”ツール・ド・のと” の顛末…その1

今日は、9月17日(水)。

昨日の投稿では、2025年の”第37回 ツール・ド・のと400” を走っての感想を述べました(「”ツール・ド・のと” を走って…」)。

走り終えての感想は昨日の投稿の通りですが、走っている最中は一生懸命ですし、楽しいこともいっぱいありました。

この後の投稿では、”ツール・ド・のと” を実際に走っている最中の顛末等について書いてみたいと思います。

 

今日の投稿では、まず一日目の14日(日)について。

 

 

朝7時に当日の選手受付を済ませて、7時半には開会式の会場へ。

この日、選手として参加した方の人数は、サポート/ゲストライダーを含めて500人オーバー。

最も参加者が多かったときは900人を超えていたそうす。

その人数に比べると今年は半分ほどの人数ですが、それでも多くの方が石川県内/外から参加されていました。

 

開会式を終えて8時から順次スタート。

スタートの順番は、基本的にゼッケンNo.の順番とのこと。

私のゼッケンNo.は23なので、一番最初のスタートグループ。

そこに、同じチームということでkenshinさんにも入ってもらい、予定時刻通り8時にスタートしました。

 

先頭グループに入ったことが幸いしたのか昨年とは違い、信号等での長い待ち行列もなく、快調に走行。

昨年は1時間半以上かかった内灘の道の駅 サンセットパークに、1時間もかからずに到着。

 

ここで、ありがたくおにぎりの補給食を頂きました。

ところが、あっという間に先頭グループが出発する時刻に…

私とkenshinさんも補給/トイレ等を済ませ、慌てて再スタートしました。

 

ここからは、先頭グループの快適なトレインに乗り、どんどん先に進んでいきます。

先頭グループを引っ張るサポートライダーの方は、

「25km/hほどで走ります」

と言っていたのですが、実際の巡航速度は軽く30km/hオーバー!

私自身は、右膝(ひざ)の違和感/痛みが出るのが怖かったのですが、幸いなことにこの時点で、膝にはまったく問題はナシ。

また、雨が降ったりしてビショビショに濡れてしまう状況ですが、逆に太陽が照って暑い状況ではないことが効を奏したようで、その意味では快適でした。

 

先頭グループの後ろからスタートしたグループにも足に自慢の方々がいます。

その方々がどんどん追いついてきて、私たちをバンバン抜いていきます。

そんなこんなで先頭グループは、人数が増えているような感じでした。

 

つぎの補給ポイントは、宝達志水のやわらぎの郷。

 

ここでもおにぎりを頂き、水の補給をしています。

 

私もkenshinさんも、まだまだ元気いっぱい。

ここでも休憩は短めにして、先頭グループと一緒に再スタートしました。

 

先頭グループはさらに快調に走りすすめ、もう少しでつぎの補給ポイント…というところで、上り勾配5%程度の若干の上り坂が出現。

そこではやはり、足に自慢のクライマーの方々がバンバン先を争っていき、ゴール地点?の信号で信号待ちの隊列ができていました。

 

私たちは、先頭グループの信号には間に合わず、一回多めの信号待ち。

このため、補給ポイントの羽咋 気多大社には、先頭グループから数分遅れで到着。

 

ここではバナナを頂き、トイレを済ませて、先頭グループから数分遅れで再スタート。

 

気多大社を再スタートした私とkenshinさん。

この区間、実は先頭グループに負けず劣らずのトレインに遭遇。

スタート直後と同様、このトレインでも、とても快調に走ることができました。

そのおかげで、つぎの昼食を食べることになっている補給ポイント、中能登町の道の駅 ”織姫の里なかのと”では、数分遅れでスタートしていた先頭グループに追いつき、先頭の最後尾とほぼ同時に到着。

 

「いやー、楽しく走れたなー」

そんな感じでした。

ちょうどお腹も空いた私たちにはバッチリの昼食タイム。

私とkenshinさんは、贅沢にも ”あなごとうなぎの定食” を頂きました。

 

ここでkenshinさんから、

「さすがに、ちょっと疲れてきました」

との報告アリ。

 

「ノープロブレム、気持ちいペースで走りましょう!」

ということで先頭グループからは少し離れた位置で、ペースを落として走ることに変更。

先頭グループが出発して10分ほどが経過してから、私たちも再スタートしました。

 

ここからは折り返しとなるのですが、まったく同じ道を走るのではなく、国道159号線をベースに走っていきます。

そこを、つぎの休憩ポイントは羽咋のコスモアイル羽咋を目指して、走っていきます。

 

先頭グループを離れると、実は、走る速度は人それぞれでバラバラ。

トレインらしきものもチラホラとあるのですが、ちょっとペースが遅かったりして、なかなかそれに乗る判断ができない…

ということで、私とkenshinさんの二人が気持ちよく走ることができるペースで、二人のトレインで走る時間が多くなっていくことになりました。

 

しかしそうなると、なぜか私たちの後に付いて走る方々が出てくるもの。

結局は、kenshinさん/私がトレインの先頭を走る時間も多くなっていっていました。

 

そうこうしているうちに、コスモアイル羽咋に到着。

 

ここでは、シュークリームと水を頂きました。

 

実はここで、一緒に参加されていたライダーの方から

「ジャージの写真を撮ってもいいですか?」

と声をかけられました。

 

もちろん、

「いいとも!」

ということで写真を撮ってもらいました。

ところがその方、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどのグランツールの写真を撮っている ”砂田弓弦” さんという有名な写真家の方だったようです。

いやー、取り上げていただいて光栄です。

 

そのとき撮影いただいた写真は、砂田弓弦さんのフェイスブックで公開されています。

該当のフェイスブック

興味のある方はどうぞ。

 

 

ここも、先頭グループが出発して10分ほど経過後に再スタート。

つぎの補給ポイントであるアクロス高松を目指します。

 

この区間は、雨が上がって少し蒸し暑くなってきていました。

少し蒸し暑い中、ここも私とkenshinさんの二人トレイン状態。

前の区間同様、何人かの方々が私たちの後についていました。

が、今回はピッタリ背後につく、いわゆるツキイチの状況。

ちょっとそれが気になったので、ペースを落として先に行ってもらったりなどがありながらも、アクロス高松に到着。

 

私たちが到着したタイミングで、ちょうど先頭グループが再スタート。

先頭グループからは、10分以上遅くなっているようでした。

 

ここではkenshinさんも私も、水ではなく赤キャップのコーラをチョイス。

いやー、黒ではなく赤のコーラ。

体に良くない…とは分かっていても、美味しいんですよね、これが。

そのコーラ&おにぎりを頂き、トイレを済ませて再スタート。

つぎの最後の補給ポイント、内灘の夢ミルク館(ホリ牧場)を目指します。

 

ここでは再び雨がチラホラ降り、蒸し暑さが少し和らいだ印象。

河北潟干拓地のストレートを、これまた私とkenshinさん、そして若干数名を引き連れたトレインで走り、夢ミルク館に到着。

 

ここでは、フローズンアイス&お茶を頂きました。

 

アイスを頂いたら、さっそく再スタート。

ここからは、途中土砂降りの雨に遭遇。

「雨が目に入り、痛い」…

そんなことを思っているうちに雨は小降りになり、金沢港を過ぎた頃には、雨はあがっていました。

 

そして、午後4時少し前に西部緑地公園にゴール。

 

ビショビショに濡れたジャージ/ビブパンツをレジアスエースで着替え、すぐに家に帰りました。

 

家に帰ってすぐにしたことは…

そう、翌日のライドに備えて、サイコン/パワーメーター/ライト/アクションカム等の充電。

そして、ドロドロに汚れたバイクの洗車。

 

洗車が終わったらチェーンへの給油。

最後に自分がシャワーを浴びて、本日は終了。

翌日のライドに備えて、この日は早めに寝ました。

 

この日夕食は、しっかり炭水化物を摂取しましたが、アルコールは無し。

 

「よし、明日もがんばルンバ!」

そう誓った私でした。

”ツール・ド・のと” を走って…

今日は、9月16日(火)。

一昨日 14日(日)、昨日 15日(月)と開催された”ツール・ド・のと”。

その両日を走ってきました。

 

正式な大会名は、”ツール・ド・のと400”。

その一日目である ”一日コース”。

 

コースは、スタートが金沢の西部緑地公園。

スタート後は、

・内灘 道の駅 サンセットパーク
・宝達志水 やわらぎの郷
・羽咋 気多大社

で休憩を取り、

・中能登町 道の駅 織姫の里なかのと

で昼食。

昼食後は、

・羽咋 コスモアイル羽咋
・かほく アクロス高松
・内灘 夢ミルク館(ホリ牧場)

で休憩し、スタート地点に帰るルートでした。

 

・走行距離 135.1km
・獲得標高 649m

と、けっしてハードなコースではありません。

しかし、右膝(ひざ)に不安を抱える私としては、ちょっとビビり気味で走っている…

そんな感じでした。

ただ、思ったほど右膝へのダメージはなく、翌日の朝の感覚としては、”ダル痛い”…という程度でした。

 

続いて二日目、”奥能登復興サイクル100”。

 

二日目のスタート地点は、輪島の ”輪島キリコ会館”。

スタート後は、

・白米 千枚田
・曽々木 窓岩

でトイレ&撮影タイムを取り、

・珠洲 道の駅 塩田村

で休憩したら、そこで折り返し。

帰り道は、珠洲・真浦と輪島・曽々木を繋いでいる

・八世乃洞門新トンネル

手前で小休憩を取り、あとはそのままスタート地点に帰るルートでした。

 

 

前日のライドによる右膝へのダメージが、想定していたよりも小さかったので、この日は気分的には上り調子。

やや勾配のあるコースでも、少し積極的に走ってみるシーンもありました。

真っ直ぐ踏み下ろす分には痛みはありません。

しかし、ダンシング、あるいは意識して引き足を使おうとすると、途端に右膝にやや強い痛みが走る…

それは変わりませんでした。

まあ、これは

「なかなか治らない」…

と諦めるしかありませんね。

 

 

今年の ”ツール・ド・のと” を走っての感想ですが…

とくに二日目の ”奥能登復興サイクル100” が強く印象に残りました。

 

まず最初に、

「海岸沿いの国道249号線が崩壊したため、海が隆起した箇所に臨時道路を開設し、これを国道249号線として供用している」

ということがあります。

これについては、地元で流れる地方ニュースでも、すでに大きく取り上げられてきました。

 

ただ今回は、災害復旧関連および地域の方のみしか通行が許されていない

「曽々木〜真浦区間」

の臨時道路が ”ツール・ド・のと” では走ることができました。

これは、大会関係者が国土交通省に陳情したことで実現したようです。

 

大きな地震が起きたため海岸線の国道は崩壊したが、元々は海だったところが隆起したことで、そこに臨時道路が開設できた…

そのこと自体に、ちょっと皮肉を感じたりします。

 

海側に作られた臨時道路を走る訳ですから、そこからは元々の国道249号線の状態を目の当たりに見ることができます。

崖崩れ等で埋まった道路やガードレール/駒止、崩れたトンネル出口、倒れたままの電柱…

そんな私たちが地元のニュースで見た通りの映像が、そこにありました。

ニュース映像で見たことがあるとはいえ、やはり自分の目で見るその様子は強く印象に残るものでした。

 

そしてつぎは、”のと里山海道” の復旧が思ったほど進んでいないことに、とても驚きました。

国道249号線の臨時道路も印象に残りましたが、それよりも私が強く感じたのは、奥能登への大動脈となっている ”のと里山海道” の復旧状況が、私が予想していたよりも、かなり遅れていることでした

 

”のと里山海道” は、金沢から能登の輪島/七尾を繋いでいる大動脈です。

この大動脈も、能登半島地震による被害を受けました。

とくに穴水や輪島に近い区間は道路の被害状況が大きく、路面が崩れたり、段差が発生したりしたことは、私も知っていました。

2024年9月、対面通行区間があるものの

「金沢から輪島三井までの全線が復旧した」

とのニュースが金沢で流れました。

「さすが、大動脈の復旧は早いなぁ」…

そう思ったのを覚えています。

 

それから1年。

”ツール・ド・のと” の二日目の選手受付/スタート&ゴール地点は、輪島マリンタウン(輪島キリコ会館)。

金沢在住の私は、朝4時起床、4時50分ごろに自宅をトランポで出発。

ところが…

 

”のと里山海道” は、確かに全線が開通していました。

しかし、

・徳田大津から穴水
・穴水から輪島三井

の区間は、

・崩落した路面を避け、そこを迂回する狭い臨時道路の区間
・狭い臨時道路に繋ぐために、道路がクランク状となっている箇所
・路面の ”うねり/段差” を応急処置したままの箇所
・それらの道路の拡幅/復旧工事のために片側交互通行の箇所

などが多数あり、ダンプカー/工事車両等も非常に多く走っていることもあって、

「気軽に奥能登へドライブする」…

という気分になる道路ではありませんでした。

 

ニュースで流れている通り、”のと里山海道” は全線が開通していました。

これは確かに事実ですが、しかし真実を伝えているものではない…

そんな気がしました。

 

 

国土交通省の権限代行により、国道249号線は2029年に全線復旧/開通させる予定となっています。

それまでに、のと里山海道も完全復旧するでしょうか…

 

それぞれの方がいろいろな考え/感想をお持ちだと思いますが、私自身は、

「国道249号線&のと里山海道の全線完全復旧が実現して初めて、”ツール・ド・のと400” は、当初開催されていた通りの ”能登半島を3日間で一周するイベントとして再開できる」

そんな感想を持ちました。

 

ちょっと厳しい状況ではありますが、そんな中でも大会実行委員会の方々は、イベントの当初開催通りの再開を目指しながら、その年その時で開催可能な範囲を考えながら、”ツール・ド・のと” を開催し続けていかれるのだと思います。

私も、来年、再来年と開催されるであろう ”ツール・ド・のと” に参加することで、復旧/復興を後押ししていきたいと思います。

 

 

追伸

今大会の二日目は、奥能登を走るコースです。

私は、能登半島地震やその後の豪雨で被災した奥能登の方々は、

「”ツール・ド・のと” で奥能登を走ることは、実は歓迎されていないのではないか」…

そんな心配をしていました。

 

しかし、地元輪島のサポートライダーの方がいたり、参加者にも奥能登の地元の方がいて、その方々と話をしてみました。

また沿道には、屋根にブルーシートがかけてある自宅前の畑で作業中の方が、走っているライダーに手を振ってくれる、あるいは海岸の堤防脇にわざわざ出て声援を送ってくれる…

などのシーンがありました。

道路等の復旧工事に携わっている方々からも声援をいただきましたし、コース中にすれ違う工事車両/大型ダンプカーの方々からも笑顔をもらいましたし、走っているライダーに配慮した運転をしていただいたと感じます。

 

手を振ってくれたり、声援を送って下さった方々には本当に感謝しており、こちらも手を振り、声に出してお礼を返しています。

 

それらすべてを経た結論として、

「”ツール・ド・のと” は、地元の方々/工事関係の方々から、決して悪いようには思われていない」

と感じました。

 

 

心配をしましたが、これには、ちょっとホッとしました…

いよいよ明日…

今日は、9月13日(土)。

いよいよ ”ツール・ド・のと” の前日となりました。

 

7月初に痛めた右膝(ひざ)の具合は、まだそれほど良くはなっていません。

が、違和感/痛みが出たとしても、それを我慢して走る覚悟です(「覚悟はしている…」)。

 

「痛みがあったとしても我慢して走るんだから、せめて良い天気の中を走りたい」…

そんな望みを持っていました。

しかし、明日の天気予報をチェックすると、そのささやかな望みを打ち砕く残酷な内容。

 

まずは、スタート&ゴールの金沢。

未明から日の出の時間帯は、なんと時間あたり32〜35mmの強い雨が降る予報となっています。

この通りの天気/降水量になるのだとすれば、これはちょっと大変です…

 

当日の選手受付は、6時半〜7時半の時間。

7時半からは開会式がある模様で、スタートは8時から順次となっています。

そのタイムスケジュールに従えば、当日受付を済ませて開会式が始まるのを待つ出場選手は、雨宿りができる場所もない中、全員、ビショ濡れになって、スタート時間を待ちながら式典が終わるのを待っている…

そんな景色が展開されることになります。

うーん。

本音を言えば、開会式は注意事項等の伝達事項のみとして、来賓の挨拶等の式典っぽいものは端折ってスタートに移ってほしいところ。

まあ、色々な ”大人の事情” もあり、そうもいかないでしょうけどね…

 

ただし午後になると雨が止み、午後3時になれば雲にも切れ間が出てくるような気配なので、まあ、ゴールの時間帯になれば大きな問題はない…かもしれません。

 

そして、通過地点の羽咋。

金沢で降っていた雨が、羽咋に向かっている途中で止み、曇りの中を走るイメージでしょうか。

 

そして、折り返し&昼食を頂く能登町。

午後からは、なんと ”晴れ” の予報。

お昼を頂く能登町では太陽が顔を出してくれるようです。

雨でビショ濡れになったジャージ/パンツも中能登までには乾き、折り返して向かうゴールの金沢へ、元気に走り出すことができそうです。

 

 

あまりいい天気に恵まれそうにない、明日の ”ツール・ド・のと” 本番。

ただし金沢を抜ければ、あとはなんとか雨には降られずに済む可能性もあります。

 

一緒に大会に出場される方々。

明日は朝一番に大雨が降るようです。

しかし、それも束の間。

お天気にめげず、元気一杯、大会を楽しみましょう。

私も右膝の違和感/痛みが出てたとしても、まずは完走を目指して精一杯走ります!

覚悟はしている…

今日は、9月12日(金)。

昨日 11日(木)は、軽いテンポ走ペースを、都合25分でした。

 

都合25分…と言っても、実は途中でクールダウン5分をはさみました。

ウォームアップ後に軽いテンポ走ペースで走り出したのは良かったのですが、ほど10分経過した時点で、右膝(ひざ)に違和感/軽い痛みが発生。

「まあ、我慢すれば走れるかな」

ということで、そこからは少しケイデンスを落として走ってみたのですが、違和感/痛みが引くことはなく、逆に強くなる方向。

「ちょっと様子を見るか」…

ということでレスト走を入れることにしました。

レスト走で少し違和感/痛みが和らいだような気がしたので、5分後にテンポ走を再開。

ところが、テンポ走を再開した途端、違和感/痛みがぶり返してくる…

ということで、その時点でクールダウンとなりました。

 

 

軽い…とはいえ、そこはアップ/ダウンやレストとは異なるテンポ走。

心拍/パワーとも、ある程度の数値を意識して走っています。

 

違和感/痛みが出るときと、それらが出ないとき。

それらは、いったいどこが違うのか?

私自身はその原因がまったく分かりませんし、思い当たることもありません。

 

違和感/痛みが出るとき、出ないとき。

そのどちらのときも、足/体の使い方は同じようなことを心がけていますし、準備運動として行っているストレッチの内容もまったく同じです。

違うとすれば、筋肉/靱帯等の疲労度合い…とかでしょうか。

まあ、私には分かりませんが、何か違いがあるのでしょうね。

 

 

膝を屈伸すると、右膝には、今でも痛みが走ります。

これは、痛めて腫れてしまった右膝の靱帯(「危機一髪の…」)が、

「完全には治っていない」…

ということなんでしょう。

その状態で ”ツール・ド・のと” に参加するのですから、本番では

「右膝に違和感/痛みが出ても、それを我慢して走らないといけないこともある」…

ということは、私も覚悟しています…

 

 

右膝の違和感/痛みを覚悟して走る ”ツール・ド・のと”。

せめて、爽やかなお天気の下、晴れ晴れと走りたい…

それを願っています。

揺れる心…

今日は、9月11日(木)。

昨日 10日(水)は、ローラーでのLSDを60分でした。

 

”のんびり” よりもほんの少し上げた ”まあまあ” のペースで走っていた30分過ぎのこと。

「ゴーッ」…

という音がして、少しローラーの抵抗が増えるような感触が発生。

あわせて、ローラーのフローティング機構が、後方向に少し制限されたような動きも感じました。

 

「うん? ローラーの故障か?」

そう思ったのですが、そのまま走り続けていてもとくに問題はありません。

「後輪のローラー軸にホコリ/ゴミでも噛んだのかな」…

そう思って10分ほど走り続けていると、再び

「ゴーッ」

という音と共に、さっきと同じ感覚が発生します。

「これは何かある」

そう思って後ろをチェックすると…

なんとそれは、リアタイヤが壁に擦れて発生している音/現象でした。

 

私が使っている3本ローラーにはフローティングできる機構がついています。

このためローラーで走っている際に、ロードバイクが前後に動く(水平移動)します。

これは、3本ローラー上で ”もがくことができように”…という目的でつけられているようですが、まあ私にはあまり縁のないものですね…

 

 

その写真がこれ。

 

壁の赤い楕円で囲まれているに、縦に薄黒い筋ついてがいます。

これが、リアタイヤが壁と擦れてついた跡です。

 

この3本ローラーに乗り続けていると、少しずつローラー全体が左にズレていく癖があります。

それは分かっていて、たまに位置を右側に少し戻す…ということをしています。

しかし、後ろにもズレることは分かっていませんでした…

 

 

LSDの途中でしたが、ロードバイクを降りローラー全体を少し前に出す私。

それから、おもむろにLSDを再開。

これで、フローティングでロードバイクが前後に揺れても、リアタイヤが壁と擦れることはなくなりました。

 

この日は継続時間の目標を90分オーバーにしていたのですが、少しローラーを中断してから再開したことが逆に影響したのか、60分少し前でお股に痛みが走る症状が発生。

その時点でクールダウンとしています。

 

ただこのときは、身体的な痛みもありましたが、それよりも、

「あー、もうイヤになってきた。はやく止めたい」

という、私の心の揺れが影響したのかも。

 

ローラーのフローティングと同様、私の心も揺れたこの日のローラーでした。