休息日あれこれ…

今日は、11月23日(土)。

昨日 22日(金)は午後から用事がありトレーニングはお休みしました。

 

昨日は、ガーミン先生から提案されたワークアウトも「休息日」。

 

いやー、珍しい。

それに甘える訳ではないですが、まあ、休むことも大切…ですよね。

そう思って、つぎの日からのトレーニングを、しっかり行うこととします。

 

 

さて、昨日午後からの用事ですが、実は昨年亡くなった私の叔父さん(「突然のこと…」)の一周忌の法要でした。

その法要では、久々にお会いした方がいらっしゃいました。

その方は、亡くなった叔父さんの兄の長女で、年齢は私と同い年。

子供のころには、何度か一緒に遊んだことがありました。

最後に彼女とお会いしたのは、私たちが成人式を迎え、それぞれが叔父さんのお宅にご挨拶に伺った際に、たまたまそこで一緒になって以来。

ということは、彼女とは42年ぶりに顔を合わせた…ということになります。

成人式以後、彼女と会うことはありませんでしたが、ご結婚されて以来、ずっと夫の実家のある輪島市に住んでおられたそうです。

 

その自宅は朝市通りのすぐ近く。

皆さんご存知の通り、今年の元旦、能登は大きな地震に見舞われましたが、そのとき彼女は、たまたま金沢市の実家に来ており難を逃れたそうです。

しかし朝市通り周辺の被害はひどく、火災にこそ遭わなかったものの、自宅はかなり被害を受けたとのこと。

被害が大きかったこともあり、ある程度、周辺の復旧/復興が進んでから、自宅をなんとかして輪島に戻る…

そんなつもりで、一時的に金沢市の実家に生活の拠点を移していたそうです。

 

ところが、そうしている間に、夫、そして実家の母親と、立て続けに二人が病気で亡くなってしまう…

そして、そこに加わる能登豪雨の被害。

ご存知のように、市内を流れる川が氾濫し輪島市では大きな被害が発生しました。

彼女の自宅も地震の被害に加えて浸水被害が及んでしまい、それを知ったとき、

「もう輪島には戻れない」…

そう思ったそうです。

 

夫の母(義母)はご健在で、少し前から輪島の高齢者施設にお住まいだったとのこと。

元旦に発生した地震により、一時的に金沢市の高齢者施設に移っていましたが、

「どうしても輪島に戻りたい」…

ということで、運営を再開した輪島市の(元々のところとは、また別の…)高齢者施設に移ったそうです。

しかし彼女自身は、

「輪島に戻ればお義母さんにも頻繁に会いに行けるけど、夫が居らず景色も一変してしまった輪島には、私はもう戻るつもりはないわ。金沢に残った実家で、一人で暮らすつもり」

そうおっしゃっていました。

 

 

「私、なかなか波瀾万丈の人生を送っているのよ」

彼女は明るく笑いながら、そんな話をしてくれました。

私はお酒が入るとおしゃべりになるのですが、彼女にはかける言葉が見つからず、おしゃべりも ”休息日”。

お酒を飲みつつ相槌を打って、ほぼ聞き役に徹する感じでした。

 

彼女の話の内容に加えて、おしゃべりの休息日が重なり、

「いつもより、少しお酒を飲む量が多かった…かな」

そんなことを思う、今朝の私でした。

京都との距離…

今日は、11月8日(金)。

昨日 7日(木)は、妻の母(私のお義母さん)方の親戚で不幸があり、京都まで行ってきました。

 

お義母さんは4人の兄弟/姉妹でした。

その4人兄弟/姉妹は ”1:長男、2:長女、3:次男、4:次女” の構成。

お義母さんは、その中の末っ子となる ”4:次女”。

他の兄弟/姉妹はすでに亡くなられており、健在なのはお義母さんだけです。

 

4人兄弟/姉妹の中で、”1:長男” と ”2:長女” の二人は、若い段階で実家の金沢を離れて京都へ行っています。

京都に行った ”1:長男” は丁稚奉公としてお店で働き、さらに独立して自分の商店を立ち上げて財産を築いた…という立身出世の人。

その商店は、現在でも ”1:長男” & ”2:長女” の一族が経営されているとのこと。

金沢に残った ”3:次男” と ”4:次女” ですが、”3:次男”が実家の後継ぎとなり、”4:次女” のお義母さんがお義父さんに嫁いで妻が生まれた…

そんなファミリーヒストリーがあったそうです。

 

亡くなられたのは、”1:長男” の長男の方。

妻が小学生のころは、夏休みになるとそのお宅に行って、お義母さんも一緒に何泊か泊まってくることが恒例だったそうです。

京都には、”2:長女” の家系の方々も住んでおられるので、かつて妻が京都に遊びに行った際には、”1:長男” と ”2:長女” 家族の子供たちと一緒に遊ぶことが、とても楽しみだったそうです。

 

 

お悔やみの連絡は6日(水)の夜にあったのですが、その日のお昼には、すでに家族葬として葬儀は終えたとのこと。

しかし妻としては、

「とてもお世話になった方。とりあえずその方のお宅に行き、お参りをしたい。それに親戚の方々にも会いたい」…

ということで、急遽、京都のお宅に行くことになりました。

 

親戚のお宅があるのは、京都府宇治市大久保町。

金沢市の自宅からは、往復で520km以上になりそう…

ということで、朝7時、ガソリンスタンドが開くと同時に燃料を満タンに。

それから朝食を食べ、掃除/洗濯等を片付けた朝9時、妻と一緒に自宅を出発。

お店が開くと同時に仏事用の和菓子を購入し、そのまま金沢西インターから北陸道→名神→京滋バイパスへと進み、親戚のお宅に向かいました。

 

途中、北陸道の工事による車線規制/渋滞、そしてS.A.での休憩&昼食等も入れながら、13時半過ぎには親戚宅周辺に到着。

ところが、その辺りの道路、街並み/景色は、妻が子供のころに見たものとは随分変わっている様子。

それに戸惑いながらも、なんとか目的の親戚宅を特定。

そして14時少し前、ようやく ”ピンポン” を押しました。

お宅に上がりお参りをさせていただいていると、”2:長女”の家系の方もいらっしゃって、一緒に遊んだ ”かつての子供たち” が再会。

しばし歓談が続きました。

 

その話の中で出たことなのですが…

”1:長男” の方は商売に成功して財産を成したことから、石川県志賀町に別荘を購入していたそうで、その家系の方々は時々別荘へ泊まりに来ていたそうです。

 

そんな今年の1月1日。

志賀町の別荘でお正月をお祝いするために、”1:長男”の家系の方々は京都から別荘に来ていたそうです。

そこに発生した能登半島地震。

その際の志賀町の震度は、なんと震度7。

「今まで経験したことのない揺れで、この世の終わりだと思った」

とのこと。

 

別荘はなんとか倒壊しなかったそうですが、家の中は食器棚やタンス等がすべて倒壊して足の踏み場がなく、

「そこで一晩を過ごすことは、とてもじゃないけどできない」…

そんな状況だったそうです。

 

とりあえず金沢方面に避難するため、すぐに車で移動しようしたそうですが、みなさんご存知の通り、このときは、そこかしこで地割れ、崖崩れ/土砂崩れが発生。

また車が通れるとしても、至る所で大小の段差が発生しており、路面をよく確認しないと、そもそも安全に走ることができない状態だったそうです。

これらのため、

「知っている道を走って行って、地割れ、崖崩れ/土砂崩れの箇所で引き返す」

ということを繰り返すことに…

しかし結局は、国道や幅員が広い(広かった…)メインルートには、安全に金沢方面に戻れる道路は無かったそうです。

 

そうこうしているうちにあたりが暗くなってしまい、

「ただでさえ道路状況が良くない中を、前がよく見えないまま走るリスクを犯すことはできない」

と考え直し、比較的別荘から近かった能登ロイヤルホテルに避難することを決断。

能登ロイヤルホテルに行くと、すでにロビーは避難者の方で溢れている状態。

ホテルもおそらく大変な状況だったのでしょうが、避難してきた人々には、食事と1グループごとに布団を1つを提供してくれたそうです。

親戚の方々も食事を頂くことができ、その日は全員が1つの布団にくるまってロビーで寝たそうです。

 

いやー。

実際に体験した方の話を聞くと、能登半島地震の怖さがあらためて分かります…

 

 

お参りと、しばしの歓談を終えて、そのお宅を出たのが15時。

すぐに自宅に向かって来た道を帰り、自宅に帰って来たのが19時半。

この日の走行距離は、531kmでした。

 

家に帰ってから夕食を食べ、お風呂に入り、布団に入ったのは21時半。

この日はあっという間に眠りに落ちました…

 

長女が住んでいる群馬のアパートに行くより、距離的には100km以上近い京都の親戚宅。

往復するとなると、200km以上の差があります。

しかし、走っている道路の渋滞や交通量の多さが理由なのか、近いはずの京都往復でも、疲れ方は群馬往復とそれほど変わらない印象。

近いようでやっぱり遠い、”京都との距離” を感じた1日でした。

冬を迎える準備…

今日は、10月22日(火)。

今日の午前中は、収穫の終わった畑(「2024年 収穫の秋…」)をミニ耕運機で耕して、冬を迎える準備を行いました。

 

耕し終わった畑の状態はこれです。

 

病害虫の予防等の観点から言えば、本当は畑の所々に落ちている

・掘り残してまだ土に残っていたサツマイモ
・掘るときにスコップで千切ってしまったサツマイモのかけら

等は綺麗に取り除いておいておくべきです…が、一人でやるにはちょっと大変。

という訳で、そのまま耕しています。

 

来年からは、その点もちょっと考えますかね…

 

 

朝9時から始めて、上記写真の作業完了状態になったのが11時半。

そこから、汚れたミニ耕運機を洗って片付け等もすべて終えたのが12時。

日曜日のイモ掘りから始まって、月曜日のイモの蔓捨て、そして火曜日の耕運機と、この3日間はなんやかんやと体を動かす日々でした。

ローラーこそ行っていませんが、足と腰は筋肉の張り/筋肉痛がたっぷり。

冬を迎える準備として、これもいい体のトレーニングになっていると思っておくことにします。

2024年 収穫の秋…

今日は、10月21日(月)。

昨日 20日(日)は、有志の会によるサツマイモ掘りを行いました。

 

今年は13軒の方々が参加したサツマイモ有志の会でした。

だたし、収穫作業に参加できたのは9軒/12名の方でした。

 

サツマイモ有志の会で行っている畑作業としては、

・5月の苗植え
・6月/7月/8月/9月の草刈り
・10月の収穫

があります。

こうやって振り返ってみると、毎月何かしらの作業を行っています。

 

ただメンバーの方々にはそれぞれの都合があり、みんな揃って作業を行うことはなかなか難しいのが現実です。

たとえば、子供のクラブ活動、急な仕事、そして家族旅行…などなど。

このブログでは名前がよく出てくるむぎーさんも有志の会メンバーですが、彼は金沢を離れて浜松で単身赴任中のため、そもそも予定を合わせることが難しかったりします。

なので私たちの有志の会は、

「各自、都合のつく範囲で作業を手伝えば良い」

という、少し緩めのルールしか設けていません。

今年はほぼ ”幽霊会員?” だったむぎーさんですが、来年は、帰省の予定をサツマイモ関連の作業に合わせてもらい、何かの作業を手伝ってもらえるといいな…と思っています。

むぎーさん、よろしく!

 

 

上の写真は、

①サツマイモの蔓を切り
②マルチシートを剥がす

という準備作業を終えて、すでにサツマイモを掘り始めています。

 

切ったサツマイモの蔓は、写真手前側に寄せてあります。

 

上の写真は、畑を反対側から撮影したものですが、中央/奥側に、切った蔓が集められています。

 

サツマイモを掘る作業は大変ですが、実は蔓の処理も、これまた大変。

昭和の時代であれば周囲の家はまだほとんど建っておらず、気兼ねなく畑での野焼きができました。

しかし平成/令和と時代が進んだ現在では、たとえ消防署に届け出をしたり、ご近所の方々にお知らせをしたとしても、通りかかった方による ”199番(火事の通報)” が行われてしまうことから、消防署からは、”できれば止めてほしい” 言われることがほとんどとなりました。

このため、一昨年までは蔓を短く切って畑一面にばら撒き、肥料として再利用することにしていました。

しかし短く切った蔓を畑の土にすき込むトラクターを一昨年の冬前に手放してしまったため、もうその手は使えません。

そのような経緯から、昨年からは、金沢市が運営しているゴミ捨て場に捨てに行っています。

 

 

すべてのサツマイモを掘り終えて、各家々に配達をします。

今年は、収穫量が少なかった種類があり、サツマイモを入れた袋がスカスカの状態のものもありましたが、それでも一軒あたり土嚢袋で6袋の取り分となりました。

 

上の写真は、むぎーさんの家に配ったものです。

13軒すべてで、この量の割り当てを受け取っています。

 

今年は酷暑だったせいか、例年に比べて収穫量が少なめだったのですが、それでもこれだけの量が取れました。

これから、サツマイモの天ぷら、焼き芋、大学いもなど、色々な方法で楽しんでみるつもりです。

 

 

2024年の収穫の秋も無事終わりました。

来年2025年も、サツマイモ有志の会を続けていきたい…

そう思いました。

 

 

追伸

さて、畑の端に寄せたサツマイモの蔓。

サツマイモを掘り終えたタイミングで、男性陣が総出で、その蔓を適度な長さに切りながら、45L、そして70Lのゴミ袋に詰めていきます。

 

そして、詰め終わったゴミ袋の数は…

なんと、45L:70袋&70L:5袋で、都合75袋!

そして、これらの袋を軽トラックに乗せて金沢市のゴミ捨て場に捨てに行くこと、なんと2回!

 

寄せてあった蔓がなくなった状態が以下です。

 

収穫が終わった、ちょっと寂しげな畑の風景でした。

いい汗をかくには…

今日は、10月19日(土)。

昨日の17時半、ようやく旅行から妻が帰ってきました。

また妻と共に、群馬県富岡市に住んでいる長女も一緒に帰ってきました。

それに伴い、昨日 18日(金)の夕食準備完了をもって、私の主夫生活は無事終わりました。

 

ちなみに、昨日の投稿で、長女は

「自分が卒業した大学/大学院のOGとして、学生に企業の話をするらしい(「先輩(OB/OG)としての話…」)」

…と書きました。

しかしこれは間違いでした。

 

長女が言うには、

「その機会は確かにあるけれど、それはもう少し先。今回は、バレーボール部の現役学生とOB/OGの交流会があって、それに参加する」

とのこと。

なるほど…

 

交流会として開催される食事会(飲み会?)の前には、現役チームとOB/OGチームでのバレーボール対戦も組まれているようで、彼女は久々に試合に出るようです。

いやー、いいですねー。

 

現役だったころから比べると、おそらく、体は ”かなり” なまってしまっている長女。

それでも、久々にいい汗をかいて先輩/後輩と過ごすのは楽しいはず。

彼女には、久々に仕事絡みの人間関係から離れて、リラックスした時間を満喫してほしいと思います。

 

さて、妻が帰ってきたことで、いよいよ私のトレーニング生活が再開となります。

長女と同様、私も体がなまってしまっています。

すぐにでもエリート ネロでズイフトを行って、

「いい汗をかきなまった体を鍛え直したい」

…ところですが、ズイフトの環境整備が必要となります。

 

ただ、この手の環境整備作業は、なかなか一筋縄ではいかないもの。

今日は、まずはそのあたりの整備作業を進めるために、じっくり時間を使うことにしようと思います。