氷見-新湊 腹パッツン・ライド…

昨日 7月23日(土)は、なべちゃんと一緒に、氷見の道の駅をスタート&ゴールとして、富山湾サイクリングロードの氷見-新湊の間を走ってきました。

氷見-新湊(富山湾サイクリングロード)

  

実は朝から雨が降っていて、天気予報では午前中は雨が続く模様。

 

それなら…ということでトランポで氷見まで移動し、まずは腹ごしらえをして、雨が上がる午後からスタートして、海王丸を見に行く…という計画を立てました。

 

まずは腹ごしらえ。

氷見港の魚市場2Fにある食堂で、海鮮丼「はんさ盛り」と、白えびコロッケ&今日の魚フライを注文。

「はんさ」というのは氷見の方言で「メッチャ」といったニュアンの言葉。

その言葉に違わず、豪快に刺身が乗った海鮮丼が出てきます。

海鮮丼 はんさ盛り

これがまた、はんさ美味い!

 

そして、白えびコロッケと今日の魚フライ。

白えびコロッケ&今日の魚のフライ そしてアラの味噌汁

これも美味い!

 

という訳で、パッツンになってしまった腹を抱えてのライドがスタートしました…

 

スタート直後 氷見
途中の島尾
新湊 海王丸の前で
氷見に戻って 橋の前

 

富山湾サイクリングロードは、氷見から朝日までの75kmほどを、海岸線に沿ってほぼフラットに走ることができるようになっています。

昨日走ったのはその一部ですが、海沿いで景色の良く、しかも車の通りが少ない部分を繋いてくれています。

とくに雨晴海岸沿いのルートは、砂が浮いている箇所はありますが、海水浴のできる海岸やバーベキュー場のすぐ近くを通っていて、走っているだけで気持ちのいい区間でした。

 

氷見の道の駅に帰ってからは、すぐ近くにある温泉で汗を流し、トランポで金沢に帰ります。

金沢に帰ったら、すぐになべちゃん、そしてbest岡田さんも一緒に、慰労会でカンパイ。

 

とても楽しい一日になりました。

 

 

追伸

絶景のんびり・名古屋支部の福さんから、「氷見から島尾の道、懐かし〜」とのコメントが届きました。

 

福さん。

あらためて、富山湾サイクリングロードを走るライドを、むぎーさんと一緒に企画します。

その際は、是非こちらにおいでください。

宿泊場所も確保しますので、そのあたりもご心配なくどうぞ!

二歩下がる…

ここしばらく、レンタカー事業の準備が諸々あって、トレーニングの時間がとれていません。

トレーニングはしていませんが、食欲は旺盛なまま。

お腹が、だんだん煩悩丸出し状態になりつつあり、そろそろ「ヤバい…」と感じています。

 

その事業の準備も先が見えてきた気がする今日この頃。

もう少しすれば持ち帰りの作業も減り、トレーニングの時間が確保できそう…と期待が膨らみます。

 

 

その持ち帰りの作業について少々…

 

先日の投稿「新たな一歩…」に書いたように、古物商としての申請は金沢西警察署に受理されました。

これについては、一ヶ月程度後に古物商の許可が降りると思います。

これは大きな一歩でした。

 

さて、そのつぎに大切な一歩。

肝心かなめ、そもそものレンタカー事業の登録が必要です。

これについてはその地域を管轄している運輸支局(昔の言い方だと「陸運局」)に届け出て、事業者としての許可を得る必要があります。

 

その際、申請書とともに「レンタカー貸渡約款(単純に「約款」とも言います)」を作成/添付する必要があるのですが、これが一筋縄ではいかない代物。

 

 

ネットをググってみると、参考になりそうな「約款」は、実はたくさんあったりします。

しかし、どれもこれもページ数が非常に多く読むのに苦労するんです、これが。

 

えーい、面倒臭いことはやめて、良さげなものを「コピペ」しよう…

 

さっそく、ト○タレンタリースに白羽の矢。

大手のものなら間違いないだろう…ということで、ネットにアップされている約款を読んでみると…

 

いやー、さすがです。

びっしり書かれています。

しかし、大手ならではのオリジナル箇所があり、そのまま「コピペ」をすることができません。

 

うーん、これはダメだな…

 

大手のパクリをやめて、つぎは、私の知らない会社の約款や、どこかが開示しているテンプレート風の物を見てみます。

すると、書いてある意味が分からない、たまに間違っている箇所もチラホラ…

 

結局は、参考にする物を1つに絞り、(それでも12ページもあるんですが…)それを読み込んで/理解して、その上で自分の業態に合わせて新しい約款を作っていく…という方法を取りました。

これ、時間がかかるんです、ホントに…

 

 

それも昨日の夕方になって、「これで良いかな」という形になりました。

 

さあ、これでレンタカー事業の登録に行けるぞ!

 

…と思ったら、キャンピングカーの任意保険を契約した業者の方から、以下の連絡。

「当社は、レンタカーに使う車との契約はお断りしています。なので「わ」ナンバーに変更になった時点で、契約は解除となります」…

 

なんですとー!

 

頭真っ白…

 

ということで、今度は、あらためてレンタカーとしての任意保険の準備をしています。

 

 

このところ、三歩進んだと思った途端に「二歩下がる」…の繰り返し。

世の中には、色々な所に落とし穴があるようです。

 

でも、しかーし。

それにもめげず、張り切って行きますよ、私は。

新たな一歩…

このところ、キャンピングカーのレンタカー事業を始める準備でてんてこ舞いの毎日です。

 

先日の投稿「「コブツショウ」ってなーに?…」でも書きましたが、中古車を購入してレンタカーにする場合には、所轄の警察署に「古物商」としての許可を得る必要があることが分かりました。

 

そして、その申請には会社の定款の謄本が必要であることも分かりました。

定款というのは、会社の憲法のようなものであり、「目的」という項に、その会社が営む事業を明示しなければならず、それ以外の事業を行うことはできません。

もちろん、上記が判明した時点の定款には、「古物商」という事業は記載無し。

すぐに司法書士先生に連絡し定款の修正をお願いしていましたが、それがようやく完了し、昨日、修正された定款の原本が届きました。

 

その他必要な書類諸々に加え、定款の謄本も作成できた昨日、ようやく金沢西警察署へ古物商の申請を行ってきました。

そして、その場で内容がチェックされ、無事、申請が受理されました。

とくに問題がなければ…ですが、一ヶ月ほどの審査期間の後、古物商としての許可が降りると思います。

 

古物商の許可が降りれば、つぎはレンタカー事業者としての登録を行い、そして購入したキャンピングカーのナンバー変更、「わ」ナンバーの取得です。

しかし、古物商としての許可が降りていないうちにレンタカー事業者としての登録、中古車をレンタカーとして使うためのナンバー取得等は、できない(できるかもしれないが、逆に、後でまずいことになる…)ような気がします。

そのため、購入したキャンピングカーについては、レンタカーとしてのナンバー所得(「わ」ナンバーとしての登録)の前に、まずは名義の変更を優先することとしました。

これも、車庫証明の取得など色々ありましたが、ようやく昨日完了しました。

まずは名義変更完了…

 

 

まだやるべきことがありますが、それも先が見えてきました。

あと少しで、新たな一歩を踏み出すことができる…

そうと思うと、もうすぐ60歳になる私ですが、心がワクワクしてきます。

いやー、楽しみです。

 

 

 

さて、昨日、次女から突然の連絡。

 

初任給をもらった。

これまでのお礼として、(私がお金を支払うので)家族で外食に行きたい。

 

もちろん了解しました。

 

お店選びを妻にお願いしたところ、妻のお気に入り、金沢市福久町にあるイタリアンレストラン「Ogawaya Kitchen」さんに決定。

もう、「これでもか!」というほど家族みんなで飲んで食べて、次女の初任給を盛大にお祝いしました。

 

支払いは、次女…と私。

私が支払った額の方が多かったようにも思いますが、まあ、家族を食事に誘ってくれた次女の心意気だけで、私は満足です。

 

 

いよいよ社会人としての新たな一歩を踏み出した次女。

 

これから先、あなたには色々な苦難が待ち受けているでしょう。

でも、決して一人じゃない。

あなたには、今日のように嬉しいことを分かち合い、あるいは辛いことも共有できる家族がいます。

何があっても、あなたの味方である「家族」がいることを忘れずに、歩んで行ってください。

 

父として、そう思っています。

とししゅん にはなれない…

昨日 7月13日(水)は、夕食の準備を行う必要はありませんでしたが、夕方から妻の買い物に付き合ったため、やはりトレーニングはお休みしました。

 

このところの連日の猛暑の後の雨模様のせいなのか、妻の体調が少々すぐれません。

一昨日は完全に寝込んでしまい、仕事もお休みしました。

昨日はずいぶん良くなって仕事には行っていますが、仕事から帰ってきてまた買い物に出かけるのは、車の運転も含めてまだ負担が重いような感じです。

なので、私が運転をして一緒に行くことにしました。

 

スーパーでは、私がカートを押しながら付いて回っているのですが、「あっ、あれがいい。これもいい…」と言って品物を手に取っていると、妻は少々迷惑顔。

「どうして付いてくるの? 買い物に、あれこれ口を挟まないでちょうだい!(笑」

「はい…」

 

少しは元気も出てきたかな。

まあ、これはこれで、いいでしょう。

 

このところ、色々なことがあってローラーをサボりがちです。

ちょっとよろしく無いですね。

 

チャレンジの夏。

これを忘れずに、この後は頑張りたいと思います。

 

 

さて、ここ10数年ほどで、家族を含めて私の周り/環境は大きく変わりました。

 

父母とは別居して、自分の家を建てたこと。

父の病をきっかけに、一旦同居のために実家に戻ったこと。

父が亡くなり、そして母が亡くなって、また自分の家に帰ってきたこと。

その際に、父が40年前に建てた実家を壊したこと。

実家にあった大きな仏壇を処分して、モダン/小型な仏壇に変えたこと。

それらの流れの中で、勤めていた会社を辞めて独立したこと。

 

とくに、父が建てた実家を壊したこと、そして実家にあった大きな仏壇を処分したことについては、一部の親戚の方からお小言をいただきました。

 

「お前のお父さんが建てた家なんだぞ」

「その家を壊して、仏壇はどうするつもりなんだ」

「小さい仏壇にするって、先祖代々のものはどうするんだ」

 

40年前に父が建てた家は、広い玄関、そこから続く廊下があって、座敷、仏間、控えの間等がある、いわゆる昔ながらの家。

私が建てた家よりも大きく、そして、おそらく費用もかかっていたんでしょう。

しかし、実際に住んでみての快適さは、やはり新しい家(私が建てた家)の方が圧倒的に上です。

 

それと仏壇ですが、先祖代々の仏壇は、幅が一間程度の大きな厨子型のもの。

中の装飾には金箔が貼ってあり、阿弥陀如来や法名を書いた大きな掛け軸が下がっている立派なものです。

しかし、私の家にはそれを置く場所がありません。

心は痛みますが、それは処分することに。

代わりにモダン型のな小さな仏壇を求め、リビング畳コーナーの角に置きました。

 

 

「お父さん、お母さんは泣いているんじゃないか?」

  

 

痛いところを突かれました。

 

うーん、そうかもしれない…

そう思いながらも、私は「自分でできる精一杯をやっているだけ」と答えます。

 

 

じゅげむとして中古のキャンピングカーを購入しましたが、その保管場所として考えていたのは、じゅげむの納屋。

しかし、そのまますんなんりは入らず、荷物の整理が必要となりました。

 

荷物の整理のために、屋外にイ○バ物置を設置して荷物の整理をすることにしたのですが、かつて父が購入して大事に使っていた大型の道具/機械はやり場がない。

これは、やはり処分するしかありません…

 

 

ただ、処分すると決心したタイミングで、かつて家&仏壇の件でお小言をいただいたことが頭がよぎります…

 

そのときに、ふと「杜子春」という話を思い出しました。

 

芥川龍之介の書いた短編小説、「杜子春」。

中国の都、大きな門の下。

そこに、裕福な家に生まれたが、遊び暮らして今は貧しい青年、杜子春が立っている。

そんな杜子春の前に、峨眉山に住む仙人 鉄冠子が現れる。

仙人はお金をいっぱい、しかも何度もくれた。

しかし杜子春は、その度に遊び暮らすことを繰り返してしまい、人間不信にも陥る。

人の世が嫌になった杜子春は、仙人に弟子にしてほしいとお願いする。

仙人は杜子春に、「何があっても口をきくな」という試練を与える。

杜子春は試練に耐えるが、地獄に落ちている両親が、いまだに自分を思ってくれていることを知る。

そして思わず「お母さん」…と叫んでしまう。

そこで仙人の術が解け、すべて幻だったことがわかる。

そして杜子春は、この先、人として真っ当に暮らすことを誓う。

 

 

杜子春は若い頃に遊び暮らしていましたが、だんだんと成長して真っ当な人間になりました。

 

対して私は、(お小言をいただいた方の、私に対する印象は…)杜子春とは逆で、だんだんとダメになっていく。

おそらく、そう見えている…

 

 

父の形見のような機械を処分する決心をして、つぎの事業展開を考える。

そんなダメな私でも、本当は心の中で、「ゴメン」…と思ってます。

 

しかしそれは表に出さず、先のことを考えているポーズを崩さない。

今は、そのスタンスで行く…そう思っています。

人の世は…

昨日 7月12日(火)は、私が夕食の準備等の家事を行う必要があったため、トレーニングはお休みしました。

 

昨日はお休みしたローラーのトレーニングですが、7月一杯はテンポ走を行なって、基礎体力の向上を目指すつもりです。

当初は8月末も、ペースを上げることはあってもテンポ走を継続して行い、基礎体力向上に専念したいと考えていました。

 

しかし今は、8月からはインターバルのメニューを取り入れて、ここ一番の勝負どころで頑張れる体力作りに取り組みたい…と考えるようになりました。

それには、つぎのような理由がありました…

 

先日、kenshinさんと行った「五箇山-砺波-岩魚グルメライド」でのこと。

R304・人喰谷の坂を石川県から富山県方向に登っているとき。

 

軽いギアでゆっくり登り続けることはできるのですが、ケイデンス/パワーを上げ、少しペースを上げて登ろうとすると、足に力が入らず思うようにペダリングができませんでした。

正直言って、私はこれに愕然としました。

 

 

私は元々、瞬発力を必要とする「スプリント」のような走りが苦手です。

 

たとえば、ライド中になべちゃんがスパートしたとします。

私もすぐに反応してスパートします。

しかし私は千切られて、どんどん離されていきます。

 

ただしスプリントする距離が長くなってくるとなべちゃんがタレ気味になりに(そう言うと、なべちゃん、怒りそう…)、逆に私が追い付いて行きます。

最後、持久力勝負になった時点で、私がなべちゃんを追い越す…そんな感じです。

 

筋肉には、瞬発力の速筋と、持久力の遅筋があり、その割合は人によって異なるそうです。

私はなべちゃんに比べて、速筋が少なく逆に遅筋が多いんだな…と考えて、自分としても納得していました。

 

しかし、kenshinさんとのライドで行った人喰谷での走りでは、私は速筋が少ないのではなく、「速筋がほとんど無くなった」…そう感じてしまいました。

 

 

ヒルクライムレースでは、

・勾配の変化への対応
 (負荷の変化への対応)
・一緒に走っている集団のペースのアップ

など、苦しくなったときに「もう一踏ん張り」することが必要で、それがタイムに大きく影響する…と感じています。

まあ、半分程度は精神力のような気もしますが、この「もう一踏ん張り/苦しいところでの頑張り」ができるようになるためには、やはり速筋の瞬発力も必要なんだろうな…

私はそう考えて、インターバルを取り入れていました。

 

その内容は以下のようなものです。

(1)ウォームアップ 12分
(2)全力走     1分半
   ケイデンス 120rpm目処
(3)レスト走    1分
(4)テンポ走    20分
   ケイデンス 90rpm目処
 —(2)〜(4)を3セット—
(5)クールダウン 12分

都合90分ほどで、なかなかハードです。

3セット目の全力走は心拍が190bpmを超え、足も動かなくなってケイデンスが110rpmを切ってきます。

それでも「3セットをやり切った」ということが、精神的にもプラスになるような気がしていました。

実施にこれを行うようになってからは、ヒルクライムでの走力が上がっている実感がありました。

 

ただ現時点では、肉離れを起こした箇所の痛みや突っ張った感じは取れていないので、当面は全力走とテンポ走で目処とするケイデンスを少し下げ、それぞれ「100rpmオーバー、80rpm」程度にしようとは思います。

それでも、8月末には前述の「120rpm、90rpm」を目処に持っていく…そう思っています。

 

この夏は、私にとって「チャレンジの夏」です。

 

 

 

さて、話は変わって、中古で購入したキャンピングカーのレンタル事業について。

 

お願いしていた司法書士の先生から連絡があり、定款の再登記準備が整ったとの連絡がありました。

ただ、そこからまた一週間ほど、手続きにかかるそうな…

 

心の中で、「グォー」とか「ブォー」…といった声にならない叫び声をあげているとき、ふと夏目漱石の「草枕」の冒頭を思い出しました。

 

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかく人の世は住みにくい。

 

いやー、まさにその通り。

しかし、夏目漱石の凄いところは、そう言って人の世を嘆くだけではなく、つぎのような続きがあるんですよね。

 

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向う三軒両隣にちらちらするだたの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あるとすれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は、人の世よりも、なお住みにくかろう。

 

そうか、なるほど…

 

夏目漱石は「草枕」の中で、まず住みにくい人の世について述べます。

しかし、「その人の世以外に生きる場所は無い」と続きます。

 

これには更に続きがあって、「だからこそ、束の間の寛ぎ、心の豊かさをもたらす芸術は尊い」と説いています。

 

明治の文豪、なかなかにカッコイイですよね。

 

 

このところ、色々なことで「ビックリ、ドッキリ、ガッカリ…」することが続き、心が荒んでいました。

そんな私も、中学生以来で夏目漱石の「草枕」を読み、ちょっと心が晴れたような気がします。

 

夏目漱石、そして「草枕」に感謝。