やってやったぞ!…

今日は、5月20日(火)。

今日の朝一番で、ようやく決算用資料のまとめ作業が終わりました。

 

今朝一番ということは….

そう、まとめ作業は徹夜になってしまったんです。

 

実は、顧問契約をしている税理士事務所には、昨日 19日(月)の朝一番で、資料&伝票類を提出する約束でした。

このため、18日(日)は、白山ジオライドから帰ったら、ある程度資料のまとめ作業を行うつもりでした。

しかし、そこで発生した落車(「白山ジオライド 2025 参加」)。

 

シャワーを浴びて、体を洗うたびに

「おー、いててて」…

大きめのガーゼ&絆創膏を買ってきてもらい、それを肘(ひじ)、腰/太腿(ふともも)に貼ってもらいながら、

「もー、そこ、ズレてるし」…

 

という感じで、休日出勤どころではありませんでした。

 

そして、明けて月曜日の勤務中に机に向かっても、首、肘、腰、太腿の打ち身/腫れたところが痛み、

「あー、痛い痛い」…

という感じで、まとめ作業は一向にはかどりません。

 

そんな中、税理士事務所から ”ピロン” と連絡。

「資料と伝票の提示、大丈夫でしょうか?」

さっそく、私からは以下を連絡。

「すみません。ASAPでやっていますが、ちょっと遅れそうです」…

 

すると、会計事務所から、つぎのメッセージが…

「明日の朝一番までに資料の提出をお願いします。伝票のみとなっているところで疑問点があれば、逐次質問をして進めることにします」

 

えーっ!

そのやり方だと、資料を渡した後でも、こちらの時間がどれだけとられるか分からないことになる…

それだと、こっちが困るよなぁ…

 

ということで、翌朝一番に間に合うよう、徹夜で資料をまとめることになりました。

 

まとめ終わった資料&伝票は以下の通り。

 

この状態を、とりあえず伝票を整理し終えただけの状態(「やるしかない…」)と比べてみると…

いやー、やっぱり、資料をまとめた後の方がずいぶんスッキリしました。

 

ただ、月締めの作業として今回の作業を月度ごとにやっておけば、こんなに苦労しなくていいハズ。

そう、

「わかっちゃいるけど」

なんですよね…

 

これで、心に棘のように刺さっていた5月の一大イベントは、とりあえずひと段落。

「ウォー、やってやったぞ!」

という感じで、まだお昼にもなっていないのに、すぐにでも祝杯を上げたい…

そんな気持ちになっている今朝の私でした。

やるしかない…

今日は、5月17日(土)。

昨年度は、5月17日ごろには会社の決算資料まとめが一段楽していました(「そろそろ本気…」)。

しかし今年度 2025年度は、昨日 16日(金)になってようやく、1年分の伝票の整理を終えたところ。

 

ここから、伝票単位に銀行の通帳と付き合わせて出納チェックを行ってから、項目ごとに一覧表にまとめていく作業を行います。

 

去年と違い、今年はちょっと取り掛かりが遅れ、今週に入ってから決算の準備作業に取り掛かかりました。

前述の ”一年分の伝票を引っ張り出して整理する” という作業も簡単な訳ではありません。

が、それに引き続いて行わなければならない ”まとめ作業” がこれまた大変。

それを思うと、ちょっと気が重くなってしまう私です…

 

 

私にとって、決算準備の ”まとめ作業” は、かつて十代のころに行った受験勉強の世界史/日本史で ”年号を覚える作業” のようなイメージ。

そのイメージを言葉で表現すると、

「それを行うことのメリット/重要性が実感できない」

という感じでしょうか。

単語カードの片側に年号、反対側にそこで発生したイベントを書いて、それを順にめくって覚える…

人並みに、そんなことも行っていました。

しかし、作った年号カードをめくり始めても、5分ほどするともうイヤになる。

イヤになったらもうダメ。

年号のカードを放り投げ、すぐに別の教科の勉強に切り替える…

そんなことを繰り返していました。

 

日本の飛鳥〜平安〜鎌倉〜戦国時代の日本の歴史に興味を持つようになってからは、私もその手の小説やドラマを見るようになりました。

そんな現在の私であれば、”年号を覚える” ということではなく、

・まずは天皇による中央集権政治が行われ、
・そこでヤマト政権ができたが、
・そこから政治の実権が天皇から豪族/貴族→公家に移っていき、
・さらに武家が台頭して政治を担うようになり、
・将軍・幕府が誕生した
・しかし日本各地の地侍が大きくなって大名化した結果、
・各地の大名が覇権を争うようになって戦国時代に突入し、
・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らの登場により日本全体が統一されていった…

といった流れを理解することが肝心だと言うことがわかります。

 

また、年号を覚えていた歴史上の出来事は、実は

「政治の実権/体制の変化点を象徴する重要なトピック」

であり、その変化が起こった背景や経緯を、全体の流れと合わせて把握しておくことが大切である…

ということが理解できます。

 

中学/高校のときの社会科の先生が、そんな感じで私の興味を刺激してくれるように教えてくれていたら、また違った将来があったのかもしれない…

そんなことも、ちょっと妄想してみたりします。

まあ、タラレバは無いんですけど…

 

 

イヤで面倒だったとしても、それが決算という重要な作業に必要なことであれば、やるしかありません。

しかし、”やるしかない” という掛け声だけでは、重い腰を上げるにはやや足りない。

伝票に伴う出納を表にまとめる作業に何か意味/意義を見つけ、それをモチベーションに作業を行うことにします。

 

 

さて、”やるしかない” つながりで…

 

明日 18日(日)は、白山ジオライドの本番日。

昨日のブログにも書きましたが、”あとは走るだけ” という状況です(「お守りの1丁…」)。

ところが…

 

今朝も腰が痛くて、布団から出るのがやっと。

その様子を見て、妻が先日言ったことを、再び言いました。

「その様子で、本当に自転車に乗って走れるの?」

 

「えーっと」…

と私は言いかけましたが、その先が続きません。

 

「ローラーに乗ってみて、走れるかどうか、今日はチェックしてみよう」

と思っていましたが、少し前屈みの姿勢になるだけで右の腰にビリビリきます。

ビリビリしながらでも10分程度なら我慢してやり過ごすことはできそうですが、そのまま100kmを走るのは、果たしてできるかな…

そんな心配が出てきました。

 

ということで、ローラーで様子をみようと思っていましたが、それは中止。

それよりもまずは安静にして、痛みがひくことを優先します。

明日はぶっつけ本番になりますが、マイペースで完走を目指す…

これに切り替えます。

 

これぞ本当の、”やるしかない” ですね。

お守りの”1丁”…

今日は、5月16日(金)。

昨日 15日(木)は右足&腰の痛みがひかず、ウォーキングはお休みしました。

ストレッチを、一応は、本当に一応は行いましたが、腰の痛みで十分な動作ができない状態。

このため、”ストレッチ” になったかどうかはちょっと怪しいです、本当のところは…

 

さて、そんな体の状態ではありますが、今週末の18日(日)は、いよいよ白山ジオライド当日。

5月初に、白山ジオライドの実行委員会事務局から参加者への配布資料が、私にも届きました(「祈ることしかできない…」)。

なので、”あとは走るだけ” になっています。

しかし、この腰の痛み/右足の痛みがある中、本当に走ることができるのか…

そこがちょっと心配になってきました。

 

「走り出して30分ほどでリタイア」

というのも悲しい。

なので、もう少し痛みが引くであろう明日にでも、ローラーに乗って様子を見ることにします。

 

もちろん、参加すること前提ですよ!

使用するロードバイクはすでに決めており、先日の浜松遠征ライド(「大井川 吊り橋ライド」)と同様、今回も ”フォーカス” で走るつもりです。

 

決戦用の神様 ”ピナレロ” でもいいのですが、スピードを出して走ることが、私の体力的に難しいことはすでに明白。

ならば、ツール・ド・のとで使った、シルバーの輝き ”ウィリエール” をチョイスしたいところ。

ではありますが、実はウィリエールのスプロケは、ピナレロ/フォーカスの ”11s : 11-30T” ではなく、ローギアが1丁少ない ”11s : 11-29T”。

この ”1丁少ない” ことがちょっと引っ掛かる…

ということで、フォーカスをチョイスすることにしました。

 

お守りの”1丁”。

これを大切に使って、なんとか白山ジオライドを走り切りたいと思います。

いいお母さん?…

今日は、5月10日(土)。

大型連休最終日 6日(火)に我が家に来た白の豆柴(「新しい家族…」)。

その ”おこげ” が、すっかり我が家の中心になっています。

 

平日の朝5時。

これまでであれば、家族の中で私が一番の早起き。

布団を出た私は、まずキッチンに行って冷蔵庫から冷たいお茶を出し、コップに入れて飲みます。

お茶を飲んだらコーヒーメーカーの準備をして、つぎに玄関に行って新聞を取ってきます。

そして新聞を持ってリビングに行き、新聞を開いて誌面をザッと読みながらコーヒーができるのを待っている。

すると妻が起きてくる…

そんな朝の過ごし方をしていました。

 

しかし連休が明けてからは、家族で一番の早起きは、私ではなく ”おこげ”。

それまで通り、私が朝5時にリビングにいくと、すでに ”おこげ” は起きています。

薄明かりの中で私を見つけると、こっちを見ながら尻尾を振ってケージの中をウロウロ落ち着きなく歩き回り始めます。

すぐにケージから出して遊んでやりたい…と思うのですが、トイレのトレーを見ると、ウンチ&オシッコの痕跡がたっぷり。

なので、私の朝は、”痕跡たっぷり” のトレーの処置から始まる…

そんな風に変わりました。

 

今日は、”おこげ” が来てから迎える初めての週末。

私は少し寝坊をして、起きたのは朝6時。

今朝の一番の早起きは、やはり ”おこげ” であることは変わらなかったようですが、二番目はなんと次女。

お休みの日、次女は朝9時ごろまで寝ていることがほとんどですが、今日はちょっと違いました。

 

”犬を飼いたい” という熱烈ラブコールを送った次女。

彼女はこの週末、”おこげ” とたっぷり/ゆっくり過ごせることを楽しみにしていたようです。

異例の早起きだけではなく、トイレの処置もバッチリ行ってありました。

 

元々今日の午前中には、”おこげ” を動物病院に連れて行き、何かのワクチン接種をしてくる予定がありました。

その付き添い…というか、動物病院に連れていく役目は、当初、妻と私の担当だったのですが、なんと次女が買って出てくれた由。

 

これまでであれば、お休みの日の時間を削られることに敏感で、お手伝い等にもあまりいい顔をしなかった次女。

 

私も、小学生のころは廊下の雑巾掛けやお風呂等の家事、中学生以降は父の農作業を、自分の友達が遊んでいる時間/時期に手伝っていた(させられていた…)経験があるので、彼女の気持ちは分からなくもありません。

ただ、私が子供のころ、当時兼業農家だった我が家は、平日の夕方や週末には、なんらかの農作業を行う必要が必ずあり、子供ながらに私もそれは分かっていました。

なので、親の手伝いを ”イヤだ” と言って断るなんてことは、私自身はできませんでした。

 

しかし現代では、私を含めたほとんどの方が給与所得者となっています。

その子供たちは、親が実際に働いている場面を見る機会は、まあ、ほとんどないでしょう。

そんなこともあり、子供から見た、親、そして親の行っている仕事/作業に対する印象が、随分変わっているような気がします。

そんな時代…なんですかね。

 

 

トイレの処置も含めて、おこげのお世話に積極的に関わってくれる次女。

「動物病院の先生に色々聞いてきたいことがあるから、忘れないようにメモしておこう!」

そんなことを言っていました。

 

そんな次女を見ていると、

将来、自分の子供が生まれたときは、どんなお母さんになるのかな…

そんなことを思ったりもします。

 

「案外、いいお母さんになるかもね」

なんとなく、そんな想像をした今朝の一コマでした。

急な方針変更…

今日は、5月9日(金)。

実は今日は…

なんと、妻の誕生日です。

 

妻には事前に

「プレゼントは何がいい? 洋服? それともアクセサリー?」

と聞いてみました。

しかし、

「何も要らないわ」

とのお返事。

 

「なら、二人で外食に行こう」

と誘っても、

「子供たち(&”おこげ”)を放っていくのはイヤ」

とのこと。

 

ということで、急遽、誕生日の直前である8日(木)の夕方になってからですが、

「明日の誕生日の夕食には、私が準備するホームパーティを開催する」

ということに決定しました。

 

決定してすぐに、私の作れる料理から誕生日パーティのメニューなど、ちょっと考えてみました。

しかし、誕生日当日には来客の予定があって材料の買い出し/下ごしらえ等を考えると、ちょっと準備のための時間が足りないことが判明。

 

「えーっ、どうする?」

あれこれ検討しましたが、急遽、有名なお店のオードブルを予約/購入することに方針を変更。

さっそく、心当たりのお店に片っ端から電話をかけ始めます。

しかし…

 

電話をかけたどのお店も、

・電話に出てくれないか、
・オードブルは三日前に予約が必要で、翌日では対応できない…

という状況。

 

「うーん、困ったなぁ」

 

最後の望みで電話をかけたお店は、嬉しいことに、

・17:30引取り
・4人用のオードブル

なら対応可能とのこと。

 

「喜んで!」

ということで、そのオードブルを注文しました。

 

その時間帯/人数のオードブルに、ちょうどキャンセルがあったんですかね。

詳細は分かりませんが、とりあえず私にとってはラッキーでした。

 

 

急な方針変更。

それが必要な場合もあります。

しかし、今日の明日では、”十分な対応ができない可能性がある” ことも、また事実。

そんなことを考えたこの日の夕方でした。