気持ちの立て直し…

今日は、4月4日(木)。

最近、まったくトレーニングを行えていません。

言い訳は見苦しいとは思っているのですが、

・主夫生活パート4が続いたこと(「ケ・セラ・セラ…」)
・そしてお付きの運転手生活を送っていること(「主夫生活パート4・サブ…」)

があり、なかなかトレーニングを行う時間がとれなくて…

というのは嘘。

工夫さえすれば、もちろんトレーニングを行う時間はやりくりできます。

 

しかし、

・それを行う気持ちの余裕がなく
・一度サボってしまうとクセになってしまう

という「沼」から脱出できずにいる…

というのが本心で、正直なところです。

 

また、主夫生活パート4の最中は何かとストレスを感じることが多かったのか、疲れた自分へのご褒美…という名目での晩酌が復活。

70kgを切っていた体重も、あれよあれよというまに元通りになってしまいました。

 

「これはいかんなー」

ということで、このタイミングでの気持ちの立て直しの必要性を痛感しています。

 

 

しばらく自転車に触れることもしていませんでしたが、先日、姪の旦那さんの自転車(丸石 エンペラー「ロードバイク歴」)の調子が悪いとの連絡がありました。

なので、まずは丸石 エンペラーの調整をすることにしました。

 

様子を見に行くと、なんとオリジナルで付いていたフロントディレイラーの取り付け金具が折れています。

「あー、これは私では無理だ」…

ということで、すぐにいつものスポーツサイクル・イシノさんに持って行き、修理をお願いしました。

イシノさんがチェックした結果、以下の通りのコメントでした。

 

「オリジナルのフロントディレイラーはもう使えません。マウンテンバイク用のフロントディレイラーを流用して取り付けます」

 

とのこと。

 

実はこの丸石 エンペラーをリフレッシュしたとき、コンポも最新の物を選択していました。

しかしフロントディレイラーだけは、オリジナルの物を使うことになりました。

 

というのも、丸石 エンペラーに付いていたフロントディレイラーは、

・変速のワイヤーを上から引く
 (ワイヤーが上から出ている)

タイプだったのですが、最近のロードバイク用の物は、ほとんどが

・変速のワイヤーを下から引く
 (ワイヤーが下から出ている)

タイプになっているとのことで、使えるものが無いとの理由でした。

 

しかし、壊れてしまったからにはしょうがない。

ロードバイクに限定せず、マウンテンバイク用(上引きのタイプ)の物から、良さげな物をチョイスする…

ということになりました。

 

 

ヴィンテージ物の丸石 エンペラー。

古い自転車ですが、フレームのパープルは光り輝いており、今だに現役。

フロントディレイラーの修理さえ終われば、再び美しく走る姿を見ることができるでしょう。

 

自転車の修理にあわせて、私自身も少し立て直しができた…

そんな気分になりました。

春を迎える準備…

今日は、4月3日(水)。

この4月から群馬県富岡市の企業に就職した長女。

彼女も社会人としての新生活を始めました。

しかし、ホームシックにかかっている状況からは、まだ抜け出せていない様子。

毎晩、LINE電話(ビデオ通話)がかかってきて、妻と1時間ほど話しているようです。

 

長女は、大学院を卒業するまでの24年間、家から出て生活したことはありません。

彼女にとっては、家族は身近に居て当たり前。

たとえ自分一人で部屋で一人で過ごしていたとしても、家の中には誰か居る…という安心があったのでしょう。

それを考えれば、

「あたりには知っている人が誰もいないし、話す相手もいない」…

そんな環境に寂しさを感じても、まあしょうがないでしょう。

 

ただ、私も長い期間一人ぐらしをしてきましたが、私自身はそんな風に感じたことはありませんでした。

「うーん、なんでかな」…

という訳で、ちょっと自分が一人暮らしを始めたときのことを振り返ってみました。

 

私は高校を卒業して富山県の大学に行きました。

このときから、私の一人暮らしはスタート。

ただし、その地域(富山市五福)には、学生向けアパート/下宿がたくさんあって、同じ高校を卒業した同学年の多くがそこに住んでいました。

なので、最初の一週間こそ、授業が終わったらまっすぐアパートに帰り一人で食事をして夜を過ごしていましたが、一ヶ月もすると、同じクラス/同窓生のアパート・下宿に遊びに行くことが多くなっていました。

休みの日も同学年の友人たちと過ごすことが多く、学生時代にはホームシックになったことはありませんでした。

 

その後、大学を卒業しての就職先は神奈川県横浜市の企業。

やはり親元を離れたところを選びました。

入社当初は半強制的に独身寮に入りましたが、半年も経たないタイミングでアパートに引っ越しており、その後も続く一人暮が始まりました。

ただ一人暮らしと言っても、社会人となってからは仕事が忙しく、アパートにはほとんど「寝に帰るだけ」。

休みの日も昼まで寝て、起きたら食べ物を買いにスーパーに行き、お昼から買ってきた食材をつまみにビールを飲んでいると、職場の同僚や後輩から、

「遊び行ってもいいか?」

との電話(固定電話ですよ)がかかってくる…

といった生活を送っていました。

そんな感じだったので、やはり私はホームシックというものには無縁だったように思います。

 

それに、高校生の頃から私は

「できれば実家を出て暮らしたい」

と思っていました。

「元々一人暮らしをしたいと思っていた」など、理由は色々あってひとつに絞ることはできませんが、その色々な理由があって、私がホームシックになることはなかったのだと思います。

 

 

長女が研修を受けている今の期間は、金沢/家で過ごしていた頃のことを思い出して、色々考えることがあるかもしれません。

しかし研修期間が終わり配属先に行って実際の仕事が始まってしまえば、 おそらく毎日が目まぐるしいことの連続。

そうなってしまえば、金沢のことを思い出している暇などなくなるんじゃないかな…

しかし、私の体験から言えば、研修期間が終わってからが、社会人生活の本番。

そこからが、本当の始まりです。

 

季節はすでに春。

日本中で桜の開花のニュースが流れ、ここ金沢の兼六園でも桜が咲いたようです。

長女も、社会人人生の本番を迎える準備期間として、この「春の季節」をうまく乗り切って過ごしてほしい…

そう思います。

 

 

さて、春つながりで…

 

有志の会で運営しているサツマイモ畑(「楽しい1日」)。

今年もサツマイモを育てるべく、あらかじめ畑を耕しておく必要があります。

 

畑を耕すためには耕運機…

ということで、それがちゃんと動くかどうかをチェックするために、とりあえず手持ちのミニ耕運機を引っ張り出しました。

まずエンジンをかけてみます。

すると、エンジンはスムーズにかかりましたが、ギアがうまく入りません。

とくに、耕運機の「ローターを回して前進」させる部分にギアを入れようとすると、非常に硬い感触があり、無理にギアをそこに入れると、

「ギッ、ギー」

と音が鳴ってしまいます。

 

「もしかして、耕運機のミッションが壊れたか!?」…

そういえば、ここ10年間、エンジンオイルはまったく交換して無かったなぁ…

 

耕運機には小さなガソリンエンジンが搭載されており、エンジンオイルがミッションオイルを兼ねています。

オイルが劣化して、ギアが焼けたのかもなぁ…

 

まず、オイルの状態をチェックしてみるべく、さっそくドレンボルトを外して内部のオイルを出してみます。

すると…

いやー、出てきますね、真っ黒なオイルが。

 

「これは一回交換しただけではダメだ…」

ということで、規定量の0.2L弱のオイルを足した後にエンジンをかけ、ある程度オイルをエンジン内で撹拌させてから、再度オイル交換をすることにしました。

さっき新しいオイルを入れたばかりなのですが、再びドレンボルトを外して出してみると、出てくるのは、やはり真っ黒なオイル。

 

そうやって2回のオイル交換をしましたが、ギアの症状が改善する気配はなし。

「これは私の手には負えない」

ということで、近くの農機具を修理してくれるお店に預けて状態のチェックをお願いしました。

 

お店の方に見ていただいたところ

「とりあえず見てみます。ただし、内部のミッション部分が破損してるときは、もう部品が無いので修理できません」

とのこと。

修理できないとなると、新たな耕運機を探さないといけません。

同じ程度の新しい耕運機は、おそらく30万円を超えるハズ…

「中古であれば20万円のものがある」…とのこと。

ただそのお店にはレンタルの耕運機があり、それだと1日1万円程度。

購入は諦めてレンタルにするのであれば、1年に4日は使うので、一年で考えると費用は4万円。

「5年使ってペイする計算。それなら中古を買った方がいいのかな…」

そんなことを考えながら、お店の方には「とにかく、修理する前提でチェックしてほしい」とお願いをしてきました。

 

それから2時間ほど経った頃に、修理をお願いしたお店から電話。

「内部は大丈夫でした。変速レバーにつながっているガイドのプレートが曲がっていたので、それを外して叩いてまっすぐにしたところ、ギアはスムーズに入るようになりました」

との報告がありました。

 

あー、助かりました。

変速部分の修理を行うついでに、

・ガソリンが漏れていたガソリンコック
・すり減ったローターの羽根

を、それぞれ新品に交換してもらう作もお願いしました。

 

耕運機の気になっていた箇所の修理もでき、サツマイモ畑も春を迎える準備も万端。

天気の良い日を選んで畑を耕す作業を行い、有志の会の活動も開始したいと思います。

ホームシックの夜…

今日は、4月1日(月)。

2023年度が終わり、今日から新年度の2024年度が始まります。

 

群馬県富岡市の会社に就職し、アパートで一人暮らしを始めた長女も、いよいよ今日から出勤となります。

父親として、彼女が、社会人一年生としての新生活を、なんとか無事に始めていくれることを祈ります。

 

 

さて、長女の引っ越しに関し、これまで以下の想定外のことが起きたことを書いてきました。

・事前の電気/ガス/水道?Wifi等の開通手続き
 (「日程の調整…」)

・群馬県富岡市のアパートに向かう途中のナビゲーション
 (「眠れるナビゲーター…」)

・アパートのカギ/トイレ故障の対応
 (「カギとトイレ…」)

・お風呂屋さんに向かう途中でのタイヤバースト
 (「バーストの夜…」)

 

パッソのタイヤがバーストしたため、JAFに依頼して応急タイヤに交換してもらい、長女がアパートに帰ってきたのが24日の夜10時半。

翌日の25日には引っ越し業者がアパートに荷物を運んでくるので、荷物を解いて整理/整頓する必要がありますが、タイヤのバーストで号泣するほどショックを受けている長女が、その対応ができるか…

私は、それが不安でした。

そのため25日の早朝に、私は、あらためて長女の居る群馬県のアパートに向かうことにしました。

 

朝5時に起きて、6時に金沢の自宅を出発。

今回、長男は召喚せず、私一人がレジアスエースで群馬県に向かいました

また前回は、長女の運転するパッソと共に群馬県に向かったので休憩は多め。

なので移動時間には6時間ほどが必要でした。

しかし今回は休憩を半分にしたことが効いて4時間半で済んでおり、11時半には群馬県のアパートに到着できました。

 

 

11時半に群馬県のアパートに着いた私は、まずアパートの駐車場を見ました。

駐車場に引っ越し業者のトラックはありません。

「もう、荷物の運び入れは終わったのかな?」

そう思って長女に聞くと、

「まだ引っ越し業者が来ていない」

とのこと。

 

「えっ、午前中に来てくれることになっていたんじゃなかったか?」

そう確認すると、

「そうなんだけど…」

と長女は答えます。

 

とりあえず部屋に入って、コンビニで買ってきたお弁当を長女と一緒に食べることにしたのですが、長女には、

「お昼を食べ終わったらすぐに引っ越し業者に連絡して、荷物が届くのが何時になるのかを確認するように」

「お父さんは、この近くのカー用品店でバーストしたタイヤを新品のタイヤに変えてくる」

「あー、ついでにガソリンを満タンにして洗車もしてくる」

と伝えました。

 

お弁当を食べながらスマホで検索すると、アパートから少し離れた場所(車で10分ほどの場所)にイ○ロ○ハ○トを発見。

お弁当を食べ終えた私は、すぐに長女のパッソに乗ってイ○ロ○ハ○トに直行。

お昼12時過ぎにお店に到着した私は、カウンターに行って

・バーストしたタイヤを新品にして
・応急タイヤを入れ替えた新品のタイヤに交換する作業

をお願いしました。

しかし、作業ピットには2台の車が入っている状況。

「お客様の作業開始は午後1時頃になります」

とのこと。

「それで良いです」

と答えて、待つこと1時間。

ようやくパッソの作業が始まり、ものの15分ほどで終了。

 

タイヤ交換を終えたら、今度は洗車。

富岡I.C.の近くに、エ○○スのDr.Driveセルフ店があることをチェックした私は、つぎはそこにダッシュ。

手洗いができるスペースがあるのか…と思っていたのですが、そのお店は

「洗車機のみの対応です」

とのこと。

「あー、分かりました」

ということで私は、

・まずは洗車機で洗車を行ってから、
・拭き上げスペースで、バケツ&タオルでボディ/ウインドウを手洗い

することを決断。

お店の方にやや白い目で見られながら、拭き上げスペースでパッソの洗車を行いました。

いやいや、ちゃんとガソリンも満タンにして帰りましたよ…

 

 

洗車を終えてアパートに帰ったのが午後2時。

やはりアパートの駐車場に引っ越し業者のトラックはありません。

部屋に入ると、すでに引っ越し業者から受け取った荷物/段ボール等が満載。

 

「おー、もう引っ越し業者の作業は終わってたんだ」

「うん、1時少し前に来て、30分もかからずに終わった」

とのこと。

 

ただ、荷物の運び入れが終わってから30分以上経っているにも関わらず、荷物を解いて整理/整頓を行う作業が、少し遅れ気味の様子が。

やはり、タイヤバーストのショックを引きずっているのか…

 

「よし、ここからは分担して荷物の整理/整頓をしよう」

「○○(長女の名前)は荷物を開いて中のものを出し、片付けるべき場所にどんどん片付けよう」

「お父さんは、出てきたゴミとか空になった段ボールを整理していくから」

長女にそう伝えて、どんどん箱を開けていきます。

 

実は引っ越し業者がバラして運んできたもの(電子ピアノ)があったのですが、それがバラされたまま放置状態。

長女に

「これって、荷物を預けるときに業者の人がバラしたんだよね?」

と聞くと、

「うん、でも組み立ててくれなかった」

とのこと。

「うーん、お父さんはバラしたところを見てないから、組み立て方がすぐには分からないなぁ…」

それでも四苦八苦しながら、なんとか電子ピアノの組み立てが完了。

そうしながら、すべての荷物の整理/整頓が終わり、使われていた梱包材/段ボール等をまとめ終わったのは夕方5時半。

ちょうどその時間に業者が来てガスが開通。

業者が帰った6時には、無事給湯が行えるようになりました。

 

すぐに私、長女の順番でシャワーを浴び、色々身支度が終わった7時半。

ようやく夕食に出かけることになりました。

 

このときは、近くにあった回転寿司(は○寿司)に行き、群馬県の海鮮物の状況チェック。

「まあ、そんなもんだよね」…

という感想を持ちました。

 

 

色々なトラブルに見舞われましたが、ようやく引っ越しにまつわる諸々が完了しました。

これでやっと、長女も安心してアパートで暮らすことができるようになりました。

 

 

しかし、そもそも一人暮らしが初めての長女。

社会人一年生の彼女は、仕事のこともそうですが、家事全般も一人でこなしていかなければなりません。

これまでは、家に帰れば家族が居たので、会話は無くても孤独を感じることはなかったかもしれませんが、もしかすると、アパートで一人でいることに寂しさを感じホームシックになることがあるかもしれません。

 

しかし、それも自分で選んだ道。

「何事も経験」と思って、前向きに取り組んでくれれば…と思います。

 

 

追伸

予想通り、長女はヘビーなホームシックになっているようです。

 

夜になると妻にLINE電話(ビデオ電話)があり、

「寂しい」…

と号泣している模様。

 

しかしそれも、昨日まで。

今日からは、社会人としての新たな生活が始まります。

 

長女へ。

不安も多いかもしれないけど、それが普通で当たり前のこと。

誰もが通る道です。

 

無理に笑う必要はないけど、前向きの気持ちで行こう!

バーストの夜…

今日は、3月31日(日)。

いよいよ3月も最後の日。

今日は朝一番から、一気に車4台のタイヤ交換を行います。

 

去年 2023年の11月末に、冬用タイヤに交換した車は、「ヴェルファイア、bB、パッソ、レジアスエース、サンバー(軽トラ)」の5台でした(「冬への備え…」)。

しかしその中で、長女が乗る「パッソ」は、長女が群馬県のアパートに引っ越した際に持っていった(乗っていった?)ので、アパートに着いた時点で交換済み。

そんな事情で、今回は4台となります。

 

 

おそらく午前中でタイヤ交換作業は終わると思いますが、今朝起きた時点での空模様は「曇り」。

夜中は雨が降っていたようです。

 

春のタイヤ交換は、いいお天気の下で行いたいものですが、どうなりますか…

 

 

さて、長女の引越しですが、これまで、

・事前の電気/ガス/水道/Wifi等の開通の手続き
 (「日程の調整…」)

・群馬県富岡市のアパートに向かう途中のナビゲーション
 (「眠れるナビゲーター…」)

・アパートのカギを開ける/トイレ故障の対応
 (「カギとトイレ…」)

で、想定していないことが発生したことを述べました。

 

「カギとトイレ」のトラブルを解決し、晩御飯とお風呂屋を済ませてアパートに帰ってきたのは、23日の夜23時。

ここから、長女はアパートでの一人暮らしを開始することになり、私と長男は車中泊をしながら金沢に帰ることにしました。

 

車中泊をしながら金沢に帰るつもりの長男と私は、長女をアパートに送り、そのまま富岡I.C.から高速に乗り、翌日24日(日)の深夜0時過ぎに高速道路のサービスエリア(横川S.A.)に到着。

そこで車中泊をして、朝5時半頃に起床。

起きてすぐに金沢に向かってスタートし、自宅に着いたのは午前11時。

すぐに、

・持ち帰ったパッソのタイヤ等を片付け、
・凍結防止剤で真っ白に汚れたレジアスエースの洗車を行なって、

ようやく「ホッ」…と一息をついた私でした。

 

金沢に帰ってきたのは日曜日ですが、その翌日の25日(月)は、長女のアパートに、

・引っ越し業者の荷物配達があり、
・そしてようやくガスが開通、

となり、長女はようやくアパートで普通に生活が送れるようにます。

 

ただこの日曜日は、まだガスがまだ開通していません。

なので長女は、もう一日だけお風呂屋さんに行く必要があります。

実はこれが、大きな落とし穴になりました…

 

引っ越し初日 23日の経験から、アパート近くのお風呂屋さんは早くに閉まってしまうことが分かりました。

なので長女には

「24日は、早めにお風呂屋さんに行くように」

と伝えていました。

しかし現実はそうはなりませんでした…

 

 

結局長女は、夜になり辺りが暗くなってから、引っ越し初日の23日に3人で行ったお風呂屋さんに行くことにしたようです。

しかしそこは、走り慣れておらず、しかも暗くて狭い峠道。

 

その峠道は、まあ「あるある」ですが、片側一車線/追い越し禁止の狭い道路。

しかし地元の車は、その峠道をスピードを出して走ることが定番/あたり前となっているようで、23日に私が走っているときも、後ろから来る車はかなりのハイペースで走っており、私を煽ってくる感じでした。

 

 

その狭い峠道を長女はパッソでゆっくり走っていたため、案の定、後ろから来る地元の車はパッソをバンバン抜いていきます。

怖くなった長女は道路の左端に寄って走るしかない…

という状況が続きました。

 

そんな夜8時ごろ。

お風呂に向かってパッソを運転している長女の目の前に、やや急な右カーブが迫ります。

ゆっくり走っている長女の後ろに、1台の地元の車。

「対向車が来ない」と見た後ろの車は、その右カーブで長女のパッソを抜いていったそうです。

ただでさえ左に寄って走っていた長女は、後ろから抜かれたことでさらに左に寄ることに。

その瞬間、ヘッドライトの届いていない左前方に縁石が現れ、その縁石にフロントタイヤの側面がヒット。

タイヤにはサイドカットが入り空気が抜けて、バーストしてしまいました…

 

長女は、

「もう、この世の終わり」…

という気分だったそうです。

 

 

その時間、金沢に帰っていた私は、夕食を食べ終えリビングでくつろいでいました。

そこに長女からの電話。

 

「おや、なんだろう?」

と思って電話に出ると、号泣する長女の声が聞こえてきます。

 

「お風呂屋さんに行く途中でタイヤがパンクした。どうしよう」…

 

「えっ」…

 

しばらくは状況が把握できずにいましたが、電話で話しているうちに、上に書いたような経緯が判明。

 

私はJAFの会員になっています。

そして、免許証を持つ家族全員を「家族会員」として登録しています。

JAFからは、会員の私はもちろん、家族会員一人一人にも会員証が交付されます。

なので、妻、長女、次女も、JAFの会員証を持っています。

 

 

パッソの荷室の下には、いわゆる応急タイヤ(テンパータイヤ)とタイヤ交換の工具が装備されています。

なので、私自身であれば、すぐに自分でタイヤを交換するでしょう。

しかし、長女にはそれは無理だろうなぁ…

ということで、JAFの会員証を携行していることを確認し、

「応急タイヤが荷室にあるから、すぐにJAFに連絡してタイヤを交換してもらいなさい」

と指示。

さらに、車を安全なところに移動し、エンジンをかけたままでハザードランプを付け、車の中でJAFを待つように連絡。

 

それから約1時間後の夜9時ごろになり、長女から

「JAFにタイヤ交換をしてもらった」

との連絡が入りました。

 

お風呂に入ってアパートについたとの連絡が入ったのは夜10時半。

そのときも、長女は号泣していました。

 

「うーん、これはマズい」…

 

まず、バーストしたタイヤを新しいタイヤに換えないといけません。

応急タイヤを外して、新しいタイヤを付ける必要もあります。

それに、号泣するほどショックを受けている長女が、引っ越し業者が運んでくる荷物を部屋に運び、それらの荷物を解いて整理/整頓することが果たしてできるのか…

そこも不安です。

 

色々考えましたが、結局私は、あらためて群馬県の長女のアパートに向かうことにしました。

 

再出発は、25日(月)の早朝。

25日(月)、26日(火)の仕事は「諸事情でお休み」とし、お約束のあった業者の方には、メールで延期をお願いしました。

どうも、申し訳ありませんでした。

 

 

あたらめて群馬県に向かうことになった私。

その際にも色々なことがおきました。

それについては、また後ほど…

カギとトイレ…

今日は、3月30日(土)。

この4月から長女は県外に就職します(「寒い日の過ごし方…」)。

それもあってこの2024年 3月には、約10年ぶりに雛人形を飾りました(「久々に箱から出しました…」)。

 

その雛人形ですが、昔から

「4月になっても人形を片付けずに飾り続けていると、娘が良い縁に恵まれない」…

と言われます。

 

「まあ、できればそうならない方がいいか」…

ということで、今日は朝一番で雛人形を片付けました。

 

約一ヶ月、雛人形を飾った畳スペース。

元々は四畳半と狭い場所ですが、人形が無くなってみるとガランとして意外に広く感じます。

それがなぜか頭の中で、長女が群馬県に行って家から居なくなったことと結びつき、少し寂しい気分になりました…

 

 

雛人形を出すのが10年ぶりなら、片付けるのも10年ぶり。

出すのも片付けるのも手順/段取りがうまくいかずモタモタしてしまいましたが、なんとか綺麗に箱に収めることができました。

来年もまた、飾ってみることにしたいと思います。

 

 

 

さて、長女の引っ越しについてですが、これまで、

・事前の電気/ガス/水道/Wifi等の開通の手続き
 (「日程の調整…」)

・群馬県富岡市のアパートに行く道中のナビゲーション
 (「眠れるナビゲーター…」)

で、予定外のことが発生したことを述べました。

この「アパートに行く途中」にさらにもうひとつ、予定外のことが発生しました。

 

富岡I.C.で高速を出る直前の休憩を、横川S.A.でとっているときのこと。

長女が、以下のことを言い出しました。

「アパートの鍵は暗証番号を入力するタイプだけど、設定方法が分からない」

 

えっ、そっ…それは大問題です。

すぐに、長女から不動産屋さんに電話をすると、

「一旦、当方の事務所に来てほしい」

とのこと。

 

「えー、たぶん暗証番号の設定方法が書いてある説明書を渡されるだけのハズ」

「それなら、PDFデータをメールで送ってもらうだけでいいんじゃないか」…

そう思いながらも、不動産屋さんの指示には従うしかありません。

 

ただ不動産屋さんの事務所は、アパートの近くではなく、そこから20kmほど離れた高崎駅前にあるそうな。

しかも事務所には駐車スペースが少なく、長女のパッソと私のレジアスエースの2台で行くのは上手くないらしい…

 

「分かった、お前たち(長女と長男)はパッソに乗ってひとつ先の吉井インターで高速を降り、そこから高崎駅前の不動産屋さんに寄ってからアパートに来なさい」

「お父さんは予定通り富岡インターで高速を降りて、アパート近くのコンビニで待ってる」

「アパートの駐車場に着てトランシーバーで呼んでくれれば、すぐにアパートに行くから」…

 

そんな段取りに変更し、私は予定通り13時少し前に富岡I.C.で高速を降りました。

高速を降りたら、ものの10分もせずにアパート近くのコンビニに到着。

そして、その駐車場に車を停め待つこと、なんと2時間…

15時半過ぎになり、やっと長男からアパートに着いたとの連絡が入りました。

 

富岡I.C.のひとつ先の吉井I.C.で降りた長女のパッソは、道に迷うことなく高崎駅に向かうことができたそうです。

しかし、高崎駅までの道は大渋滞していたようで、とにかく駅に着くまで時間がかかったとのこと。

しかも、駅近くの駐車場には空いているところがなく、結局少し離れた立体駐車場に入れるしかなかったそうです。

別行動になったとしても1時間ほどで合流できると思っていましたが、大幅なタイムロスが発生。

現実には2時間ほど遅れた15時半近くの合流となり、そこでようやくアパートのカギが開きました。

 

カギが開いたら、長女はさっそくアパートの各部屋の掃除を開始。

長女が掃除をしている間に、私はパッソのスタッドレスタイヤを(レジアスエースに積んできた)夏用タイヤに交換。

ただ、どうやらそのアパートには、車のタイヤを保管しておく「物置き」は装備されていない模様。

なので、外したスタッドレスタイヤは、アパートに置いておくのではなく、レジアスエースに積んで一旦家に持って帰ることにしました。

スタッドレスタイヤが必要なシーズンになったら、タイヤ交換のためにまた群馬県に来ることになるのかもしれませんが、まあしょうがないですか…

 

 

長女による掃除が終わり、私がタイヤ交換が終えたら、つぎはレジアスエースに積んでいた諸々の荷物をアパートの中に運び入れ、ベッド等の組み立て/セッティングを行います。

これらの作業を終えたのは、予定からは大きく遅れた17時過ぎ。

 

それでも

「ようやく一息ついた」

ということで、アパートのトイレを使用して、私はトイレ休憩(小)。

ところが用が終わって水を流そうとすると、なんと、レバーがキコキコ動くだけで水が流れない…

 

「あれ?」

と思ってタンクの蓋を外して中を見ると、レバーから繋がったチェーンの先が宙ぶらりん。

しかも、タンクの底にある「水栓を引き上げる部品」(← 本来、これがチェーンに繋がっているはず…)が、肝心の水栓に接続できない(← 接続する/嵌める箇所があるのですが、それがすぐに抜けてしまう)状態です。

 

「えー、壊れてるやん、これ」…

 

長女がすぐに不動産屋さんに状況/状態を連絡し、トイレ修理のために業者に来てもらえるように依頼。

依頼を受けてトイレ修理には来てくれることになりましたが、

「今からの手配になるので、アパートに行けるのが何時になるか分からない」

とのこと。

またもや、タイムロスが発生しそうな状況です。

 

「よし、○○(長女)が自分で買いに行くつもりだったカーテン/日用品は、お父さんと△△(長男)で買いに行く」

「その間、○○(長女)は業者が修理に来るのを待っているように」

 

そう言って、私と長男がアパートを出たのは17時半過ぎ。

そして、諸々の買い物を終えてアパートに帰ってきたのは19時。

 

幸いなことに、不動産屋さんから業者にはすぐに連絡/対応してもらえたようで、修理に来たのは意外に早く18時半頃。

また、不動産屋さんは業者に症状/状態をざっくり伝えていてくれたようで、業者の方もすぐに対応できていたそうです。

なので、私と長男がアパートに戻ったときにはすでにトイレの修理は完了していました。

 

19時にアパートに戻ってきて、買ってきたカーテンや日用品のセッティングを終えたのが20時。

こうして、ようやくこの日のやるべきことが完了しました。

 

 

あとは長女、長男、私の3人で晩御飯に出かけ、最後はお風呂に入るだけ。

お風呂に入ったあとは、長女はそのままアパートに。

私と長男は道の駅/サービスエリア等で車中泊をして金沢に帰ります。

 

晩御飯を食べてからお風呂屋さん(スーパー銭湯)に入る想定だったのですが、食事を終えたのは21時過ぎ。

ところがこの時間になると、アパートの近くにお風呂屋さんはすでに閉まってました…

 

長女が一人暮らしが始める直前の食事ということで、ちょっと高級そうな豚カツ/丼物のお店をチョイス。

長女は親子丼のセット、長男は味噌カツ定食、私はヒレカツ定食をそれぞれ注文。

注文を終えてお店の方が席を離れると、しばしの沈黙が流れました。

その途端、いよいよ家を離れることになったことを思ったのでしょう、長女は涙ぐんでしまいました。

運ばれてきた食事を、言葉少なに食べ進める3人。

こんなときの食事は、味が分からない/感じないものなんでしょうが、幸いなことに、親子丼、味噌カツ、ヒレカツのいずれも美味しくて、しかも量が多かったことが救いでした。

 

それぞれが目の前のものを食べてお腹が一杯。

お腹が一杯になって、長女も少し気持ちを切り替えることができたのか、(それとも無理をしていたのか…)笑顔も出るようになってきました。

 

ただ、笑顔はあったものの、正直言って父親としてはちょっと辛い瞬間でした…

 

 

食事を終えてお店を出た21時過ぎ。

その時間でもまだ開いているお風呂屋さんは、アパートから17kmほど離れたお隣の高崎市にしかありません。

しかもそこに行くには、暗い峠道を走って向かう必要があるようです。

 

慣れない夜の峠道を長女が運転するのはリスクが多いと考えて、レジアスエース1台に長女/長男/私の3人が乗り込み、もちろん私が運転をして暗い峠道を走ってお風呂屋さんへ。

そうやってお風呂に入り、アパートに帰ってきたのは23時過ぎ。

こうして、長い一日がようやく終わりました。

 

すでに、今日一日の作業(長時間の運転、諸々のトラブル対応、引越し作業)でクタクタの長女と私。

しかし、これで引越しにまつわるトラブルは終わりではありませんでした。

それについては、また今度。

 

 

追伸

食事の際に涙ぐんでしまった長女には、

「一人っきりだと思わなくていいよ、家族みんながお前を応援しているから」

「でも、困ったことがあったらいつでも連絡してきなさい。そうしてくれれば、お母さんも喜ぶから」

と伝えました。

 

↑これ、本心です。

正直に言って私も涙が出る寸前でしたね。

 

頑張って、なんとか涙を堪えていた私。

世の中のお父さん、この気持ち、分かっていただけますよね…