収穫がようやく完了…

今日は、10月31日(金)。

10月も最後の日。

明日からは11月であり、2025年も残り2ヶ月となりました。

 

歳をとってくると、月日が流れるのが早く感じられるものです。

しかし2025年は、これまでに増して早いようなイメージ。

今年は、新型コロナ以降の年の中でも、色々なイベント、行事等が多く、やるべきことが多かったはず。

なので、ボーッとして過ごしたことは無いんですけどね。

うーん、なんでかな…

 

 

ちなみに、今日 10月31日は、ハロウィン(ハロウィーンとも言いますかね…)。

 

私がハロウィンについて知ったのは、たしか中学生だったような気がします。

高校生だった姉が買っていた少女漫画に、ハロウィンの様子が描いてあるものがありました。

その漫画によると…

・子供たちがカボチャをくり抜いた提灯のようなものを持ち、

・それぞれが魔法使いのような変装をして、

・近所の家を訪ねて回りながら玄関先で、
 「トリック・オア・トリート」
 (日本語だと、”お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ!” って感じですかね?)
 というセリフを言って、

・その家の人からキャンディーをもらう…

そんなシーンを見たのが、ハロウィンについて初めて知る機会だったように思います。

 

そんなハロウィンの前日、および前々日である29日(水)/30日(木)。

私は、カボチャ…ではなくサツマイモ掘りを行いました。

 

もともとは18日(土)に、すでに有志の会の方々とサツマイモ掘りは行っていました(「曜日選択の重要性…」)。

ところがこの日は土曜日だったこともあり、参加できる方が少ない状況。

しかも午後からは、雨が降ることが確定のお天気。

このため、この日のうちにすべてのイモを掘ることは不可能で、やむなくイモ掘りは午前中のみで終了。

掘り残こしたサツマイモは、翌週の26日(日)に掘ることにしました。

 

しかし世の中は上手くいかないもの。

再設定したイモ掘りの26日も、前夜から続く雨模様。

このため26日はイモ掘りができず、前回に掘り終えていたサツマイモの仕分け&分配のみしか実施できませんでした。

 

 

「うーん、イモ掘りができるお天気のいい日は、いつになるのかな?」

そんなことを思いながらこの週の天気予報を眺めてみると…

水曜日の29日、そして翌日木曜日の30日しか、晴れの予報がありません。

それ以外は、土日も含めて雨の予報が並んでいます。

 

ということで、掘り切れず畑に埋まったままのサツマイモは、ウィークデイの晴れ間を見て掘るしかない…

そんな状況となってしまいました。

 

晴れの日を狙い、まずは29日の午前と午後を使って、掘れるだけ掘ることに決定。

「もし29日中に掘り切れなかったときは、30日まで延長することも考える」…

その覚悟をしました。

 

ところがこの両日は妻の都合がつかず、サツマイモ掘りができるのは私一人。

「うーん、一人っきりか、果てしないなぁ」…

そんな感じでした。

 

 

さて、29日(水)。

朝8時半過ぎから、いよいよイモ掘り開始です。

 

私一人で黙々とイモ掘りをしていたのですが、そこに通りかかった有志の会の方。

その方が、午前中のみの応援団としてイモ掘りに加わってくれることになりました。

 

前回のイモ掘りでは、2畝弱を掘り残してた安納芋。

その残っている2畝弱の安納芋を、応援で来てくれた方と一緒に掘り終えたのが11時。

こうして午前のイモ掘りは終了しました。

 

そして午後。

12時半からイモ掘りを開始。

ただし、再び一人でのイモ掘り。

 

午前中に安納芋を掘り終えたので、残るは五郎島金時の4畝のみ。

「ゴールは近い」…

と思いたいところですが、これが思ったようにはかどらないんですねぇ。

 

午後3時半になり、1畝と2/3畝ほどを掘り終えたころ。

仕事の現場から事務所/倉庫に帰ってきたタイミングで、畑でイモ掘りをしている私を見かけたbest岡田さん。

そこからbest岡田さんが手伝ってくれました。

 

五郎島金時4畝のう、半分の2畝を掘り終えたのが午後4時。

この日は、ここで作業終了としました。

 

そして、翌日の30日。

午前8時半少し前から作業を開始。

 

残るサツマイモは、五郎島金時の2畝のみです。

「できれば、午前中でイモ掘りを終わらせて、午後からは仕事をしたいなぁ」…

そんなことを考えながら、黙々と掘り進めていきます。

 

そして、すべての五郎島金時を掘り終えたのが12時過ぎ。

 

掘り終えたサツマイモは土嚢袋に入れて、車庫に入れておきます。

 

安納芋は、残っていた一部なので、3袋半。

五郎島金時は、8袋。

これを、今年参加している有志の会の方と、あらためて分け合います。

 

 

収穫したサツマイモの具合ですが、やはり夏の猛暑&渇水の影響があったのか、例年よりもサツマイモは小さめ。

しかも個数が少ない印象。

加えて、やはり渇水の影響なのか、少しでも水分を得ようとするように、サツマイモが地中深くに潜り込んでいる…

そんなイモが多かったように思います。

 

もともと安納芋というサツマイモには、上記のような傾向があり、掘る際にはちょっと注意が必要です。

これに対して五郎島金時というサツマイモは、これまでの経験では、苗が土の上に顔を出しているあたり、しかも地中深くないところに5つほどのイモが固まっていることが多く、比較的掘り易すく手間取らない…そんな印象を持っていました。

しかし今年はその五郎島金時でさえ、バラバラ&地中深くイモが潜り込んでいるものが少なくなくありませんでした。

 

「サツマイモも、酷暑&渇水を生き残るために、色々工夫をするんだなぁ」…

そんなことを思ったりしました。

 

 

 

これで、今年のサツマイモの収穫はようやく完了しました。

ちょっとホッとしました。

 

しかし収穫を終えても、冬が来る前に

・蔓を廃棄して、
・長くなった草を刈ったら、
・畑に肥料を撒き、
・大まかに耕しておく

という作業をしておく必要があります。

これも、合間を見て片付けておくことになるでしょうか…

 

 

今年は、

・異常気象
・メンバーの都合がなかなか合わない
・天候不順

…などの影響を受けたサツマイモ、そして有志の会。

さて、来年はどうなるか。

 

まあ、なるようにしかならない…ですね。

それはそれで、またドタバタを楽しんでいくことにしますか。

名産の代償…

今日は、10月29日(水)。

先日のブログには、妻と一緒に行った、長女の住む群馬県富岡市への日帰りドライブについて投稿しました(「乗り心地が良く、疲れにくい…」)。

その途中、上信越道の小布施PAで、自宅へのお土産として栗を購入してきました。

 

ご存知の方も多いと思いますが、小布施は栗の産地としてとても有名です。

栗の名産地だけあって、PAの露店で売られている栗も、私がこれまで目にしてきた栗に比べて、およそ1.5倍ほどの大きさがありました。

さすがですねぇ〜

 

今朝は、このときに買った栗での炊き込みご飯…

いわゆる ”栗ご飯” です。

 

小布施名産の大きな栗がゴロゴロ入った栗ご飯。

それを、美味しく頂きました。

 

 

ところで、この栗を買うときに、妻との間でちょっとした悶着がありました。

そのときの会話がこれ。

 

私:

あっ、小布施の名産の栗。

やっぱり大きいねぇ。

 

妻:

そうね(笑

 

私:

そうだ、これを使った ”栗ご飯” が食べたい!

お土産に買って帰ろうよ。 

 

妻:

えーっ…

栗の皮をむくのは大変なのよ。

外側の鬼皮をはがしてから、内側の渋皮を包丁でむくの。

まず外側の鬼皮をはがすんだけど、包丁で切れ目を入れて、そこに親指の爪を立ててはがしていくのよ。

鬼皮をむき続けると、爪と指の間がすごく痛くなるんだから…

 

私:

よーし、分かった。

俺が栗の皮をむいてあげるよ。

それなら良いよね?

 

妻:

ええ、良いけど。

本当に大丈夫?

 

私:

おう、任せとけ!

 

 

そうは言ったものの、実は何の作戦も考えていませんでした。

それでも、名産の大きな栗を買ってもらった私。

安請け合いをした栗の皮むきを、なんとかしないと…

 

という訳で、家に帰ってから ”栗の皮を簡単にむく方法” について、私一人での大検討会を開催。

そして、その結果は…

 

そう、この栗の皮むき器。

その名前は、”栗くり坊主”。

なんと、鬼皮と渋皮が一緒にむける優れもの。

これをネットで見つけた私は、思わずポチってしまいました…

 

届いた現物をみると、かなりガッチリした作り。

使い方としては、

(1)左側の ”ギザギザ歯” を鬼皮に当てて
(2)右側の ”皮むき刃” で鬼皮&渋皮をむく

というもの。

(1)の歯は、刃物というよりもアイゼンのような滑り止め。

対して(2)の刃は、”普通のハサミの刃” ではなくまさに包丁の刃物。

その切れ味は鋭そうですが、硬い鬼皮と渋皮を一緒にむくのであれば、ある程度の握力でレバーを握る必要がありそうです。

 

 

さて、皮むき器が届いたらさっそく作業を開始。

栗を水に一晩つけておき、この皮むき器を使って、昨日の夜にすべての栗の皮をむきました。

 

皮むきにかかった時間は、およそ1時間半。

 

宣伝文句にある通り、確かに栗の鬼皮と渋皮を一緒にむくことができました。

これには、私の作業を見ていた妻もびっくり。

「すごいわねー」

…なかなかの優れものです。

 

私の親指の爪が痛くなることもなく、綺麗に栗の鬼皮と渋皮がむけました。

 

しかし、欠点のない道具は無い。

必ずどこかに注意すべき点がある…

それが世の習い。

 

この皮むき器は、鬼皮と渋皮を一緒にむくことができるのが特徴。

鬼皮と渋皮をむくための鋭い刃がついているとはいえ、これを一緒にむくにはある程度の握力が必要となります。

まあ、どんなハサミ/ペンチでもそうなるのですが、硬いものを切るためにレバーを強く握って使い続けると、

「レバーに当たっている親指の付け根の皮がむける」

ということが起きたりします。

昨日の皮むきではそこまではいきませんでしたが、親指の付け根がかなり痛みました。

 

そして…

 

いやー、失敗してしまいました。

皮をむく(2)の刃が、栗を持っていた私の左手の皮までむくことになりました…

 

先に説明をした通り、この道具で栗の皮をむくには、

(1)まず左側のギザギザ歯を鬼皮に当て、
(2)そして右側の刃で鬼皮&渋皮を一気にむく

ことになります。

ただこのとき、(1)のギザギザ歯を鬼皮にしっかり食い込ませていないと、力を入れたとたんにギザギザ歯が外れ、そのはずみで(2)の刃がツルッと滑ってしまいます。

そうなると、力を入れている方向や加減の具合で、(2)の刃が左手に向かってきてしまうんですねぇ…

 

私が栗の皮をむいているときも、ギザギザ歯の食い込ませ方が甘かったようで、ツルッと滑った鋭い刃が、私の左手の親指に当たり、皮膚が切れて(むかれて…)しまいました。

 

 

栗の皮むき器、”栗くり坊主”。

便利な道具ではありますが、怪我をするリスクもゼロではない。

名産の栗を美味しく頂いた代償として、

「便利な道具やツールにも、使用上の注意事項/欠点はある」

という普遍の法則を学んだ、この日の私でした。

 

追伸:

怪我を予防するためには、両手に手袋をすることがいいかもしれません。

ただし、左手は栗をつまんでいる必要があります。

このため左手の手袋は、

・指先に滑り止めのついているもの
・指先だけを切り落としてあるもの

であれば、なお良いと思います。

上記、参考まで。

オタクな楽しみ方…

今日は、10月28日(火)。

今、ビバルディのバイオリン協奏曲 四季 第一番 ”春”、その第一楽章を聴きながらこのブログを書いています。

 

私は、この協奏曲が録音されているCDを3枚持っています。

そのうち2枚は、イタリアの ”イ・ムジチ” という ”その筋” の方々には有名な弦楽合奏団のもの。

同じイ・ムジチのCDではありますが、録音された年代が異なっています。

 

そしてもう一枚は、スイスのルツェルン音楽祭弦楽合奏団のもの。

イ・ムジチのCD2枚は、四季の演奏がフル録音されていますが、ルツェルンのCDは、春の第一楽章/第二楽章、冬の第二楽章と、有名なフレーズが入っている楽章のみがチョイスされています。

 

 

バロック音楽の中でも、とても有名なビバルディの ”四季”。

その中でも、おそらく聞いたことのない人はいない…と思われる、春の第一楽章。

「これだけ有名な曲なんだから、どのオーケストラ/楽団が演奏しても、それほど違いはないだろう」…

そう思う方も多いかもしれません。

ところがこの3枚を実際に聴いてみると、これがまったく違うイメージを受けます。

 

3枚のCDを、仮にA、B、Cと名付けることにましょう。

 

1枚目:A。

これはイ・ムジチの演奏で、1959年4月にウィーンで演奏されたものを録音。

 

2枚目:B・

これもイ・ムジチの演奏ですが、こちらは1969年9月にスイスで演奏されたものを録音。

 

3枚目:C。

これはルツェルンの演奏で、残念ながら録音した年月は分かりませんでした。

とはいえ、これが一番新しい録音で、おそらく1980〜1990年代に録音されたものだと思います。

 

それぞれの印象は、こんな感じです。

 

A:

バイオリン等の弦に弓を当てる(こする?)力が優しい…そんな感じがします。

このためやや柔らかい音として聞こえます。

しかし弱く小さい音…ということではなく、低音部分のコントラバスも、しっかり聞こえます。

また全体的に音と音が繋がっている演奏…というイメージです。

 

B:

弦に弓を当てる力が、Aに比べて強い感じです。

このためメリハリの効いた音として聞こえ、キレもある…という印象です。

とはいえ、強く大きな音をさせるばかりではなく、弱く小さな音の演奏部分との対比もしっかりあります。

 

C:

AやBに比べて、演奏のテンポが少し早いです。

かつ、コントラバス等の低音部分がそれほど響いてこない(録音時のマイクが遠い?)ような気もします。

このため、軽やかで軽快な印象を受けます。

 

 

一般的にバロック音楽の持つイメージは、バロック建築と同様に ”重厚さ”。

その ”重厚さ” という観点で述べるなら、AとBの演奏はそのイメージ通り。

これに対しCの演奏は、少しテンポが早いこと、低音部分が目立たないこともあって、重厚さではなく軽やか/軽快なイメージです。

 

演奏の重厚さでいうと、

(重厚さ) B > A > C (軽快さ)

という感じですね。

 

音楽については素人の私の説明で、ちょっと分かりにくいとは思いますが、まあざっくりこんなイメージです。

 

 

A、B、C、それぞれに良さはありますが、私個人の好みとしては、

「Bが一番しっくりくる」…

と感じています。

 

 

同じ楽曲(楽譜)であっても、指揮者や演奏者によってかなり印象が異なってしまうクラッシック音楽。

 

クラッシック音楽だけではなく、ロックやポップス、日本の演歌だって、演奏者や歌い手によって、同じ曲がまったく違うイメージになることもしばしば。

しかしクラッシック音楽は、同じ楽曲がさまざまな指揮者やオーケストラ/楽団/演奏者によって演奏され、演奏を録音したCDがそれぞれ発売されている…という特徴があります。

そんなクラッシック音楽だからこそ、指揮者や演奏者による違いを感じながら、一つの楽曲を聴き比べてみる…

そんな、ちょっと ”オタク” な楽しみ方もあったりします。

 

この楽しみ方は、ピアノに関してとくにその傾向が強いような気がしますね。

高校の同級生の中に、ショパン、ドビュシー、ベートーベン等の同じピアノ曲(のLPレコード)を、ピアニスト違いで何枚も持っている友人がいましたから…

 

 

BGMにかけたCDに関連して、ちょっと ”オタク” な楽しみ方を考えてみた…

そんな朝の一コマでした。

蒸す? それとも炊く?…

今日は、10月27日(月)。

実はこの日は、次女の24回目の誕生日。

なので今日のご飯は、妻が炊いてくれた赤飯が食卓に並びました。

 

我が家では誰かの誕生日がくると、その日には赤飯を作ることが定番。

これは、(すでに亡くなっていますが…)私の母がそうしてくれていたもの。

妻も、母のやっていたことを引き継いで、家族の誕生日には赤飯を作ってくれます。

 

その赤飯。

実は赤飯の作り方にも色々あって、母はセイロで蒸す派でした。

しかも、お米は100%もち米。

いわゆる ”おこわ” としての赤飯を、せいろで蒸して作っていました。

食べたことがある方は分かると思いますが、蒸す方法で、しかも100%もち米で作った赤飯は、お米の中までしっかり蒸し上がっても(芯がない状態になっていても)、比較的しっかりした歯応えがあります。

ただし ”おこわ” としての赤飯を作るには、前日に行う

・小豆を炊いて
・その煮汁にお米をつけておく

などの準備だけではなく、当日朝にも、

・まず大きな鍋にお湯を沸かし
・お湯が沸いたらその上にセイロを積んで
・セイロ内のお米&小豆を1時間ほど蒸す

という作業が必要になります。

このため母(と父)は、朝4時ごろに起きて赤飯を蒸して作っていました。

ちょっと大変なのですが、父も母も、蒸して作るもち米100%の赤飯をとても気に入っており、ずっとその作り方を通していました。

 

対して妻は、炊飯器で炊く派。

母がもち米100%で作っていたのに対し、妻はもち米 2/3 に、うるち米 1/3 を混ぜて作ります。

 

たとえば、6合の赤飯を炊こうと思うときは、もち米4合にうるち米2合を加えて作ります。

炊いて赤飯を作る場合、うるち米を混ぜずにもち米100%で赤飯を作ってしまうと、炊き上がった赤飯のもち米が柔らかくなり過ぎるのか、赤飯全体がベタついてしまいます。

それを避けるためにうるち米を混ぜ、炊き上がった赤飯がベタつかないようにします。

ちなみに、うるち米とは、普通のお米のことです。

 

赤飯を、蒸す方法/炊く方法のどちらで作っても、前日の準備作業は何も変わりません。

しかし炊いて作るのであれば、当日の朝の作業はなく、前日の夜に

・小豆の煮汁につけたお米を、
・煮汁ごとお釜に入れ、
・水加減は普段の80%ほどに調整し、
・お米の上に小豆を乗せたら、
・あとは炊飯器のタイマーをセット…

するだけでオーケー。

朝になり、いつもの通りに炊飯器のスイッチが入って炊き上がれば、それで赤飯の出来上がりです。

このようにして ”炊いて作った赤飯” は、”蒸して作った赤飯” に比べて

・柔らかく
・赤い色が濃くて
・小豆の香りが強い

のが特徴。

 

実は妻も、何度か ”蒸す” やり方で、もち米100%の赤飯を作ったことがあります。

しかし炊飯器で作る ”炊いて作った赤飯” の方がお気に入りのようで、妻は、何度か蒸して作ったあとは、ずっと炊いて作っています。

 

 

私が子供のころからずっと食べていたのは、母が作っていた、しっかりした歯応えのある ”蒸した赤飯”。

そのためか、妻が作る ”炊いた赤飯” に、最初は違和感を感じていました。

しかし今では、その柔らかくて色が濃く、やや香りの強い ”炊いて作った赤飯” が、普通になってしまいました。

 

そう思って見てみると、スーパーやコンビニ等で売られている赤飯(パックに詰めて売られているもの、おにぎり等)のほとんどは、おそらくうるち米を入れ炊いて作ったものだと感じます。

現在では、妻のように ”炊いて赤飯を作る” ことがスタンダードなんでしょうね、きっと。

 

その現在よりもはるか昔、50年以上前のこと。

私が保育園や小学校に通っていたころには、すでに同じ組/クラスの仲間には、私のような農家の子供はほとんどおらず、クラスメートのほとんどはサラリーマン家庭の子供だったように思います。

私の家の家業は、すでに少数派となっていた農業。

しかも、普通のお米だけではなく、父と母はもち米も作っていました。

そんな父と母だからこそ、もち米100%の赤飯を、昔ながらの作り方である ”蒸して作る” ことにこだわっていたのかもしれません。

 

 

妻が作る ”炊いた赤飯” が並んだ今朝の食卓。

その赤飯を美味しく頂きながら、かつて母が作ってくれた ”蒸した赤飯” のことを、ちょっと思い出した…

そんな、次女の誕生日の朝となりました。

乗り心地が良く、疲れにくい…

今日は、10月26日(日)。

昨日 25日(土)は、長女に今年の新米10kgを届ける目的で、妻と一緒に群馬県富岡市への日帰りドライブを楽しんできました。

 

新米10kg以外にも、

・先日収穫したサツマイモ(紅あずま)数本
・スーパーで妻が見繕って買ってきた食材
・お菓子や果物

など、大きなレジ袋2つほどの ”おまけ” もありました。

 

 

妻と私は、これまでも何度か、長女の住む群馬県富岡市への日帰りドライブを行っています。

直近のドライブとしては、長女の車のタイヤを、冬用から夏用に交換するために行ってきました(「長い距離…」)。

この ”タイヤ交換” が目的の日帰りドライブでは、荷物が多い(タイヤ4本&工具、そして ”おまけ”…)ことがあり、荷室が広いレジアスエースで出かけています。

しかし今回は、妻の強いリクエストがあり、レジアスエースではなくヴェルファイアをチョイス。

 

妻が言うには、

ヴェルファイアは、

・荷物が少ないから荷室が狭くても大丈夫
・サスペンションが良いから乗り心地がいい
・騒音が小さいから乗っていても疲れない
・クルーズコントロールで楽ちん

…だそうです。

 

車を運転している私自身は、レジアスエースでまったく問題はありません(というか、私自身はレジアスエースの方が良い…)。

しかし、助手席に乗る妻から、

「ヴェルファイアは疲れない」

→ つまり「 レジアスエースは疲れる」…

と言われてしまうと、レジアスエースをチョイスしにくくなってしまいます。

なので今回は、妻の意見を優先してヴェルファイアにしました。

 

 

さて、この日の朝。

妻は朝4時半に起床し、私も15分ほど遅れて起床。

妻はさっそく朝食の準備を行い、私は車への荷物の積み込みを実施。

それらが終わったら二人で朝食を食べ、引き続き、それぞれが諸々の作業&身支度を開始。

そして、5時45分に金沢の自宅を出発しました。

 

途中何度か休憩&SAでの買い物をしながら、11時30分過ぎに群馬県富岡市に到着。

長女の住むアパートへ行き、長女が予約してくれたレストランで12時半少し前から一緒に昼食。

昼食を食べ終えて、長女をアパートに送り終えた13時半。

長女を送り終えた妻と私は、そのままトンボ帰りで金沢への帰路につきました。

 

金沢に帰り着いたのは、18時45分。

こうして、740km&13時間という長距離/長時間の日帰りドライブが、無事終わりました。

”乗り心地が良く疲れにくい車” とはいえ、そこは日帰りの強行軍。

やっぱり相応に疲れました…

 

 

今回のようにお米等を届ける ”私設宅配便” にも、タイヤ交換のための ”私設JAF” の目的があるため、最低でも半年に一回は群馬県富岡市への日帰りドライブをしている妻と私。

そのときは、日帰りで740km/10時間以上を車で走る必要があり、時間的な余裕がありません。

このため、その日に長女と一緒に落ち着いて過ごせる時間は、お昼ご飯を一緒に食べるときだけ。

なのでやはり、”慌ただしい/少し寂しい”…という感じがないではありません。

それでも、

「一人暮らしをしている長女に、直接会いに行く機会は捨てがたい」…

そうも感じています。

 

 

つぎに群馬県富岡市に行くのは、12月初のタイヤ交換(夏用から冬用に交換するためです)。

パッソ用の小さめとはいえタイヤ4本を積んでいくので、荷室の広さや車内が汚れることも考慮する必要があります。

このため、タイヤ交換の際には、おそらく妻もレジアスエースで行くことに反対派しないでしょう。

このときは、申し訳ないですけど、妻には ”乗り心地が悪く疲れやすい”…ことも、ちょっと我慢してもらうことにしよう…

そう思った私でした。