なんでそうなるの?…

今日は、12月10日(水)。

その前日、昨日 9日(火)の夕方のこと…

 

この日の私は、午前中はデータ整理、午後は資料作成をして、夕方5時過ぎに事務所を出て帰宅。

家に帰ると、同じタイミングで家に戻った妻と一緒になりました。

 

「遅かったね」

私が妻にそう声をかけると、どうやらこの時間まで、ご近所の方に手伝ってもらいながら、我が家のみかんの木と梅の木の剪定を行っていた模様。

 

「お疲れさん」

と私が言うと、

「うん、ちょっと疲れた」…

妻はそう言いながらリビングの畳コーナーに直行。

そこにあるこたつにすっぽり入って横になり始めました。

 

まだお風呂のお湯は、張ってないよな…

そう思った私は、お風呂に入ってお湯を張り始めました。

 

「晩ご飯は、何か考えたり、準備したりしてる?」

私がそう聞くと、妻からは、

「とくにしてない」

とのお答え。

私が、

「疲れているのに今から晩ご飯を用意するのは大変だし、今日は外食にする?」

と聞いたところ、

「えー、外食は嫌だ」…

とのお返事。

「なら、俺がスーパーの惣菜を買ってきてもいいし、”餃子の○将” の中華料理をテイクアウトして来てもいいよ」

重ねて私からそう聞いたのですが、妻は、

「ううん、何か作るから大丈夫」

と言いました。

ただし、こたつで丸くなったままの姿勢をキープ…

 

それから20分ほどが経過。

「お湯張りが完了しました」…

というチャイム/音声が流れ、私のお風呂タイムが到来。

しかしこの時点でも、まだ妻はこたつで丸くなっている状態。

 

「これは、どうにもならないな」…

そう思った私は、夕食の準備を楽に済ませる作戦を検討。

そして、妻が山口に行っていたとき(「手足が生えて…」)に、大量に作ったビーフシチューのことを思い出しました。

「確か余ったものを冷凍したはず」…

 

ということで、妻には、こんな風に伝えました。

「冷凍してあるビーフシチューを解凍して、今日の晩ご飯にしようよ。シチューの牛肉は少なくなってたけど、冷蔵庫にある牛肉を炒めてシチューに足せばきっと大丈夫。そうすれば、何も作らなくて楽だよ」

すると、こたつの妻から、

「分かったわ、そうする」

とのお答え。

 

これで安心してお風呂に入れるな…

そう思った私は、ゆっくりと(カラスの行水ですけど…)お風呂に入りました。

ところが、約20分の入浴を終え、ドライヤーで髪を乾かしてリビングに戻ってみると、妻はまだこたつで丸まったまま。

 

普段、豆柴 ”おこげ” の散歩には妻が行くことが多いのですが、この日、仕事から帰ってきた次女と、高校から帰って来た長男は、こたつで丸まっている母親(妻)を見て、”おこげ” の散歩に行ってくれました。

しかしビーフシチューの解凍等、夕食の準備はまったくできていません。

 

「うーん、こりゃ重症だな」…

そう思った私は、冷凍庫からビーフシチューを取り出し、それを鍋に移して解凍を開始。

焦げ付かないように、時々竹のへら(ターナー)で鍋の底をかき混ぜながら、ゆっくり温めていきます。

およそ15分ほどで全体の解凍が終わり、ビーフシチューもグツグツし始めました。

そこに炒めた牛肉を追加しさらに5分ほどグツグツさせて、手抜きの晩ご飯メニューが完成。

ただし、この時点で、時間はすでに7時少し前。

「用意ができたから、子どもたちが帰ったらすぐに晩ご飯にしよう」

 

次女と長男が ”おこげ” の散歩から帰ったのが、7時15分ほど。

「さあ、晩ご飯を頂こう!」

私が、そう声をかけたタイミングで、なぜか妻が冷蔵庫から鶏肉を取り出し、作業を開始。

 

「えっ、今からそれを料理するの?」

私が妻にそう聞くと、

「うん」

とのお答え。

 

 

それなら、ビーフシチューの準備をやってくれた方が良かったんじゃない?

それに、ただでさえ遅くなった晩ご飯がもっと遅くなるけど、それでいいの?

 

そんな思いが渦巻いて、一気に不機嫌になった私。

そして、そんな経緯を知らずに、不機嫌な私を責める次女と長男。

 

「なんでそうなるの?」

この疑問を解消することは、ちょっと難しいですねぇ…

 

 

追伸

妻が料理した鶏肉は、この日が賞味期限だった由。

「だからどうしても、この日のうちに火を通しておきたかった」

そんな背景もあったようです。

 

まあ、それでも、私の疑問は解消されませんけど…

庇(かば)っていたから…

今日は、12月9日(火)。

先日の投稿には、豆柴のおこげをシャワーに入れたことを書きました(「耐え抜いて…」)。

 

「最近おこげは私のシャワーのやり方にも慣れてきて、お互いに変なストレスを感じなくなってきた」

なんてカッコいいことを書きました。

しかし私の腰と膝(ひざ)は、その程度の作業でも根を上げるようになっていました…

 

まず、腰に関して。

以前の投稿でも書いたように、どうやら私は間欠性跛行(かんけつせいはこう)という状況になっているようです(「どんよりして…」)。

腰椎のある箇所が狭くなっていて、30分ほど歩いていると、腰椎から伸びている神経が障害を受けてしまい、足の痛み/痺れ/脱力感などが現れます。

しかし、しばらく休んでいるとまた歩けるようになります。

私に起きている症状は、まさにこれ。

腰がダルくなっている感じとともに、脹脛(ふくらはぎ)は太腿(ふともも)に痛みが出て、かつ、足の外側の筋肉に痺れ/脱力感が現れます。

おこげのシャワーの際にも、この症状が現れました。 

 

 

そして膝。

右膝については、7月に負った怪我の影響がまだ続いています(「希望へのチェンジ…」)。

ただ、少しずつではありますが痛みが弱くなっている実感があります。

来春には、”元通り”…とまではいかないまでも、まあまあいい状態になるような気がしており、ちょっと光が見えてきた気がしていました。

ところが…

 

11月にサツマイモの蔓を切って畑にばら撒く作業を行いました(「疲労困憊 イモの蔓…」)。

そのあたりから、まったく問題のなかった左膝に、ちょっとした痛みを感じるようになりました。

 

当初は、

「ちょっと捻ってしまったかな」…

という程度で気に留めていませんでした。

しかし、12月になっても、その痛みが引きません。

そこに、”おこげのシャワー” があり、ダメージのダメ押し。

 

今朝起きてみると、膝が痛くて、足を引きずらないと歩けないほど。

「うーん、左膝、酷使してしまったかな」…

 

7月から11月までは、右膝の状態が思わしくありませんでした。

このため、足、とくに膝に力を入れないといけないシーンでは、左膝に頼っていることがほとんど。

11月に行ったサツマイモの蔓を切る作業も、蔓を切る道具や蔓を押さえたりする際に、足に微妙に力を入れながら作業する必要があります。

それらも、ほぼ左足のみを使うようなイメージでしか行っておらず、確かに負荷が左足に偏っていたかもしれません。

 

一方を庇ったことで、反対側に負担が集中。

これ、世の中でも良くあることですよね。

かつて、プログラマ/システムエンジニアの仕事をしていた際にも、同じようなことがありました。

 

複数の部署が共同で行っている大規模開発プロジェクトなどでは、独立した機能ごとに異なる部署が担当し、全体を合わせて一つの大きなシステムを構築することが普通でした、

そんなプロジェクトで、ある部署(ある機能)の進捗に極端に遅れが発生したりすると、顧客に対する責任、さらには収益の観点から大問題に発展するリスクが増大してしまいます。

そのような事態が発生したときには、会社の上層部(部長、本部長、役員等)が出席したプロジェクト全体での進捗会が開催され、遅れのリカバリー策について議論されたりします。

そんな際に、当時の私の上司(課長/係長)が優秀な方だったことから、会社の上層部の ”鶴の一声” で、私の上司に対し、

「遅れている部分への応援命令」

が降ることがしばしばありました。

 

私の上司にしてみると名誉なことかもしれませんが、そうなると、応援を命令された人の部下(つまり私たち)が、応援として投入されることになります。

ただ、応援として投入される私たちに、何もメリットはありません。

元々担当していた開発作業についても、

「大変だろうから免除してあげる」…

なんてことはもちろんなく、やるべきことが増えるだけ。

 

それに加えて、実は応援として投入された人(私たち)に ”できること(の種類)” は、あまり多くないのが実態でした。

というのも、応援に行く人たちは、応援を受ける側のシステムの設計、あるいはプログラムの設計/作成を行っていない(その部分の設計詳細を知っている訳ではない)ので、開発作業そのものを応援することはできないんですね。

 

 

→実は会社の上層部は、”重厚長大” な分野を切り開いてきた親会社の天下り。

なので、実際のソフトウエア/システム開発現場のことを知らない人がほとんど。

「応援さえ投入すれば、遅れはなんとかなるだろう」

そんな考えだったんでしょうね。

 

 

ソフトウエアは設計内容そのものがキモ。

なので、応援として投入される人が担当できるのは、開発作業ではなく、設計を知らなくてもできること、たとえば

・大量に残っているテスト項目の消化
・放置されている膨大な資料/データの整理
・未作成の報告書等ドキュメント作成/整理…

など、裏方として行う”人海戦術” に限られるんですね。

 

また、元々担当していた自分の開発部分についても、残してきたチームに、やるべき作業を指示し進捗のチェックもしなければなりません。

そんなことから、応援を受ける側よりも、応援として投入された人たちの方が、残業時間等が多くなったり、精神的に疲弊してしまうこともしばしば。

 

「理不尽なりー!」

そう叫びたくなる気持ちもありましたが、無事にプロジェクトが完了し、応援先の方々から感謝されたりすると、

「まあ、上手く行ったから良しとするか」

と思ってしまうんですよね…

 

 

右膝を庇ったことで、痛めてしまった左膝。

痛みが引くのを待ち、ちょっと様子を見るしかないか…

そう思った今朝の私でした。

 

 

追伸

私たちが応援として投入された先の設計/プログラムの完成度が低すぎて、テストしてもテストしても不具合が消えず、ゼロから設計/プログラム作成をやり直す…

そんな判断をされたことが、長い経験の中で一回だけありました。

そのときは、大規模開発プロジェクトの期限が1年延期されました。

顧客にも相当怒られただろうし、プロジェクト全体での収支の赤字額も大きかったハズだ…

そう思います。

 

そして、プロジェクトが完了した後のこと。

遅れを招いた部署の課長さんはシステム開発部門から外れ、マニュアル作成部署に異動となりました。

プロジェクトが1年伸びたことも含め、私の中では、なかなか衝撃的な経験でした。

空回りの音…

今日は、12月7日(日)。

最近よく書くフレーズのような気もしますが(「落とし穴…」)…

「しっかり計画を立てて過ごす」

と誓って迎えた2025年最後の12月も、すでに最初の週が終わる日曜日となってしまいました。

 

予定していた ”やるべきこと” については、優先順位をつけて片付けてはいるものの、次々と降りかかるトラブルや想定外のハプニング。

それらに振り回されているうちに、アッという間に、12月最初の一週間が終わろうとしています。

 

ところで、一週間の始まりは月曜日か、それとも日曜日か?

この件については、これまで妻と私の間で喧々諤々の議論が戦わされてきました。

 

妻は ”日曜日” 派。

曰く、

「子どものころから見ていたカレンダーは、日曜日から始まっていた」

 

私は ”月曜日” 派。

「”週末” という言葉がある通り、仕事のある平日が週の始まりで、日曜日は週の終わり」

 

この件、国際規格(ISO)では、

「週の始まりは月曜日」

と決められているようです。

 

しかし、日本は伝統的に日曜日が週の始まりと考えられてきました。

これはキリスト教の国々でも同様だそうです。

 

 

うーん、でも待ってください。

旧約聖書の創世記には、

「神は第七日にすべての作業を終えて休み、この日を聖別した」

と書かれており、それに基づいて第七日が安息日=休日の日曜日になったのでは?

 

「私の勘違いなのかな」

と思ってあらためて調べてみると…

 

旧約聖書の創世記で述べている安息日は、土曜日であることがわかりました。

ユダヤ教では、今でも安息日=休日は土曜日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)であるとのこと。

世界的に日曜日が休日になったのは、4世紀にローマ帝国が日曜日を休日にしたことに基づいており、それが世界中に広がったためだそうです。

ただキリスト教では、イエスが週の最初に復活したと信じられていて、その日が日曜日。

なので、キリスト教でも、伝統的には週の始まりは日曜日だそうです。

 

色々あるんですねぇ…

 

 

この論争の結論としては、

「週の始まりは、日曜日でもいいし、月曜日でもいい」

ということでした。

妻と私の間のアツい論争も、ちょっと空回をしていたようです。

 

ただしISOにある通り、ビジネスが基本となっている現代では、週の始まりは月曜日とすることが多いと思われます。

なんと言っても、私が使っているスケジュール帳も、週の始まりは月曜日(「切り替えました…」)ですからね…

 

 

 

さて、そんな忙しい一週間を過ごしてきた昨日 6日(土)。

妻と私は、長女が乗っている車(パッソ)のタイヤを夏用から冬用に交換するために、群馬県富岡市へ行ってきました。

 

長女の車の冬用タイヤの空気圧をチェックしてから車に積み、朝6時に金沢の自宅を出発。

北陸道→上信越道のルートを通り、10時30分に長女の住むアパートに到着。

そのままタイヤ交換を行い、11時に作業終了。

そこから長女、妻、私の3人でレストランに行き、ゆっくり昼食。

昼食後は長女のアパートへ。

長女のいれてくれた紅茶をいただきながら、しばしの休憩をした午後1時。

妻と私は、長女の車から外した夏用タイヤを再び積んで、アパートを出発。

来た道をそのまま戻り(上信越道→北陸道)、金沢の自宅に帰着したのは午後5時40分。

往復740km、都合11時間40分のドライブでした。

 

 

そんな群馬へ向かう途中の上信越道でのこと。

朝の妙高高原周辺の外気温は、なんとマイナス4℃。

空からは何も降ってはいませんが路肩には雪があり、濡れた路面から巻き上がる水飛沫で、フロント/リアガラスは汚れる一方。

仕方なくウインドウォッシャー液を出しながらワイパーを使っていると、

「ウィーン」…

とウォッシャーのモーターが空回りする音が発生。

「えーっ、ウォッシャー液が無くなった!」

 

しょうがないので、更埴(こうしょく)ジャンクション手前にある松代パーキングに入り、そこのガソリンスタンドでウォッシャー液を補充することにしました。

しかし…

なんと、タンクの中にはウォッシャー液が半分以上残ってるじゃないですか。

 

スタンドの方、曰く。

「ウォッシャー液の色がちょっと薄いので、液がパイプの中で凍ってしまったんでしょうね」

 

スタンドの方からは、

「ウォッシャー液、買いますか?」

と再確認されましたが、そのまま購入。

ボトルのウォッシャー液を原液のまますべて投入。

タンクの中を濃いめのウォッシャー液で満たしました。

 

このおかげで、ウォッシャー液が復活。

ワイパーレバーを引くと、

「ピュピュ、ピュー!」

という感じで、勢いよくウォッシャー液が吹き出してきました。

 

 

久々に聞いた、ウォッシャーのモーターが空回りする音。

以前に経験した際には、ウォッシャー液のタンクが空っぽになったためでしたが、今回は、ウォッシャー液の凍結。

 

「いやー、世の中、まだまだいろんな経験をするもんだなぁ」…

そう思ったこの日の私でした。

落とし穴…

今日は、12月5日(金)。

2025年も師走に入り、今週頭の投稿では ”師走の計画をしっかり立てたい” との投稿をしました(「サブからメインへ…」)。

しかし、何だかんだと今週は忙しく、気がついて見ればすでに金曜日。

もう12月最初の週が終わろうとしています。

 

「あー、もう、ホントに時間がない!」…

ということで、昨日 4日(木)の主夫生活(「手足が生えて…」)として、晩ご飯の準備がひと段楽してからから、年賀状のデザイン検討を開始。

来年は午年ということで、まずは馬をモチーフにしたイラストを作成。

そこに新年を祝う大きな文字と、これは例年通り、小さな文字で住所や家族全員の名前を添えて、デザインは完成します。

 

家族全員の名前は、こんな感じで並べています。

私のフルネーム・妻の名前
長女の名前・次女の名前・長男の名前

 

ちなみに子どもたちが学校に行っている間は、名前の後にカッコをつけて、中学/高校/大学の何年生かを書くようにしていました。

 

”家族全員の名前”。

昨年は、長女が群馬県に引っ越したので、すでに金沢の同じ住所には住んでいません。

このため、当初は家族全員の名前から外す方向で検討していました。

しかし、出来上がった年賀状のデザイン(案)を見た妻から、

「○○(長女の名前)がないじゃない!」

とダメ出し。

 

「あっ、そうだね」…

ということで昨年作成した年賀状(2025年の年賀状)では、長女の名前の後ろにカッコ付きで、”社会人 群馬県在住” と書くことにしました。

 

 これを受けて、次女の名前の後ろにも、カッコ付きで ”社会人” と書くことにしました…

 

 

馬をモチーフにしたイラストを完成させ、それに長女を含めて家族全員の名前を添えて、今年作成の年賀状=2026年の年賀状デザイン(案)が完成。

それをPDFに変換し、さっそく山口県にいる妻へLINEで共有。

LINEが既読になったと思ったら、すぐに、

「これでいいわ、バッチリ!」

とのメッセージ。

「あー良かった、ホッとした」…

 

 

一方の子どもたち。

年賀状には名前は載っているものの、中学校を卒業して以降、自分で年賀状を出す習慣はなくなっています。

なので、とくに年賀状のデザインは気にしていません。

とはいえ、

「今年我が家からは、こんなデザインの年賀状を出すからね」

と知らせる意味もあって、妻からオーケーをもらった年賀状を毎年見せてきました。

昨日も夕食が終わってから、次女と長男に妻からオーケーをもらった年賀状を披露。

 

例年通り、

「ふーん」…

で終わると思いきや、次女から、

「家族に ”おこげ” の名前がない!」

と、これまた強烈なダメ出し。

 

「あっ、そう」…

ということで、5月に家に来た白の豆柴 ”おこげ” を追記することになりました。

 

なので、家族全員の名前は、こんな感じになります。

私のフルネーム・妻の名前
長女の名前(群馬県在住)・次女の名前・長男の名前(高校3年)・おこげ(豆柴 10ヶ月)

 

ちなみに、カッコの中が長過ぎて、子どもの名前の行がハガキの枠からはみ出す始末。

このため、長女と次女の ”社会人” という記載はなくすことにしました…

 

 

先生も走る12月。

諸々慌ただしい中で、早めに年賀状のデザインを完成させる…

その ”ゴール直前の落とし穴” に、見事にハマってしまった昨日の私でした。

手足が生えて…

今日は、12月4日(木)。

実は今朝から、妻は山口県に一泊二日の予定でお出かけ。

なので、今日は朝一番から主夫生活となっています。

 

妻が出かけた先は、山口県の湯田温泉というところ。

みらい子育てネット(いわゆる母親クラブ)の全国表彰があり、

「妻の所属している母親クラブが表彰される」…

とのことで、その表彰式に出かけて行きました。

 

 

朝6時過ぎに自宅を出て野々市駅へ。

そこから金沢駅へ行き、7時ごろに出発する北陸新幹線で敦賀駅へ。

敦賀〜新大阪はサンダーバード、新大阪〜新山口は山陽新幹線(東海道新幹線?)。

新山口駅から湯田温泉駅は普通電車の各駅停車。

このルートで、すでに切符も購入済みです。

ところが…

 

妻を車で野々市駅まで送って行くために、5時50分過ぎに家を出ようとした…

まさにそのときに、急に妻が慌て出します。

「荷物に入れておいたはずの目薬がない!」

そう言って玄関ホールで、荷物をまとめてあったキャリーケースをひっくり返し、すべての荷物のチェックを始めました。

 

妻は緑内障を患っており、件の目薬は医者から処方されたもの。

眼圧をコントロールするために、この目薬を毎日点眼しています。

それは必要…ですね。

 

 

必要なものが見つからないと、人間、確かに慌てます。

しかし、事前にまとめておいた荷物から、それがなくなってしまう…

なんてことは、普通に考えれば、まあ起きません。

 

同じようなことを私も子供のころに経験しました。

そんなときに父からは、笑いながらこんな風に声をかけられました。

 

無くなった物は、

・手足が生えて逃げていった

・お化けが出てきて持っていった

…なんてことでもないと、勝手に消えたりしないよ。

そんなことは起きるはずがないんだから、落ち着いて探せば見つかるぞ。

 

いやー、まったくその通り。

ユーモアを交えて、慌てている私を落ち着かせてくれた父。

私とは違い、やっぱり父は偉かった…

そう思います。

 

 

妻に、

「落ち着いて探そう」

そう言って、私も荷物を探していると…

 

カバンから取り出した袋の中に、さらに ”小さな袋” が入っているのを発見。

その ”小さな袋” の中に、探している目薬がありました。

 

「あー、良かった」

妻のホッとした顔。

しかし、安心したのも束の間。 

すでに時間はずいぶん過ぎてしまっていました。

 

時間が過ぎてしまったため、そのまま予定通りに野々市駅に送っていくのでは、北陸新幹線の発車時間までに余裕がない。

(新幹線に乗る前に買おうと思っていたお昼のお弁当や飲み物が買えなくなる…)

ということで、直接、私が車で金沢駅東口まで送って行くことにしました。

 

もちろん、道路交通法を遵守。

ただ、”ギリギリで守りながら、でも、できるだけ急いで”…という運転。

なので、安全運転とは言えなかったかも…ですね。

 

 

その結果、6時半過ぎに金沢駅東口に到着。

新幹線の発車時間には、まだ30分弱の余裕を持ったまま、金沢駅に着くことができました。

車の通りが少なく、渋滞箇所が無かったことで救われました。

 

 

朝一番で発生した、ちょっとした事件。

そのことから、目薬に手足が生えて逃げていった…

そんなシーンを思い浮かべてしまった私でした。