味の変化…

今日は、1月26日(日)。

昨日 25日(土)は妻、次女、長男、私の家族4人で、宝達志水にある”志お食堂”にお昼を食べに行ってきました。

 

今から12年前の8月、私は長女、次女、長男の子供たち3人と一緒に、金沢の自宅をスタート&ゴールとして、富来ー輪島ー珠洲ー千里浜でテント泊をしながら自転車で能登を一周するキャンプツーリングに出かけました(「小学校の卒業式」)。

 

このとき私が乗って行ったのは、内装3段変速のシティーサイクル(ママチャリ)。

これにサイクルトレーラーを取り付け、荷物はすべてサイクルトレーラーに積んでいました。

また、当時保育園の年長さんだった長男は、私の自転車に付いていたチャイルドシートに乗せて行きました。

 

そのとき、ツーリングの初日にお昼ご飯を食べたのが、この志お食堂。

なので、妻は初めてですが、次女と長男は12年ぶりになります。

 

長男は、お店の中(カウンター、そしてその奥の調理場、テーブル/小上がりの配置等)を覚えていたようで、お店に入った途端

「あー、懐かしいなぁ」と呟いています。

12年前に座ったのは小上がりの席でしたが、この日はそこが空いておらず、私たちは入り口すぐ傍のテーブル席に座りました。

 

12年前に食べたメニュー。

私はオムライスでしたが、子供たちは夏らしく季節メニューの冷やし中華。

その冷やし中華は、ちょっとラー油のかかった辛味のある出汁がかかっていました。

「長男は食べられるかな…」

父親として、そんな心配をしましたが、美味しそうに食べていたことを覚えています。

そのときのことを長男に聞いてみると、

「ちょっと辛かったけど、美味しかった」

とのこと。

やはり、食べ物の味の記憶は、しっかり残っているようです。

 

この日注文したメニューは、

妻:カキフライ定食
次女:カツ丼
長男:肉うどん

そして私は、やはりオムライス(ポークソテー付き)。

 

どうやら料理人(店主)は息子さんに変わっていたようで、12年ぶりに食べたオムライスの味は、先代である ”お父さん” が作っていたオムライスとは少し違っていました。

12年が経過して、”味の変化” はありました。

しかし、子供たちも私も、変わらない懐かしいお店の佇まい、そして優しい味に癒されて、楽しくお昼を頂くことができました。

 

 

さて、”味の変化” つながりで…

この日の朝。

私は朝食後に、妻が買ってきてくれていたデザートを食べました。

そのデザートは ”濃 抹茶プリン” という名前のもので、23日(木)に妻がデパートで買ってきたもの。

 

実は23日は、妻と私が結婚式を挙げた日…つまり結婚記念日。

妻は、普段のスーパーとは違い ”ちょっと高級” な惣菜をデパ地下で買い求め、また食後のデザートも買ってきてくれました。

 

家族全員、23日の夕食後にプリンを食べましたが、私だけがこの日の朝までそれを食べ忘れていました。

妻から、

「賞味期限は今日になっているから、食べてね」

と言われ、朝食後に食べることにしました。

が…

 

一口食べてみると、少し甘みが少ないような感じ。

そして、全体的にクリーミーさも無いような…

良く見ると、プリンの最上部には、濃い抹茶色のゼリー状の部分があるのですが、その表面に白く泡立っているような箇所が見えます。

「使っている生クリームの脂肪分が染み出したのか?」…

そうも思いましたが、

「でもなんか、ちょっと ”味が変” だな」

そう思いました。

 

それでもせっかく妻が結婚記念日に食べるデザートして買ってきてくれたもの。

すべて食べてしまったのですが…

 

その3時間後。

私のお腹は急降下。

トイレに30分ほど籠る結果となりました。

その後は、お腹はすぐに回復。

今はすっかり元気です。

 

今後は、”味が変” だと感じたら、もっと注意をした方が良いようです…

前向きな気持ち…

今日は、1月23日(木)。

この3日間ほど、ブログの投稿をサボっていました。

というのも…

 

このところ、右足の足首、アキレス腱、脹脛(ふくらはぎ)、膝(ひざ)という、私が古傷を抱えている箇所それぞれが、

・張りがある
・伸ばすと痛い
・重い…

という感じで、イマイチな状態が続いています。

 

また、これも私のウィークポイントなんですが、頸椎の何番目だったか?の椎間板右側に変性(骨に、トゲのように飛び出してくる/伸びてくる部分が発生する)が生じており、椎間孔を通っている神経根を圧迫する病気 (頸椎症性 神経根症:けいついしょうせい しんけいこんしょう) を抱えています。

 

これが分かったのは、私が40歳台後半になったころ。

そのころに、右の腕/手指の痺れ、右肩のこり、右背後首の圧迫感が発生。

「何か体に異常が起きているんじゃないか」…

ということで、その原因を調べてもらうために脳神経外科の病院で診察を受けました。

 

病院では、MRI/CTスキャン等の断層撮影を行い、その結果、上記の診断を受けました。

ただし、”すぐに治療が必要な状態ではなく、経過を観察しましょう” という医師の判断があり、とくに治療を行うことはなく現在に至っています。

幸いなことに、現在までは、状態が悪化することはなく、うまくこの病気と付き合ってきました。

 

ところが、昨年の冬を迎えたあたりから、

・首の右後ろに違和感があり、寝るときに枕が当たると違和感が強くなる
・右の腕/親指の筋肉が常に張っている

という症状が発生。

当初は、その症状もそれほど気にしていなかったのですが、1月の半ばを過ぎた最近になって、首/腕/親指の症状が強くなり、痛みも伴うようになってしまいました。

 

私の素人考えですが、十数年が経ち、

「椎間板の変性が大きくなってきたことで、神経根の圧迫も増大してきた」…

のではないかと思います。 

 

とりあえず、病院であらためて診察/診断してもらう必要がありますが、十数年前に診断を受けた際には、

「根治するには手術しかない」

と伝えられました。

「えー、今回は手術になるのかも」

 

確かに手術で根治はしたいんですが、”頸椎/椎間板を手術する” なんて、ちょっと想像しただけでも、正直言って怖いんですよね…

そんなことからトレーニングをする気にならず、ブログも書く気になりませんでした。

 

お風呂に入り、湯船に浸かって右足と首まわりのストレッチをすると、症状が多少緩和されます。

という訳で、最近は夕方早い時間にお風呂に入り、ゆっくり浸かってストレッチをすることが多くなっています。

 

まあ、体が冷えてくれば、元に戻ってしまうんですけどね…

  

 

抱えている古傷、そしてウィークポイントは、私の体が

「経年劣化した」…

ということなんでしょう。

それはそれで悲しい現実です。

 

可能であれば、痛みがなく、ウィークポイントもない体に戻りたい。

しかし残念ですが、それは無理なこと。

 

年を経て、劣化した私の体。

その現実に直面し、ここ最近、ちょっと沈んだ気持ちで過ごしてきましたが、今日は、

「痛みやウィークポイントと上手に付き合って、騙し騙し、なんとか乗り切っていきたい」…

そんな風に、ちょっと前向きに考えてみました。

 

今日のブログには、その ”前向きな気持ち” を書いておくことにします。

仮の姿…

今日は、1月20日(月)。

一昨日 1月18日(土)の夕食後のこと。

フロス(糸ようじ)を使って歯と歯の間の綺麗に掃除をしていたところ、

「ポロン」

と何かが取れる感覚が…

 

 

そうなんです。

奥歯の詰め物が取れてしまいました。

 

実は、この詰め物が取れたのは初めてではありません。

2年ちょっと前、2022年の10月にも取れていました(「「糸」の功罪…)。

ただこのときは、詰め物が取れたところ(歯そのもの)には問題がなかったため、詰め物を付け直すだけで治療は終了。

すぐに元通りになりました。

 

「あー、いつもの歯科医院にいかないといけないな」

取れた詰め物を見せながら、妻にそう言うと、

「ちゃんと予約していかないとダメよ」

とのこと。

しかし、

「困ったときとか痛いときなんかは、予約なしの飛び込みでも大丈夫なんじゃない?」

と反論する私。

 

「なら、ホームページを見てみれば」

ということで、かかりつけの歯科医院ホームページをみると…

なんと、確かに

「初診でも予約が必要です」

と書かれています。

 

2年前までは、予約なしの飛び込みで歯科医院に行っても(待ち時間は、多少長くなるでしょうが…)診てくれるシステムだったように思います。

しかし最近は、私のかかりつけの歯科医院のように、初診も含めてそもそも予約が必要となっているところが多いようです。

加えて、”予約が必要” と言われても、ほとんどの場合、2週間先まで予約枠がびっしり埋まっている…

そんな状況だったりするそうです。

 

「痛くて痛くて、我慢できないぞー!」

そんなときは…

さすがに診てくれるんでしょうけどね。

 

 

「あー、予約が要るんだ」…

ということで、休み明けとなった今日の朝一番、まずは歯科医院に電話。

電話で確認すると幸いなことに、その日の12時近くにキャンセル枠があるとのこと。

(そうでなければ、この先2週間は予約で一杯だそうな…)

昼食が遅れることを覚悟して、キャンセルがあった時間を予約。

 

予約時間が近づき、取れた詰め物を持って歯科医院に行く私。

歯科医院でティッシュに包んだ詰め物を渡しながら、

「前回同様、取れた詰め物を付け直すだけ」

で済むことを、大いに期待していました。

しかし、そうは問屋が卸しませんでした…

 

先生:

この詰め物は、令和4年にも取れてますね。

 

私:

(分かってしまったか…)

 

先生:

前回は歯の方に問題はなかったようですね。

そのまま取れた詰め物を付け直しています。

しかし今回は、歯の治療が必要です。

たぶん、詰め物の傷みが進んで歯との間に隙間ができ、そこから少しですが虫歯ができたんでしょう。

虫歯になっているところを削り、新しい詰め物を作ることをお勧めします。

 

私:

(やっぱりか…)

 

先生:

どうしますか?

 

私:

はい、それでお願いします。

 

 

詰め物が取れた箇所の歯を少し削り、型取りを実施。

型取りが終わったら、削ったところを仮の詰め物で覆い、今日の治療は終了。

 

新しい詰め物は1週間で完成します。

しかし、歯科医院の予約枠が空いておらず、次回はやっぱり2週間後。

それまでは、仮の詰め物で食事をすることになりました。

 

 

さて、この先の2週間、私の奥歯は ”仮の姿”。

その仮の姿の奥歯でも、お酒は飲めますし、おつまみも美味しく頂けるでしょう。

 

そんな ”少し緩い生活態度” で過ごしている私こそ、実は世を忍ぶ ”仮の姿”。

本当は、ストイックにトレーニングを行うアスリート…

そんな風になりたいもんです。

絆の再構築…

今日は、1月17日(金)。

昨日 16日(木)は、エアロバイクでのLSDを30分でした。

 

心拍&パワーの両方を ”ゾーン2” に入るべく、ケイデンスと出力パワーについては、それぞれ65rpm/110wを超えることを目処に、エアロバイクでのLSDを30分行ってみました。

しかし、各ゾーンの分布をチェックしてみると、1/3(10分間)は、目処としていた値を下回っていたようです。

 

とはいえ、”ケイデンス 65rpm / パワー 110w” を維持できれば、エアロバイクでのライドでも狙っているゾーンには入るようです。

右足の違和感はまだありますが、違和感を上手くいなしながら…であれば、このLSDは可能であるような気がします。

今後は、”ケイデンス 65rpm / パワー 110w” オーバーを目処に、60分のLSDを目標にエアロバイクに乗ることにしてみます。

 

 

さて、今日は1月17日。

皆さんも朝からニュースでやっている内容を見てご存知だと思いますが、30年前の今日の朝5時46分に阪神・淡路大震災が発生しました。

私のブログでも、去年の今日は阪神・淡路大震災について触れた投稿をしていました(「地域のつながり」)。

そのときに思ったこと(投稿に書いたこと)は2つありました。

それは、

・”想定外” という言い訳はせず災害に備える
・共に助け合えるように地域のつながりを密にする

という2つでした。

その思いは今も変わってはいません。

 

しかし、この目標/思いの実現に向けた具体的対策の進捗に関しては、実は寂しい限りです。

 

上記の目標/思いの実現に関しては、

・雪害レベルの雪が降った際に各地域が行う除雪費用の補助
・各町会の会館等に太陽光発電/蓄電池および水タンク等の設備を導入する費用の補助
 (各町会の会館に電力/水のインフラ設備を導入し災害発生時に不足する避難所の補完施設とする)

という2つの点について、私たちの町会が中心となり金沢市へ要望書を提出しました。

 

しかし、要望書を提出したその年に能登半島地震を経験したにもかかわらず、現時点まったく進展がありません。

また、その要望書に関する検討の進捗を問い合わせても、はっきりした回答はもらえていません。

加えて、担当した方が異動になってしまい、結果として要望書そのものが有耶無耶になってしまう…

そんな状況が見えてきています。

 

こんなことを言うと偉そうに聞こえますが、色々なクレームの対応や要望など、そこに住んでいる人たち(市民)が本当に困っていることをお願いしているにもかかわらず、それに対する役所の対応は、市民が期待しているものとは遠い…と感じてしまいます。

 

ほとんどの方がそうだと思いますが、私も一般企業に勤めていたサラリーマン経験が長いです。

一般企業では、お客様からの要望/クレームを受けた際は、上に書いたような、いわゆる ”お役所仕事” のような対応は許されません。

 

私の経験から考えると…

要望/クレームを受けたとき、まずは、その回答をお伝えするための期限が設けられます。

とくべつ複雑な内容でなければ、回答期限は1週間程度とされることが多いと思います。

そして内容について調査/検討した上で、設けられた期限までに調査/検討した結果をお客様に回答します(期限までに明確な結論が出ていなければ、途中経過をまとめた内容を一次回答としてお伝えします)。

加えて、回答する内容についても、(要望/クレームに基づいて製品を修正/変更するにしても、それを断って修正/変更を行わないにしても…)そのように判断するに至った理由等を説明する必要/責任が伴います。

なので、一般企業に勤めていた自分の感覚では、前述の ”お役所の仕事” の対応で済ませることは、ちょっと考えられません。

 

 

目標の実現に向けた案件(災害に備えた設備導入、および金沢市への補助の要望)については、この1年ほぼ進捗がありませんでした。

これはこれで、非常に残念です。

 

しかしそれだけではなく、地域のつながりを密にする…大袈裟にいえば ”絆の再構築” という点については、町会や地域全体として色々な取り組みを行っているにもかかわらず、

「以前に比べて、ますます希薄になっている」

という印象を受けます。

これについては残念というよりも、正直に言って危機感を覚えます。

 

私が住んでいる町会には、400世帯を超える方々が暮らしています。

住んでいる方が400世帯を超える状況となると、同じ町会に居るとはいえ、交流がある方は本当にごく一部…そうですねぇ、40世帯ほどでしょうか。

少し緩めに考えて、交流はなくても顔と名前が一致する方に対処を広げても、100世帯まではいかないと思います。

ということは残りの300世帯以上の方々は、名前や顔を知らない/話したことがない方々です。

 

どの地域/町会でも同じような傾向だと思いますが、地域や町会が主催する種々のイベント/集会等に積極的に参加する方は、概ね決まっています。

そして、その人々が中心となり、地域/町会の各種役員や世話係を担当しています(まあ、自分も含めてそうですね…)。

もし大規模な災害が発生した際には、そのような人々が中心となって、地域/町会での各種支援活動が行われることになるでしょう。

 

災害時の支援活動内容は、地域/町会における被災状況の確認、避難所の運営、支援物資の配布等になると思われますが、具体的な内容/方針については、前述の人々が中心となって検討/実施していくことになります。

この中心となる人々と ”顔見知りで交流がある方” であれば、検討された内容/方針を理解して支援活動にも協力してくれるような気がします。

 

しかし災害発生当初は、マンパワーや支援物資が圧倒的に足りなくなります。

そのような状況で、中心となる人々を ”まったく知らない方”がいたとすると、その方にとって不利な活動方針/内容、たとえば救助に行く順序、支援物資を配布する優先順位が後回しになる等の状況になった場合に、果たしてその方に方針/内容を理解してもらい、かつ協力を得ることができるだろうか…

そんな不安を感じます。

 

 

上記、顔/名前を知らず話したことがない ”300世帯を超える方々” は、私の印象では、地域/町会が主催しているイベントや集会には、参加していない方々ように感じます。

参加しない理由は色々考えられますが、これまで色々耳にしたことをまとめると、それは地域や町会の活動に反対/反発しているのではなく、それらの活動について

・煩わしいと感じているか、
・自分には関係ないと思っている/無関心

…ということが大きな要因になっているようです。

とくに、子育て真っ最中/共働きの若い世代の方々にその傾向が強い…という印象でしょうか。

 

種々の活動が

「煩わしい」

と感じるかどうかは人それぞれ。

それらの活動のメリットを説明し、決して煩わしいだけではないことを理解してもらうこともアリですが、

「そのメリットは、私には要らない」

と言われてしまう可能性もあります。

 

他方、上記のように種々の活動を知った上で煩わしいと思っているのとは異なり、

「関係ない/無関心」…

というのでは、そもそも話が始まりません。

まずは ”無関心の方々” にも、関心を持ってもらうところからスタートしないといけないんでしょうね。

 

 

関心のない方々にも、地域/町会の活動に対する関心を持ってもらう。

まずはそこをスタート地点にして、絆の再構築を図る。

これが必要なことは理解できました。

しかし、無関心の方々に対し、どのようにアプローチすれば関心を持ってもらえるか。

色々考えてはいるのですが、これはなかなか難しい課題です…

 

 

阪神・淡路大震災から30年が経った今日の投稿は、結論の出ない/落ちのない話で終わりました。

とはいえ、この件については、引き続き考えてみたい…

そう思っています。

手抜きの主夫生活…

今日は、1月13日(月)。

一昨日 11日(土)から昨日 12日(日)、妻はとある会合で横浜にお出かけ。

妻が一泊二日で帰ってくるまでの二日間は、私の主夫生活が繰り広げられました。

 

”行き” の一昨日。

朝8時半に妻を金沢駅へ送り届け、自宅に帰ってきたのは9時少し前。

その時点から、私の主夫モードが起動。

部屋をざっと片付けて掃除をしたら、続いて台所の洗い物をやっつけます。

ところが…

 

歳を取って皮膚の脂分が少なくなってきたのか、この数年、寒くなると私の手指には、垢切れ/ひび割れが大量発生するようになってきました。

垢切れ/ひび割れができたときは、そこに集中的に保湿クリームを塗ったりします。

しかし私の場合、これがあまり効果がありません。

しばらくするとそこの皮膚が硬くなり、割れているところが真っ赤になって血が滲んできたりします。

そうなると、水仕事をするたびに、そこが刺すような痛むんですよね…

 

お風呂に入っていても、頭を洗ったり体を洗ったりするときは、やはり痛みます。

しかし、湯船に使っていると硬くなっていた皮膚の部分が柔らかくなってくるのですが、そうなると痛みが無くなってきます。

ただし、お風呂から上がって保湿クリームを塗りたくったとしても、垢切れ/ひび割れのところの皮膚は乾燥してしまい、また ”カチカチ” の痛さタップリの状態に戻ってしまうんですよね…

 

台所でちょっとした洗い物をしただけで、左手の親指の指先、中指の第二関節、小指の第一関節にできていた垢切れ/ひび割れのところがしみてチョー痛い…

 

実は、妻が不在の二日間の食事については、この日のお昼に大量のホワイトシチューを作っておき、それで乗り切る目論見を立てていました。

しかし、ちょっとした水仕事をするだけで、刺すような痛みに襲われる左指。

「痛いのを我慢しながら、料理したり後片付けしたりするのは嫌だ」…

ということで、予定を大幅に変更。

 

妻が不在の初日。

お昼は昨年末についたお餅を食べ、夜はスーパーの惣菜で済ませることに。

食器等の洗い物もすべて食洗機に投入して洗うことにしました。

 

私が台所仕事をするときは、鍋や調理道具だけではなく、お皿や茶碗等の食器はすべて手洗いがベースです。

「その方がキレイになるし、実はエコなんじゃないか」

と思っていたりします…

 

食器であれば水仕事用の手袋をして洗うことはできます。

ただ、食材を洗ったり切ったりするのを、その手袋で行うことは、ちょっと考えられませんでした。

プロの方が使っている調理用の手袋(ピッタリした黒いやつ?)があることは知っていましたが、わざわざそれを買いに行く…ということまでは考えませんでした。

 

そして二日目。

朝はピザトーストとコーヒー/お茶。

お昼は、買い置きの焼きそば(生麺タイプ)を作成。

焼きそばを作る際に、キャベツ/にんじん/豚肉を切る必要はありましたが、野菜は洗わずにそのままカット。

また使ったお箸/お皿等食器に加え、まな板、包丁、フライパン等も、食後、一気に食洗機にぶち込んで、すべての洗い物を片付けました。

そしてこの二日間、風呂掃除は私に変わって長男が行ってくれました。

 

極力水仕事をせずに済ませた、”手抜きの主夫生活”。

それも無事完了しました。

 

垢切れ/ひび割れの話をすると、妻から以下のアドバイス。

「垢切れ/ひび割れたところは、普通のクリームじゃなくて、オ○ナ○ン軟膏を塗るといいわよ」 

 

「私も、いつもそうしていた」…

とのこと。

 

 

これまで垢切れ/ひび割れができていても、軟膏を塗って炊事/洗い物に頑張ってくれていた妻。

私も軟膏を塗りながら、妻に感謝(口に出しては言わないんですけど…ね)。