交換はどうする…

今日は、3月27日(木)。

このところの金沢は、ちょっと暖かくなったかと思ったらまた寒さがぶり返すなど、ちょっと落ち着かないお天気の日が続いています。

 

そんな今日の予想最高気温は、なんと27℃。

 

これはもう、7月初めごろの気温。

この時期からそんな暑さを記録してしまうと、

「今年の夏の暑さはどうなるんだ」…

そう思ったりしてしまいますよね。

しかし、そんな風に感じるのは、まだちょっと早いかも。

 

というのも、今日の最高気温は27℃となっていますが、一方の最低気温は8℃の予想。

一日の寒暖差が20℃近い…

この気温変化は、体にこたえそうです。

 

そして、スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換しようと思っていた今週末の日曜日 30日(「リベンジなるか…」)のお天気ですが…

なんと雪が降る予報。

 

「雪がチラついている中で、タイヤを冬用から夏用に交換するのもなぁ」…

いやー、どうする?

 

その前日 29日(土)は、長女の車(パッソ)のタイヤ交換を目的に、群馬県に行く予定です。

さすがにこの予定を変更することはできそうにないので、そのまま29日(土)に群馬県に行くことにしたいと思います。

 

ちなみに、その日の群馬県富岡市のお天気は ”曇り時々晴れ” の予報。

まあこれなら、タイヤ交換に問題はないでしょう。

(群馬県に行く途中の上越/長野方面は、それぞれ ”曇り→雨”/”晴れ→曇り” の予報で、まあ、まずまずです)

 

 

多分大丈夫だろう…と判断して、今週末の日曜日に、カッパを着てタイヤ交換をするか。

それとも万が一を考えて、翌週の週末(土・日)まで延期し、晴れたお天気のもとでタイヤ交換を行うか…

 

ちょっと考えてみたいと思います。

”締め” てどうする…

今日は、3月26日(水)。

昨日 25日(火)は、月締めの日。

そして、それに加えて、2024年度の最後の締め日でもありました。

手元に残っていた伝票等に基づいて、諸々の会計処理を実行。

それが終わったら、伝票/レシート等を2024年度用のトレイに ”最後の投入”。

 

「あー、これで2024の会計年度が終わった」…

そんな感情が湧いてきます。

 

私の勤めている会社の会計年度は、4月〜翌年3月。

そして、月の締め日を25日にしています。

なので、4月〜2月であれば、月締めを過ぎて月末までの期間にお金の出し入れがあっても、それは翌月の出納としておけば、年度全体として見れば問題はありません。

しかし、会計年度末となる3月だけは、月締め日から月末までに何かあったときは、それを年度内の決算に入れる必要がるため、処理を翌月に回さずに月末までに対応することにしています。

つまり年度末の3月だけは、締めの処理を行った後も、

「何かあるかも」…

と構えています。

 

「だったら、3月だけは月末締めにするればいい」

あるいは、

「そもそも月の締め日を、各月の月末にすればいい」

と思う方もいるかもしれません。

ですが世の中は、概ね15日〜25日が ”請求日/引き落とし日/支払日” 等となっていることが多く、こちらの都合でそれらを一方的にずらしてしまうと、

「先方に迷惑がかかる」

という面があります。

なので、そう簡単にはいかないんですよね…

 

 

”締め” てどうするという気もしますが、まあ、これは毎年のこと。

大きな事件や天変地異でも起こらなければ、実際には何もないことがほとんど。

その先にある新年度 2025年度の始まりを思って、もう数日、”我慢の子” で過ごしたいと思います。

 

 

追伸

”我慢の子” が終わったら、いよいよ新年度の開始。

…なのですが、実は新年度が始まった途端に始まるのが、前年度の決算準備。

”2024年度用のトレイ” の中身を引っ張り出し、グチャグチャになっている伝票/レシート等を整理整頓。

そして銀行の出納との付き合わせをして、それに基づいて決算準備を進める(「モナー…」)。

これを思うと、ちょっと暗い気分になってしまう…

 

いやいや。

落ち込んでいる場合ではありません。

それも大事なお仕事のひとつ。

もちろん私だって、やるときはキチンとやりますよ、ハイ…

リベンジなるか…

今日は、3月25日(火)。

先の日曜日、私は妻と一緒に白山市西米光町の河津桜の先具合を確認に行きました(「マッサージの復活…」)。

お目当ての河津桜ですが、まだ5分咲きにも早い感じ。

最高気温も17℃ほどで20℃には届かなかったことから、

「春うららというには、もう一歩かな」…

という感じでした。

 

しかし週が明けた昨日 24日、今日 25日と、最高気温は22℃の予想。

今週末、お天気が良ければ、

「リベンジ、河津桜!」

には絶好のチャンスかもしれません。

 

しかし残念なことに、今週末のお天気は雨混じりの予報。

 

うーん…

でも日曜日の30日なら、晴れ間がありそうです。

「そこで河津桜のリベンジでもするか」

そんなことを考えていたのですが…

 

あー、残念。

家の車のスタッドレスタイヤを、ノーマルタイヤに交換する作業が待っていました。

午前中いっぱいは、タイヤ交換作業に時間を取られそうです。

 

タイヤ交換が必要な車は4台。

まず、妻が乗っているヴェルファイア。

つぎに、次女が乗っているbB。

そして私が乗っているレジアスエースと、最後に軽トラ。

都合4台のタイヤ交換を日曜日に行う必要があるんでした。

 

あっ、もう一台、長女のパッソがありました。

ただ、長女は群馬県に住んでいます。

このため、日曜日に4台のタイヤを交換する前日、つまり土曜日の29日に、私設J○Fとして、私は群馬県に出張してきます。

しかしタイヤ交換は口実で、実際は手作りの料理等の荷物を満載にして、妻も一緒に群馬県に行って長女に会ってくることが目的なんですけどね… 

 

”私設〜” という感じで群馬県に通うこと、すでに数回(「私設の…」)。

ちょっと疲れることは疲れるのですが、私は車の運転が嫌いではないので、妻とのドライブとしてそれを楽しんでいます。 

 

ただ、今後も私は、都合5台の車のタイヤ交換をするんですね、きっと。

でも高校生の長男が学校を卒業して車に乗るようになったら、都合6台か?

いやいや、長男には、私のタイヤ交換作業そのものを手伝わせたいところ。

うーん、でも、どうかなぁ…

 

 

日曜日のタイヤ交換が終わった午後、ミニベロに乗って、あらためて河津桜のチェックに行ってみますか。

果たしてリベンジなるか、乞うご期待!

捗(はかど)らない…

今日は、3月22日(土)。

昨日 21日(金)は花金です。

…と言っても、若い方は分からないかもしれませんね(「ハナキン」)。

 

花金とは、”花の金曜日” を短くした言葉。

「明日からは土日でお休みが続く。だから金曜日の夜は、遅くまで遊んで楽しめるぞ」

そんなウキウキ/ワクワクした気分を表した言葉なんです。

 

その花金に、私は外のお店に飲みに出かけました。

出かけたお店は、八日市出町にある ”呑み処 香や” さん。

実は ”香や” さんは、以前は ”姫寿し” さんというお寿司屋さんでした。

 

私の父はすでに亡くなっていますが、その父は ”姫寿し” さんが大好きで、いつも贔屓にしていました。

回転寿司の店が色々でき始め、まずまず美味しいお寿司が安く食べられるようになっても、実家に一族郎党が集まった際など、賑やかな食事ために注文するお寿司と言えば、必ず姫寿しさんの特上の握り(の桶盛りの出前…)でした。

また、父が仲間やと飲みに行く際も、姫寿しさんに行く比率が高かったようです。

なので実家の食器棚には、姫寿しさんが毎年配っていた湯呑みが10個以上あった…

そんな記憶があります。

 

その ”香や” さんに行ったのは、私一人ではなく、ご近所さんのbest岡田さんも一緒。

best岡田さんですが、実家は能登の穴水。

2024年1月に能登半島地震が発生しましたが、この地震でbest岡田さんの穴水の実家にも被害がありました。

 

家が壊れたら直さないといけません。

ところが、穴水近辺の建築関係の業者に修理を頼もうとしても、皆さんご存知の通り、業者の数が圧倒的に少ないうえに、その業者の中にも被災されている方がいる状態。

なので、そもそも修理を引き受けてもらえなかったり、仮に引き受けてくれたとしても、

「修理の着手は1年先になる」…

なんて話もあるそうです。

能登半島の復旧/復興が思うように ”捗(はかど)らない” 原因は、こんなところにもあったんですね…

 

しかし幸運なことに、best岡田さんの仕事は、なんと建築関係。

ということで、それまで行っていた金沢での仕事は息子さんに任せ、best岡田さんは実家の修理のために、しばらく穴水に通う日々が続くことになりました。

 

さて、そうして穴水の実家に通っているうちに、実家周辺の方々に、

「○○(best岡田さんの実家のこと)のおじま、金沢から家の修理に通っているらしいぞ」

という噂が広がっていきます。

その噂を聞きつけた方々が、実家の修理をしているbest岡田さんを訪ねてきては、

「うちの家の修理もやってくれんか」…

とお願いをするようになったそうです。

 

頼まれたら断れないbest岡田さん。

それ以来、best岡田さんは、もう1年間ほど

・月曜日の朝に穴水に行って泊まり込み、
・実家近くの方々の家の修理作業を行って、
・金曜日または土曜日なったら金沢に帰ってくる…

という生活を送っています。

 

実家のある穴水に通い、そのご近所の家を修理しているbest岡田さん。

そのご苦労をねぎらう意味も込めて、この日は ”香や” さんで飲むことにしました。

 

 

ところで、”香や” さんは2月3日に新装開店したばかり。

以前の ”姫寿し” だったころと比べると、カウンターこそ同じような位置にありますが、その他はすべてリフォームを行ってリフレッシュ。

その綺麗なお店で、美味しい肴と共にお酒を飲む二人。

お酒を飲むペースは ”捗り”、どんどん酔いが回っていきます。

そして、肴を食べるペースも ”捗り” ます。

いやー、いい感じです。

 

”香や” さんは開店したばかりで、メニューはまだ多くないようでした。

新メニュー開発は難しく、それほど ”捗らない” ものなのかもしれません。

が、今後の新メニュー登場、大いに期待しています!

 

 

追伸

ところで、”香や” さんのお店のリフォーム。

能登地方だけではなく金沢でも、やはり建築関係の業者/職人の確保が難しくなっており、加えて資材の価格が高騰したそうな。

「能登半島地震の影響が、ここ金沢にも及んでいるんだな」…

そんなことを感じた昨日の夜となりました。

密かな好意…

今日は、3月18日(火)。

ネットでちょっと調べてみると…

3月18日は、柿本人麻呂、小野小町、和泉式部など、平安時代の歌人として名前を残した人たちの命日とされているそうです。

 

「えー、ホントかなぁ」…

おそらくそれは、”同時代に記された貴族の日記” などの一次資料で確認できるものではないと思います。

とは言え、それを信じている人もいますよね。

まあ、歴史のロマンでしょうか…

 

この3人の中で、私がちょっと感じる部分があるのは、和泉式部という女性の歌人です。

この女性は、”自由奔放に恋に生きた人”。

 

彼女には夫がいましたが、その夫と別れ二人の親王(天皇の息子のこと、二人は兄弟です)と恋仲になりました。

そう書くと不倫の末に親王兄弟にも二股をかけていたのか…と勘違いをするかもしれませんが、そうではありません。

 

まず、夫とは不仲になって別れてしまいました。

そしてその後にお付き合いをしたのが、親王(兄)。

和泉式部は、この親王(兄)のことが大好きでしたが、お付き合いをしている最中に、残念ながら彼は若くして亡くなってしまいます。

 

最愛の親王(兄)を亡くし傷心の和泉式部。

その彼女に優しく寄り添ったのが、亡くなった親王の弟。

その弟も当然ですが親王。

傷心の彼女は親王(弟)にも心を惹かれ、今度は親王(弟)とお付き合いをします。

ところが、この親王(弟)も亡くなってしまう。

 

親王(弟)が亡くなった後、楽しかったころを思い出しながら書いたのが、世に言う ”和泉式部日記”。

さらに後、和泉式部はあらためて夫を持ち、夫の赴任地である丹後国に夫と共に行った…

そんな話を、中学生のときに、当時の国語の先生から聞いたことを思い出しました。

 

 

さて、ここからが本題。

その国語の先生ですが、実は、私が密かに好意を寄せていた方でした。

 

第一印象は、そうですねぇ、岸恵子、または加賀まりこ…という感じでしょうか。

(かなり記憶が美化されているかも…)

私が中学2年のときに同じ中学校に赴任され、その時点で確か27歳だったので私の13歳年上。

13歳も年上の女性でしたが、その先生に非常に惹かれていた…ということを思い出します。

 

 

その先生の授業の進め方も、ちょっと変わっていたように思います。

一応は教科書に従っており、題材の小説や詩、俳句について説明してくれます。

しかしそれだけではなく、題材となっている小説等を書いた作家に関し、教科書を離れて作家自身の人生、あるいは考え方にまつわる話をたくさんしてくれました。

教科書に載っている歌人、俳人、小説家、そして、ときには教科書に載っていない日本文学の作家の人たちも含め、彼ら/彼女らが歩んだ人生、そこから、作品を書いた背景などについても触れていた…

そんな授業だったように思います。

当時の私にとって先生の授業/お話は大変興味深く、それが私がどんどん小説(の文庫本…)を買って読むきっかけになりました。

 

そんな国語の授業の際に、種田山頭火/尾崎放哉という ”ちょっと変わった俳人” の作品について触れる機会がありました。

この二人は、形式に囚われない自由な俳句を作って発表している人たち。

 

この ”形式に囚われない自由な俳句” ということからも想像できるように、これらの俳人は、周囲との摩擦/軋轢を生むことにあまり頓着しないという面を持っています。

まあ、作家って、大概そんなもんかもしれませんけど…

 

その一人、尾崎放哉の代表的な俳句といえば、ご存知の方もいると思いますが、

「咳をしても一人」

です。

 

授業では、

「この句について、自分が思ったことを自由に書いて提出する」

という宿題が出されました。

その際、私は以下のようなことを書いて提出しました。

 

 

尾崎放哉という人は破天荒で、家庭/家族を顧みず、世間から理解されないことや孤独になることを恐れず、自分の信念を貫き俳句の道を進む…そんな人生を送りました。

しかし、信じた道を歩んでいる途中で、胸を病んでしまいました。

当時、胸の病は不治の病気。

死期は近いけれど、流れ着いた山の荒れ寺で一人ぼっち。

寝込んでいる際に咳が出ても、看病をしてくれる人は誰もいません。

自分が求めたこと/招いてしまったことではあるけれど、その孤独感はやはり耐えがたい…

尾崎放哉も、その孤独感に襲われていたのだと思います。

 

 

細かい表現/言い回しは違っているかもしれませんが、私は、概ねそんな内容を書いて提出しました。

それに対して、先生が返してきたコメントは、ちょっと意外な内容。

 

 

尾崎放哉も、あなたが書いたような孤独を感じていたでしょう。

句の解釈としては、もう少し尾崎が自分自身を俯瞰的に見て、”洒落や滑稽な意図を込めている” と評価することが多いかもしれません。

ですが先生自身は、あなたと同じ感想を持っています(人間はそれほど強くない…)。

だた中学生のあなたが、尾崎と同じような孤独を感じている、あるいは理解しているのだとすると、そのことがちょっと心配ですね。

 

 

最後の一文が衝撃的。

それまで学校で出される宿題で、そんなコメントを返す先生に、私は会ったことがありませんでした。

これは、当時の私にとってみると ”一大事”。

 

この ”一大事” 以降、私はことある毎に、ちょっとした詩/短編の小説っぽいもの/読んだ本の感想などを書いて、先生の目に触れるようにしていました。

それは、提出するノートの端だったり、中間/期末テストの解答用紙の裏だったり…

今思えば、先生としては

「オタクで、すごくキモい奴」

と感じていたでしょうねぇ…

いやー、恋は盲目。

先生、すみませんでした。

 

 

”一大事” 以降、私はその先生に ”密かな好意” を抱いていました…

なんて可愛げに表現しましたが、今振り返ってみるとその行動は、”密かな好意” なんてソフトな範囲に収まっていませんね。

ただ、その ”密かな好意” がモチベーションになって、私が日本の文学、特に小説を読むようになったことは事実です。

あらためて、”密かな好意” を抱かせてくれた、中学時代の国語の先生に感謝です。