炊飯ジャーの蓋

今日 12月23日(木)も、トレーニング/軽い運動はお休みです。

 

右足首のアキレス腱は、もうずいぶん良いような感じです。

ただスクワットまでは行きませんが、蹲踞(そんきょ)のような感じで足首に力がかかると、外側靭帯には違和感、前側の腱の部分に圧迫感があります。

そしてそのまま数分間同じ姿勢をとり続けると、とうとう痛みが出てきます。

 

違和感がある/痛い部分も、生活している限りは動かさない訳にはいきません。

やはり足の怪我は、完全に元通りにするのは難しいんですね…

 

クリスマスまで待っても違和感/圧迫感は消えず、この先ずっと、痛みとも上手く付き合って行くしかないかな…そう思い始めました。

ちょっと残念ですが、これは諦めるしかないと覚悟をしました。

 

ただし、諦めて自転車に乗れなくなることを受け入れる…というつもりはありません。

 

 

昨日の投稿 「ヨブ記って…」 では、旧約聖書のヨブ記(「救われないこともある」という内容の書)を紹介しました。

「この世には理不尽な悲劇/苦難もある、それを受け入れよう」

 

「えーっ、そんなの無理…」

 

良くないことがあればその原因を探し、それを修正して良い状態に変えていく。

原因が自分にあれば、自分の考え方/行いも変えて、良い方向に向かうようにする。

煩悩/欲がいっぱいの私は、やっぱり、そう考えてしまうに違いありません。

 

たとえば、私の右足首の状態。

これは、元々は私のロードバイクでの不注意/無理が原因で起こったことです。

できれば元通りの、違和感/痛みのない右足首の状態に戻したい…しかし、もうそれは無理のようです。

 

その状況でも、ロードバイクに乗ることは諦めない。

違和感/痛みと上手く付き合う方法を探して、できるだけ元通りのパフォーマンスを出せるようにしたい。

仮に元通りのパフォーマンスは望めないとしても、その中でも、少しでも速く/少しでも遠くまで走ることができるように工夫したい。

やっぱり、そうすると思います。

 

その「もっと速く/もっと遠くに」…という感情は「向上心」とも言える気がしますが、それも、まあ、煩悩/欲なのでしょう。

 

「もっと欲しい」と思っているものが手に入らないからこそ人は苦しむ(仏教で言う「求不得苦」)という面はありますが、それも生きる活力の一部なのではないかと、私は思います。

 

この煩悩/欲を捨て、言ってみればの「悟りの境地」に至ることは、私には到底できそうにありません。

煩悩/欲に悩んで、もがきながら生きて行くことしかできない…そう思っています。

 

 

さて、「悟りの境地」という観点で一つ…

 

今朝、朝食のとき、妻が「炊飯ジャーの蓋が開かない」と言いました。

 

家の中の道具/家電等で不都合な現象や症状が起こると、原因や背景は二の次で、まずは私にヘルプが来ます。

まあ、「頼りにされている」という言い方もできますかね…

 

実は、炊飯ジャーの蓋の不具合(閉まらない/開かない)は今日が最初ではなく、これまでも四回ほど起きています。

その都度、炊飯ジャーを確認すると…

・カチカチの米粒がヒンジ/フック等に付いている
・カチカチの米粒が内釜の裏/蓋の周囲に付いている
・スチーム発生の水受けが空っぽで加熱で変形している

という感じで、私から見ると、せっかくの高機能/高価な炊飯ジャーなのに、それを丁寧に使っていない印象です。

とくに、蓋が上手く閉まらないときも力ずくで閉めていたようで、そのためにどこかが歪んでしまっており、現時点で、すでに指で押しつけないと内釜がすんなり収まらなくなっています…

 

さすがに今日は、私もややうんざりした感じで対応してしまいました。

それでもなんとか蓋を開け、一言。

「無理やり閉めたらダメ。それから前も言った通り、水受けにもたっぷり水を入れてよ…」

 

妻は、私からの注意を「お小言」と受け取ったようで、少々ご不満の様子。

子供たちがそれを敏感に感じ取り、私が、妻を怒っていると認識します。

そして今度は、子供たちが、私を怒ります。

しかし子供たちは、「炊飯ジャーの蓋」問題が何回も繰り返されていることを知りません…

 

この状況で

・うんざりした対応をしない
・注意を聞いてくれなくても気にしない
・子供たちから怒られても受け流す

…というのは、私にはちょっと難しいです。

それだと、「私って何なんだ」と思ってしまいそうです。

 

 

本当は、「悟りの境地」あるいは「ヨブ記」のように、すべて受け入れないといけないのかも。

それが「慈悲」や「愛」である..そういうことかもしれません。 

 

でもそれは、正直言って、キビシイなぁ…

 

追伸

妻に頼まれた訳ではないですが、蓋/内釜は歪んで壊れてしまった…と判断し、新しい炊飯ジャーを買ってきました。

同じメーカー/同じ高機能モデルの最新型。

 

ただこれは、「慈悲」や「愛」ではない…と言われてしまいますね、きっと。

 

それは分かっていますが、それでも、これで気まずい雰囲気を変えれれば良い…

凡夫の私は、そう思います。

「ヨブ記」って…

今日 12月22日(水)もトレーニングはお休みです。

 

昨日の投稿「ダイバーシティ…」では、夜の会合が終わってから「軽い運動」をすると書きましたが、別の都合(飲食じゃないですよ…)が入ったため、それもお休みとしました。

 

ただ会合では、投稿に書いた通り「婦人会」に関する提言があったことを伝え、提言の内容をまとめた婦人会 会長宛の手紙を託してきました。

どんな回答がもらえるかはわかりませんが、提言をいただいた方には、それを伝えようと思います。

 

クリスマス明けには、軽い運動を始めたいと思います。

 

 

さて、今週末の25日(土)はクリスマス、そして前日の金曜日はクリスマス・イブです。

私の家は、一応、浄土真宗・大谷派の檀家でありキリスト教徒ではありませんが、クリスマス・イブの日は、家族でのホームパーティを予定しています。

 

「一応」…と書いているのは、檀家として毎年お寺にお金は納めていますが、とくに信心深いということではなく、親族の法要があれば住職の方にお会いする/お経を読んでもらう程度です。

地獄/極楽、輪廻転生…などというものも、概念や物語としては理解できますが、信じている訳では無いですね。

まあ、一般的な日本人は、概ねそんな感じでしょうか…

 

そんなキリスト教徒ではない私も、なぜか、歴史的観点から見たイエス、それと、聖書の「ヨブ記」については、(社会人になって数年が経った頃だったかな…)とある本にちょっと書かれている内容を見て興味を持ち、それがきっかけで色々調べたりしていました。

 

歴史的観点から見たイエスは「ナザレのイエス」と呼ばています。

キリスト教の教義に基づく「神の子 イエス」とは異なり、歴史的な観点から「イエス」の経歴を検証する…という感じです。

 

ヨブ記は旧約聖書の中にあるものです。

内容としては、「因果応報というものはない」…言い換えると「良い行いをすれば良いことが起こり、悪い行いをすれば悪いことが起こる…とは限らない」、あるいは「善良で正しい人にも悲劇や苦難が待ち受けていることがある」ということが書かれています。

 

この世には理不尽な悲劇/苦難もある、それを受け入れよう…

初めてその内容を知ったときには、ちょっと衝撃を受けました。

 

仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など「宗教」には色々なものがありますが、私がそれまで持っていた宗教のイメージ/理解は、つぎのようなものです。

 

人間は、色々なことに迷い、悩みながら生きて行く。

宗教とは、そんな「迷っている自分」対して「考え方/哲学」を提示してくれるものであり、迷っている心を救ってくれるものである。

 

今でも、これはある意味正しいと思っています。

しかしヨブ記は、それを読んでも「迷っている自分」を救ってくれることが書かれていない…そんな印象を持ちました。

 

宗教の経典「旧約聖書」の一部であるにもかかわらず、ヨブ記には「救われないこと」が書かれている…

それが衝撃でした。

 

翻って…

煩悩/欲にまみれている私。

 

私はキリスト教徒では無いですが、「救いがない」ことを理解しながらも信仰を保つ…そんなことは、とてもできるような気がしません。

キリスト教徒の方々は、ヨブ記をどんな風に理解しているのでしょうか…

  

「えーっ、無理…」と、考える機会を与えること。

そのこと自体が、旧約聖書にヨブ記がある理由なのかも…ですね。

 

追伸

高校生の頃、倫理・社会の授業において、先生から以下のキーワードが示されたのを憶えています。

 

仏教は「慈悲」。
キリスト教は「愛」。

 

そうか、「慈悲」と「愛」か。

 

うーん、できるかなぁ…

ダイバーシティ…

昨日 12月20日(月)もトレーニングはお休みです。

 

このところトレーニングをサボっていますが、その間の不摂生が祟り、内臓脂肪/血圧の悪化…など、健康面への影響が気になり出しています。

右足首を痛めてしまう心配はありますが、「トレーニング」ということではなく、まずは健康面への影響を防ぐための「フィットネス/軽い運動」を始めた方が良いと思い始めました。

 

よし、今日こそはジムに行く。

…と、そんなことを決心した日に限って、会合/飲み会等があるものなんですよね。

 

そうなんです。

今日の夜には会合があります。

 

2021年度、私は自分が住んでいる町会の町会長を務めています。

今日の夜の会合は、同じ小学校区域にある15町会の町会長が集まって行う会合です(町会長会議と呼ばれています)。

 

会合自体は真面目なもので、公民館/金沢市からの連絡事項、町会間での情報交換等があり、さすがにそれをブッチすることはできません。

 

うーん、今日の会合、どうしようかなぁ…

 

そうか!

その会合が終わってから「軽い運動」をすれば良いんですね。

そうすれば、もし、会合が終わってから個人的な飲食の誘いがあっても、「最近、運動を始めたので…」と、やんわりと断ることができます。

 

よし、これで行こう。

 

 

 

さて、私の町会内のさる方(女性の方)から、つぎのような提言がありました。

 

 

LGBTQ+という言葉もあるように、世の中は、どんどんダイバーシティ(多様性)を認める方向に動いています。

しかし、公民館に関連した団体には「婦人会」というものがあり、それが各町会の婦人部と繋がっています。

そこには性による区分が厳然としてあります。

 

各町会、婦人部の役員のなり手が多ければ、それでも良いのかもしれません。

ただし、この町会(私の町会…)では、もう婦人部の役員のなり手を見つけることが難しく、また、そもそも「婦人部に入りたくない」という方も増えてきています。

 

「婦人会」の活動を見ると、正直に言えば、「それが本当に必要か?」と疑問に思うものもあったりします。

「本当に必要なもの」であったとしても、「婦人会」を発展的に解散し、性別に関わらず多様性を認める団体として再構築した上で、「本当に必要」と判断したものだけを行えば良いのではないでしょうか。

 

 

私自身、婦人会の活動内容が良く分かっていないので、提言の内容について即断はできません。

ただ、「そういう意見を持った方がいる」…ということは事実です。

 

ダイバーシティ(多様性)とは少々論点がずれているような印象も受けますが、一応、話の筋は通っています…かね。

 

うーん…

どんな反応があるか、ちょっと予想は難しいですが、今日の町会長会議では、その提言を全体に投げかけてみますか…

失敗を恐れる心…

昨日 12月19日(日)もトレーニングはお休みです。

 

北陸では気温が低くなり、いよいよ冬本番となりました。

寒さが厳しくなったせいもあるのか、右足首の具合は停滞気味です。

「クリスマス前までには良くなるかも」…と言っていましたが、ちょっとそれは難しいかもしれません。

ただ、ローラーでのトレーニングは再開できなくても、クリスマスにはジムでのトレーニングは開始したいと思っています。

 

ジムにはトレーナーの方もいるようなので、ロードバイクに乗っていることを伝えた上で、自分には不足しているスプリントの強化等を目的にしたトレーニングメニューを考えてもらうのも面白いと思っています。

今までとは違うことをやってみて、自分に少し変化を与えてみるのも良いような気がしています。

 

さて、私は今まで、公私共にいろいろなことにチャレンジしてきたような気がします。

小学校の頃、夏休みに行う「研究/読書感想文」では、クラスの皆んながやりそうなこと外し、
 ・釘の上手な打ち方
 ・一番涼しくなる庭の打ち水のやり方
 ・百科事典の感想文
 …
など、今考えるとちょっと「変なこと」をやっていました。

中学のサッカー部では、自分には才能が無いことを思い知り、それでもゴールを奪う方法はないか…ということで、組織としての闘い方を考えて試合で実践していました。

社会人になりプログラマーとして働き出してからは、システムの機能拡張の際に、該当機能には直接は関係の無い、先人の残した「動いているけど問題の多い(気に入らない…)サブシステム」の全面的作り直しを提案しては、機能拡張のついでに行なっていました。

 

思い返してみると、若い頃は、そもそも失うものが無いこともあって、失敗やリスクを恐れず、色々なことにチャレンジしていたような気がします。

 

もちろん失敗はしています。

サッカー部内では仲間との衝突もありましたし、仕事ではいろいろな方々にお詫びにも行くこともありました。

ただ、それらの経験はチャレンジすればこそ…であり、なかなか得難いものだったと思っています。

 

仕事に関して言えば、チャレンジすることを許してくれた上司の方こそが実は素晴らしいんですが、それは、自分が部下を持ち、その成長を考えられるようになるまで、恥ずかしい話ですが分かっていませんでした…

 

翻って現在の自分を見てみると…

ただがむしゃらにではなく、失敗する条件/リスクを分析して準備できるようになり、それは成長した部分だと思います。

一方、失敗/リスクに囚われ過ぎてそれを恐れるあまり、冒険/チャレンジをしなくなっているような気もします。

 

「自分は年老いた。もう冒険は要らない。安全なところでゆっくりしたい」

白山一周ライドは、そんな自分への反発があったのかもしれません。

 

 

右足首を痛めることになりましたが、これも「200km以上を走るには、相応の準備/注意が必要」ということを知ることができた、私の貴重な経験の一つです。

この経験を活かして冬の間に体を鍛え、準備万端で春を迎えたいと思います。

いよいよ白い…

今日 12月18日(土)もトレーニングはお休みです。

 

右足首の状態ですが、腫れていたアキレス腱部分の張り/痛みは、もうほとんど感じなくなりました。

しかし、整形外科の院長先生から言われた、アキレス腱外側&そこから右足首外側の靭帯に繋がる部分の張り/痛みが消えません。

5分ほど歩いていると、そこが痛くなってくるので、やはりまだ無理はできないと思っています。

右足首の状態については、もう少し様子を見ることにします。

 

さて、今週末、日本にはこの冬一番の寒気が来ているそうで、ここ北陸・金沢でも、いよいよ雪が降り出しました。

いよいよ白いものが…

 

夏頃までは、「今年は暖冬」と言われていましたが、ここにきてラニーニャ現象が発生しているとの報告があり、暖冬から一転、「今年は寒くなり雪も多い」という予報に変わって来ました。

ある程度雪が積もることは覚悟しており、山のスキー場が困らないように…とは思っていますが、平野部で車が立ち往生するほどの大雪は降ってほしくない…というのが、正直なところです。

 

とうとう外を走るのも来春まで持ち越しだな…と思っていると、むぎーさんから「ピロン」とLINEが来ました。

fuuさん & むぎーさん

 

fuuさんと一緒に、浜松からカレーうどんを食べに豊橋にライドに行っているとのこと。

「風は強いけど、日差しは暖かい」そうな。

 

いやー、今日は太平洋側でも雪が降っているところがあるはずですが、むぎーさんとfuuさんは、日頃の行いがとても良いんですね。

 

この季節でも乗れるのであれば…ということで、むぎーさんには、スポーツサイクル・イシノさんにある以下をLINEしてみました。

エアロロード コルナゴ・コンセプト

エアロロード コルナゴ・コンセプト フレームセット。

定価55万円のところ、スポーツサイクル・イシノさんでは特価??万円。

どう?

 

むぎーさんからの返事。

「安くなっているけど、買えない😭…」

 

あー、ごめん。

ちょっと余計な情報でしたかね…