緒に遊んだ ”かつての子供たち” が再会。

しばし歓談が続きました。

 

その話の中で出たことなのですが…

”1:長男” の方は商売に成功して財産を成したことから、石川県志賀町に別荘を購入していたそうで、その家系の方々は時々別荘へ泊まりに来ていたそうです。

 

そんな今年の1月1日。

志賀町の別荘でお正月をお祝いするために、”1:長男”の家系の方々は京都から別荘に来ていたそうです。

そこに発生した能登半島地震。

その際の志賀町の震度は、なんと震度7。

「今まで経験したことのない揺れで、この世の終わりだと思った」

とのこと。

 

別荘はなんとか倒壊しなかったそうですが、家の中は食器棚やタンス等がすべて倒壊して足の踏み場がなく、

「そこで一晩を過ごすことは、とてもじゃないけどできない」…

そんな状況だったそうです。

 

とりあえず金沢方面に避難するため、すぐに車で移動しようしたそうですが、みなさんご存知の通り、このときは、そこかしこで地割れ、崖崩れ/土砂崩れが発生。

また車が通れるとしても、至る所で大小の段差が発生しており、路面をよく確認しないと、そもそも安全に走ることができない状態だったそうです。

これらのため、

「知っている道を走って行って、地割れ、崖崩れ/土砂崩れの箇所で引き返す」

ということを繰り返すことに…

しかし結局は、国道や幅員が広い(広かった…)メインルートには、安全に金沢方面に戻れる道路は無かったそうです。

 

そうこうしているうちにあたりが暗くなってしまい、

「ただでさえ道路状況が良くない中を、前がよく見えないまま走るリスクを犯すことはできない」

と考え直し、比較的別荘から近かった能登ロイヤルホテルに避難することを決断。

能登ロイヤルホテルに行くと、すでにロビーは避難者の方で溢れている状態。

ホテルもおそらく大変な状況だったのでしょうが、避難してきた人々には、食事と1グループごとに布団を1つを提供してくれたそうです。

親戚の方々も食事を頂くことができ、その日は全員が1つの布団にくるまってロビーで寝たそうです。

 

いやー。

実際に体験した方の話を聞くと、能登半島地震の怖さがあらためて分かります…

 

 

お参りと、しばしの歓談を終えて、そのお宅を出たのが15時。

すぐに自宅に向かって来た道を帰り、自宅に帰って来たのが19時半。

この日の走行距離は、531kmでした。

 

家に帰ってから夕食を食べ、お風呂に入り、布団に入ったのは21時半。

この日はあっという間に眠りに落ちました…

 

長女が住んでいる群馬のアパートに行くより、距離的には100km以上近い京都の親戚宅。

往復するとなると、200km以上の差があります。

しかし、走っている道路の渋滞や交通量の多さが理由なのか、近いはずの京都往復でも、疲れ方は群馬往復とそれほど変わらない印象。

近いようでやっぱり遠い、”京都との距離” を感じた1日でした。

冬を迎える準備…

今日は、10月22日(火)。

今日の午前中は、収穫の終わった畑(「2024年 収穫の秋…」)をミニ耕運機で耕して、冬を迎える準備を行いました。

 

耕し終わった畑の状態はこれです。

 

病害虫の予防等の観点から言えば、本当は畑の所々に落ちている

・掘り残してまだ土に残っていたサツマイモ
・掘るときにスコップで千切ってしまったサツマイモのかけら

等は綺麗に取り除いておいておくべきです…が、一人でやるにはちょっと大変。

という訳で、そのまま耕しています。

 

来年からは、その点もちょっと考えますかね…

 

 

朝9時から始めて、上記写真の作業完了状態になったのが11時半。

そこから、汚れたミニ耕運機を洗って片付け等もすべて終えたのが12時。

日曜日のイモ掘りから始まって、月曜日のイモの蔓捨て、そして火曜日の耕運機と、この3日間はなんやかんやと体を動かす日々でした。

ローラーこそ行っていませんが、足と腰は筋肉の張り/筋肉痛がたっぷり。

冬を迎える準備として、これもいい体のトレーニングになっていると思っておくことにします。