輪島 無念のDNF…

一昨日の9月10日(土)、なべちゃん(ピナレロ)と私(ピナレロ)の2人で輪島トランポ温泉ライドに行きました。

トランポ温泉ライド輪島 途中で引き返し…

 

昨年の輪島温泉ライド(「トランポ・ツーリング」)は、1722 YSEさんが初めてロングライドを経験し、完走したツーリングでした。

 

しかし、残念ながら今年は途中で引き返し。

さて、その顛末は…

 

 

金沢を朝4時にトランポで出発。

予定通り6時前に輪島に到着。

すぐにライドをスタートします。

6:00 輪島スタート

 

そこから30分もかからず白米千枚田に到着。

6:35 白米千枚田

 

ここまでは快調そのもの。

 

ただしここで、なべちゃんから「やや膝に痛みが出てきた」…との報告アリ。

 

「あー、最初から飛ばしすぎたかな。ここからはゆっくりペースで様子を見よう」

 

ということで、ここでは、やや長めの休憩。

トイレ等も済ませて、おもむろに再スタート。

 

さてつぎは、珠洲の塩田。

珠洲の塩田

 

ずっと先頭を引いてくれているなべちゃん。

少しペースを落として走っているものの、向かい風が強くなってきたため、負荷が強い。

なべちゃんからは、「やっぱり、膝に違和感がある」…との報告。 

 

あー、やっぱりぃ〜…

なので、塩田でもしっかり休憩。

 

「今日は、ずっとのんびりペースで行くぞ!」

そんな作戦会議をしてから、つぎの休憩所「木の浦ポケットパーク」に向けて出発。

 

ここは今日の最初の山岳ステージ。

楽しいヒルクライムが待っている。

 

ところが…

 

最初のプチ・ヒルクライム区間。

「先に行ってください」…

そう言うなべちゃん。

 

正直、ちょっと迷いました。

でも、ツキイチで後ろを走られるよりも、フリーの方が気楽に走れるかな…

ということで、「なら、のんびり来てねー」と先行する私。

 

しかし、プチ・ヒルクライム区間を登り切ったところで、無線から悲痛な声。

 

「ガガガーッ…が攣って動けません」

 

「えっ、どうした? 足、攣った?」

 

「はい、ちょっと休憩していいですか?」

 

「了解。じゃあ、そっちに戻るね」

 

右太腿が攣って痙攣…

 

写真では立っていますが、しばらくは攣った右太腿が痙攣して立てない状態だったそうな…

 

 

この状況で、この先のヒルクライム・メインステージは無理。

「今日はこのぐらいにしておいてやる」…

ということで、そこから来た道を引き返し、輪島まで戻りました。

 

 

しかーし、ただでは転ばない、我らがなべちゃん。

追い風天国で輪島に戻った時点で、さらにそこから先の「増穂が浦・富来」の漁港にある回転寿司「西海丸」に車で行き、お昼を食べよう…とのご提案。

 

もちろん了解。

真昼間からピチピチのサイクルジャージを着たおっさん二人で、寿司三昧・ご馳走のお昼を頂きました。

西海丸 寿司三昧の昼食

 

さすが、なべちゃんがいち押しの「能登の漁港直営」のお寿司屋さん。

ネタが新鮮な上に、海苔が本物。

もう、巻物、軍艦の海苔の香りがたまりません。

 

いやー、参りました。

「西海丸」さん、ご馳走さまでした。

 

美味しいお昼を頂いたら、近くにある「とぎ温泉センター」でお風呂に入り、さっぱりしてから帰路に付きました。

 

 

今回のトランポ温泉ライド 輪島編は、残念ながらDNF。

日頃のトレーニング不足を思い知った、チームじゅげむでした。

 

来週は、トランポ温泉ライド・和倉編。

さて、どうなりますか…

 

 

追伸

今から9年前。

大学院1年の長女が中学2年、社会人1年生の次女が小学6年、中学3年の長男が保育園年長。

 

その夏休みに、全宿泊を増穂が浦、木の浦、九十九湾、千里浜の各キャンプ場でテント泊を行った、親子4人での能登一周キャンプツーリングを敢行。

記念すべきその一泊目のお風呂が、今回の「とぎ温泉センター」でした。

9年前 小学6年の次女 & 保育園年長の長男

 

しかし、当時の「とぎ温泉センター」はすでに無く、そこは「とぎ地域福祉センター」となっています。

現在の施設外観
(志賀町シルバー人材センターHPより)

 

綺麗になって、とても広くなった建物。

建物の中には温泉があり、そこは「とぎ温泉 ますほの湯」というそうです。

9年を経た現在、ここは温泉設備だけではなく色々な設備が追加された、立派な施設となっていました。

 

 

9年前。

石けんもシャンプーも自分で持ち込む必要があった、言ってみれば銭湯のような素朴な温泉。

ただその方が、近所の方々が私たちに声をかけてくれるなど、人情味/触れ合い/趣があったのかな…そんな気がします。

 

まあ、無い物ねだりなんですけどね。

ようやく…ジャンプ!

昨日 9月7日(水)も、やること満載でトレーニングは行っていません。

 

しかし、昨日の投稿「モチベーションの源」で述べたように、2023年のツール・ド・おきなわエントリーに向けて、私には、ようやくトレーニングへのやる気が戻ってきました。

 

肉離れをした右脹脛ですが、実はあまり良いとは言えない状態ですが、もうこれは治らないと諦めています。

その状況でトレーニングを再開/継続するしかない…と考えています。

そう思って諦めると、なぜか、「怪我を元通りに治さないと…」と思っていたときよりも、少し気が楽になりました。

 

「今できる範囲でベストを尽くす」

 

ずっと続けていく秘訣は、そんな「肩の力を抜いた心境」なのかもしれません…

 

 

さて、中古車のキャンピングカーを購入して、それをレンタカーとして貸し出す事業を始めるぞ!…

という意気込みも激しく、サクッと車を買ったまでは良かったのですが、そこには思わぬ落とし穴がありました(「大ピンチ…」、「「コブツショウ」ってなーに?…」)。

 

しかし、それにめげずに準備を進め、なんとか、古物商の申請、レンタカー事業者登録の申請までは完了させていました(「ホップ・ステップ…」)。

 

待ちに待っていたのですが、本当に本当に、ようやく古物商・レンタカー事業者登録、いずれの申請も許可が下りました。

そして昨日、晴れて中古で購入したキャンピングカーをレンタカーとして使うための「わ」ナンバー取得を行うことがました。

「わ」ナンバー取得!

 

これで、「ホップ・ステップ・ジャンプ」が完了。

ようやく、キャンピングカーのレンタカー事業を始めることができます。

 

ちなみに、キャンプすることが前提なので、車だけではなくキャンプ用品もレンタルすることにしました。

料金表は以下の通りです。

→レンタカーのクラスは、まだ(大)のみです。
 今後増やしていけたらなぁ…と思っています。

レンタルの料金表

 

 

約款やらなんやらも自分で苦労して準備したり、レンタカーの任意保険で躓いたり(「二歩下がる…」)という経緯があったので、本当に「やったー!」という心境。

 

 

ただ、これがゴールではないんです。

ビジネススタートの準備が整っただけ…なんですね。

 

 

それを肝に銘じて、ここからこのビジネスを軌道に乗せるべく、色々仕掛けて行きたいと思います!

モチベーションの源

昨日 9月7日(水)も色々やることがあり、トレーニングができないまま一日が過ぎました。

 

新型コロナ明けでやることが満載…という「都合のいい言い訳」があるため、ここしばらく、まったくトレーニングを行なっていません。

 

私はこれまで、”ヒルクライムレースに出場する” ことをモチベーションに、トレーニングを続けてきました。

しかし、2020年に始まった新型コロナ感染拡大の影響で日本中のヒルクライムレースが中止となってしまい、私のトレーニング対するモチベーションが低下してしまいました(「ヒルクライムレース」)。

 

これではいかん。何か考えないと…

ということで、私は自分の物欲を刺激することで、モチベーションを再び向上させる…ということを行ってみました。

 

トレーニング再開&ニンジン/飴チャン
気持ちを保つ
ニンジン/飴チャンの妄想
ニンジン/飴チャン その2
DOGMA F12が目の前に…
神様…

 

物欲を刺激することで、たしかに一定期間はやる気が出ました。

しかし、物欲が満たされ、手に入れた物からの刺激に慣れてしまうと、元の木阿弥…

私の場合、それだけではやる気がどんどん減っていくようです。

 

 

そんな思いを抱いた一昨日の9月6日、何気なくスポーツサイクル・イシノさんを訪ねてみたところ、あるものを見つけました…

ツール・ド・おきなわ

 

そう、「ツール・ド・おきなわ」の申し込みのパンフレットです。

 

「ツール・ド・おきなわ」、有名です。

開催される市民レースで走行距離がもっとも長いのは「210km」。

「まあ、距離としては走れなくはない…」と思ってパンフレットをチェックしてみると、なんと獲得標高は「3,000m」。

これ、私が走ったことのあるライドでいうと、白山一周と同程度となるようです(「白山一周…しました!」)。

 

いやー、無理無理…

 

この白山一周がきっかけで、私はアキレス腱を痛めてしまい(「ブラピの痛み…」)、その後の無理もあってしばらく走ることができなくなりました。

 

レースをしながら、獲得標高 3,000mを走る。

うーん、ちょっと想像できないです…

 

「市民レース 100km」は、獲得標高が「1,900m」。

普段走っているコースで考えると、同じ走行距離でも獲得標高は2倍。

 

今年は色々やらないといけないことがあって参加は難しいかもしれませんが、来年、2023年の参加に向けてトレーニングを積んでいく…

 

おー、俄然やる気満々になってきました。

やはり私は、レースに向けてでなければ、モチベーションを維持することはできないようです。

 

 

合言葉は「ツール・ド・おきなわ」。

しばらくは、これで行きたいと思います!

 

 

追伸

妻に「(応援するために…)一緒に沖縄に行く?」と聞いてみたところ、「えー、お休みもらえるかな…」との回答。

 

おや?

「絶対イヤ!」じゃないんですね。

 

ふーん。

もうひと押し…ですかね。

行事/イベント開催の是非…

昨日は9月1日(木)。

2022年度も、いよいよ折り返しの9月を迎えました。

 

昨年度、今年度と、私は住んでいる地域の町会長(自治会長)を務めています。

当初、この2022年は新型コロナも終息に向かい、3年ぶりに色々な行事/イベントが盛大に行われる…という状況を期待していました。

しかしこれまでのところ、物事はそう上手く運んでいません。

 

 

多くの方々に協力していただいて開催の準備を進めていた、私たちの町会のレクリエーション「サマーフェスティバル」についても、開催時期がまさに第七波の感染拡大タイミングと重なってしまったことにより、残念ですが中止せざるを得ませんでした。

 

また、地域全体の公民館行事である社会体育大会(地域全体の運動会)も中止が決定しました。

公民館の方々も、中止することはさぞ残念だったろうと想像します。

 

 

世の中には色々な行事があり、それぞれに、それを企画・準備している方々がいらっしゃいます。

その方々も、新型コロナのことを考慮・心配しながら、なんとか行事/イベントを安全に開催する方法はないかと、きっと検討・工夫していることと思います(私たちの町会でも、そのように検討してきました)。

そうやって検討・工夫を重ねても、どこかのタイミングで必ず「最大限配慮した上で開催する」のか、あるいは「残念ながら中止する」のか、それを決断しなければなりません。

私も、昨年度、今年度と、そのような決断をしなければならない状況が続いてきました。

 

 

新型コロナ感染症が拡大する前に比べ、行事/イベントを企画・準備することは、それがどんな内容であるにせよ、注意すべき点、準備すべき物、それらにかかる費用など、色々な点で課題が多く、本当に気を使います。

 

なにも検討せず、安直に「中止」と決めてしまうのもひとつの方法でしょう。

しかし実際には、それを企画する側にしてみると「なんとか実施する方法/手段はないか」…と種々検討・吟味することがほとんどだと感じます。

また、そうやった上での決断であれば、それが開催であろうが中止であろうが、「その決断は尊重すべき」というのが私の感覚です。

 

 

一方、これまで私が決断したことについて言えば、それを批評/批難する意見を頂戴することが、少なからずありました。

もちろん反論したい気持ちはあり、本音を言えば「評論家みたいに、批評/批難するのは簡単ですけど…」と言い返したくなることもあります。

 

しかし現実には、事実に基づき冷静に経緯を説明したうえで、

「色々なご意見があることは受け止めますが、〜という理由から〜することに/〜しないことに、私は決断しました」

と経緯を説明して、理解を求めることしかできない…

そう考えて、これまで行動してきました。

もちろん、今後もそのように行動していくつもりです。

 

 

上記で述べたように、私の考えを説明し周囲の方々の理解/共感を得ながら(もちろん、私の当初の考えも変更しながら)、その時点で「良い」と思う方向で決断しています。

ただその決断により、事態がより良い方向に向かうのか、あるいは悪い方向に向かってしまうのか…というような「結果の良し悪し」までは、私はもちろん誰にも分かりません。

(まあ、予言者でもなければ、それをハッキリ決めつけることはできません…よね)

 

 

「そんな無責任な」…と言われるかもしれません。

もしそのような中で、悪い結果を招きそうになったら…

 

そのときは、

「判断を間違ってしまったことを率直にお詫びし、朝令暮改となることを恐れず、決断した内容を変更する」

…それを心に誓っています。

 

 

「ポリシーがないし、一本筋が通っていない」

そう言われるのがちょっと怖いんですが、そういうときこそ「自らの誤りを認めるに、やぶさかでは無い」という態度が重要だと、私は思っています。

 

 

 

10月には私たちの地域の「住吉神社」の秋祭りがあります。

9月は、その準備を行う重要な期間です。

 

この期間、私はちょっとビビりながら、しかしそんな顔を見せずに、周囲の方々の理解と協力を得て、諸々の準備/検討を行います。

その中には、これまでのやり方を変更した、新しい取り組みも入れていきます。

そして最終的に、秋祭り開催の是非を決断します。

 

 

開催するにしても、中止するにしても、どちらの場合も批評/非難を受けることになるでしょう。

しかし、あわせて、その批評/非難から逃げることなく、説明して理解を求める覚悟もしています。

 

 

ヒルクライムレース。

後半、つづら折れの坂を抜けて、「このカーブを抜けたらゴールだ」…

と思ったら、「ゴールまで1km」の看板。

 

ちょっとしんどいですが、今が踏ん張りどころ。

元気を出して、諸々進めていきたいと思います。